側仕えは内乱の手助けをする
──いいですか、エステルちゃん。グレイプニル様は隅々まで綺麗にするように言っていましたから、それは今日だけでは無く常に綺麗にするように言っていたのですよ。ですので、こうやって食事を配るのも貴女の仕事なんです!
ミシェルから言われ、何も聞かずに動こうとした自分に恥じた。これではグレイプニル様のお役に立てない。
私たち以外にもいつの間にか手伝う者達がいた。
「エステル様、追加で百人前を用意しました!」
「そ、そうか……」
私はすでに皿に注がれたシチューとパンを貧民街の者達へ渡していく。
ミシェルがすでに手配をしてくれたようで、炊き出しも全部準備がされていた。
しかし今朝早くに言われたのによくこれだけの人手を集めたのものだ。
何もしていない私だが、配膳くらいは手伝おう。しかしどうにもミシェルに上手く扱われているような気がするのは気のせいだろうか。
ゾクッと一瞬だが鳥肌が立った。私へ殺意を持った誰かがいる。少なくとも雑魚ではない。私も驚いたが、こういった気配にかなり敏感のようだ。
──身の程知らずもおるな。
この程度の殺気なら一瞬で葬れる。戦いたい衝動がずっとくすぶっているせいで、誰でもいいから戦いたい。殺気の元へ目を向けると、そこには先ほど気絶させたターバンを被った眼帯男とその取り巻きがいた。
──こいつらか。
思いのほかがっかりした。あの程度の殺気で気絶する弱者だ。しかしあちらは力の差を理解していないようで、眼帯男は私を指指す。
「おい、女! さっき綺麗にするって言ったな?」
そういえばこいつは街を綺麗にするのを阻止しようとしていたな。
今では私の戦士達が隅々まで綺麗にモップで掃除した。どんな屈辱的な顔をするのか楽しみだ。自分は相手をいたぶる加虐趣味もあるようだ。
「起きるのが遅かったな。残念ながら手遅れだ」
眼帯男の眉がピクッと動いた。大事な街が綺麗にされてどんな顔をするのか。
あちらも喉を鳴らして、私を注意深く見ていた。
「お前が大事に汚したかった街は、もうすでに私が綺麗に掃除した」
言ってやった。しかし――。
「はぁ?」
眼帯男達の反応は私の考えるものではなかった。炊き出しが終わった後に、私とミシェルは眼帯男に招待されて、冒険者ギルドの客間へ招待された。
この貧民街の中ではいくぶんマシな建物だが、やはり内装はボロい。綿がもれているソファーにミシェルが、うっ、と顔を歪ませた。
「こんなダニが多そうなソファーに座りたくありませんわ」
確かに汚いがこんな場所ではまともな椅子なんて用意できないだろう。
眼帯男も困って頭をポリポリと掻いていた。
「こちらへお座りくださいませ」
そばかす娘が綺麗な真っ白のシーツをソファーへ敷く。
準備がいいものだと同時に、この娘だけ少し足の運びが他の者とは違い独特だった。
──足音がない。それと懐に何本か武器も仕込んでいるな。
わずかな服が擦れる音で簡単に分かることだ。もし襲ってきたとしても全く問題にもならないので無視していいだろう。
ミシェルもこれなら我慢できるとソファーへ座る。私も彼女の横に座った。
あちらも汚いソファーに直に座っている。
「俺の名前はビルンゲルだ。この街で冒険者ギルド長をやっている」
年は二十歳そこそこのようだが、比較的大きな大店の長なら、彼は優秀な人材なのかもしれない。
ビルンゲルは馴れ馴れしく話しかける。
「あんたの噂は聞いているぜ、剣聖様」
ビルンゲルは見えている片目でこちらを射貫くような視線を向けた。
「この国には何しに来たんだ?」
彼の言葉で一つはっきりした。私はここに住んでいたわけではない。記憶が全くないため、私がどうして剣聖なんぞと呼ばれているのか知らない。
「ごめんなさい、ビルンゲルさん」
ミシェルは私の代わりに答えようとする。ビルンゲルは眉をひそめながらも、答えてみろと言う。
「この子はあるショックで記憶を失っていますの」
「なんだと!?」
ビルンゲルは私に本当かと目で聞くので、私は頷いて肯定する。
するとミシェルは私の肩を抱いてビルンゲルに背を向けて、泣くような声を出した。
「だけど、この子は記憶を無くしても善行をしたいという気持ちだけは失いませんでしたの。ここの場所を連れてきたら、苦しんでいる人たちに手を差し伸べたいと、ううっ」
何の話だ?と思ったが、ミシェルが少し怖い顔で私に喋るなと言う。ここは彼女に任せるしかない。
あちらもミシェルの演技にだまされてくれているようだ。
「そ、そうだったのか。これは悪いことしたな。てっきりまた貴族達が難癖をつけにきたかと勘違いしたんだ。すまん、許してくれ!」
ビルンゲルは頭を深く下げて私へ謝罪をする。私は気にするなと手で答えた。
「私は貴族だけど国民のために何かをしたいの。正直、ここの国王陛下は何もされないわ。こんなに苦しんでいる国民達を蔑ろにして……。でも私には反抗するだけの数がおりませんのよ」
ミシェルの言葉にピクッとビルンゲルの耳が動く。何かを計算しているような顔で、私の知らないうちに、何か嫌なことが起きようとしている気がした。
ビルンゲルは小さく、低い声を出す。
「もし、その数を用意できるとしたら、剣聖様はお手伝い頂けますか?」
何のことだ。もっとわかりやすく言ってくれ。付いていけていない私だが、ミシェルは顔を扇子で隠して、やっとビルンゲルに顔を向けた。
「もちろんですよ。だってこの方は剣聖様ですもの」
ミシェルの雰囲気が若干変わった気がした。
ビルンゲルもそれを感じたのか、にやりと笑っていた。一度今日のはこれで終わり、彼から銅で出てきたプレートを渡された。
「入り口で見せてくれたすぐに俺へ通すように言っておく」
「ありがとう存じます」
ミシェルがそれを受け取り、馬車を預けていた小屋へと向かう。
「さっきのはどういうことだ? 何のことを言っているのかさっぱりだったぞ」
「あらあら。ただ内乱を起こしませんかってお誘いよ」
「あー、なるほど。内乱ね。そうか内乱──内乱!?」
思わず声が上擦った。一瞬、周りの視線が集まったので、慌てて口を押さえた。
「おい、ミシェルも貴族なんだから、内乱に加担してどうする!」
「しないわよ」
「は?」
ミシェルの考えが全く理解できない。
彼女は小声で話す。
「内乱を起こす不穏分子を始末すれば、貴女のご主人様はどう思いますか?」
「喜んでもらえる?」
「そうよ!」
ミシェルは良く出来ましたと、私の腕へ抱きついた。
「それならグレイプニル様へ報告を──」
「絶対にだめよ!」
どんどん彼女の考えが分からなくなってきた。一体何を考えているのだ。
「いい、エステルちゃん。あんな連中が攻めてきて負けると思う?」
私は少しだけ考えてみたが、負ける未来が予測できなかった。
「負けないな」
「でしょ! そんな簡単な仕事なのにグレイプニル様のお時間を奪ってはダメよ。あのお方はお忙しいのよ!」
「そ、そうだな」
私も主人の邪魔なんてしたくはない。
「だけど、もしあの者達が脅威になったらどう思うかしら?」
ミシェルは薄く笑って、私をのぞき込むように顔を見あげた。
「こちらの情報をわざと教えて、攻めさせるのよ」
「な、何を言っている!?」
ミシェルの考えがいよいよ理解できない。
しかしミシェルは最後まで聞きなさいと、扇子を私へ向けた。
「騎士達が苦戦している中で、貴女がそれを阻止するのよ。そうすれば、反乱分子を一網打尽にして、さらに貴女の評価も上がる。楽しくないかしら、下から這い上がってこようとするウジ虫の希望をプチっと潰すのは?」
普段のミシェルとは一線を画す怖さを感じた。彼女は時折だが、戦士でも無いのに私の肌をざわつかせる。戦えば絶対に負けないはずなのに、どうしてか彼女とは戦いたくないと思ってしまう。
しかし彼女の提案はとても魅力的に感じた。
思わず頬がつり上がりそうになるほどに。
「それは楽しそうだな。私をアテにして、そして裏切られた後に絶望した顔を見られるのなら、それはとても格別だろう」
私にとってもいい暇つぶしになる。あんな者達に私が負ける道理なんてないのだからな。
その後に私たちは城に戻り、グレイプニル様から呼び出しを受けた。
ミシェルから先ほどのことはまだ秘密にしているように言われたので、私はもちろんだと言った。
騎士団長室へ入ってグレイプニル様へ挨拶をした。
「ふむ、ミシェル嬢と行ってきた成果を聞かせてもらおうか」
「はい。かなりの汚れがありましたので、私の一騎当千の力で綺麗にしました」
「ほう。あの噂の力を使ったのか。お前も容赦が無くなったな。ゴミなんぞ、この王都には似合わない」
「もちろんでございます。民達にも二度とゴミを出さないようにしっかりと教育もしてきましたので、もう安心して良いかと思います」
「なんと! ミシェル嬢を付けたのは正解だったな。もちろんお前の力あってこそだろうが、想像以上の働きだ」
グレイプニル様は愉快そうに笑っていた。主がご機嫌なのは私も嬉しい。
するとグレイプニル様が巻物を出した。
「疲れているところ悪いが、この魔道具に手を当ててくれないか?」
「もちろんです」
私は言われたとおりに巻物に手を当てる。すると急に巻物が光り出すと、私の中から何かが解き放たれていく感触があった。
「これは加護を奪う魔道具でな。お前の力の源は私が使おう。異論は無いな?」
「もちろんでございます。私の全ては貴方様のものです」
加護を奪われたせいか、急に身体が軽く感じた。まるでこれまで重たい重りを付けていたかのように、力が溢れそうだ。
「ふふふ、これで私はお前を除けば誰にも負けることはない。たとえ、海賊王、アサシン、槍兵の勇者が来ようとも絶対に負けないであろう!」
グレイプニル様は腹から声を出して笑う。私もおかしくなって笑ってしまった。
ご主人様が喜んでくれるなら、これほど嬉しいことはない。
それから数日経ち、反乱分子達に王都の弱点や人が居ない時間をミシェルが教え、着々と内乱の準備が進んだ。
しかし不思議なのが、日に日にグレイプニル様が弱っている気がする。
ぼそりと、眠い……、とぼやいてた。
「すまん。私は少し仮眠を取る。今日は休みで良いから好きにして良いぞ。それと絶対に起こすなよ!」
「かしこまりました!」
私は騎士団長室から出ると、血相を変えた騎士達が走ってくる。
「緊急です! グレイプニル様へお目通りをお願いします!」
「ならん! 用件なら私が承ろう」
グレイプニル様から絶対に起こすなと言われているのだ。
どんな用件でも起こすわけには行かない。
すると騎士は早口で答えた。
「ローゼンブルク領から大軍が攻めてきております! 至急、こちらも迎撃に出ないと攻め落とされます!」
それはまずい。グレイプニル様を起こすわけにいかない以上は、私がどうにかするしかない。