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側仕えと淑女のレッスン

 私は早速イザベルの指導を受けることになった。

 その手には教鞭があり、手に気持ちの良い音を鳴らした。



「では不肖イザベルが貴族令嬢のマナーを教えたいと存じます」

「お、お手柔らかに……」



 すぐさま教鞭が飛んできたので、思わず手で捕まえた。


「……そういえば凄腕でしたわね」



 鞭を手放すとイザベルはそれを腰に戻して二度と使うことはなかった。

 仕切り直しと大きく咳払いをした。


「エステルさん、今のような言葉遣いではいけません。何卒ご指導ご鞭撻賜りますようよろしくお願い申し上げます、くらいは簡単に言ってくださいませ」



 私は自分の中で何度かその言葉を繰り返してもう一度伝えた。

 それでよろしいと次は頭に本を乗せられる。


「それを落とさずに歩いてください」



 一体何の意味があるのかは分からないが言う通りに歩いた。

 しかしここでもダメ出しが入った。


「どうやらまだ早かったようですね」


 すぐさま別の勉強に変わる。

 まずは令嬢としての心構えを説かれた。

 長ったらしいほどの多くの作法に頭が割れそうだ。



 ──辛いよぉ。



 やっと文字を読むのにも慣れてきたが、人の話をずっと聞いていることもまた大変だった。

 小難しい話にどんどん睡魔が襲ってくる。

 だが地獄の底から這い出たような声は一気に意識を覚醒させた。



「まだ話の途中でお休みとはいいご身分ですね」

「いや、えっと……」

「そんなに眠いのでしたら、もっと頭を動かしてもらいましょう」



 たくさんの木簡を机に置かれて、私は暗唱をさせられるのだった。

 やっと今日の分は解放されて、私は業務へと戻る。

 普通に洗濯をしていると何も考えなくてもいいので、ずっとこういうことをしたいと思う。



「あれ、もうイザベルの指導終わったんだ」



 水につけて洗濯物を手揉みしていると後ろから若い女の子の声が聞こえた。

 他にも来た側仕えの一人で、前もここに勤めていたフマルという女性だ。

 活発そうな女性で、私に対しても特に嫌悪感などなさそうだった。



「はい……というより呆れられて早めに切り上げられました」



 早く覚えないといけないのに不甲斐ない自分に悲しくなる。

 だがフマルはそう思っていないようだった。



「しょうがないよ、エステルさんは平民でしょ? これから覚えていけば夏には形になるはずだよ」

「そうでしょうか……」



 フマルも洗濯物を持ってきて洗い出す。



「そういえばエステルさんはどうしてここの業務をしているの?」

「っえ? 洗濯物が溜まっていましたので」

「ここは私の仕事だからしなくてもいいのに」



 そういえばこれから業務を割り振られると言われていた気がする。

 これまでは合間を縫ってやっていたが、同僚も増えたことでだいぶ仕事も楽になる。



「でもエステルさんすごいね。ここの仕事をサリチルさんと二人だけでやってたんでしょ?」

「ええ、どうしても出来ないところもあったので、優先順位を付けてやっていましたが」

「すごい溜まってたもんね。ここはいいから、自分の仕事に戻った方がいいよ。あの人たちは行儀見習いだから、こっちにしわ寄せくるのわかってるし」



 どうやら平民の私よりあの二人の方が嫌われているのは、フマルの表情からも分かる。

 それでもフマルはどうして平民の私にも優しいのだろうか。

 ただこちらを気遣ってくれているので、私は残っている業務に取り掛かるのだった。

 各部屋の掃除をしていると、またもやサボっている二人を見つけてしまった。



「ちょうどよかった。あそこの掃除をやっておいてくださいな」



 パンセはベッドに腰掛けたまま私に命令する。

 彼女たちの仕事はワックス掛けのはずだが、汚れるのが嫌だからサボっているのだろう。

 この子達は一体何をしにこの屋敷に来たのだ。



「それはお二人のお仕事のはずです。あまりにもサボるようでしたら、レーシュ様へご報告いたします」



 立場上は違いがないので私も強気に出た。

 こういった者たちにはしっかり言わないと伝わないものだ。

 だが平民の私から言われるのは屈辱だったらしく、真っ赤な顔で立ち上がって激昂した。


「あんた、平民の分際で何歯向かっているの!」

「そうよ! 少し旦那様に気に入れらたからってわたくしたちに説教なん百年早いわよ!」



 私が反抗しないと思っているのか、近くにある箒を持って暴力に訴えるつもりのようだ。

 仕方なしと私も迎え撃とうとすると、後ろから稲妻が落ちた。



「そこは何をやっていますの!」



 イザベルが鬼のような形相で後ろに立っていた。

 先ほどの指導が蘇り、私も背中をまっすぐと姿勢を良くした。

 だが彼女の怒りは私には向いていないように感じた。



「ふふ、いい気味ね」

「平民が調子に乗るからよ」



 どうやら私に対して怒っていると勘違いしている二人は好き勝手言っていた。

 イザベルは私を追い越して、教鞭を持って二人へ振った。


「あなたたちのことよ!」

「「〜〜!?」」


 気持ちの良い音を二人の太ももで鳴らした。

 足を抑えて涙目になっており、何が起きたか理解していないようだ。



「貴方達のことはお父様達からきつく言われているわよ。少しは甘えた性格を直すから、そこのワックスを持って早く行きなさい! もたもたしているとまたお見舞いしますわよ」



 二人とも慌てた様子で道具を持って部屋から退出していった。

 イザベルはあの二人にも口出しができる権限があるらしい。

 恐ろしい上下関係に私も身震いする。



「あの子達のことはわたくしにお任せなさい。貴女の方があんな子達よりも大事なんだから」

「……え?」



 最後の言葉は一体どういう意味だろうか。

 もやもやしたまま昼食の時間になり、私はみんなとは一緒に取らずにフェニルと個室で食事をしようと思い、自分の分は自分で作って運ぶ。

 フェニルと楽しいひとときを過ごして部屋を出るとイザベルが部屋の前で私を待っていた。



「イザベルさん、どうしてこちらに!?」

「貴女にお話がありましたの。少しだけよろしいかしら?」

「はい……」


 もしかすると先ほどの二人が自分にとって都合の良いことを言ってイザベルを味方に付けたか。

 一体どんな話があるのかと思いながら、彼女用に専用で作られた執務室へと向かう。

 どうやらこれまでサリチルがやっていた仕事を一部引き継いでいるようだった。

 イザベルはソファーに座るように言ってきたのですぐさま座った。



「エステルさん、今後あの方達と話すのは結構です」

「はい、気をつけます」


 ここは素直に謝っておこう。

 どうせ平民は貴族に対して何も言うべき立場にないのだから。


「気をつける必要はありません。ただ貴女がへりくだったり、彼女達の言うことを聞く必要がないと言っているのです。もし続くようなら彼女達に罰を与えますので、すぐに言ってくださいませ」

「へ?」



 思わず言っている意味を理解できずにいる自分がいた。



「それって私の方が立場が上だと思われませんか?」

「何を言っているのですか。貴女の方が上ですよ」



 何を馬鹿なことを言っているのかと言いたげな顔をしている。

 これまでの平民と貴族との間で起きたことと真逆のため私の頭が混乱する。



「私は平民なのにですか?」

「坊っちゃんからの命令は何よりも優先されます。研修では坊っちゃん自ら言われたことですから」

「どうしてまた……」

「それはあの方をどん底から押し上げたのが貴女だからですよ」



 イザベルは紅茶を私へ差し出した。

 自分の分も注いでから、ゆっくり口へ運ぶ。


「貴女の活躍は坊っちゃまから聞かされました。大変お強いらしく、さらに大貴族たるネフライト様ともお知り合いになっているともね。そんなお方が一介の中級貴族程度の小娘達と同格なんてあり得ません。だからこそ貴女だけは社交の練習という時間を設けられているのですよ」



 イザベルはカップを置いて力強く私を見た。


「いいですか。私は貴女に対して手加減するつもりはありません。坊っちゃまから貴女を立派なレディーにするように仰せつかっております。だから今後はそれを肝に銘じて、大貴族と接するに相応しい振る舞いを覚えていきなさい。今後貴女への障害は貴女自身で取り除かないといけませんのだから」

「は、はい!」



 私はどうやらイザベルのことを勘違いしていたようだ。

 嫌いとか嫌いではない関係なく、彼女は厳しいだけで私を守ろうとしてくれているのだ。


「それとわたくしの話が終わった後にお部屋に来られるように坊っちゃまから伝言があります」

「レーシュ様から?」


 私はすぐさまレーシュの部屋に向かう。

 扉にノックをしようとしたところで、部屋にいる気配に記憶があった。

 構わずノックをして部屋へと入る。

 そこにはレーシュともう一人猫耳をした獣人族がいた。

 ヴィーシャという二つ名を持つ暗殺者の当主であるヴァイオレットがレーシュと二人で話していた。



「ちょうどいいところに来た」

「お久しぶりです」



 ヴァイオレットは礼儀正しくもお辞儀をして挨拶をした。

 可愛い頭を撫でたいが今は勤務中のため控える。


「久しぶり。今日は何か用事があってきたの?」

「うん、モルドレッド様から依頼が来た」

「レーシュ様から? 確かヴィーシャを雇うのってかなり高いって言いませんでしたっけ」


 ヴィーシャを雇うためには国家予算ほどの金額が必要で、普通の貴族ではまず雇えないはずだ。

 レーシュの場合だと契約魔術で縛っているのでもしかすると無理矢理働かせるつもりだろうか。



「本来ならな。俺は信用できる暗殺者を婆さんに頼んだはずが、まさかのヴィーシャを寄越してくるとは……」

「お金はいい。どうせ暇だし」



 ヴァイオレットの耳がぴこぴこと動き、どうにも落ち着かないようだ。

 ヴィーシャを雇う人間なんて国王くらいしかできないのだから、おそらく退屈な日々だろう。

 しかし暗殺者を雇うのなら目的は一つしかない。

 私も暗殺者にはひどい目に遭ったので、誰かに何かするつもりなのかとレーシュを睨んだ。

 レーシュも私の目を察したのか慌てて訂正する。


「おい、勘違いするなよ! 今回はお前の弟を護衛するために呼んだんだ!」

「フェーのために?」

「ああ、もうじき俺とお前は港町に向かわんといかん。そうなるとあちらが落ち着いてお前の弟を連れてくるまで安全を守れる奴が必要だから呼んだんだ」


 レーシュは椅子に深く腰掛けて、少し疲れた顔をしていた

 まさかそこまで考えてくれるとは思わず、誤解してしまったことを謝らないといけない。


「大変失礼しました。でも本当にヴァイオレットちゃんが守ってくれるの?」

「うん。誰にも危害を加えさせない」



 自信満々に答えてくれるが、見た目が幼女のため少し躊躇う気持ちもあった。

 だが弟がまた狙われてしまうことを考えると、頼りになる人が居てくれるのはありがたい。


「ならお願いね。ヴァイオレットちゃんみたいに可愛い子だったらフェーも喜ぶと思う」

「うん!」



 ヴァイオレットが守ってくれるということはこの国では一番安全な場所と言っても過言ではないだろう。

 ただフェニルは獣人族を初めて見るので、どういった反応をするのか気になり楽しみが一つ増えるのだった。

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