三話◇挑戦するウサギ
若い神官は村人と話す。
「神官さん、あれからどうだい?」
「立派な柵を作ってもらえたので、今度は大丈夫みたいです」
「そうかい? なんならウサギの罠も用意するけど?」
「それは、また被害が出たときに考えますよ」
村の人たちとは上手く付き合えている神官さん。村では光の神々教会の神官、と崇められてもいるので若い神官はそれっぽく振る舞っている。
「……いや、俺もそんな清廉潔白ってわけじゃないんだけどな。ついカッコつけちまう」
夜には村外れの家の中で、消毒用とか回復薬の材料と言って入手した酒を、一人でコッソリと、隠れるように呑む若い神官。酒は好きでも、まだ酔っぱらうところを村の人に見せないようにと、気をつけて。
「……うーん、小さな村で酒場も無いし、踊り子のいたあの街まで遠いし」
神官でも若くて男、いろいろある。この若い神官が教会のダメな神官を告発したのは、困った未亡人につけこむことを許せない正義感からなのだが、
「それを、ちょっと羨ましい、なんて考えてしまった俺は、まだまだだなあ。いや、性欲に流されるのは悪徳だが、人と人が愛し合うことは尊ぶもの。聖典の、えーと、何章だったかな?」
悩み多き年頃であり、悶々とすることもある。最近は一人暮らしから独り言が多くなった。
神官さんと村人に呼ばれるので、背伸びして立派な神官になろうともしていた。村人には上手く隠しているが、本当は酒も飲みたいし、若い女の子と、なにやらいろいろしたいお年頃。
イカンイカン、退け邪念、とか呟きつつ、聖典片手に安いワインを一口呑む。
「枯れる歳では無いけれど、俺はまだ未熟者だな」
窓の外からの月明かりを見上げると、おや? 庭から何やら妙な音がする。
「なんだ?」
窓からそっと外を窺う。村の人に夜中に急病人か? それともまた何か庭に来たのか?
庭の薬草畑、そこを囲む柵。
そこに白い毛玉がいる。
「またウサギか? この辺りに多いのか?」
一匹の白いウサギはピョンと跳ねる。しかし柵を飛び越えられずに、柵にペタリとはりついて、そのままズルズルと落ちてコロンと転がる。
「……なんだありゃ?」
起きてチョコチョコと動き、また柵に向かってジャンプ、飛び越えられずに柵にペタリ、ズルズル、コロリ。ドジな様子に、吹き出しそうになった口を、神官さんは片手で押さえる。
「あの薬草、ウサギの好物だったのか? しかし間抜けな……」
安いワインを呑みながら、ウサギを眺める若い神官。白いウサギは諦めが悪いのか、何度も柵に挑み続ける。次こそ、今度こそ、と。
ピョン、ペタリ、ズルズル、コロリ。
若い神官はカップのワインを飲み干して、机に置くと、足音を立てないようにソロソロと庭に出る。
月夜の庭、薬草畑の柵の前。白いウサギは何やら真剣に柵を見つめ、うむ、とひとつ頷く。
気合いを入れてダッシュ、そして、とう、とジャンプ。柵の上にもう少しで前足が届きそうになるが、ペタリと柵にぶつかる。そのまま柵にくっついたまま、ズルズルと落ちて、コロンと仰向けに転がる。
ひっくり返ったまま、赤い目が若い神官の目と合う。
「惜しかったな。意外に高く跳ぶもんだ」
仰向けの白いウサギは、見られていたことにやっと気がついたのか、慌ててもがもがと起き上がろうとする。が、その前にヒョイと若い神官に捕まる。
若い神官はそのまま家の中へと白いウサギを連れていく。白いウサギをテーブルに置いて、その顔の前に赤いニンジンを置く。
「薬草畑は荒らすな、代わりにコレやるから」
白いウサギは机の上で、フスフスとニンジンの匂いを嗅ぐと、コリコリと音を立ててかじり始める。
若い神官は安いワインをカップに注ぎ、白いウサギを見ながら口に運ぶ。生のニンジンを、音を立ててかじるウサギを見る。
「……村の人にもらったけれど、俺、ニンジン苦手なんだよな」
捨てるのももったいないが、無理して食べたく無いニンジン。コリコリとかじる白いウサギを見て、これで畑の薬草が守れるならいいか、それに苦手なニンジンも処理できるし、と安いワインを呑む神官。
「あっさり捕まって、お前、鈍くないか? それで野生でやっていけるのか?」
白いウサギはニンジンをかじりながら、後ろ足で机をタム! とストンピングする。まるで若い神官に抗議でもするように。
まさか、返事のつもりか? と若い神官はウサギを見るが、ニンジンに夢中のようで神官の方を見ない。
「だよな。ウサギが人に返事をするわけ無いか。あぁ、ここに来るのがウサギじゃ無くて、旅の踊り子か女詩人とかだったらなあ……」
若い神官のモヤモヤとした独り言をどこ吹く風と、白いウサギはニンジンをもしゃもしゃと食べる。窓から差し込む月の光の中で、神官とウサギの酒宴が続く。
若い神官は聖典を開いて安いワインを呑む。
「おいウサギ、よく聞け。汝、目先の欲に囚われるものよ、それは真実、汝に必要なものであるのか?」
そっぽを向いてウサギはニンジンを、コリコリコリコリ。
「いや、俺もウサギのことは言えんか。人の数の少ない村で、神官の評判を落とすことはできんし……」
ウサギ相手に囁くように。
「この小さな村で、光の神々の神官が悪評立つようなことをするわけにはいかんし。あー、街の酒場のミーちゃん元気かなあ……、ぷるんぷるんさせて踊ってたなあ……」
神官に悩みごとを相談したり、ちょっとした懺悔を言ったりする村人はいる。
しかし、村に一人の神官さんには、悩みごとを相談する相手も、愚痴を言う相手もいない。一人暮らしの夜の寂しさを、慰める相手もいない。
「孤独こそ、汝に与えられた魂の磨かれるとき……、とは言うものの。たまにはこう、女の子とキャッキャウフフするような息抜きとか、したいよな……」
ウサギ相手に悶々とした、いろいろ溜まった愚痴を吐く。村人相手にいいとこ見せようという若い神官の、愚痴を聞くのはテーブルの上の白いウサギ。
若い神官はこうして、たまに庭にくる白いウサギを捕まえては、家の中に連れてきて、自分の嫌いなニンジンを与えつつボヤクようになった。
「ナッザさんの奥さん、若くてポヨンポヨンなんだよなあ。ナッザさんはどうやってあんな美人の奥さんを捕まえたんだろか……」
そしてウサギは聞いているのか聞いていないのか、そしらぬ顔でニンジンをかじり続ける。コリコリ、コリコリと。