側仕えと手厚い歓迎
途中休憩を挟みながら、夕日が落ちる前に海が見えてきた。
潮の臭いが漂ってくるので窓から顔を覗かせたいが、目の前でイザベルの監視もあったのでどうにか我慢した。
しかしイザベルは頭が痛そうに手で抑えていた。
「エステルさん、あまりにも感情が面に出過ぎです」
「はい……」
「それと坊っちゃま。先ほどから無言で息が詰まります」
私だけでなくレーシュもまた注意された。
なぜか緊張しているようで、おそらくこれからの仕事で頭が一杯なのだろう。
しかし少し顔が熱っているように見えた。
「うるさい。今は考え事をーーおい、何をしようとしている!?」
私は前にしたようにおでこで熱を測ろうとしたが、思いっきり背けられた。
そういえば貴族ではこんな風にしないのだった。
仕事とはいえ主人の体調には気を配れとサリチルからも言われているので、軽食や紅茶、足取りなどを常にチェックしている。
ただ熱があるのなら実際に測らないと体温がわからない。
「そういえばこうやって熱は測らないのでしたね」
「熱を測る!? 何をふしだらなことをするつもりだったんですか! いいですか、淑女たるものそういったことはーー」
しまった、思う頃にはもう遅く、イザベルも説教を始めて、私の常識を一から修正しようする。
よくも長旅で疲れている中でこんなに元気なんだろうと感心する。
ようやく長い有難い話を聞き終えた時に門を潜り抜けて町へと入った。
そして今日から住むという屋敷へと向かった。
「港町は暑いと聞いていましたが、かなり涼しいですね」
「夜だからな。昼になる頃には驚く暑さになるはずだ。初めて経験すると風邪を引く可能性があるから気を抜かないようにしておけ」
そんな珍しい気候なのかと頭の片隅に入れておく。
温かい場所なのにすぐに羽織れる物は用意しておけと言われたのはそういった事情なのだろうか。
今日から住むことになる屋敷へ辿り着く。
レーシュの屋敷よりも一段大きな三階建ての屋敷が今日から住む場所だ。
ただ庭はあまり整備されていないらしく、前の屋敷の方が整えられていたくらいだ。
「これはまた手厚い歓迎だな」
「手厚いのですか?」
「皮肉だ。どうせ厄介者が来たくらいにしか認識していないのだろう」
一応ここはここの土地を納める貴族様の離れで、それを使わせてくれるからと親切なわけではないらしい。
門を潜り抜けると玄関のドアが開かれた。
二人の明るい橙色の髪をした二人の女性がこちらを出迎えた。
「「旦那様、お待ちしておりました」」
一人は前に洗濯を代わってもらったフマル、もう一人はどこか儚さを感じる双子の姉マレインだった。
二人は前からレーシュに仕えていた側仕えでジールバンから奪い返したのだ。
そのため仕事にも慣れており、先にこちらにやってきて家が使えるようにすぐに準備してくれたのだ。
「出迎えご苦労。部屋の準備はできているか?」
「はい。まだ途中ではありますが、旦那様が使われる部屋は全て終えております」
マレインはすぐさま答える。
それから移動してレーシュが使う部屋を一つずつ確認する。
レーシュの寝室の構造も頭に入れ、もし危険があっても守れるか確認をする。
「だいたい中もわかった。しばらくここに慣れるように生活をしよう」
今日はレーシュもすぐに眠りにつき、私は護衛のため不寝番をすることになった。
レーシュの部屋の前で待機していると、ゴロゴロとワゴンを押している音が聞こえてきた。
「お疲れ様です。冷えますので温かい紅茶でもいかがですか?」
側仕えのマレインが親切にも飲み物を持ってきてくれたのだ。
好意に甘えさせていただくことにした。
赤い紅茶を口に含み、体が芯から温まる。
「美味しいです」
「良かった。椅子を持ってきますので少しだけいいですか?」
「ええ、構いませんよ」
すぐにマレインは二つ分の椅子を持ってきて一緒に紅茶を飲む。
「今日はどうかされたのですか?」
「ちゃんと話をしたことがなかったから。それと私には敬語はなくていいよ。同じ側仕えなんだし」
「でもマレインさんもお貴族様ですから」
「いいの。それに下級貴族だからあまり平民と変わりませんから。どうせなら呼び捨てにしてください。私もエステルと呼びますので」
どんなに貴族の地位が低くとも農村出身の私では明らかな身分差がある。
しかし彼女はそこまで気にしている様子もないためここは彼女の言う通りにしよう。
「ならお構いなく。マレインは前からここで働いていたのよね?」
「ええ。だけど旦那様が資金繰りが厳しくなったのでどうしても他のところで働くしかなくて、また戻って来れたことが嬉しかったわ」
「それってもしかして──」
前にレーシュとジールバンの話を盗み聞きしたときに、変わった嗜好の持ち主に売られたと聞いた。
私はそうはなりたくないと思っていたが、彼女はまさにその被害者ではないだろうか。
「あまり気にしないで。こうやってフマルと一緒に買い戻してくれたからエステルには感謝しているの」
「そんな、私はただレーシュ様のお手伝いをしただけですので」
「ううん、そんなことはないよ。だってレーシュ様の立場からここまで上がれたのは、どう考えてもエステルがいなければありえないんだから」
マレインの顔には過去を思い出したことで悲しいものになっていた。
そういえば私はレーシュがここまで貴族達から嫌われる理由を知らない。
「ねえ、レーシュ様って過去に何をしたの? 性格だけであそこまで警戒されるのってどう考えても変よね」
「旦那様はまだお話していないんだね。あまりこのことは大っぴらに言えないんだけど、レーシュ様のお父様が大罪を犯してしまったの」
「大罪?」
「うん、王族殺しのね」
ーーえッ?
あまりにも大きすぎる罪に私の頭は止まってしまった。
そんなことをすれば一族全て殺されるはずだろうに、どうしてレーシュは生きているのだ。
貴族世界では大罪を犯せば家族まで連座として処刑されるという。
それが王族なら尚更生きているのが不思議だ。
私はもっと詳しく聞こうとしたが、屋敷の近くに大勢の気配を感じた。
「エステル……?」
急に立ち上がった私にどうしたのかと思ったのだろう。
だがあまり説明している時間はない。
「初日からどうして大勢でやってくるのよ……先に休んでて」
すぐに近くの窓を開けて、そこから屋根へと登る。
夜に紛れてかなりの数の荒くれ者達が来ていた。
「あれが噂の海賊?」
いや、今は関係ない。
ここに来るのが誰であろうとも私がやることは決まっている。
屋敷の敷居を跨ぐ前に一瞬で近づいて塀を登る者達を全て叩き落としていく。
「な、なんだ!?」
落ちていく仲間達を見てどんどん騒ぎが広がっていく。
数が多いため、一人一人倒していては埒があかない。
「ここはレーシュ様の屋敷と知って来ているのならすぐに退きなさい」
注意勧告をしたが、やはり荒くれ者達には意味がなく逆に血気盛んに武器を持ち始めた。
「へへっ、お貴族様の護衛か。まずこの町に来たのなら挨拶が先だろ?」
「どうして貴族のレーシュ様が貴方達なんかに挨拶をする必要があるのよ」
「なら挨拶したくさせてやる!」
一斉に襲いかかってくるため、私は体に力を入れる。
呼吸を大きく吸って、それに適した力を手に入れる。
「華演舞!」
筋力に回す分を速さに代え、敷地に入る前に全てを終わらせる。
先ほどよりも倒す速度を上げ、こちらの動きに追いつくことなく全て薙ぎ倒していく。
余裕のあった顔からどんどん恐怖に変わっていき、みるみる仲間が倒れていく姿に逃げ出す者もいた。
「くそっ、退け!」
とうとうこれ以上は勝ち目なしと諦めて逃げ去っていく。
騒ぎが広がっていき、こちらへ兵士もやってきた。
この場所を離れるわけにはいかないので、兵士に連れて行ってもらおう。
「すいません。この人たちを──」
「何をやってくれるんだ!」
突然兵士から怒声が飛んできた。
どうして襲われた私が怒られなければいけないのか。
「これでウィリアム様が怒ったらどうするんだ!」
兵士は倒れている男達の介抱をしていく。
あまりに想像とかけ離れたことになってきたので戸惑ってくる。
「おいどうした」
騒ぎに気付いたレーシュがやってきた。
眠りを妨害されたことで少し機嫌が悪い。
「それがここに侵入しようとした人たちを追い返したら兵士の方に注意されまして」
「なに?」
レーシュも怪訝な顔を作ったので私の認識がおかしいわけではなさそう。
だが兵士はそれでも文句を言ってくる。
「あんたが新しく来たモルドレッド様か。お願いだからここで騒ぎを起こさないでくれ」
「俺の護衛が俺を守って何が悪い。海賊なんだから牢にでもぶち込んでおけばいいだろ」
「あー、もう! あんたがその気ならナビに報告いたします。全く本当にーー」
私たちに対しては存外な態度のくせに倒れている暴漢達には下手に出る。
あべこべな対応に私もレーシュも理解が追いつかない。
やっと暴漢達が帰っていくが、こちらを睨むその目は今後の波乱を匂わせる。
「さて戻るぞ」
レーシュも戻り始めたので私も後を付いていこうとしたら、足取りがまるでお酒を飲みすぎた後のようにふらついている。
「レーシュ様?」
私はレーシュの前に行って動きを止め、おでこで測ると止められるので手で測った。
ーー熱がある!?
夕方までは元気だったのに慣れない土地で体調を崩したようだ。
顔もいつもより覇気がなく、ボーッとしているようだ。
「どけ、これくらい大丈夫だ」
あまり構いすぎると後で文句を言われそうなので背中だけ支えた。
玄関にはイザベルもおり、レーシュの顔を見てすぐに察した。
寝室を再度整えてもらい、彼をベッドに寝かせた。
「言った本人が熱を出してしまわれるとは。今日はもう夜も遅いので明日にでも何か精が付くものを買ってきてください」
「分かりました」
この中で料理をできるのは私しかいないため、キッチンについては私に一任されていた。
ただ一つ心配なのは土地勘のない場所で私は無事にここまで帰って来れるのだろうか。