一話◇プロローグ むかしむかし、あるウサギが
一人の乙女が寝転んで青空を仰ぐ。
「♪らー、らー、ら、ららららら、らあー、らあー、らー。らあー、らあー、ら、ららー、らあー、らあぁらあー」
色とりどりの花が鮮やかに咲き誇る花壇、広い庭。草の上でだらしなく、仰向けに横たわるのは美しき乙女。
桃色の艶のある不思議な光沢の金の髪は、草の上に広がり、乙女は青空に向かってラララと陽気に歌を歌う。
乙女の腹の上には三人の子供達が頭を寄せて、金の髪の乙女の腹を枕にするように。
子供達が寝そべる乙女にたずねる。
「ララティ、その歌、なに?」
「へんな歌ー」
「らあー、しか言ってないよ?」
桃色の艶の金の髪の乙女は、順に子供達の頭を優しく撫でる。イタズラっ子めいた赤い目がそっと細められる。
「これは、あちが初めて出会った男が歌っていた歌ぴょん。そいつも歌詞の解らないとこを誤魔化して、らあー、らあー、と歌っていたぴょん」
「ララティが初めて出会った、男?」
三人の子供達は目をキランと輝かせる。
「それって、パパとママみたいなこと?」
「ララティの昔のおはなし?」
「父さんと母さんみたいなの? 邪神官が出てくる? マンティコアとかオーガとかと戦ったりする?」
「邪教の神殿に乗り込んで、拐われたお姫さまを助けたりする?」
「ねえ、ララティ、聞かせてー」
「ねえ、ララティ、どんなの?」
金の髪の乙女は少し困った顔をする。
「うーにゅ、あちの昔の話なんてのは、おまいらのパパとママみたいに激しくドラマチックじゃ無いぴょん。演劇や絵本になるような、派手なお話にはならないぴょん」
「えー? ララティ、聞かせてー」
「ララティはどんな冒険をしてきたの?」
「ママみたいに灰龍倒して食べたりしたの?」
子供たちは金の髪の乙女、ララティにお話をねだる。口々に、ねーねー、と言いながら、ララティのおなかをむにむにとする。
「くすぐったいぴょ、おまいらむにむにするのやめるぴょん。うーにゅ、あちの話は大げさなものにはならないぴょん。話つくってもいいけど、この子たちに嘘を教えるのも良くないぴょんね」
「ララティ、きーかーせーてー」
「ララティってばー、むにむにっ、むにむにっ」
「んあー、あちのおなかを揉むなぴょん。仕方無い、話してやるぴょ」
「「わぁい♪」」
「んーと、むかしむかし、あるところに……」
◇◇◇◇◇
むかしむかし、あるところにちいさな村があった。そこに若い神官がやって来た。
「この村で俺が光の神々の教えを伝えるのか……」
この神官、若さゆえの正義感からか、ちょっとばかりやらかした。教会の偉い神官が未亡人に『子供を治癒する代わりにワシのものになれ、ゲヘヘ』なんていうスケベ心を出した。
大きくなった組織の中で、権力を持つとそういう輩も現れる。困ったものだ。
そして若い神官はその若さと持ち前の正義感で、それを告発した。なにやってんだこのやろう、このスケベじじいが、とやってしまった。
その未亡人の親子は救われて、若い神官に感謝した。ありがとうございます、と。これが教会からは、こいつはちょっと扱い難い若造だ、と、田舎に左遷されることになった。
「まあ、光の神々の教えを見つめ直すにはいい機会かもな。俺はどうにも、人付き合いが下手らしい」
この若い神官、人付き合いが下手なのでは無く、上に噛みつくような性分だった。二十歳前の青年で、若者らしい正義感をちょいともて余していた。代わりに同僚や後輩からは、頼られたり慕われる性格だったりする。
で、街の教会からは離されて、ちょいとやさぐれてはいたが、根っこはマジメなもので、辺境送りになっても神官を辞める気はさらさら無かった。
「魔獣の森に近い小さな村で、聖堂も無く、ここに神官は俺ひとりか。ま、気楽と言えば気楽なものか」
光の神々教会の神官と言えば治癒術使い。ここは光の神々の教えを熱心に信仰する人も少ない田舎の村。それでも治癒の技の使える神官が来たことに、村の人達には喜ばれた。
「都市よりは、こういうところの方が、俺には合ってるのかもな」
若い神官は田舎の村で、聖堂の無い小さい村の外れで、一軒屋に一人で住むようになった。
ケガや病をした村の人が訪ねたり、村の人が悩みを相談しに来たりと、若いながらも神官様と敬われたりなど。
ここでなんとかやっていけそう、と分かり若い神官は小さな村で暮らす。
ある日、若い神官が庭に薬草畑を作っていると、ガサリと繁みが動く。なんだ? と思い若い神官は手に持ってるクワを構えて緊張する。
この村はできて間も無い開拓村。魔獣が住むという魔獣深森に近いところ。
「おい、魔獣か? カンベンしてくれよ……」
村を囲む壁を作る余裕はまだ無くて、村に魔獣狩りはいても、村の人は魔獣を恐れていた。畑を荒らされるぐらいならまだいいが、魔獣の中には人を襲うものもいる。
手に負えない魔獣なら、クワを投げつけて逃げようとしていた若い神官。ガサリと動く繁みに、ドキドキハラハラと緊張する。ちょっと膝が震えてしまう。
ところが繁みを揺らして出てきたのは、一匹の小さな白いウサギ。ぴょこん。
「なんだウサギか、脅かすなよ」
若い神官は、はあ、と息を吐いて力が抜ける。
ただ、このウサギ、様子がおかしい。フラフラ、ヨロヨロと変な歩き方をする。若い神官の目の前で踞り、ケポッと口から何かを吐く。
「なんだ? お前、病気か?」
若い神官は慌ててクワを放り捨て、うずくまるウサギを持ち上げる。震えている。元気が無い。ウサギが吐いたものを見る。
「これはキノコか? 毒キノコにでもあたったのか? ウサギが?」
両手に持ったウサギはプルプルと震えて、赤い目が若い神官を見上げている。なにやら助けてくれ、お腹痛いよう、と訴えられているような気分になる。
若い神官の一軒家に訪ねてくるのは、ケガや病で困る人。悩みごとの相談に来る人。
だけどウサギが訪ねて来るのは初めてのこと。
「はあ、仕方無いか。おい、お前、光の神々の慈悲に感謝するんだぞ」
若い神官は家の中にウサギを連れ帰る。自作の回復薬を持って来る。
「この回復薬は、本当は我が聖堂建築の為の寄付金がいるんだが、おいお前、顔を背けるなよ」
若い神官は白いウサギをテーブルに乗せ、左手でウサギの頭を掴んで押さえて、右手の瓶の中身を無理矢理飲ませる。
嫌がるウサギは目を閉じて、抗議するように後ろ足でテーブルをタシタシと叩く。
仲間に危機を知らせる為のウサギのストンピングは、その小さな身体から出るとは思えないくらい、驚くような大きな音がする。
嫌がるウサギにむりやり回復薬を飲ませて、グッタリする白いウサギを、若い神官は自分のベッドにそっとおく。
「……ウサギなんて助けるとこを村の人に見られたら、怒られんだろうな。俺は何をやってんだか」
畑を荒らすウサギは害獣だ。それは子供でも知っている。村の者がウサギを見つけたなら、捕まえてシチューの具にでもしようとするところ。
これまで都市で暮らしてきた若い神官には、村のことがまだよくわかっていなかった。
害獣と聞いてはいても、弱った小さい生き物をほおっておけない性格。だから、この男は神官として勤まって、村の人に慕われていたりもする。
若い神官は空になった回復薬の瓶を持ち上げる。
「しっかし、野生のウサギが食中毒? そういうこともあるのか?」
若い神官が呟くと、ウサギは力弱く、ベッドを後ろ足でパスンと踏みつけ叩く。バカにするな、と言うように。
「?お前、俺の言葉がわかったのか? まさかな……」
白いウサギは若い神官から、プイスと顔を背けて、それでもお腹が痛いのか、うずくまって動かない。
「村の人に見つからないようにしないとな」
自分のベッドを白いウサギに占領された、若い神官は、ポツリと呟く。
まさかここから、このウサギに悩まされたり、困らされたりすることになろうとは。