七話◇実が成るのを待つウサギ
軍隊が辺境の地を進む。戦は世の常、人の常。まだこの時代はこの辺りの辺境は、スピルードル王国のもとに統一されていない。いくつかの小さな国が群雄割拠とかしていた頃。
蛮人の地とも呼ばれる西の辺境の地は、ときには大陸中央からの罪人の、流刑の地にもされていた。
魔獣深森に近い蛮族の地と、中央の国々からは呼ばれていた。
そして領土争いなんていうのが度々あって、土地をとったりとられたりと戦をする。この辺りの土地はこれまで平穏だったが、突然仲が悪くなったのか、何か気に入らないことでもあったのか、隣の畑の作物がうまそうに見えたのか、いっちょやるかと戦となる。
「なんだこりゃ? ハズレか?」
傭兵を率いる兜を被った隊長が、無人の村を眺めてボヤク。わざわざやって来たというのに、何も無い。誰もいない家だけがある。
「気付いてさっさと逃げ出したか? カンのいいやつらだ」
「大将、ダメだ。どこの家ももぬけのカラだ」
舌打ちしながら家の扉を蹴る兵士。
傭兵に兵隊にとっては村とか町とかから、略奪するのが稼ぎになる。この時代、村からの略奪を国が兵隊への報酬なんて、勝手に決めてる時代。敵の国の村でも味方の国の村でも関係無い、という荒々しい時代。後先のことは考えずに奪ったもの勝ち。
「金目のものもなけりゃ、女もいねえときた。俺たちの割り当ては大ハズレだ、くそ」
軍隊ではそこの部隊はあっちの村で、ここの部隊はそっちの町で、と進軍途中の寄り道の、村や町の略奪品が報酬代わり。お前らの報酬はそこの村から好きに取ってこい、なんて言う。そこに住んでる者のことまで考えちゃいない。
それが喜び勇んで来てみれば、誰もいない空っぽの村だ。金目のものも、食い物も、女もいない。あるのは井戸の水ぐらい。
兜を被った隊長は、他の村を割り当てられた部隊を羨ましく思いながら、無人の村を進む。
「これじゃ稼ぎにならねえな。ここで一泊して、明日はさっさと本隊に合流するか。おい、井戸の水以外はなにもないのか?」
「えーと、畑にカボチャとニンジンが残ってまさ」
「カボチャとニンジンかよ、しけた稼ぎだ、ちくしょうめ」
馬をおりた隊長は、ブラブラと廃墟の村を歩く。ちょいと大きな家があり、ここを今夜の宿にするか、なんて考える。
「あれは?」
部下の一人が怪訝な声を出す。副官の年かさの男。大きな家の庭に一本の木が生えているのを見上げている。その木に黄色い花が咲いている。
「あれはリココの木? なんでそんなものが村の中に?」
「なんだ? 珍しい木なのか?」
「ああ、魔獣深森の奥にしか生えていない木だ」
「おめえ、魔獣狩りもやってたな」
年かさの副官はひとつ頷く。
「ここが魔獣深森に近いとはいえ、リココの木を持って帰って植えるとは物好きな」
「珍しい木なら、あれは売れるのか?」
「リココの実なら売れるかもしれんが。しかし、魔獣深森の木を植えるとは、魔獣が寄ってくるかもしれないというのに」
「おい、妙なこと言うな」
兜を被った隊長は、魔獣の相手なんざごめんだと呟いて、リココの木の生える庭へと、塀の内側へと入る。
「……なんだ、ありゃ?」
黄色い花をつける木の下に、大きな白い毛玉がいる。羊のような大きさの白い毛玉。
その毛玉は人の気配に気がついたように、クルリと振り向く。こちらに向けた頭には長い二本の耳、見つめるのは赤い目。
「ウサギ? こんなバカでけえウサギがいるのか?」
驚く兜の隊長の隣で、年かさの副官が険しい顔をする。
「この大きさ、色は白いが、グリーンラビットか?」
「おい、グリーンラビットっていやあ」
「あぁ、魔獣深森の魔獣。気性の荒い緑の大ウサギだ。素早い上に鋭い歯で手足を食いちぎろうとしてくる、魔獣狩りもてこずる相手だ」
「だけど、こいつは白いぞ?」
「色が違う上に、廃村にいるのも妙な感じだ……」
年かさの副官は経験から、何か奇妙だと感づいた。しかし、この傭兵部隊で魔獣のことを知らない若僧には、そういうことは解らない。
槍を持った若い男が一人、前に出る。
「図体がデカクても、ウサギはウサギだろ? 大将、この村にゃろくなもんがねえ。せめてあのウサギを晩飯にしようぜ」
年かさの副官が「おい、やめろ」と言う声では止まらず、槍を持った若い男は白い大ウサギに槍を構える。
「金になるもんも無けりゃ女もいねえ。いるのは変なデカイウサギだけかよ。でもお前の毛皮は売れそうだ」
白い大ウサギは槍を持った男を見る。何かを考えているのか、何も考えてないのか、人にウサギの表情なんてものはわからない。
若い男が大ウサギを仕留めようと槍を突き出す。
すると白い大ウサギの姿が、ヴン、と霞んで消える。
「な?」
傭兵部隊の兜を被った隊長も、年かさの副官の男も、集まった他の傭兵達も見守る前で、白い大ウサギの姿は霞のように消える。一瞬あとに、かなり離れたところに白い大ウサギが現れる。
「ぎゃあああああ!?」
男の悲鳴。槍を持った若い男の腕から血が吹き出る。落とした槍がガランと鳴る。太い血管が切れたのか、若い男の腕から血が空に目掛けて吹き出ている。
「首狩り兎か!」
年かさの副官が叫ぶ。
「全員かたまれ! 盾を持ってる奴は前で構えろ!」
年かさの副官の声にわたわたと、傭兵達は隊長を中心にぎゅっと身を寄せ会うようにして、前列には盾を構えて腰を落とした男達が並ぶ。
年かさの副官は腕を切られた若者のところへと。流れる血が止まらない腕を抑えて、ヒイヒイ泣く若者を引きずって、仲間達のところへと。
白い大ウサギは身じろぎもせず、そんな男達を赤い目で見ている。
兜を被った隊長が腰の剣を抜く。
「おい! あれはなんだ? 首狩り兎ってなんだ!?」
隊長の声は少し震えている。白い大ウサギが何をしたのか、まるで見えなかった。姿を見失ったと思ったら、部下が血を流して悲鳴を上げた。そんなウサギはこれまで見たことも無い。
若者の血で顔を赤くした年かさの副官が言う。
「首狩り兎は、グリーンラビットの亜種だ! 魔獣深森の奥に住む、切り裂きの魔法使いの本物の魔獣だ!」
「なんだと!?」
「おい! 盾を高く構えろ! 奴の姿を見失ったら首が飛ぶぞ!」
「なんでそんな怪物がこんなとこにいるんだよ!」
「知らん! だが、もしもこの村のやつらが、魔獣に怯えて逃げたとするなら……」
傭兵達は白い大ウサギからもう目が離せない。魔獣深森の奥地の魔獣は、魔法を使うものがいるという。現に目の前で、何が起きたかもわからないまま、男が一人、腕を切られて血を流して悲鳴を上げた。
魔獣深森から現れた魔獣を怖れて、この村の住人が村を捨てたのなら。
「あの首狩り兎以外にも、ここには魔獣がいるかもしれない……」
「おい、冗談じゃねえぞ、くそ」
村で略奪するつもりに来たら、金になりそうなものも無く、人っ子一人いやしない。それどころか、誰もいない村はとんでも無い魔獣のいるところだった。年かさの副官の話を聞いた男達は、恐怖でカタカタと震えだす。
「とにかく、あの首狩り兎を刺激するな。攻撃範囲に近づかないようにして、ゆっくり下がるんだ」
「お、おう。お前ら、ゆっくり下がるぞ、ゆっくりとな」
傭兵部隊の男達は白い大ウサギに怯えながらも、円陣を崩さずにそろーり、そろーり、と下がっていく。
白い大ウサギはそれを赤い目で見つめる。その目からは、ウサギが怒っているのか、獲物が来たと喜んでいるのか、どいつから仕留めてやろうかと品定めしているのか、なにもわからない。ウサギの表情が判る人はいない。少しだけ判りそうな人もいたが、その人物はもうこの村にはいない。
傭兵達は音を立てないように、ビクビクしながらソロリソロリと離れていく。この一匹の大ウサギに、首を狩られるのか、と、怯えながら。
白い大ウサギは男達を赤い目で見ながら、後ろ足を動かす。
ズドム!
ストンピング。ウサギが仲間に危険を知らせる為に、後ろ足で地面を叩く行動。不満があるとき、怒ったときにもウサギは後ろ足で地面を叩く。その音は小さなウサギの身体から出るとは思えないほどに、大きな音がする。
白い大きな首狩り兎のストンピングは、まるでオーガが足を地面に踏みつける音のようにも聞こえて、
「うわあああ!?」
「ひゃああああ!!」
その音が、恐怖で緊張の糸が張りつめていた傭兵達へのトドメになった。恐ろしい足音から、首狩り兎が自分の首を狙うのかと、男達は一斉に白い大ウサギに背中を向けて走り出す。
「撤退だ撤退いいい! なんてハズレくじだちくしょう! 逃げろお前ら! 怪物ウサギの相手なんてしてられるか! くそったれえ!」
村にやって来た傭兵部隊は、水もろくに汲めずに恐ろしい村の廃墟から逃げ去って行く。人間相手に剣を振り回すのに慣れた傭兵でも、魔獣狩りには慣れてない。その上、傭兵部隊にいる数少ない魔獣狩りですら、恐ろしいと伝わるのが首狩り兎。
通り過ぎ様に命をスリ取るように首を狩る。首狩り兎には近づくな、首を落としたくなければ、というのが熟練の魔獣狩りに伝わっている。
年かさの副官が知っていたことで、この傭兵部隊はケガ人一人という損害で、廃墟の村からなんとか逃げおおせた。
白い大ウサギは男達を追いかけることもせず、遠く離れていく傭兵部隊を赤い目で見送っている。何かを考えているような、それとも何も考えていないのか、ウサギの赤い瞳からはわからない。
騒がしい男達がいなくなると、白い大ウサギはクルリと振り向く。その赤い目が見上げる先には、黄色い花。リココの木に咲いた黄色い花。
フスフスと鼻を動かして、白いウサギはリココの花を見上げる。
花が落ちて実が成るのは、まだまだ先のこと。