側仕えの明けない夜はない
領主の登場は私たちにとって思いもよらないものだった。
ヒールの音を立てながら優雅に私たちを魅了するので、まるで何かの劇を見せられているようだ。
落ち着いた大人の余裕が彼女をここまで魅力的に見せているのか。
私よりも派手な赤いドレスを着て、このような荒れた場所には不釣り合いだというのにそれでも彼女を笑うことなんてできない。
護衛騎士の持ってきた椅子に腰掛ける。
騎士たちが整列する統率の取れた動きに異様なプレッシャーを感じた。
レーシュはようやく口を開く。
「アビ……どうしてこちらに──?」
「ふふ、なんでだと思う?」
クスッと笑う顔はどこか小悪魔らしくあったが、余裕のないレーシュにはイライラさせるだけのようだ。
レーシュは顔を引き締められ、そして自分の推論を述べる。
「まさか、俺をダシにして手柄を奪う気ですか?」
領主はすぐには答えず、扇子を取り出した。
大きく広げて自分の口を隠し、吸い込まれるような視線を向ける。
その目を見てしまうと思わず背けたくなってしまう。
「手柄? ごめんなさい、少し耳が遠くなったようね。わたくしの兵が検挙しているように見えるのだけど、貴方には別の何かが見えるのかしら」
ピシッっと扇子を閉じて、底冷えをするような声を出した。
だが私もその目にビビってばかりではいられない。
ここまでレーシュは自分の無罪を証明するために動いてきた。
もう少しで完全にそれを証明できるのに、レーシュの頑張りは全て無に帰そうとしているのだ。
領主は気絶しているジールバンへ目を向ける。
「その男が今回の首謀者よね?」
「間違いありません。領土にとって害でしかない麻薬を広めようとしております。証拠品である麻薬の入った葉巻や原料を押収しましたので言い逃れはできないでしょう」
護衛騎士が報告のあった書字板を見ながら答えた。
あまりにも用意周到すぎるため、自分の配下を紛れ込ませていたのかもしれない。
「あっそ」
護衛騎士の報告に全く興味がなさそうで、怯えながら捕まっている貴族たちに目を向ける。
睨まれたことで、小さな悲鳴が聞こえてきた。
領主の怖さを知っている貴族たちは断罪される瞬間まで心休まることはないだろう。
だがどうしたことか、領主は突然信じられないほどの満面の笑みを浮かべた。
まるで二重人格のような変わりように幻を見ているようだ。
「さて、皆さん。お聞きしたいのですが、わたくしは違法薬物に手を出した者が多いと聞きます。でも仕方なかったですよね、さらに上の上位者から命令されたのなら?」
一瞬だけ周りから声が止まった。
誰もがなかなか言葉を飲み込めなかったからだ。
しかし誰かが返事をしたことで、一斉に自分の無実を訴え始めた。
慌てたレーシュは私の側を離れた。
「お待ちを! 見逃すおつもりか!」
レーシュが前に出ようとした時に、護衛騎士が剣をレーシュへ向けた。
「うぐッ!?」
それ以上動けば殺すと目がいっている。
捕まっている貴族たちが口々に言い訳をしていく。
全ての元凶は、ジールバンだと。
ジギタリスの名前を言わないのは、忠義と言うよりもその後のことで報復を受けることを恐れているからだろう。
「なら全ての罪はその男に被ってもらいましょう。皆様は気を付けてお帰りください」
まさか領主が私たちの邪魔をするなんて。
貴族たちも安心の声をあげていた。
犯罪を犯しても償うことなく解放されるなんておかしい。
だが縛った縄はいまだに解放されず、時間がどんどん過ぎていく。
「アビ・ローゼンブルク……この縄はいつ解いてくださるのですか?」
一人の貴族が尋ねると、領主はまた無機質な顔な顔に戻っており退屈そうに答えた。
「一人ずつ解きますから順番に並んでください」
順番、どうして並ぶのかみんなが不思議に思った。
机を別の騎士が持ってきて、たくさんの羊皮紙を置いていた。
「さあ、大金貨十枚で許すわ。もし嫌なら罰金として中金貨と契約魔術で名前を縛ってもらいます。好きな方を選びなさい」
法外な金額にどよめきが出る。
名前を契約で縛るのは、今後領主に逆らわないということだ。
さらにお金も搾り取れて、領主としては損をしない。
まるで裏切られたと言いたげな顔で騒いでいく。
「そ、そんなお金なんて払えるわけない……」
「助けてくれるんじゃないのか!」
口々に文句を言う貴族たちに呆れた。
そもそもそういうものに手を出した方が悪い。
領主も見下した目で貴族たちを見ていた。
「それなら死刑でもいいわよ。どちらも選ばない者は、領土を侵す大罪人として連座にしなさい」
容赦のない一言にどんどん声が萎んでいく。
口惜しそうに貴族たちは頭を垂れて、一人ずつ名前を呼ばれた順に進んでいった。
大貴族だけは払うことができたが、ほとんどの貴族は契約魔術に自分の拇印を押した。
羊皮紙代も全て払わせて、なおかつ反抗できないようにするその手腕は、彼女の優秀さを証明するのだった。
全員がどちらかを選択したため、領主は満足そうに椅子から立ち上がる。
「レーシュ・モルドレッド。良かったわね。全ての罪がなくなって、貴方から頂いた罰則の違約金も返すわ。だって貴方は言ったことは全て真実だった、ですからね」
手を合わせて一件落着とまるでのこちらの意向を気にしない。
レーシュも口惜しそうに頭を下げた。
「ありがたき幸せです」
その行為に満足したように領主は笑って頷く。
そしてまた意地悪そうな顔を作った。
「でも無実を自分で証明できずに、わたくしの力を借りたことだけは忘れないようにしなさい」
勝手にでしゃばってきた癖に恩着せがましいにも程がある。
とうとう私の堪忍袋も切れた。
「さっきから聞いていれば!」
「おい、やめろ!」
「いいのよ、モルドレッド。続けなさい」
レーシュが私を止めようとしたが、領主から不要と言われて成り行きを見守る。
その目は余計なことを言わんでいいと言っている。
だがこれではあまりにも不憫すぎる。
「その男を捕まえたのはレーシュ様のはずです! 後からきてそれを奪い取ろうとして、それでも本当に領主様ですか!」
指をビシッと領主を指した。
驚いた顔をした領主がすぐに大きな笑いを出した。
「はは、私に領主かどうか問うか。でもわかっているのかしら? 私の意見に反論するなら、そこにいる貴女の主人がどうなるのかを?」
脅しのつもりだろう。
だがここまで言ってしまって後戻りなんてできない。
もう一歩踏み出そうとした時に、レーシュが私の腕を引っ張った。
「もういい。また振り出しになっただけだ。前と変わらないだけでも──」
「でもこんなのって……これじゃせっかくレーシュ様が頑張ったのに、あんまり……じゃないですか」
思わず涙が溢れてきた。
ただ何も認めてもらえず、良いことをしても全てなかったことにされるなんてあまり残酷だ。
「どうして、泣くんだ?」
「泣いていません!」
今は泣いている場合ではないと涙を拭いた。
それをどう捉えたのか分からないがレーシュは微笑んでいた。
私の横に並び立ち、頭を優しく撫でる。
「俺を誰だと思っている。こんなしょぼい成果なんぞくれてやる」
こちらを睨む領主にレーシュも睨み返していた。
緊張感が走る中で均衡がとうとう破られた。
「アビ・ローゼンブルク、待たれよ!」
レーシュと領主の睨み合いが続く中で、ラウルの声が響きわたる。
いつの間にか離れた場所におり、手には何かの入れ物を持っていた。
領主もまたラウルへ目を向けた。
「ラウル様。どうかされましたか?」
「今回の件については、私が教王の名代で首謀者であるジールバンを預からせてもらう」
騎士たちからもざわめきが出だした。
だが領主が手を挙げることで、すぐに静まり返った。
「どうして神国が他国の問題に関与するのかしら」
「それはこの入れ物に理由がある」
ラウルは護衛騎士に入れ物を渡して、中身に何が入っているか確認する。
そして次第に顔色が変わっていった。
「これは、邪竜教の証!?」
「左様。国王との取り決めの一つに邪竜教についてはこちらが預かることになっている。煙を吸うと体の身体機能を奪うものだ。毒とは違い、普通の者が吸えば、いずれ精神すら侵してしまうだろう」
アビは特に眉一つ動かさずに聞いていた。
なかなか表情を変えない彼女にラウルもためらいが生じている。
領主は顔色変えずにつぶやいた。
「そう、ならいいわよ。その男は好きにしなさい」
何か反対されるものかと思ったがすんなり許可をもらった。
私だけでなく、ラウルも少し泡を食ったようだったが、すぐに礼をとった。
「ご許可頂きありがとうございます。それともう一つだけ、今回の件はそこのモルドレッドのおかげで無事に事件を解決できました。神国にもその功績を讃え、少ないが献上品があるだろう。どうか無下な対応だけはされないようにお気遣いをしていただきたい」
ラウルがチラッとレーシュを見て、レーシュは余計なことをするなと睨んでいた。
ラウルがレーシュを庇う発言をしたために、騎士たちの一斉にガヤガヤしだす。
誰もが不相応な対応だと言っている。
心無い言葉もどんどん投げかけられ、私の怒りは次に騎士たちへ向かおうとしていた。
「鎮まりなさい!」
領主の鶴の一声が炸裂した。
初めて聞くような怒りのこもった声だった。
いつも理知的な彼女にも怒ることがあるのかと驚いた。
「いいでしょう。レーシュ・モルドレッドを今回の邪竜教の陰謀を事前に食い止めたことに対して、後日領主アビ・ローゼンブルクの名の下に褒美を取らせる。もし今の言葉に不服があるのなら、覚悟を持って申してみろ」
椅子から立ち上がり、騎士たちに対して目を向けた。
威風堂々としたその姿に誰も口を挟むことができなかった。
異議を唱える者はいなかったため、領主の言葉は正式なものになった。
領主は私へ為政者として力強き目を向けた。
「そこの娘、名を名乗りなさい」
支配者の目に背けたくなるが、私も彼女に負けたくない。
心を強く持って堂々と答える。
「エステル、レーシュ様の側仕えです」
「そう、エステル。一度だけ今回のことは不問とします。もし本当に主人を守りたいのなら相手を選びなさい」
少し笑っているような気がした。
厳しい言葉だが、物言いは優しいものだった。
それは忠告なのだろう。
私はしっかりと受け取った。
「はい。寛大な措置に心いります」
お礼を述べて、もう一度領主と目を合わす。
どこか冷たい目だと思っていたが、最後に合わせた目には温かさもあるようだった。
「では騎士たちよ。今日はご苦労であった。このまま速やかに帰還する」
領主の号令の元に動き出して、領主の身を守りながらホールから出ていった。
やっと全てが終わってほっとした。
「ラウル様、今日は本当に助かりました」
「これくらい大したことはない。女性を守るなんて当たり前だからね」
ラウルが私の頬を触り、どこも怪我がないかと聞いてきた。
思わず見惚れてぼーっとしてしまったがすぐに理性が戻ってきた。
「い、いえ大丈夫──」
「さて、白髪の優男君、君の仕事はあちらの脂ぎったおじさんをいつも女性にやるように抱いて連れて帰ることのはずだ。是非ともランデヴーをしたまえ」
レーシュが間に入ったことでラウルも手を離すしかなかった。
どうにもこの二人は仲が悪いようで、お互いに睨み合っている。
「貴公はもう少し私に対して感謝の言葉を持つべきではないかね?」
「もちろん持っておりますとも。それほどまでにうちの側仕えがよろしいのでしたら接待させていただこう。うちの筆頭側仕えと仲良く個室で喋りたまえ」
──それってサリチルさんのことでしょう!
こんなくだらない喧嘩にサリチルを巻き込むなんてあまりにも不憫だ。
ラウルが先に折れて、私へ顔を向けた。
「近いうちに会えると思いますのでどうかご自愛ください。それと彼が眠っている間のことは気にしていませんので」
「なっ!?」
手をひらひらと振ってジールバンを背負っていく。
余計な爆弾を落としていったものだ。
緊急時だったとはいえ、私も恥ずかしいのだ。
レーシュは何と勘違いしたのか、私も同じく睨んだ。
「おい、やつと何があった!」
「何もないですよ!」
「ならさっきの最後の言葉はなんだ!」
「えっと、お、教えません!」
私の口からわざわざ言うことでもない。
レーシュから何度も馬車の中で聞かれるが知らないで突き通した。