側仕えと天才貴族 レーシュ視点
謎の男から襲撃を受けたが、特に命を取られることは無かった。
頭痛も押さえられたときだけで、それ以降は発症していない。
ヴィーシャ暗殺集団に依頼して、俺の旧モルドレッド邸があった場所を調べさせている。
もし行くにしても情報が無ければ無駄に身を危険に晒すだけだからだ。
「まあ、今はこっちに集中すべきか」
俺はいつもより気合いの入った服装をする。
髪はワックスでまとめてかきあげ、服も白を基調とした正装へ着替えた。
「ブリュンヒルデ嬢とのデートとは、全く人生はどう転ぶか分からないな」
この王都で五本の指に入る高級レストランを貸し切り、催しもいくつか用意した。
大貴族の令嬢から歓心を買うためにお金に糸目はつけなかった。
「坊っちゃま、わたくしは嬉しいでございます」
俺の側仕えであるイザベルがコートを肩に掛けながら、少し鼻声でそう言った。
彼女は昔からうちに仕え、俺のことを孫のように可愛がってくれた。
「まだ何も決まったわけではないんだ。ただの食事だ」
「何を仰いますか。普通は女性から食事を誘われることはありませんよ。いつの間にそれほど関係を深めていたのか、相談くらいはしてほしかったです」
俺もそれは知らん。全く関係が無いに等しいので、彼女からアプローチしてきたことが俺にとっても想定外だったのだ。
しかしせっかく運が舞い込んできたのならそれを利用しない手はない。
俺はふと自分のローブの腕部分に変な紋様が入っていることに気付いた。
何かの魔方陣のようだ。
「ばあ、流石にこれは相手に失礼だろ。何の魔法かは知らんが、相手に傷が付いたらどうするんだ」
俺は腕の部分をイザベルに見せるが、彼女は首を傾げるだけだ。
「何を仰ってますか。何も書かれておりませんよ」
「なんだと?」
俺は自分の腕をまた見たがやはり見える。
よく見るとイザベルの服の上にも似た紋様が見えた。部屋を見渡すと、ところどころその紋様があった。
俺だけが見えているのか?
「そうだな……少し疲れているのかもしれんな」
「お仕事もよろしいですが、あまり根を詰めすぎも良くはありませんよ」
イザベルは仕方なしと呆れた顔をしていた。
どうして急にこんなものが見えるのだ。
納得できていないが、分かったところでどうにかできるものでもない。
俺は馬車に乗り込んだ。サリチルが従者として手綱を握ってくれる。
先日、侵入者によって吹き飛ばされたサリチルだったが、まじめな性格の彼は休まずに働き続けていた。
「怪我はもう大丈夫なのか?」
「これしきなんともありません。レーシュ様の恋が少しでも上手くいくように私もお手伝いさせて頂きます」
サリチルは、ハツラツとした顔で馬車を動かした。
サリチルもまたイザベルと同じく昔からの付き合いで、俺を見捨てずに最後まで付いてきてくれた。
二人のためにもこの婚姻だけは死んでも成功させねばならない。
その時、ふいにラウルの言葉が頭をよぎった。
――貴方の妻だったエステルさんだけがこの世界から消されたのですよ。
苛立ちが胸を打つ。
「何を馬鹿な。俺が平民を嫁に取ろうとするはずがないだろ。平民と結婚すれば血だって薄まって、魔力が低い子供が生まれるだけだろうが……」
リスクばかりで俺にとって利益の無い結婚なはずだ。そんな愚かな選択を俺がするとは思えない。
記憶が無いことがこんなに不快とは思わなかった。
「前の俺は何を考えていたのだ」
俺は自分の手を見つめた。
その時、先ほどの浮かんだ魔方陣が俺の視線に映る。袖を上げて魔方陣を解析しようと試みた。
「思った以上に複雑だ。これを書いたやつは天才だな。こんなの俺ですら思いつかん。まるで神の御業のようで――」
喋っていて、自分の考えに思い当たる。
これはもしや本当に神が書いたものかもしれないと。昔から魔法学については得意でのめり込んでいた。
契約魔術自体も俺が初めて考案した魔法で、いくつかの特許も貴族院に在籍中に申請したほどだった。
好奇心からその魔方陣の解き明かしたい欲求に駆られた。
「レーシュ様、到着しました」
サリチルの声が聞こえてハッとなった。
もう少しで解読が終わりかけたところで、ブリュンヒルデが仮住まいしている屋敷に着いた。
俺の屋敷より何倍も大きく、彼女の家の財力を象徴しているようだった。
もうすでに彼女も外で待っており、綺麗な金の髪をまとめて結い上げ、更に一段と美しく見えた。
俺は一度解読を切り上げて馬車から降り、彼女の元まで向かった。
「ブリュンヒルデ様、お迎えにあがりました。本日の出会いは神の祝福によるもの。私もまたその輝きに負けない一日を貴方様へ贈らせていただきましょう」
すると彼女は手を差し出した。
「はい、わたくしも楽しみにしてました」
俺は彼女の手を取ってエスコートする。
一緒の馬車に二人で乗って、俺が予約したレストランへと向かう。
後ろから俺たちを追うトリスタンの視線を感じながらも、彼女を飽きさせないように話題を弾ませる。
そうだ、わざわざ神の秘密を暴いても良いことはない。
俺は普通に生きていきたい。もうあの頃の――親父の罪を背負った時代になんて戻りたくない。
レストランへと到着すると、大勢のスタッフが外で待ち構えており、オーナーが俺たちを歓迎する。
大きなレストランだが、客は俺たち以外に誰も居ない。
席は真ん中に一つだけだが、広く感じさせないようにインテリアが凝っていた。もうすでに演者達も音楽を奏でて俺たちを迎え入れた。
ブリュンヒルデを先に席に座らせ、俺も向かい側に座る。
そしてトリスタンもまた遅れてブリュンヒルデの隣に座った。
俺が本当にブリュンヒルデにふさわしいかを採点するつもりだ。
ブリュンヒルデは興味深そうに辺りを見渡した。
「あまりこのようなお店には来たことが無かったですが、思った以上にお綺麗なのですね」
「ええ、自分でシェフを雇われる方のほうが多いですが、こうやって外で食べるのもなかなか楽しいですよ」
貴族と平民は明確に区別されているため、わざわざ貴族街から離れているレストランへ行く者は少ない。俺は格式高いお店は出入り禁止になっていたため、それ以外のお店を選ぶしか無かっただけだが、やはり自分の足で探したので、それなりに良い店を知っている自負はあった。
演者も前に贔屓にしていた実力ある一団を呼んであった。
「時に、モルドレッド君。君なら知っていると思うが――」
他愛の無い話やたびたびトリスタンから試験のような問いがいくつか出される。
どうにか及第点はもらえているようで、少しばかり安心した。
俺は一度席から立ち上がった。
「そろそろ曲も飽きてきた頃合いですね。今日は私からブリュンヒルデ様へ一曲お贈りしたいと思います」
「まあ、モルドレッド殿の竪琴の腕前は聞いたことがあります。とても楽しみです」
綺麗な女性からそう言われると悪い気はしない。
するとトリスタンも同じく立ち上がった。
「それなら私は剣舞を披露しよう。私の踊りに付いてこれるか見てやろう」
「トリスタン様ありがとう存じます」
俺とトリスタンはすぐに準備をする。
なんだか昔にこんなことがあった気がした。
誰かに届いて欲しくて、俺だけを見てほしくて――。
演者達にも演奏を補助してもらい、俺とトリスタンが主役として壇上で演奏する。
俺は竪琴を弾くと、トリスタンもまた剣で舞いを披露する。
音楽を奏でながら俺の頭の中では別のことをずっと考えていた。
なぜだか別の誰かにこの曲を捧げたような気がしてならない。
曲も終わり、俺とトリスタンは一斉に演奏を終えた。観客はブリュンヒルデ一人だが、大きく拍手をして俺たちを労ってくれた。
楽器をスタッフに渡して、俺たちはまた席へと戻る。トリスタンは動いたせいで、アドレナリンが上がって気持ちが高ぶっているようだった。
「ふんっ、なかなかやるではないか」
トリスタンから及第点をもらえたことにほっとする。
しかし俺はこの腕に浮かぶ魔方陣が気に掛かって仕方が無い。
途中まで解読して、この魔方陣は俺へ何かしらの干渉をしていることまで突き止めた。
もしこれを解けば、おそらく俺は俺でなくなるかもしれない。
「どうかしましたか、モルドレッド殿? 顔色が悪いようですが……」
ブリュンヒルデから心配される。俺は返事をする代わりに、紙に俺の腕に書かれている魔方陣を写した。
「もしよろしければ手品でもいかがでしょうか。この魔方陣に順番に魔力を通すと、面白い仕掛けを用意したのですよ」
やめろ。もう戻れなくなるぞ。神に逆らってどうなる。こんなのは自己満足だ。
俺の内なる声が必死に止める。たかが普通の人間である俺が、ラウルの言う平民の娘の弔い合戦なんぞして何の意味があるのだ。
「ほう、貴殿はそのような芸当が出来るのか。流石は噂に聞く魔道具の天才だな」
トリスタンは面白そうだと、魔方陣に魔力を通す。少しだけ細工した魔方陣で、俺の腕の魔方陣と繋がる仕掛けも入れた。
それは魔方陣の中身を弄って、無効化するためだ。
「なかなか魔力が通りづらいな。だがもうすぐいけそうだ」
辺り一帯に似たような魔方陣が散りばめられているので、神の力も分散されているはずだ。
それなら上級貴族のトリスタンなら簡単に解除できるはずだ。
もうここまでくれば腹を括るしかない。
どうしても俺はこの気持ち悪さから早く抜け出したいのだ。
願うのは、記憶が戻った俺が愚かな選択をしないことだけだ。
「おっ、よし解けたぞ」
その時、魔方陣が光り輝いた。するとパリーンと音を立てて、俺の腕の魔方陣が崩れ落ちた。
そして紙に書いた魔方陣も一緒に燃えて消え去った。
「ん? なにも起きなかったぞ」
トリスタンは少し不服そうに俺を見た。
「申し訳ございません。どうやら少しだけ魔方陣の式を間違えたみたいです」
「つまらん。次はしっかり出す前に調べておけ。無駄なことに魔力を使わされるのが一番好かん」
トリスタンは苛立っており、ブリュンヒルデが必死に宥める。
「まあよい。そろそろ夜も更けてきた。いくら私が同伴でもこれ以上は許さん。ブリュンヒルデ、帰るぞ」
「は、はい!」
トリスタンが席を立った。続いて俺たちも席を立って、馬車が待っている外へと向かった。
そしてトリスタンとブリュンヒルデは同じ馬車に乗ろうとしていた。
「ブリュンヒルデ様、もしよろしければ帰りはわたくしめの馬車でいかがでしょうか」
「えっ、でも……」
ブリュンヒルデはチラッとトリスタンを見る。
トリスタンは「勝手にしろ」と一人で馬車に乗り込んだ。
ブリュンヒルデは少し困惑した様子で、俺をびくびくと見ていた。
「では、少しだけ……」
彼女と一緒の馬車に乗り、彼女の屋敷まで送ることになった。
せっかく二人っきりなのだから、俺が話題を弾ませないといけないが、ほとんど黙ったままだった。
そして彼女の屋敷の近くまでやってきた。
とうとう真正面に座る彼女から話を切り出した。
「あの、モルドレッド殿……実は今回のお話のことですが……」
少し緊張した様子でブリュンヒルデは頭を下げた。
「私が振り回したことですが、無かったことにしていただけないでしょうか」
ブリュンヒルデは取り繕うことなく、真摯に謝罪をする。
しかし俺は特に苛立つことはない。
「ブリュンヒルデ様、私も同じことを伝えようとしていましたので大丈夫ですよ。私では貴女を幸せに出来ないでしょうから」
俺と彼女では結ばれない運命だったのだろう。
彼女は決して俺を見ていた訳では無いのだから。
そして彼女の屋敷の前にちょうど到着して、俺は彼女の手を引いて、馬車から降ろした。
ブリュンヒルデはドレスの裾を手で摘まんだ。
「本日はお招きありがとうございます。どうか貴方に神のご加護を」
ブリュンヒルデは再度お辞儀をして、屋敷へ歩き出そうとした。
「ブリュンヒルデ様」
俺は最後に彼女を呼び止めた。
言っておかねばならない。
「おそらく貴女様はもう一人の影に魅了されていたのでしょう。だから貴女様の気持ちは本物です。それだけはお忘れ無きように」
ブリュンヒルデはよく分からないといった顔をしていたが、しかしそれと同時に腑に落ちた顔になった。
「またどこかで」
ブリュンヒルデは笑って屋敷へ帰っていった。
俺はまた馬車へと乗り込んだ。
「レーシュ様、今日はその――」
サリチルは俺の顔を伺っていた。しかし俺の心は晴れ晴れとしている。
「サリチル、今から言う宿に向かってくれ。客人がそこで俺を待っている」
「か、かしこまりました!」
平民街の高級ホテルへと向かう。
サリチルには外で待ってもらい、俺だけホテルの中へと入った。
ラウンジは広く、地下には遊技場もあるので、全く暇にならない宿であろう。
警戒している支配人に俺の名前を告げると、もうすでに話は通してあるみたいで、あいつの部屋へ案内された。
「おや、どうかしましたか?」
仲からラウルの声が聞こえてきた。気配で気付いたのだろう。
そして彼からドアを開けて、口元をつり上げた。
「おや、少し見ないうちにやっと貴方らしくなったではないですか」
悔しいがこいつの言うとおりだ。前の自分を殴りたくなるほどだ。もう少しであいつの居ない日々で満足しようとしていたのだから。
「力を貸せ、槍兵の勇者。エステルを取り戻す」
やることが多い。魔力の無い俺ではできないことが多いのだ。
そのためにはこいつの力がどうしてもいる。
「エステルさんを? ですが、それは貴方が――」
ラウルは言いづらそうだったが、心配するなと拳を相手の胸へ当てた。
俺は一つの仮説を立てていた。
「エステルはまだ無事なはずだ。それに俺を誰だと思っている。神なんぞに俺の成り上がりは止められん」
俺は元々叛逆者の子供と揶揄された。
ならば神に逆らうのもまた俺らしいと言えるだろう。