十話◇出迎えウサギ
おっちゃんになった髭の神官さんは旅をする。『幸の神官』と讃える二人の神官と護衛に四人の魔獣狩り。七人でかつて暮らしたあの開拓村へと、北へ北へと歩みを進める。
(十八年前は、魔獣深森の縁をおっかなびっくりと歩いて来てたものだが)
杖をついての、のんびりとした旅路。歩きながら魔獣狩りの若者が話しかけてくる。
「幸の神官様、隠居するってホントかい?」
「あぁ、そのつもりだ」
この旅に出るのに教会の中で話はつけた。自分の後釜に、じゃ、あとはよろしくと。
「この旅を終えたら、どっかの村に落ち着いて、のんびりやってこうかな、と。俺ももう若くねえしな」
魔獣狩りと仲良くしているうちに、神官さんは気取った言葉使いをやめていた。かつてはカッコをつけて丁寧に話していたが、いつの間にやらやめていた。
「ただ、どこの村にしようか迷っていて」
「どこの村も、幸の神官様に来てくれって言うんじゃねえかい?」
「俺を幸運のお守りみたいに言われてもな」
「幸の神官様がいりゃあ、怪我と病気の心配がいらねえし。何より幸の神官様がいりゃあ、魔獣に襲われないってことだろ?」
「そんなわけあるか。だったら護衛なんて必要無いだろに」
「ありゃ? 人間相手の護衛かと思ってたぜ。魔獣深森から離れた道を通ってるからよ」
「安全な道を歩けるなら、危険なところを通る必要も無いからな」
戦争のあったところを通り、おっちゃん神官はテクテク歩く。かつての国は占領され、村と町は物乞いに行き倒れなんてのが増えていた。
「こっちも教会が支援しねえとなあ」
おっちゃん神官が呟くとお付きの若い神官は自信ありげに言う。
「既に動いていますよ。それにこの旅も幸の神官様が、この地のことを調べるためでしょう?」
「それもあるが、ついでのようなもんだ」
「ご謙遜を。それに国も食料の配給をしていますし」
「魔獣深森に近いほどに、畑の実りがいいとはな」
「開墾された畑が増えて、比較して検証できるようになって解ったことですから。他の国で知っているところは、まだ無いでしょうね」
魔獣深森に近い土地ほど、土が元気で作物が良く実る。森に近いところで開墾を進めてきた中で、初めて発見されたこと。
増えた人が畑を作り、そのできの違いから、何でだろう? と調べられて解ってきた。詳しいことはまだ不明で、今も調査研究中。
そして畑で取れるものがグンと増えた。
「今では他所に回す余裕がありますからね。漬け物などの保存食も種類が増えました」
「酢漬け、塩漬け以外の、味の薄い保存の仕方は無いもんかな?」
「水気を抜くにはどうしても味が濃くなりますね」
他所の国に売ったりするのに、保存食はまだまだ改良の最中。昔ながらの漬け物は、酒のツマミにはいいが酸っぱいか塩辛いものばかりになる。
おっちゃん神官は立ち寄る村で、治癒術を使って人を癒す。徴兵されて戦わせられて、怪我をした者がいる。指が無かったり足が無かったり。おっちゃん神官は治癒術は得意でも、無くした手足を再生したりは無理だった。
(争った人達が疲れてボロボロになって、そして他所の国に飲まれる。片や争わずに助け合えたところが強くなる。根っこは誰でも分かる単純なことの筈が、それを自分達でややこしくしているような)
おっちゃんになっても神官さんは、いろいろ考えて悩む。一人で愚痴を吐ける相手の白いウサギがいなくなってから、おっちゃん神官さんはちょいと疲れがたまっていた。ふう、とため息溢す。
(誰もが仲良く笑って暮らすなんてのは、単純過ぎて難しい、か。汝、その目は人を見ているのか? それとも人の着ている服を見ているのか? 裸で生きてる人なんていやしねえよなあ、ウサギみたいに毛皮があるわけじゃなし)
そして幸の神官一行の七人は、廃村となったかつての開拓村へと辿り着いた。神官さんが若い頃に住んでいた、村の外れの一軒家も見える。
「なんだか、思ってたよりも綺麗だな」
「そうですね。傭兵か山賊が根城にしてるか、ゴブリンかコボルトが住み着いているかと、心配してましたが」
「誰もいないみたいだ」
おっちゃん神官と二人の神官と四人の魔獣狩りは、調べながら誰もいない村に入る。小さな村を懐かしく思いながら、おっちゃん神官は村の中を進む。若い神官が言う。
「幸の神官様は、この村で回復薬の研究をしてたのですね」
「あぁ、腕のいい魔獣狩りの兄弟が森からいろいろと持ってきてくれてな」
あちこち見ながら村の中心へと進む。
(誰もいないから家はボロくなって、畑は荒れているが、それだけか。まるで、俺たちがこの村を出てから、誰もここに入っていないみたいだ)
少し不思議に思いながら、昔を思い出す神官さん。
(この村に初めて来たときは、ちゃんと神官をやろうと気を張っていたなあ。気取るつもりはなかったが、背伸びしてたというか。そう感じるのは俺も歳をとったってことか)
「あれは?」
若い魔獣狩りが指を指すところを見れば、一本の木。その木には黄緑色の実が成っている。
「村長の家の、リココの木か。誰も世話してねえのに実が成ってるな」
「リココの木? あの、魔獣深森の中に生えるっていう?」
「あぁ、ここの村長が、見つけたリココの木を庭に植えたんだ。俺がいた頃よりも大きな実がついてるようだ」
「リココの実っていやあ、食えば寿命が三年伸びるっていう噂の?」
「ハハハ、珍しいから変な噂がついてんな。寿命を伸ばす薬効なんて無いだろうよ。不思議な甘さで、あれはうまいぞ」
「幸の神官様は、リココの実を食ったことあるのか?」
「ずいぶんと昔に村長がくれた。昔のこの村じゃ、村長がくれるご褒美があのリココの実だったんだ。よし、せっかく成ってることだし、もらっていこうか。皆で食べよう」
ぞろぞろとかつての村長の家へ。他の家より少し大きく、庭を囲む石垣壁はまだしっかりしている。ぐるりと回り込んで、壊れた木の扉を越えて、村長の家の庭に入れば。
「うわ!?」
そこにはリココの木の根本に、大きな白い毛玉がいる。何事かと魔獣狩りの四人は武器を構えて、二人の神官が後ろに下がる。
「幸の神官様も下がって!」
髭のおっちゃん神官は、白い大きな毛玉をじっと見る。リココの木の根本、白い大きな毛玉は騒がしい人達に気がついたように、ゆっくりと振り向く。
頭には長い耳が二つ。赤い目がおっちゃん神官をじっと見る。何かを考えているような、何も考えていないような赤い目が、髭のおっちゃん神官の顔を見る。
「……おまえ、まさか……」
髭のおっちゃん神官は、フラフラと白い大きなウサギに近寄っていく。四人の魔獣狩りが止める暇も無い。
「幸の神官様!」
お付きの若い神官がひきつった顔で叫ぶ。その声も聞こえないようで、髭のおっちゃん神官は白い大きなウサギに、触れる程に近寄る。
二人の神官と四人の魔獣狩りは恐怖で動けない。
なにせそのウサギ、一見ウサギに見えるが絶対にただのウサギじゃない。こんなウサギがいるわけ無い。馬のように大きい、人を背中に乗せられそうな程に大きいウサギなんて。
魔獣深森の狂暴な緑のウサギ、グリーンラビットでもここまで大きくはならない。その白いウサギは、これまで見たことも無い、新種の魔獣にしか思えない。
それなのに髭のおっちゃん神官はフラフラと近づいていく。皆の顔が青ざめる。
やたらと大きい白いウサギは鼻をフスフスと動かすと、突然にその姿が、ヴン、と霞んで消える。
お付きの六人があわあわする中で、髭のおっちゃん神官は上を見る。空を仰ぐ。
「ずいぶんと高く跳べるもんだ」
もうあいつに越えられない柵は無いな、と、のんきに考えてるおっちゃん神官。
青空に高々と、その大きな身体で跳ねる白いウサギ。ウサギはただ、その場で真上に跳び上がっただけ。あまりの速さにそれを目で追いかけることができず、まるで霞んで消えたように見えただけ。
空中で白い大きなウサギが首をひとつ振ると、木になる黄緑色の実がひとつ、枝から落ちる。
白い大きなウサギは、先に地面にタン、と着地して、落ちてくるリココの実を待ち構える。
ヒュ、と高く口笛を鳴らすような音がして、落下してくるリココの実が、真っ二つに切れた。
それを見て騒ぐ四人の魔獣狩り。
「ま、まさか、切り裂きの魔法?」
「それじゃ、こいつは?」
「森の悪夢、首狩り兎?」
「こ、こんなデケェ首狩り兎なんて、聞いたこともねえぞ……」
絶望的に呟いたりしてるが、白い大きなウサギは人間なんて気にもせず、落ちてくる真っ二つになったリココの実を見る。
素早く動いて、地面に落ちる前に片方を口でかぷっとくわえ、もう片方を二本の前足で、はしっ、と挟む。
半分になったリココの実をくわえたまま、前足で半分になったリココの実を持ったまま、後ろ足二本でテポテポとおっちゃん神官のところへ。
前足で挟んだ半分になったリココの実を、ズイとおっちゃん神官に差し出す。
おっちゃん神官が白いウサギの顔と、差し出されたリココの実を交互に見る。
「……くれる、のか?」
なにやら呆然としているおっちゃん神官に、白いウサギは後ろ足を、タム! と鳴らす。さっさと受け取れ、という顔で。
白い大ウサギのストンピングに驚いた、お付きの若い神官が、うひゃあ、と腰を抜かして尻餅を着く。
髭のおっちゃん神官は、白い前足に挟まれた、半分になったリココの実をそっと受け取る。
白い大きなウサギは、空いた前足で自分がくわえたリココの実を挟む。持ち直して、シャクリ、と一口かじると、じっくりと味わうように赤い目を細める。
おっちゃん神官はそれを見て、自分も手に持った半分になったリココの実を一口食べる。切り口から香る甘い匂い。口の中に後からジワリと広がるリココの実のやさしい甘さ。
「……ずいぶんと昔にも、こうしてリココの実を半分個にして、食べたことがあったなあ」
一人と一匹は並んでリココの実をシャク、シャク、とゆっくり食べる。
「お前があのくいしんぼウサギか……、ずいぶんとデカクなったもんだ。ウサギの寿命っていうのは知らないが、長生きするもんなんだな」
シャク、シャク、
「デカクなってなんだか貫禄が出たか。俺もちょっと偉くなったんだぞ。今じゃ幸の神官なんて呼ばれたりして。お前と離れてから、いろいろあった。いろいろと……」
白い大ウサギは聞いているのか聞いていないのか、知ってるような顔をして、大事そうにリココの実を食べる。
「どこかでシチューにされてんじゃねえか、なんて要らない心配だったか?」
髭のおっちゃん神官は杖を落として、右手でリココの実を食べながら、左手を伸ばして白いウサギの背中に触れる。薄く桃色の艶のある白いふわふわの毛皮に指を通す。
懐かしい幼馴染みに語るように、髭のおっちゃん神官は、ポツリポツリと白いウサギに語る。白いウサギはリココの実を食べ終えて、前足についたリココの実の汁に口をつけながら、黙っておっちゃん神官の話を聞いている。
「会えたらいいな、と思ってはいたが、本当に会えるとは思って無かった。お前、間抜けなところがあるから、人に捕まってんじゃないかと」
白いウサギは後ろ足を、タム! と鳴らす。誰が間抜けだい、と抗議をするように。
おっちゃん神官はリココの実を食べ終えて、両手を伸ばして白いウサギの顔を挟む。大きくなった白いウサギの顔を、昔のようにうにうにとする。そうするとウサギは笑ったような顔になる。一人と一匹の笑う顔は、どこか似ている。
「……イライラしたり、ムカついたりしたときは、お前のことを思い出してた。そうしたら自然と笑えてきて、まぁ、仕方ねえかって、いろいろと飲み込んで来た。我慢しきれなかったこともあったけど」
大人しく頬をむにむにされる大ウサギ。おっちゃん神官は大きくなったウサギの額に、自分の額をくっつける。
「俺は自分のことを、人付き合いは苦手だと思ってた。それがお前と会ってからは、なんだか上手くやれたような、上手く回ってきたような」
白い大きなウサギは、赤い目を細める。その顔がなんだか、その通りだぞ、感謝しろよ、と言ってるような気がして、おっちゃん神官はウサギの顔をさらにむにむにとする。
「お前の為に嘘をついたりとか、誤魔化したりとか、ツケをチャラにされたりで、細かいことに固く言うのがバカらしくなったんだ。お前のせいで俺はすっかり不良神官だ。このやろう」
白いウサギは、なんだよう、とでも言うようにおっちゃん神官と額をグリグリと合わせる。しばらくそうしてから、スッとおっちゃん神官から身体を離す。
「じゃあな、くいしんぼウサギ。お前に光の神々のご加護があらんことを」
おっちゃん神官は指で聖印を、スッと切ると、白い大きなウサギの額に、ちゅ、と音を立てて唇をつける。手を組んで祈る。
白い大きなウサギは、おっちゃんもな、と言うようにひとつ頷いてクルリと背を向ける。
白い大きなウサギの姿が、ヴン、と音を立てて霞んで消える。
誰も住まなくなった村長の家を、高く跳んで飛び越えて、白い大きなウサギの姿が見えなくなった。
誰も住まなくなった古い家は、なぜかわりと綺麗なままで。
「……もしかして、おまえ、この村を守っていたのか? 俺たちがこの村を捨ててからずっと、あれから、十八年も……」
髭のおっちゃん神官は、村長の家の向こうに消えた、白い大きなウサギのいた青空と家の屋根を、いつまでも見つめ続ける。