八話◇思い出ウサギ
若い神官さんは苦労した。
ひとつの村の人達が、皆で揃って村から逃げる。この村の人達を無事に暮らせるところへと、神官さんは使命感にかられていた。
(これで助けられずに、神官と名乗れるものか)
神官さんはすっかり村の一員になっていたし、これまで村のケガ人病人の世話もしてきて、村人を家族のようにも感じている。
脱出した村人を手助けしながらの大移動。
神官さんはいなくなった村の長老の代わりのように、頼もしい村長の副官のような感じになって。
そして最初の目的地の南の町はどうかと言うと。
「こっちの町も大変なことになってます」
その町から来て伝えてくれたのは、神官さんに手紙を持って来てくれた教会の伝令の神官。真っ先に危険を報せた光の神々教会の伝令係。
なんでも南の町では、国から来た使者の一団が、若い男は兵士として徴兵すると言い、ついでに食料と女を差し出せと言ったらしい。
これで南の町に住んでいる住人がキレてしまった。使者を殴り殺して、国の使者の一団は逃げて行ったという。
馬から下りた伝令の神官は疲れた顔で言う。
「それで、南の町は国に抗うようです」
「なんと、独立するつもりですか?」
「わかりませんが、町を捨てる気は無いようです」
南の町の人達は、こちらの開拓村の住人とは違い、長く暮らした町を離れたくないらしい。ムカッとなって国の使者をやってしまったが、町を守る為に国に抗うようだ。と、なるとこのまま南の町に行くのも危ない。
「こうなれば、国境を越えて他の国に行くしかないか」
教会の伝令と村長と、若い神官さんは地図を見る。光の神々教会の独自の情報網で得た辺境の各国の状況。受け入れてくれそうな国に目星をつける。
「南西のこの国では、おととしの魔獣の被害で潰れた村を建て直そうとしてます」
「開拓村の住人であれば、魔獣深森に近い地でもなんとかなるし、腕の立つ魔獣狩りの兄弟もいる。村長、村長ももと魔獣狩りですよね?」
「あぁ、しかしその南西の国ってのは、魔獣の被害で弱ったとこを、他の国に狙われたりしてないのか?」
「これといった特産や鉱山も無く、魔獣深森に接するところも多く、旨味が少ないと狙われ難いようですね。代わりに魔獣被害が他の国より多いです」
「何処も魔獣深森から遠い地を欲しがってたりするわけだ。南の町が独立するっていうなら、それを助けて南の町に入るというのはどうだ?」
「勢いで偉そうにした使者に手をかけたわけで、勝算があるかと言うとどうにも……。町の神官は避難するようにと住人を説得してますが」
「あっちもあっちで混乱中か。しかし、南西の国に行くなら、どうやって国境を越える?」
若い神官さんは地図を見ながら頭を捻る。
(村を捨てて逃げたとなれば、国の軍隊に見つからないようにするしかない。そして、向かう先は魔獣のよく出ると噂の国か、やれやれ。魔獣を相手にするか、人の軍隊を相手にするか。相手にするならどっちがマシか。できれば両方ともカンベンして欲しい……、ん? 魔獣を相手にしたくない?)
神官さんは地図を見る。西には魔獣の住む魔獣深森。この辺りの小さな国は、魔獣深森から離れる東の方の土地を欲しがっている。この地から見て、中央と呼ばれる東方の地では魔獣の被害は少なく、平穏だ。光の神々教会の総聖堂も中央にある。
魔獣を恐れるのは村人だけでは無い。神官さんは地図の上に指を置く。
「このまま西へと行き、魔獣深森の縁にそって南へと、というのはどうですか?」
教会の伝令は目を見開いて驚いて。
「魔獣の森に近づくのですか?」
「軍隊が来たなら森の中に逃げ込むということで。兵士も魔獣深森に近づきたくは無い筈ですから」
「ですが、魔獣に襲われるのでは?」
「なのでこれは、博打になります。魔獣に襲われないことを祈るばかりです。しかし、開拓村の人達は、他の村や町の住人よりも魔獣に対しての心構えができています。魔獣深森にわりと近い土地で、これまで村を囲む壁を作る余裕がありませんでしたから」
魔獣深森に近い村や町というのは、魔獣避けの壁で囲まれているのが、当たり前というところ。開拓村でも、いずれは村を壁で囲む予定だった。
「畑に来た魔獣を、村の皆で追い払ったこともありますし」
神官さんの言うことに、教会の伝令が「ええ?」と驚くが、村長がうむ、と頷く。
「村の畑を狙って来たゴブリンを、村の皆で追っ払ったことがある。と、言ってもあのときのゴブリンは数が少なかったから、なんとかなっただけだ。これがゴブリンよりも恐ろしい魔獣となれば、どうにもならんわい」
「そんな恐ろしい魔獣を、軍隊もまた恐れているわけです。魔獣深森に沿って進めば、軍隊を相手にする危険は減らせます」
「なるほど、ワシらの方が兵隊どもよりも、魔獣を相手にするのに慣れてるということか」
「そうです。そして森に沿って進めば、森の恵みも得られやすい。魔獣狩りのログさんとハザルさん、馬に乗れる若衆で先行してもらい、野営できそうなところを見つけて、彼らに食料になりそうなものを探してもらう、というのはどうですか?」
「徒歩組と馬組に分けるか。それしか無いか。しかし、いざとなれば森の奥に逃げて、魔獣と軍隊をぶつけてやろうってのは、酷い博打もあったもんだ」
「そうですね、それでも軍隊に襲われるよりマシなのではないですか?」
「では、それでいくか」
驚いた顔で村長と神官さんの話を聞いていた教会の伝令も、気を取り直して。
「では、私は教会に伝えて来ます。光の神々教会から南西の国へと、避難した人の受け入れについて要請しなければ」
「お願いします」
「光の神々のご加護があらんことを」
そして長い脱出行となる。
魔獣深森に沿っての移動。いつ森の奥から恐ろしい人食いの魔獣が現れるか、と村人達はビクビクしながら歩き続ける。
一方で北の国との戦が忙しいのか、魔獣深森近くに逃げた村人を探しに来る軍隊はいなかった。
魔獣狩りのログとハザルに、もと魔獣狩りの村長に若衆が無茶をする。村人の食料確保の為に、森の中で獲物を取る。キノコや果実の森の恵みを探す。
森の中で魔獣に出くわし、逃げたり、追い返したり、ときには返り討ちにしたりと、その度にケガをする者が出たりする。
「イタチやキツネといった肉食の獣の咬み傷から、病気が感染することもあります。なので獣につけられた傷は綺麗にすることが肝心です」
神官さんは治癒術と回復薬でケガをした人を治す。薬は腹痛に効くもの、熱冷まし、持てるだけ持ってきた。村の若い男で力と度胸がある者は、魔獣狩りの兄弟と村長にくっつくようにして森に入る。
「今宵はカニ鍋だ」
村長が笑顔で言う。グランドクラブ、森の中に住む大きなカニ。
魔物狩りの兄弟と、村長と村の若衆が狩ってきた5匹のグランドクラブ。大きな脚と甲羅が解体されて、大鍋でグツグツと煮込まれる。
神官さんは鍋から出てるカニの脚を見ながら、魔獣狩りの兄、ログに尋ねる。
「ログさん、本当にこのグランドクラブ狩りでケガ人は出なかったんですか?」
「神官さんも診ただろうに。ハサミに気をつけて人数で囲めば、グランドクラブは狩りやすい獲物だ」
「村の人も魔獣狩りに慣れてきましたか」
「もともと森に慣れてはいるか、ウチの村のもんは。神官さんの回復薬に治癒術を頼って無理することもあるが」
「回復薬はまだありますが、ここで新しく作ることはできませんから」
「大事に使わねえとな。お、神官さん、こっちの鍋は煮えたみたいだ」
神官さんはカニ鍋を食べながら思う。
(魔獣とは闇の神の尖兵、というのが光の神々の教え。しかし、今の俺たちは人の軍隊から逃れる為に、その魔獣の恐怖っていうのを利用してるようなものか。まるで人を襲う人から魔獣が人を守る、とか? 魔獣の恐ろしさが伝わっていることが、今の俺たちを守ることに繋がるというのは、皮肉な話だ)
隣でカニ鍋をよそった椀に、ふうふうと息をかけながら魔獣狩りの兄、ログが言う。
「今のところ、手に負えない魔獣が現れたりしていない。神官さんは博打って言ったが、その博打に勝てそうというところか?」
「ログさん、それは無事に国境を越えてからにして下さい。まだその博打の途中なんですから。森の中ではどうです?」
「コボルトを見かけたが、あいつらはこっちの数が多いと逃げていく。しかし、森の中が妙に静かでな」
「静か、ですか? 鳥の声、虫の鳴き声と煩いようですが。夜になっても何か鳴き声が聞こえてきますし」
魔獣深森に沿って進む道中。いつも森が視界に入る。暗い夜、風で木々がざわめき、その奥から、ホホウ、ホホウ、と鳴き声がする。
「あれはナガオミミズクか、夜目の効く鳥だ。森が静かってのは、なんと言えばいいのか、大物の気配がしないってことだ」
「大物の気配、ですか?」
「足跡や糞を見て、そこに何がいるのか、どんな獣のナワバリかを探るんだが、俺たちの手に負えないような危険な奴がいそうに無い。まぁ、森の浅いところにデカイ奴はそうそういないんだが」
「では、このまま森に沿って南に行けそうですか?」
「森の奥の奴に、俺たちが旨そうな獲物と見つからなければ、な」
神官さんは森を見る。人ならざる多種な生き物の住む魔獣の森は、蠢く暗い木々の影が大きな生き物が呼吸しているようにも見える。
(人を襲い人を食らう魔獣。だが、その恐ろしい魔獣の噂が、今の俺たちを守る。魔獣もまた、形は違えど俺と同じ地の上に生きる者、か。己を襲って食らおうとする敵もまた、同じ命。俺もこうして森のカニを鍋にして食ってるから、お互い様で。……己を殺そうとする者とも同じ世界で共に生きている。汝が敵もまた、汝が同胞なれば、か。だからと言って、殺されて食われるのもイヤだし。こっちは殺して食ってるのにな。我が儘な思いと欲こそ、儘ならないものだなあ)
森を眺めてこういうことを前より深く考えるようになった神官さん。光の神々教会は中央からこの辺境の西方へと伝わって、神官さんはその教会の教えを広めるのが役目。
だが、魔獣の被害の多い辺境で、神官さんのように考える教会の人もいたりする。
こういうのが後に、中央の教会は教義に厳しくて、西方の教会はゆるい、なんて言われることに繋がっていく。
魔獣は闇の神の尖兵で、魔獣を滅ぼそうというのが、魔獣の少ない中央の考え。
魔獣が多くて、その中でどうやって生きて行こうか、というのが辺境なので、土地柄の違い、そこに住む人の違いでもある。
魔獣深森にわりと近い村で暮らした神官さんは、自分の身でいろいろ感じていった。だから、安全な大きな街の教会の中で暮らす神官とは、ちょっと違ってきた。
「森の中と言やあ」
魔獣狩りの兄が言う。ホクホクのカニの脚を旨そうにモグモグと食べながら。
「森の中で、変な白い影を見た」
「変な白い影、ですか?」
「一瞬見えただけで、何かわからん。信じられん速さで動いて、消えたようにしか見えなかった。白い何かが通り過ぎたのが見えただけで……」
言って魔獣狩りの兄ログは険しい顔をする。
「あまりに速くて一瞬で、どんな姿かもわからん。だが、その白い影を見たとき、背筋が寒くなった」
「危険な魔獣ですか?」
「それもわからん。これまで森に入ってきて、あんなものを見たのは初めてだ。神官さん、俺たちが無事であるように祈ってくれ」
「わかりました」
神官さんは毎日祈っているが、魔獣狩りの言葉に神妙に頷く。
(白い影、か。まさかあのくいしんぼウサギがついて来たんじゃないのか? ……それは無いか。あのノロマウサギが腕のいい魔獣狩りのログさんに、見えないくらい速く動くなんて。このログさんに首根っこ捕まれて、ぶらーんとしてたじゃないか)
そのときの白いウサギのキョトンとした顔を思い出して、神官さんは微笑んでしまう。
こうして開拓村の人達の旅は続く。