側仕えと貧困街
貧民街と呼ばれる王都の裏側へと向かう。平民の中でもさらに貧しい者達の集まりで、生活圏も境界線がしっかり決められているらしく、勝手に繁華街に行こうとすれば殺されても文句は言えないらしい。
グレイプニル様から命令され、私はミシェルを連れてその忌み嫌われる場所へ向かっていた。
しかし私は本当に貴族なのだろうか。窓から見える景色を見て強く感じる。お城に居た頃より、外に見えるぼろい家々の方が懐かしく感じるのだ。私は何者なのか。グレイプニル様も私を剣聖と別称で呼ぶ。記憶が無いのがもどかしい
ふと馬車の従者がチラチラとこちらを見てくるのに気付く。
「なんだ? 用件があるなら早く言え」
イライラしているため少し荒い口調になった。すると相手はビクッと肩を震わせて、しかし素早く小窓を開く。
「ミシェルお嬢様、もうここらへんお戻りになった方がいいのではありませんか?」
私では無くミシェルへ話をしたかったようだ。ミシェルは可愛らしく首を傾げた。
「どうしてですの?」
「もう異臭もしてきますし、危険もあります。それにお嬢様も昔は絶対に行きたくないと仰っていましたではありませんか」
「今は違いますのよ。気にせず進んでくださいませ」
ミシェルはそれで話を終わらそうとする。しかし従者も終わらない。
「一体、どうなされたのですか? この前の旦那様へ提案した見事な領地経営論といい、まるで人が変わっ――」
従者が喋り続けようとしたところで、従者の服が燃えだした。
「わわわっ――!」
従者は慌てて服を脱ごうとした時に、ミシェルの手が小窓の外に出て、持っている扇子で従者の顔を引っぱたいた。
「うわあああ!」
従者は身を道路へ投げ出された。
「エステルちゃん、このままだと危ないから手綱を代わりに握ってください」
「助けなくていいのか?」
「息も体臭もきつかったのでうんざりしていたのですよ」
わがままだなと思ったが、このままでは馬車が制御できなくなるので、ドアを開けて一旦荷台に上り、そして業者台へ飛び降りた。
すぐさま手綱を握ったことで馬が暴れ出す前に制御できた。
「あっ、エステルちゃんだと道が分かりませんでしたわね」
ミシェルはドアを開けて、大きくジャンプした。
「おい!」
地面に激突してしまうと思ったが、彼女は奇妙な馬を召喚して、それにまたがってからこちらの元まで来た。
馬を消して彼女は自由落下してくるので私は受け止める。
「無茶をするな」
「あら、守り甲斐があるでしょ?」
クスクスと笑う彼女はとても幼く感じた。どうもたまに見せる別の一面のせいで、彼女のことがまだ掴みきれない。
「ここは一人分しか席がないぞ?」
「ならこの体勢でいるしかありませんわね」
彼女は私に横向きに抱かれている状態だ。窮屈でたまらないが、彼女がいないと道も分からないので、わがままに付き合うしかないようだ。
「おい、やめろ! 私は由緒ある――ぎゃあああ!」
後ろで外に放り出された従者が貧民街の者達へ暴行を受けている。
私は一応確認する。
「助けなくていいのか?」
「いいのではありませんか? 普段からお金を着服したり、家の威光を使って好き勝手するので困っていましたの」
「それは困るな」
助けなくていいのならそれでいい。私にとって先ほどの者の生死に興味は無いのだからな。
一度馬車を預けて、私たちは歩いていく。
「どこにいくのだ?」
「人通りの少ないところよ。見えないところほど汚いんだから」
それもそうだなと思い、私は彼女の後ろを歩く。道ばたにはぐったりとした顔で座っている者達が多い。栄養も足りていないようで、子供ですら身動きすらせずこちらを睨んでいた。
異臭も多く、死期を感じさせる者ばかりだ。
「ちょっと待ちな」
後ろから突然呼び止められる。気配で私たちを監視しているのは分かっていたので、特に驚きはしなかったが、好戦的な態度にむかっとした。ぞろぞろと隠れていた者達が路地から出てきた。
先ほど呼び止めた男はターバンを巻いており、右目は黒い眼帯を着けていた。
左目からこちらを射殺すような殺気が飛んでいた。
「貴族の娘二人がなにをしている」
周囲を武器を持った者達によって囲まれているので、ミシェルが私から離れないように手を差し出した。
「心配するな。私が守ってやる」
「あらあら。ではお言葉に甘えますわね」
ミシェルが強く私の手を握り返した。もし相手から攻撃してきたら返り討ちにしようかと思ったが、男達はターバンの男の指示を待っているようだった。
「いきなり大人数でけしかけてきて私達に用か?」
「用だと? それはこっちが聞きたいことだ。なにゆえ、ここへ来た! いつもなら差別するこの貧民街まで来ないのに、何を企んでいるのだ!」
私は自分の目的を改めて思い出す。確かグレイプニル様から掃除をするように言われた。
なんだか気がかりがあった気がするが、とにかく掃除をしなければならない。
邪魔をされてはたまらないので、私は正直に伝える。
「企んではいないさ。ただ汚いこの場所を綺麗に掃除するように言われただけだ」
「ぶっ!」
ミシェルから変な声が漏れた気がしたが、後ろを振り返っても、先ほど変わらぬ顔のままだった。
ピクピクと眉がわずかに震えているのは、大勢に囲まれて怯えているせいかもしれない。
「掃除だと? なるほど、そういうことか」
分かってくれたかと思ったが、ターバンの男は腰に差していた武器を取り出した。
「それを許すわけには行かないな。どこで聞きつけたか分からんが、こっちは長年かけて準備してきたんだ」
汚物まみれの道をわざわざ準備するとは、理解できない人種はいるもんだと思う。
私は持ってきた剣を腰の鞘から抜いて地面へ突き刺した。
「私は気が長くない。一気に終わらせよう」
私は自分の中にある不思議な力の使い方が分かった。内に秘める力を外へと解放する。
「一騎当千!」
呼びかけと同時に地面から甲冑の戦士が現れた。どんどん増殖する甲冑の戦士に取り囲んでいる男たちは恐怖で錯乱し出した。
「化け物め……」
ターバンの男は怯えながらも私へ剣を向ける。しかし、もともと相手するつもりは無い。
心の奥底にある全てを破壊したい衝動は何者も逃しはしない。
「鈴蘭」
殺意を男達へ向けるとどんどん膝から崩れていく。弱い者ならこれだけで片付く。
それはリーダー格のターバン男も例外では無い。
「くそったれ……」
恨めしげに私を睨んでいるが、それは実力が無い自分を恨むべきだ。
「起きた頃には全て綺麗にしてやろう」
言った直後に気を失ったターバン男は無視して、私のするべきことを行う。
私は一騎当千で呼び出した戦士達へ命令をする。
「戦士達よ、掃除を始めろ!」
疲れを知らない千体の戦士がおれば、掃除なんぞ朝飯前だ。