側仕えへ売ってくれず
レーシュが病気で寝込んでいるため、滋養のある食材を求めて市場まで買い出しに行かなければならない。
流石に一人で町に出ても帰ってこれる気がしなかったので、双子の側仕えである姉のマレインに付いて来てもらうことになった。
しかし貴族のマレインを歩かせるわけにいかないので、近くの御者に馬車の手配へと向かった。
「あん? モルドレッド様のところですか? 勘弁してください。他を当たってください」
主人の名前を出した途端に怪訝な顔で断られた。
もしかするとここでもレーシュの名前は悪名高いのだろうか。
しょうがないので別の御者にもお願いする。
「やめてくれ! あんた達に関わったら俺まで巻き添え食うじゃねえか!」
またもやレーシュの名前で断られた。
都市では貴族というだけで乗せてくれたのに、ここでは全く貴族の特権が利用できない。
仕方がないので一度屋敷まで戻ってマレインに事情を説明した。
「そうでしたか。それでしたら一緒に歩きましょうか」
「いいの!?」
「ええ、だって乗り物がないのなら歩くしかありませんし。それに私は側仕えですので、旦那様のようにそこまで気を使わなくも大丈夫ですよ」
これまで高圧的な貴族ばかりと会ってきたが、双子は基本的に平民でも変わらない態度を取ってくれる。
神官のラウルも平民でも優しくしてくれたので、どうやら全員が権力を笠に着てふんぞり返っているわけではないようだ。
あまり偏見で考えてはいけないと自戒した。
余所行きの服に着替えてもらい、マレインと共に市場まで歩いていく。
二箇所大きな市場があり、一つは中央広場の一般的な市場、もう一つは海産物がある港の市場だ。
「流石に港は厳しいから中央の方へ行きましょう」
「そうですね。また昨日のように襲われても嫌ですし」
どうして海賊を倒すとこちらが叱れるのか疑問だが、あまりこちらから波風を立てても仕方がない。
潮の匂いに惹かれながらもまっすぐと市場に辿り着く。
都市の市場と特に大きな違いはなく、並んでいる商品も似たり寄ったりで助かる。
病気になっているレーシュには少しでも精の付く物を食べてもらわないといけないため、滋養作用の野菜や果物を買わないといけない。
私は目に付くお店にまずは足を運んだ。
「おじさん、野菜ください」
「はいよ。またべっぴんさんだな」
「ありがとう。まだ引っ越しをしたばかりだから今後ともよろしくお願いいたします」
「なんだい、そうかぃ。ならおまけで何個か付けてあげるよ」
「本当に! 助かります」
私は野菜を手に取って見た目よりも大きさや品質を確かめる。
たくさん選んでいくので、店主も目を瞬かせていく。
「そんなに買ってどうするんだい? もしかしてお貴族様の料理人かい?」
「まあ、そんなところです。それにしてもちょっと野菜が細いですね」
「ああ、元々は漁業で成長していた町だからね。港で獲れるものが減って農作物への皺寄せが行ってるのさ。大概はお貴族様にいいものがいくから、こんなのしか残らないよ」
野菜を持ち上げても軽かったため、最低限市場に出せる品質という感じだった。
市場を見れば町のことが大概分かると言われている。
もちろんお金の流れなどは分からないが、町の特徴などは食べ物に全て反映されるのだ。 色々と話をする私にマレインが興味を持っているようだった。
「エステルって、お話上手なのね」
「慣れてるからね。特に来たばかりの町ならこういった市場に出ると情報が集まりやすいから、また今度も来ましょう」
「うん。フマルもいい勉強になると思うから三人で行きましょう」
貴族が少しでも平民の生活を知ってくれたら、もう少し身分社会も緩和されるかもしれないと淡い期待をした。
農村にいたときも年貢はきつく、毎日の生活も厳しかったので、少しでも貴族が自分たち以外によって生活を支えられていることを自覚してほしい。
「では送り先の貴族様のお名前を聞いていいかい?」
「貴族街のモルドレッド邸までお願いします。場所は──」
主人の名前を出した途端に主人の目つきが変わった。
まるで厄介者を見るような目で手を振って帰れと意思表示される。
「あんたらには売れないね。他で当たってくれ」
「——えっ?」
突然の変わりようにマレインが戸惑っている。
貴族の彼女が平民から断られる経験なんてほとんどないのだろう。
もちろん一介の野菜屋の店主が貴族との礼儀を知らないということもあったが、それにしたって貴族の名を使って買うことを拒否されることなんて普通は有り得ない。
「あの、どうして駄目なん——!?」
「あんまりしつこいと兵士を呼ぶぞ!」
先ほどまでの優しさが嘘のようにおじさんの声が厳しくなった。
これはどうしようもないと思い、別の店で買うことにしよう。
次は果物を買おうと青果店へと向かう。
だがこの店も主人も私と視線を合わせることはなく、冷たい言葉を投げてきた。
「さっきのは聞こえたよ。うちも売れないから他へ行ってくれ」
感情が特にこもっていない声で言われた。
それから複数の店に回ったが、モルドレッドの名前を出すと誰もが取引を断ってきた。
このままでは全く食べ物が手に入らず困ってしまう。
「もしかすると昨日やってきた海賊を追い返したことが原因かも……」
「追い返したって……だって海賊ですよ?」
普通は取り締まるべき対象である犯罪者達を攻撃したらこちらが厄介者扱いなんておかしい。
それもこちらは防衛をしただけなので、非があるのは向こう側だ。
「お姉さん方」
途方に暮れている私にお店を構えているターバンの男がいた。
その男は私も知っている顔だった。
——前にレーシュ様の屋敷に来た商人!
思わず駆け寄ろうとしてしまったが、彼が口に人差し指を当てて黙っているように合図した。
それから彼は荷物を片付け始めた。
「あんたらみたいなよそ者のせいで俺たちの商売があがったらどうするんだい。あーあ、気分悪いから今日は店じまいだ」
どんどん中身を袋に入れていき、完全に商品を袋に詰めると本当に今日の商売を辞めるつもりのようだ。
マレインもあの商人を知っているようで耳打ちしてきた。
「付いていった方がよろしいのでしょうか?」
「うん。どうやらここのことに詳しそうだし。後をつけましょう」
なるべく他人のフリをするため、距離を離れて付いていく。
ターバンの商人も時折曲がる時にこちらを確認するので、私たちが付いてくることを了承してくれていた。
そして裏手の路地を進んでいき、普通の家に入っていった。
ドアを開けたままにしてくれているので、私たちはその家に入った。
「ドアは閉めてくれ」
ターバンの商人は荷物をベッドに置いてお茶を入れてくれた。
言われた通りにドアを閉めてから、椅子に座って待つことにする。
「マレイン様をこのような汚らしい部屋にお呼びして申し訳ございません」
「気にしないでくださいませ。ちょうど困っていたところだったのですから」
出されたお茶を念のため私が味見をする。
それで大丈夫だと判断したマレインもカップに口をつけた。
「まさかモルドレッド様がこの町を任せられるようになってびっくりですよ。貴族の事情は流石に商人でも情報が入りませんからね」
「ええ、冬は屋敷もゴタゴタしていましたので旦那様も時間を取れなかったのでしょう」
レーシュは領主からたくさんの課題を出され、必死に港町の情報を集めた。
城に行く回数も増えて、何度も図書室を往復したほどだ。
その度に変なからかいを受けたりして別の意味でも大変だった。
ターバンの商人は、お茶を一口飲み懐かしそうな目をした。
「それよりも驚いたのはマレイン様達がお帰りになったことです。正直なところ、モルドレッド様との付き合いもそろそろ潮時だと考えたほどですからね」
「そうだったのですか?」
あれほど商売の話で盛り上がっていたのに薄情だと思ってしまった。
前に領主によって香水の売れ行きが良くなったと、この男が言っていたことを思い出す。
側仕えとしてただ家事をしていればいいと思っていたが、ここ最近は私自身の教養の無さを自覚し始めている。
同じ平民である商人から少しでも情報を知っておきたい。
「レーシュ様がいなくなると領主様との縁も失うのではないですか?」
「うーん、確かにそれはありますが、正直なところリスクも同じくらい高いのですよ。特に大貴族様が絡むここ最近は身を縮める思いをしました」
私の知らないところで彼も苦労しているようで、ただ売れたらいいわけではなさそうだ。
「特に女性の令嬢ですと色々贈り物の作法がありまして、大貴族との商談なんてもっと上の大店くらいしかやり方を知らないですからね。もう少し上手く立ち回れたら利益も出せたのですが、やはり住む世界が違うと常識が違います。特にモルドレッド様は貴族社会でも冷遇されていますから、もっとより良い条件を出してくれる貴族を紹介するなんて人もいるんですよ」
簡単に出された条件を聞くと、今の利益が二倍に上がりそうだ。
紹介する商人によってここまで変わるのかと驚いた。
「モルドレッド様のおかげでだいぶ美味しい思いはさせてもらいましたが、利益を考える我ら商人からすると、少しずつ鞍替えをするのが当然なんですがね」
ターバンの商人はまるで獲物を狙うようなハンターの顔をした。
彼の表情を見る限り、こちらを見限るつもりはないようだ。
「正直に言えば、ここには別の商人との打ち合わせに来ていたのですよ。モルドレッド様から移った場合の補填とかね。でもまさかここであの方の噂を聞けました」
「噂って……もしかしてさっきの市場で急に態度が冷たくなったことのこと?」
「ええ。モルドレッド様のお使いには絶対に何も商売をするなって立て札が設置されていましたからね」
まさかそこまで露骨にこちらの邪魔をしようとするのか。
だがそういった立て札は本来公的な立場の者しか立てられない。
該当するのはお貴族様くらいなので、これまでの原因は海賊ではなくお貴族様にあるということだ。
「でも貴方はレーシュ様を裏切るつもりはないのでしょう?」
「へへっ、バレましたか。だってマレイン様達をお手元に戻すのに、目ん玉が飛び出るほどの金額が必要なんですよ。おそらく大金貨が何枚も動いたはずです。そんなお金をすぐに出せるほど、これまでのモルドレッド様が持っているはずがないですよ」
大金貨と聞いて私も驚いた。
小金貨十枚と同じ価値があり、さらにここに引っ越すまでにもかなりお金を使ったはずだ。
まさかレーシュにそこまでお金があることにびっくりした。
「さあ、教えてください! 一体冬の間に何があったのですか! これは大きなビジネスのチャンスのはずです!」
話すうちにどんどん商売魂に火が付いてきたようだ。
私とマレインも商売については無知であったため、やれることは彼をこちらとの関係を切らさないようにすることだった。
ジールバンを捕まえたことで神国からお礼をもらったこと。
港町の管理者代行に選ばれたことを伝えた。
「なるほど、そういうことでしたか。まさかモルドレッド様がそのような大役を預かっているなんて、私の目に狂いはなかったということですね!」
「ということはこれからもレーシュ様とのお取引も続けると思ってていいのよね?」
「もちろんです……と言いたいところですが、一つだけ問題がありますね」
先ほどまであれほどテンションを高くしていたのに、また元の冷静な男に戻った。
どうやらその問題とやらで大手を振って協力をできないようだ。
「この町はかなり特殊です。特に貴族となるとそう簡単にはこの町で成り上がるのは厳しいかも知れません。マレイン様なら特によくご存知でしょうが」
ターバンの商人はマレインを見つめる。
おそらくは先ほど商品を全く売ってくれなかったことに関係があるのだろう。
「そうですね……」
深く沈んだマレインの顔を見て、かなり深い事情がありそうだとわかる。
お互いに情報の交換を終えて席を立つのだった。