六話◇見送るウサギ
村に溶け込んできた神官さん。ちょっと貫禄が出てきた。街の教会に戻ることも、教会の中で偉くなることもとっくに諦めて、この村でのんびりと暮らすのもいいか。一人で光の神々の教えについて考えて、小さな村の神官として生きるのも、悪くはないか。
そんな風に考えて、村で穏やかに暮らしている。村の人の仕事を手伝い、たまに村の子に光の神々の教えとか、読み書き計算なんてのを教えたりする。そんな日々。
未だに神官としてカッコをつけることはやめられなくて、ときにはストレスを溜めたりする。村外れの一軒家の中で、白いウサギ相手に愚痴を溢すこともやめられない。
「おいウサギ、ちゃんと聞けよ。汝、旅の道の先に大きな岩があるとき、如何にすべきか。その大岩を一人でどかせぬとあらば……」
これが何気に神官らしい説教の練習になってたりする。
白いウサギもニンジン目当てか、ちょくちょくと神官の家に来る。少し大きくなって薬草畑の柵を飛び越えられるようになったが、神官さんがニンジンを与えておけば、薬草畑は荒らされない。今夜もコリコリとニンジンをかじる。
「意外と頭がいいのか、それとも要領がいいのか?」
白いウサギは害獣対策の罠に引っ掛かることも無くなり、魔獣狩りの兄弟に捕まることも無くなった。神官が白いウサギに食べ物を与えておけば、この白いウサギは村の畑を荒らさない。
「まったく、俺はお前のせいで、シチューを食べるときにやたらと緊張するようになっちまったんだがなあ」
白いウサギは今宵も若い神官の愚痴を聞きながら、ニンジンにコリコリと歯を立てる。
「いや、肉を食う、ということは、そういうことなんだろうな。生命を食べて己を生かす。大地の恵みに祈りと感謝を、なんて文章で見ていても、それを己が身で実感するのは違うものか。この前、村の手伝いで初めて鳥を絞めるとこ見たら……、あぁ、鳥だって死にたくねえよなあ……」
神官さんは、村の人が鳥を絞めるところを見て、そのときは平気な振りをとりつくろっていたが、内心は悲鳴をあげていた。これは村の子供が必ず通る、試練のようなもの。大人になってからそれを初めて見る神官さんには、ちょっとキツかった。
鳥の死の間際の最後の鳴き声とか、鳥の目とか思い出して、はあー、と深く溜め息吐く神官さん。
「あぁ、お前がシチューにされたら、俺は泣いちまうかもな」
若い神官の眼差しはテーブルの上の白いウサギを、友人のように見つめる。薬草畑を荒らされて、何度か助けて、その度にこのやろう、と思ったりしたが、安いワインを飲みながら、このウサギに愚痴を言ったりしていたが、そんなことをしていたらすっかり情が移ってしまった。
神官さんがちょっと貫禄が出てきたように、白いウサギは大きくなった。その顔は前よりふてぶてしく見えるようになった。
神官さんは、そんな日々を緩やかに穏やかに暮らしていた。辺境の村は時間すらも、のんびりと過ぎていくようで。
ところが災難とは、いつも突然にやってくる。
「戦になります」
「なんだって?」
若い神官に教会から使いが来た。やってきたのは光の神々教会の神官。急いで慌てて馬を走らせて、村の神官さんのところに訪れた。貰った水を飲み、一息ついて。
「既に軍隊が整えられていると」
「それは、一大事じゃないか?」
「はい、それで私たちが伝令を」
辺境のこの辺り、統一した国は未だ無く、小さな国が領土争いなんてやっている。国の偉い人達が、とったとられたと土地を奪いあったりしたりもする。
(地面なんてそこにあるのが当たり前で、それを勝手に俺のもんだと言って奪って争って、それが何になるっていうんだ?)
光の神々教会は、そんな国の垣根を越えて、こうして神官のいる村に伝令を出したりなんてする。
これもまた、光の神々教会が民衆の支持を集めるために、やってたりすることだったりするが。
(上の思惑なんざどうでもいい。人助けになるなら、なんでも使ってやるさ)
神官さんは伝令の持ってきた手紙に目を通す。伝令に来た神官は椅子から立つ。
「それでは、私はこれから他の神官に報せに行きます」
「気をつけて。私は村長に報せて、村の者を逃がします」
「あなたこそお気をつけて」
伝令の神官は馬に乗り駆ける。村の神官さんは手紙を持って村長の家に走る。
村長の家の前に、急遽、村の人達に来てもらって説明する神官さん。
「光の神々教会が掴んだ話では、この国と北の国が戦争になりそうだと」
村の人達がざわざわとする。戦争となれば軍隊が来る。この国の軍隊が来たら、若い男は徴兵されて、村の食料も持ってかれる。それより先に敵の国の軍隊が来たら、略奪される。殺されるかもしれないし、若い女が酷い目に合うのは間違い無い。
国の偉い人達が何をしてるのか、辺境の村人には解らない。村人から見れば、力ずくで弱い者から奪うのが偉いお人のすることで、王族と山賊なんてのは、着てる服が綺麗で派手か、ボロくて臭いかの違いしか無い。
だから、どっちの国の軍隊が来ても、碌でも無いことにしかならない。
不安を感じてざわざわする村の人に、神官さんが説明する。
「皆さん、落ち着いて下さい。教会が先んじてこうして伝えましたので、今から急いで南の方へと逃げれば、軍隊の略奪からは逃れられそうです」
村長さんが後を続ける。
「皆で作った開拓村を捨てるのは、ワシも残念だ……。しかし、命あっての物種というもの。みんな、急いで準備をするぞ。先ずは南の町を目指す。なるべく荷物は減らして、大事な物だけ担いで。荷車を持ってる者には、悪いが子供と年寄りを乗せられるところを、少し作って欲しい」
「この伝令が来るまでに、どれだけ時間が経っているかわかりません。軍隊が何処まで来ているか。急いで準備をして、明日の朝一番に出発できるようにして下さい」
神官さんは説明しながらも、せめて明日の朝まで軍隊が来てくれるなよ、と願って祈る。村は突然に慌ただしく、村を捨てる準備をする。
「神官さん。ありがとうよ」
「村長さん、礼を言うのは早いです。たいへんなのはこれからです」
「そうだな……」
村長さんは自分の家の庭を見る。少し大きくなったリココの木がある。
「小さいが、毎年、実をつけるようになったんだがなあ」
「種を持っていきましょう。次の土地でこれより大きく育つかもしれませんよ」
「そうだな。神官さんも荷物をまとめて、後で手が空いたもんを、神官さんの手伝いに回す」
「ありがとうございます。できれば薬関係の荷物は持っていきたいところですから」
神官さんも村外れの一軒家に戻り、荷物をまとめる。住み慣れた家と村を捨てるのに寂しさを感じつつ、まったく偉いやつらは民のことを考えてねえなと、怒りも感じつつ。
「あのくいしんぼウサギともお別れか」
残っているニンジンをかごに入れて庭に出る。庭に転がしておけばあいつが食べるだろ、と。
そう考えて庭に出ると、そこに白いウサギがいて待っていた。
「お前、来てたのか」
白いウサギは鼻をフスフスと動かす。神官さんはかごを地面に転がすと、白いウサギはかごから転がるニンジンに、口をつけてコリコリとかじる。
「おいウサギ、よく聞けよ。ここに軍隊が来るらしい。お前なんて捕まったらすぐにシチューにされちまう。これ食ったら、もうこの村に近づくなよ」
ニンジンをかじるウサギの背中を、神官さんはそっと撫でる。神官さんのくれる野菜で育ったウサギは毛づやが良くなり、白い毛並みはうっすらと桃色の艶がある。ふわふわの毛に指を通して、目を細める神官さん。
「お前にはほんっとに悩まされたよ。だけど、そのお陰で何かわかったような気がする。人が生きる喜びや楽しみなんてのは、ささやかな営みの中にあるんじゃねえかってな」
ニンジンから口を離して、赤い目で神官さんを見るウサギ。神官さんはそのウサギののんきな顔を両手で挟む。顔を近づける。
「お前のやってくれたことを思い出してみると、出てくるのはしょうがねえなあって笑いだけだ。なんで俺がシチューを食うのにビクビクしなきゃならねえんだよ、まったく」
ウサギの頬をうにうにとすると、なんだか笑ったような顔になる。つられて笑ってしまう神官さん。一人と一匹の表情は、少し似ている。
「今まで俺の愚痴を聞いてくれてありがとよ。これで会うのは最後になるかもしれんが、お前はこれからもたくましく生きろよ。いいか、シチューにされんじゃねえぞ」
ウサギはわかっているのかわかっていないのか、大人しく頬をむにむにとされながら、神官さんを赤い目で見る。
「じゃあな、くいしんぼウサギ。お前に光の神々のご加護があらんことを」
神官さんは白いウサギに顔を近づけて、その額に、ちゅ、と音を立ててキスをする。指で聖印をススッと切って祈りを捧げる。立ち上がる。
「村の人が後で手伝いに来るっていうから、お前は見つからないようにしろよ。そのニンジン食ったら、さっさと森にでも行って、軍隊の兵隊に見つからないようにしろよ」
荷物をまとめる為に家の中へと戻る。白いウサギはニンジンには目もくれず、家の中へと入る神官さんを、赤い目で追いかける。
翌日、日の出と共に村人一同、村を捨てての大脱出。村に未練はあるが、こういうことも辺境ではわりとあること。命あっての物種と荷物抱えて足を進める。
子供たちは元気にはしゃぐ。まるで皆で旅行に出るようだと、浮かれているのもいたりする。
空はカラリと晴れて雲も無く、神官さんは光の神々に感謝の祈りを捧げて歩く。こんな日にはどしゃ降りの雨ではかなわない。
(南の町についたらすぐに教会の聖堂に行って、村人を受け入れてくれるところを探さねえと)
子供たちは元気に進む、陽気に歌を歌いながら。
「 ♪次こそは上手くいく
この次こそは、上手くいく
そう思わないとやってられねえ
そう信じてないと生きていけねえ
らあー、らあー、ら、ららららら、らあー、らあー、らー、らあー、らあー、ら、らら、らあー、らあー、らー
足を、動かしゃ前に行く
種を、植えりゃ芽が伸びる
花が、落ちりゃ実ができる
夫婦が、くっつきゃ子ができる
だから、
次こそは上手くいくのさ
この次こそは、上手くいく」
村の人は、村を捨てることに暗くなるかもしれない、そんな村人を元気づけなければならないか、とか考えていた神官さん。しかし、辺境に住む村人は、神官さんが思うよりもずっとたくましかった。落ち込む暇があるなら前に進めと、足を進める辺境暮らしの村の人。
(あのじーさんの歌を、子供たちが歌いながら、先に先に進む、か。年老いた者は知恵と知識を次代に託し去る。だけど、これじゃなんだか、じーさんが死んでるって気がしねえな)
神官さんも子供と手を繋ぎ、一緒に歌いながら前に進む。村人総出の脱出行は、晴れた青空の下、のんきな歌と共に始まった。
神官さんはふと振り返る。遠くに住み慣れた、村外れの一軒家が見える。そこで過ごした、白いウサギとの穏やかな、それでいていろいろと悩まされた日々を思い出す。
(しっかし、ウサギってデカクなるもんなんだな。食べ物が良かったのか?)
白いウサギはいつの間にか大きくなった。側で見ていた神官さんは、少しずつ大きくなるウサギに慣らされてしまっていた。
まるで大きな犬か羊ほどの大きさに育った白いウサギ。普通のウサギがそこまで大きくなる筈が無い。
(いつの間にか、持ち上げるのも苦労する重さになってたよな。ウサギってそういうものなのか)
実は街暮らしの長かった神官さんに、辺境のウサギの知識はあまり無かった。
羊のように大きいウサギなどいない。いるわけが無い。いるとしたら、魔獣深森の中に住む、緑色の魔獣グリーンラビットのことだ。
白いウサギは大きくなってからは、村人に姿を見られないようにしてたので、村の人も気がつかなかった。
村の人が村外れの一軒家で、神官さんがこの大ウサギに話しかけているのを見たら、ビックリして腰を抜かしていたかもしれない。
(ウサギって、食えば食っただけ大きくなるもんなんかな?)
神官さんがウサギについて、正しく理解するのはまだまだ先の話。
「♪らあー、らあー、ら、ららららら、らあー、らあー、らー」