側仕えとレイラの一騎当千
私は邪竜の一撃を浴びて瀕死になっていたはずだった。
先ほどまで熱くて、寒かったのに、正常な温かさに戻った。痛みも急に消え去り、場所も荒野に移っていた。
下を向くとしっかりと両足で立っており、消え去った四肢が元通りだ。
そして荒野の先には千体ほどの甲冑の戦士達が居た。私はその光景を何度も見たことがある。
「ここって一騎当千の世界?」
だが普段の私が見ていた景色とは違う。今は荒野であるが、私がいつも見ていたのは草原だった。
とりあえず行くところもないので、甲冑の戦士のところまで向かう。
するとその先頭には黒い鎧を纏った一人の女性が居た。
「レイラ……」
私が呟くと彼女は穏やかな顔を見せる。
「ようこそ、エステルちゃん。やっと二人っきりになれたわね」
レイラは口ではそう言っているが、殺気が体中から吹き出しており、ただの会話で終わらせるつもりはないようだ。
「レイラが私を助けてくれたの?」
私はもう死ぬ寸前だった。それなのにこうしてレイラの世界へ招かれているのなら、まだ生きている証拠だろう。
「そうよ。といっても、もう肉体はボロボロだったから、ここには魂だけ招いたというのが正解かしらね」
そうなるともう私はあちらへの世界へ戻ることもできないのだろうか。だが今やるべきはレイラとの対話だ。
「レイラは邪竜と一緒に殺して欲しかったの?」
レイラは頷く。
「そうよ。だけどやっぱりエステルちゃんでも勝てなかった。けれども、もう一回だけチャンスがやってきたわ。モルドレッドのおかげで、私と邪竜は切り離されたのよ」
私が意識が曖昧になっている間にレーシュが何かやってくれたようだ。
その時、急に甲冑の戦士が走り出した。レイラは少し下がって、甲冑の戦士に戦いを任せる。私の手にはいつの間にか剣が握られており、その剣で迫り来る甲冑の戦士を迎え撃つしかない。
「この一騎当千の力を破れば、貴女にこれまでの私の経験が引き継がれる。この一騎当千の試練を乗り越えるごとに、その力が譲渡されるのよ。これこそが本来の一騎当千の加護。だからいくらでも強くなれる」
レイラはそう言っているが、それはおそらく違う。
私は甲冑の戦士を倒しながら、私が知る限りのこの加護について教える。
「レイラ、たぶんこの加護には限界がある。剣の加護だけの方が強いのよ」
私の言葉を聞いてレイラの目が揺れた。おそらく知らなかったのだろう。この加護の限界までレイラは達していないのだから。
「そんな……なら、どうすればいいの……」
この瞬間に全てを賭けていたレイラは、顔を手で押さえ狼狽していた。
これまでの彼女とは違い、すごくか弱く見えた。
そして彼女は自嘲気味に笑っていた。
「ふふ、結局は私に選択権なんて無かったのね。ねえ、エステルちゃん」
レイラは私へすがるような目を向ける。
「ねえ、ずっと私の側に居て……恐いのよ。いつフォルネウスが私を慰み者にするのか……ずっと側で顔色を窺うなんて嫌……もうそんな毎日なんてこりごりなの」
レイラはやっと本心で話してくれているようだった。あるときから私は彼女が何かに怯えている気がしていた。
特に決定的だったのは、ベヒーモスを倒した日に彼女が涙を流していたときだ。
あれはきっと希望を見ていたからのはずだ。
私は彼女の全てを許すつもりだった。
「いいよ、レイラ」
私は甲冑の戦士を倒しながら、レイラのお願いへ返事をした。
レイラは手を顔から退けて、希望にすがるような人間らしい顔になった。
「でもね。私は絶対に邪竜なんかに頭は下げない。あいつのせいでみんなが苦しい思いをするのなら、何度だって戦う」
甲冑の戦士を全て倒し終えた。今の私では千体の戦士ですら一瞬で倒しきる事が出来るようになっていた。
レイラは半狂乱した様子で、私へ叫ぶ。
「どうして……勝てないのよ! この加護を受け継いでも限界があるなら、どうやって勝つのよ!」
レイラは自分で剣を構えて、私へ向かってくる。
お互いの剣がつばぜり合いになった。
「レイラは賢いわ。私なんかじゃ全く貴女の考えが分からない」
「そうよ! エステルちゃんでは思いつかないたくさんの策略を張り巡らせたわ! たくさんの可能性に賭けて、人員を配置して、モルドレッドなんて――」
彼女の言葉を聞きながら、私は首を後ろへ反らして、思いっきり彼女の頭へ頭突きをした。
「痛ッ!」
レイラはその場で膝を突いた。頭を押さえて手で擦っていた。
「話が長い! 私はね、馬鹿なのよ! レイラの言っていることがさっぱり分からないの!」
私の正直な答えにレイラはぽかーんとしていた。
レーシュやフェニルは賢いから裏の裏まで理解できるかもしれないが、私は十を聞いて一しか理解できない。
だけどこれだけは言える。
「あんたが苦しむなら絶対に私は邪竜に刃向かう! 恐いならずっと私の後ろにいろ! 私は死んでも見捨てない!」
レイラは顔を歪ませて泣きそうになった。私は彼女を抱きしめると、彼女もまた私の胸へうずくまる。
そしてその姿勢のまま少しずつ話をする。
「私はね、元々は平民だったの。だけど貴族に連れ去られて、たくさん実験をされたわ。加護の世界に毎日放り込まれて、眠るのが恐くなった。そしたら眠ることができなくなったのよ、笑えるでしょ?」
私はレイラと一夜を供にしても、眠ったところは見なかったのはそういうことか納得した。
そういえばフェニルも眠れなくなったから、一騎当千はもう欲しくないと言っていた気がする。
「最高神がいなくなればもう私みたいに加護で苦しませられる子はいなくなる。恨みもあったわ。あんな加護のせいで私の一生は縛られたのだから」
レイラはそれからレーシュのお父さんの話もしてくれた。レイラを救うため、頑張っていた話を。
そして彼女は私と出会い、この加護を託したことも知る。
「フォルネウスに取引をしたのよ。聖霊を使ってじっくりと魔力を奪ってはどうかってね。そうしないともっと早くに神国と王国は潰されていた。前モルドレッドの計画の綻びは全て私がサポートして、今日まで時間を稼げたの」
レイラは、不安だった、と私にだけその弱さを見せる。
誰もいないこの世界は彼女の気持ちを正直にさせているようだった。
「いっぱい動いたんだね。ごめんね、気付いてあげられなくて」
彼女を抱きしめながら、頭をゆっくり撫でた。落ち着いてきた彼女は、まるで子供のようだった。
「最高神が死ねば絶対に他の神がやってくる。今は良くてもどうせフォルネウスのような悪神は住み着くでしょうね」
私はレーシュ達と過ごすようになってから、神の祝福と貴族の魔力の大事さを知った。
都市部に住む者ほど恩恵を受けているのだ。
「だけど人が神に頼らない日々を選べば、私達は生活基盤を失って混乱する。だけどね、別の何かに頼る未来は自分たちの進化を止めるだけよ。遠く離れた国では、神に頼らずとも、繁栄して、加護に頼らないで独自の武力を持っているそうよ」
「神に頼らない国もあるの!?」
私はそっちの方が驚きだ。レイラは「驚きでしょ?」と少しいたずらっぽく笑った。
まだ希望はあるのだ。邪竜を倒した未来に希望が。
私はレイラの希望を知りたい。
「ところでレイラの夢って何なの?」
「夢……?」
「うん。邪竜から解放された後よ。また王様に戻るの?」
レイラは一生懸命に考えてくれているようで黙っていた。私はその答えが聞けるまで静かに待つ。
「そうね。ゆっくり眠りたいかしら。王様とか領主とかやめて、好きなときに、好きな場所で、ただ眠りたい。十分に寝たら、次は国を回ってみたいわ」
レイラはこれまで窮屈な人生だったのだろう。だからこそ自由こそが彼女の夢なのだ。
「ならその夢を叶えようか」
私は彼女を体から離して立ち上がる。そして手を差し伸べて、彼女も立った。
「どうやってフォルネウスへ勝つの?」
「一つだけ試したいことがあるの。この加護の隠れた能力をね、前にフェニルが教えてくれたの」
レイラは首を傾げていた。彼女はもう知り尽くしていると思っていたのだろう。
「この加護をみんなに与えるの」
「みんなに? それはどういうこと?」
レイラはピンと来てない様子だ。
「別に一騎当千だからって一人で戦うことはないわ。みんなの国なんだから、みんなで戦えばいいのよ」
レイラはいつも背負い込みすぎだ。全部一人で出来るからこそ、頼ることをしなかったのかもしれない。だけど私はいくらでも頼る。私に出来ることなんんてちっぽけなのだから。
「あとは私の体をどうしようかな」
肝心の体がなければあっちへ戻ることも出来ない。
レイラは何かを言いかけたが、私はすぐに彼女の口へ指を当てた。
「レイラの体を使えって言いたいんでしょ。それだとレイラと二人で一つの体を使うことになるじゃない。それより別の方法を――」
空が急に光り出した。何事かと思い、レイラへ目を向けたが彼女も知らないと首を横に振った。
「人の子よ。聞こえますか?」
誰かの声が頭の中に響いてきた。
「私はスプンタマンユ。最後の希望をあなた方に託します。どうか私の子を止めてください」
光が私たちを包み込む。その光に覚えがあった。前にコランダムの過去を見せてくれた光だ。
その光が私の力になろうとしていた。
「ねえ、エステルちゃん……」
レイラは私の背中に顔を当てた。
「私を助けて……」
レイラはこれから多くの罪を背負っていかなければならない。
だけどそれは勝ってから考えればいい。
それにやっと彼女が助けを求めたのだ。私が応えないでどうする。
「任せなさい。私は貴女の側仕えでもあるのよ。だから後片付けは任せて」
レイラの荒野が少しずつ崩れていく。彼女から私へ加護が渡される。
そして消えゆく荒野には花が咲き始めていた。
だがその世界でスプンタマンユは私にだけ聞こえるように頭の中へ話しかけた。
――体を与える代わりに、対価として貴女を――。