側仕えと口付け
私の手を持つラウルにどう対応すればいいのかとパニックになる。
ここでの作法を知らないため、変なことを口走って怪しまれたくはなかった。
さらにどうしてここにいるのか思ったが、それよりも踊れない私がまたあそこに戻るのはまずい。
レーシュに助けを呼ぼうとしたが、ラウルは先手を打ってきた。
「よろしいですよね、旦那様? 一度目は旦那様と二度目は誘った者、間違っておりましたか?」
どこか勝ち誇ったような声色にレーシュが反応する。
「憎たらしい優男め……一曲しか許さんからな」
小さく舌打ちをして了承するレーシュは仮面越しでも苛立っていた。
まさかこの場にいるということは、この人もそれを目当てに来ているのだろうか。
「あの、らう──」
「おっと、ここでは名前は伏せてね」
ラウルは人差し指を唇に当ててきて私の言葉を遮った。
流石は慣れていらっしゃるようで、レーシュと同じように私の腰に手をやった。
誰にも聞こえないように小声で囁かれた。
「君たちを見てピンときたよ。目的は同じとね」
「それって、貴方様も味方と思ってよろしいのですか?」
「ええ。最高神から賜りし魂を汚す毒を許す気はない」
曲がまた鳴り出した。
どうやら私が踊りに慣れていないことをわかってくれており、リードをしてもらうことでどうにかついていくことができた。
ただレーシュとは違い、関係の薄いラウルだとさらに緊張してしまう。
「ゆっくり身を預けて」
「は、はい!」
美男であるラウルと踊ることにどうにも心臓がドキドキしてしまう。
これまで見てきた男性の中でもダントツで顔がかっこいいため、どんなに興味がなくとも嬉しいと思う。
だけど私にとっては高嶺の花のため、あまり高望みをしない私からすると少し勘弁してほしい。
だんだんテンポが早くになるにつれて、足元が疎かになってしまった。
ドレスの裾を踏んでしまい、普段なら絶対にありえない転び方をしそうになった。
「危ない!」
危うく尻餅をつくところに、ラウルが抱き抱えてくれたおかげで助かった。
だがまるで抱かれるように上を向かされ、ラウルとの顔との距離が僅かなため、彼の目の色まではっきりと見えた。
吐息が掛かるほどの距離なため胸がドキドキとしてくる。
「おっと、時間のようだ!」
時が動いたかのように、私の腕は引っ張られた。
ラウルと引き離されて、レーシュの腕に包まれる。
「もう十分だろ? 優男君は別の女性と歩きたまえ。独り身の君もここなら選ぶ口実になるだろうからね」
「大変失礼しました。少し気持ちが逸ったみたいです。旦那様の忠告通りにいたします。美しき姫君に幸あれ」
お辞儀をして去る彼は優雅だった。
レーシュの嫌味をうまく流すなんて流石だ。
うちの主人はまるで威嚇するようにラウルを睨んでいるのに。
「えっと、旦那様そろそろ行かないと」
「あ、ああ。そうだな。失礼した」
周りからの注目が集まっているため私たちはすぐに後ろに下がった。
滅多にできない体験をできて良かったと思うが、この不機嫌な主人をどう宥めようかと考えているとさっきの余韻も冷めてしまった。
しかしどうにも力が入らない気がしてきた。
ほとんどレーシュに体を預ける形になっていた。
「おい、そろそろ俺の腕に体重をかけるのをやめろ。俺の腕はお前みたいに鍛えて──」
私の異常に気が付いたレーシュが肩を揺らした。
頭がぼーっとして力が入らず自力で立てないのだ。
まるで酩酊しているような気持ち悪さだ。
「毒なのか? いや、そんなはずはない。俺もこいつもここでは何も手を付けていない」
力が抜けた私を必死に支えて、壁の方へと向かおうとしていた。
だがレーシュもまた足がもつれて、私と一緒に転ぶのだった。
「あ、足が……」
レーシュも同じような症状になっているようで、お互いに立ち上がれずにいた。
急に倒れた私たちを見て悲鳴が上がり、周りからの注目が集まる。
警備している騎士が何事かと近寄ってきて、レーシュの仮面を外した。
悪い意味で有名なレーシュのため、すぐに誰かバレてしまった。
「も、モルドレッド!? モルドレッドが侵入しています!」
周りからどんどん人が遠ざかっていく。
それに代わって一人の男がニタニタとこちらにやってきた。
ジールバンはまるで獲物を捕らえた獣のように嬉しそうにしている。
「レーシュ君ではないか。大丈夫かね」
「ぐぅ──!?」
ジールバンが倒れているレーシュの髪を引っ張って無理矢理起こした。
苦痛に歪むレーシュを見て、まるで愉快と笑っていた。
レーシュもまた忌々しく睨み、言葉を絞り出していた。
「毒の、反応はなかった、はずだ──?」
私も毒には耐性があるはずなのに手足が全く動かせない。
レーシュを助けないといけないのに無力な自分に悔しくなってきた。
まさかこんなくだらない終わりがあるのかと。
「そうだろう。ここには効能のあるアロマを焚いていたからね。薬を飲まないと効きが良すぎるから渡してやったのに、どうせ怪しいからと飲まなかったんだろ」
一体どういう理屈だ。
薬で治せるのなら毒ではないのか。
いや、今はそんなことはどうでもいい。
早く立ち上がってレーシュを助けないと。
だが全く力が入らず、屈辱的な姿勢で眺めるしかなかった。
ずっとレーシュばかりを見ていたジールバンの視線が私に移った。
「おや、そこのお嬢さんはこの私に剣を向けた馬鹿じゃないか」
ジールバンはレーシュを離して、次は私の元まで歩いてくる。
「うぐっ!」
首を掴まれて持ち上げられた。
気持ち悪い男の手に不快感が増す。
愉悦に満ちた顔で力を入れられて、首が折れてしまいそうだ。
「お前を誘拐した後に、この男の前で恥ずかしい姿を見せてやろうと思っていたが、まさかその機会が今やってくるなんてな」
下卑た目は嫌悪させるに十分だ。
しかし体に力が入らずされるがままだった。
「おい、その女は関係ない!」
レーシュが体を引きずりながら近寄り、ジールバンの足を掴んだ。
同じように体がきついはずなのに、それでも何かが彼を突き動かしていた。
だがそれが気に食わないのか、ジールバンの足がレーシュの頭を踏みつけた。
「誰に向かって口を聞いている! 貴様のような哀れな男を拾ってやったというのに調子に乗りやがって!」
足をぐりぐりと動かして、まるで床に穴を開けそうな勢いだ。
私と同じような原因不明の症状と相まってかレーシュは気絶してしまっている。
このままでは証拠を集めるどころではない、一か八かになるがあまりやりたくない博打をするしかない。
自爆覚悟となるが、ここで捕まってしまうよりはいいはずだ。
覚悟を決めた時に誰かの声が聞こえた。
「王国の貴族は本当に女性の扱いを分かっていない」
これまで傍観していた貴族たちの中から一人の男が歩み出していた。
いつの間にか白の制服に着替えており、神官として正体を表したのだ。
髪をかきあげて、燃えるような目を表した。
周りからも驚きの声や名前などが上がりパニックが起きている。
「せっかくだから名乗らせていただこう。我が名はラウル。教王より授かり称号は、槍兵の勇者。いかなる場合でも、神を信じる者たちのためにこの身を費やす者だ」
ジールバンは想定外の人物が来たことに驚いて私を離した。
地面に倒れたときに、懐から薬が飛び出した。
残る力を振り絞ってかぶりつく。
早く治れと自分の体にお願いをする。
「どうして貴様は平気だ!? 薬を疑いもせずに飲んだのか?」
「そのようなことはせぬ。だが私には最高神から賜った加護がある。いかなる毒も寄せ付けぬ“聖者の盾“がある限り、私の体を侵せると思うな」
「ぐぬぬ! やつを捕らえろ!」
騎士たちが取り囲み一斉に攻撃を仕掛けた。
だがラウルは一人、また一人となぎ倒していく。
その実力はまるで獅子と猫ほどの差だ。
全て片付けたラウルは倒れているレーシュを一瞥した。
「さて、その倒れている男は嫌いだが、女性を守ろうとしたことだけは褒めてやらんといかん」
想像以上の強さにジールバンは大きな悲鳴をあげた。
すると外からドアを蹴破って入ってくる音が聞こえる。
ほとんどの敵を倒し尽くしジールバンも参ると思いきやまだ伏兵が残っていたのだ。
三人の平民の男たちが各々の武器を持ってやってきた。
「もしものために備えて雇ったヒヒイロカネだ!」
パーティを組んだチームに付けられる最高峰の称号を持つヒヒイロカネ。
その強さは貴族社会でも知られているらしく、安堵の声を出すものが多かった。
しかしジールバンただ一人は走って逃げていく。
どうやらヒヒイロカネでも抑えられないことは分かっているようだ。
ジールバンに釣られてどんどん貴族たちも我先にと逃げていく者もいた。
せっかくここまで追い詰めたのに、逃してしまうなんて屈辱だった。
「お貴族様の護衛は楽でいいと思っていたが、まさか同じ貴族を相手にしないといけないなんてな」
リーダーと思わしき重装を身に付けた戦士が盾を前にして近づいてくる。
守りに自信があるらしく、まるで猪のように突進してきた。
動きはあまり早くないためラウルは簡単に避ける。
だがそれを補佐するように、素手の男が軽い身のこなしで殴打でラウルを襲う。
同じく素手のラウルはその攻撃を受け止めて反撃をしようとした。
「ふんっ!」
横から投擲されたブーメランがラウルの頭を掠めていく。
ギリギリしゃがんで避けたのだ。
またもや後ろから戦士の突進が来たので、一度下がって距離をとった。
お互いに次の攻撃に備え、戦士は冷静に分析していた。
「あんたやるな。俺たちの連携をこんなにたやすく避けるやつなんて初めてだ」
「ヒヒイロカネの冒険者にそう言われるとはありがたい。もっと楽な仕事だと思っていたんがね」
「残念だが素手で勝つなんて不可能だ。俺のこの鎧、盾、そしてーー!」
戦士の雄叫びがホールで反響する。
耳を覆いたくなるほどの声量によって、彼の筋肉が膨れ上がっているように見えた。
「甲羅強羅!」
元々体格が大きかったのに、まるで別人のように肥大した筋肉にラウルの顔が歪んだ。
「なんて醜い。そんな動きで私について来れるかな!」
ラウルは倒した騎士が落とした槍を手に取って前方に突き出した。
他の仲間の協力を断って、真っ向から受けるつもりだ。
ラウルの槍が煌めき、戦士の盾を突き破った。
「グオオオオ!」
戦士の雄叫びが続き、鎧も抜けていった。
やっと戦士の声も止まり、ラウルは槍を抜いた。
「なっ!?」
槍の先っぽがひん曲がっており、そこには返り血すらついていない。
刃物が筋肉に負けたのだ。
一度距離をとり苦い顔で武器を探した。
「ここにあるなまくらで俺に傷なんてつけられねえよ!」
仲間たちも戦士の勇姿によって奮い立っており、攻撃が効かないのなら勝てると余裕の顔になっていた。
ヒヒイロカネと互角以上に戦うラウルでも、やはり武器がないと決定打がないのだ。
「これは参った。あまり本気を出すのは優雅さにかけるがやむを得まいな」
ラウルがどんな奥の手があるのかは知らないが、ヒヒイロカネのパーティは勝ちを確信しているように、鼻で笑うのだった。
だがその余裕も、私が立つまでの間だった。
「やっと動けるようになった」
薬が効いてきて、私は立ち上がった。
何度も手を開けたり、閉じたりして感触を確かめる。
本調子には程遠いがこれ以上眠ってなんかいられない。
「まだ遠くに行ってないよね」
こうなればジールバンだけでも捕まえてやる。
ジールバンが逃げた先を見ていると、目の前をブーメランが通っていく。
「おい! お前らを行かせるわけねえだろ!」
ブーメランを投げた男は恫喝するように私に睨みを利かせる。
一歩でも動いたら許さないと言っているようだった。
だが私は気にせずにレーシュに近寄って、懐に入れていた薬を取り出して飲ませようとした。
しかし気絶しており、このままでは飲んでくれないので、代わりに私は錠剤を口の中に入れ、落ちている水差しの残った水を口に含む。
「んっ……」
口付けをして、無理矢理飲ませる。
あまり時間もないため手段は選んでられない。
周りからも何をやっているのかと変な目で見られるが、今は些細なことに気を回す余裕はない。
こんな異常を放置していたら、本当に取り返しがつかなくなる。
こくんっ、と喉を鳴らしのを確認してひとまず安心した。
「お、俺は動くなって言っただろうが!」
「おい、よせ!」
言うとおりにしないことで癇癪を起こした子供のように、戦士が止めるのを聞かずに容赦なく武器を投げた。
「しゃがめ!」
ラウルは私を守ろうとすぐに駆け寄ってきたが、距離がありすぎて間に合わない。
だがそんな心配は無用だ。
「ふんっ!」
私はブーメランのタイミングに合わせて、太ももと肘でブーメランを捕まえ折った。
こんな遅い武器を食らうバカはいない。
大事な武器を折られた男はわなわなと震えていた。
「あっ、嘘だ。俺の、俺のッ!」
「おい、なんかやべえぞ!」
格闘が得意な男が急に血の気を変えて距離を詰めてくる。
ドレスの私なら上手く動けないと思ったのだろう。
減速をせずに飛び蹴りをしてくる。
「邪魔っ!」
踵に手のひらを打ち込み、その力は急激に失われた。
無力化された力のせいで、空中で無防備になり私は容赦なく顔に手刀を喰らわす。
「ぶげっ!」
一撃で倒し、全く立ち上がる気配もないので見向きもしない
怯えるような声が聞こえてきた。
「お前、何者だッ!」
戦士の呼びかけには答えない。
今はジールバンが先決だから。
落ちている剣を拾いながら一直線に戦士の元へ駆け抜けていく。
「無茶だ! その武器だと私の二の舞になるぞ!」
ラウルの助言も今は無視する。
腕に力を入れて、速度が遅くなる代わりに確実に一撃で終わらせる。
「天の支柱!」
攻撃に特化した技であり、見た目の変化はないが、確実に力が増す。
剣を水平に構えて、刺突を行う。
戦士は腕を交差して、強靭な筋肉で受け止めようとする。
「来てみろ! この俺の鉄壁はアダマンタイト級だ!」
自信に満ちた顔はこれまでの経験から出るものだろう。
弱い魔物だけを倒してきたことで助長したことが、彼の哀れな末路を呼ぶことになった。
「芹!」
戦士は私の一撃を受け止めようと壊れた盾をもう一度前に出した。
女の攻撃なんて喰らわない、そんな余裕の顔が歪みだした。
簡単に全ての防具を突き破り、内部にまでダメージが向かったことで、戦士の体が浮いた。
そして、後ろで守っていたブーメラン男と共々、後ろの壁まで吹き飛ぶ。
ホールの端まで飛び、大きな音を立てて壁にぶつかった。
「あの巨体を……力で吹き飛ばす、だと──!?」
ラウルは信じられないものを見たような顔で固まった。
起き上がってくることもないので、ヒヒイロカネは全滅したと思っていいだろう。
ラウルはまるで時間が止まったかのようになっているが、今はジールバンを追いかけるのが先決だ。
ふと騒々しい土を蹴る音が聞こえてきた。
「大量の馬?」
どんどんこちらに近づいていく馬の足音にただならぬ気配を感じた。
悲鳴も聞こえてきて、さっき逃げた貴族たちがどんどん捕まえらているようだ。
「けほっ、けほ!」
レーシュの咳が聞こえてきて、彼も薬が効いてきたようだ。
よくわからないことが起こり始めているので彼を置いていくのは危険だと考え、一度ジールバンを諦めてレーシュの側へと向かった。
額に血を流していたがそれ以外は無事のようだ。
あたりを見渡して、現在の状況を頭に入れようとしているようだ。
「あの豚にも劣る腹をしたデブはどこへいった?」
「そこまで貶める余裕があれば大丈夫そうね」
無事のようでホッと息を吐いた。
だがまだ全てが終わったわけでもなく、どんどんホールに連れ戻されてくる貴族たちを黙って見ている。
騎士たちが捕縛しているようで、ジールバンもまた気絶した状態で連れ戻されてきた。
かなり痛々しい顔をしており、連れてこられる最中に暴行を受けたのだろう。
「あれは領主の護衛騎士!? ……なのか?」
ジールバンを連れ戻したのは紛れもなく領主の護衛騎士だ。
一体どうしてここに来ているのだろう。
私はレーシュの手を引いて立ち上がらせた。
「あらあら奇遇ね、モルドレッド」
聞き覚えのある女性の声が私たちの心臓を掴んだ。
まるで全てを手のひらで操るような怖さを持つ女だ。
──まさか領主自らやってきたの!?
レーシュも緊張で喉を鳴らしていた。