泥雲雀の囀る春 2幕 ワインとチップス
三人はよく舞台を見に行く。それはエミールの恋人の、編集者が論評を書くからだ。有名な批評家に頼めば、それなりに謝礼を出さなければならない。
『ジョン・サルベニーニ』のおかげで、ようやく少しは名を知られる様になったとはいえ、彼やエミールが務める出版社は、そこまでの余裕は無い。
雑多な店内、安酒とホットワインを頼む編集者とエミール、それに対して飲み物にこだわりがあるのか、パトリシアは好みの赤を、値段に躊躇せずに頼む。
場末の店より少しマシな店、つまみのチップスが皿に大盛りにされ、運ばれてきた。
「エミールはわかるけれど、スコッチ位頼んだら?いいお酒は執筆の手助けになると思うけれど」
一枚取り口に運びながら、パトリシアは早くも草案を練っている男に、話しかける。
「ん?ああ、いつもの様にアレコレ話してよ、適当に拾うから」
手帳に何かを書きながら、上の空で答えたエミールの恋人。アレコレって、何話すのよぉ、と、運ばれてきた飲み物に手を伸ばしながら、エミールが答える。
「うーん、サルベニーニの舞台って、小難しいのよ、町長と神父って、娼婦買ってたのよねー、二人とも偉そう、洗濯女っ謎よね!謎、どんな風に弟とやらに出会ったのかしら」
「謎って?彼女の生い立ちが、舞台上で語られていなかったから?流行病で両親を早くに亡くしたって、2幕でセリフがあったでしょう、その後教会に身を寄せたって」
パトリシアと話しつつ、温かいそれを、くるりと匙でかき混ぜ飲むエミール。
「………!教会で出会ったのね!そういえば、弟ってぇ、勝手に帰ってくりゃいいのに、それとも何か、帰れないわけでもあったのかな、それにさぁ、手紙くらい出せなかったの?」
「それはまた別の話になるわね、泥雲雀との関連性が無い、この舞台はあなたの好きな色恋ではない、それにこの時代設定だと、仮にそう、インド辺りに弟が出されていたら、手紙一通届くのにも、かなり時間がかかると思うし、手紙を書いても出すのは執事でしょうから、彼女に届くとは思えない」
グラスを揺らし、色を愉しむパトリシア、二人の会話を聞きながら、安酒をくいっと煽り、ガバっとチップスを掴み、大口に運びながら、気に止まったものを、手帳に書き込む編集者。
「で、パティ嬢の見解は?僕は………、そうだな、少年は、引き取られなかった方が、夢を叶えられたかと思うね」
ボリボリと咀嚼しながら、二人の会話に入ってくる。
「あら、引き取られた方が叶うんじゃないの?学校だつて、良いところ行けたし」
エミールが答えた。男がうける。
「そこだよ、そこ!引き取られなかった方が、良かったんだよ、良いところの世界に、混じらなかった方が良かったんだよ」
「?わかんない。どうしてそうなるのか、パティはどうなの?」
ニコニコと笑いながら、二人を眺めて赤を飲んでいたパトリシア、チップスをつまみ口に運ぶ。
第2幕 暖取るための一口
『お母さん、僕はあれからお父さんの、お兄さんのお家に引き取られたのです、遺言が残されていました。僕の為に財産も。僕は、学ぶ様に言われました。
お母さん、知らない世界がありました。知らない暮らしがありました。僕はお母さんの事を忘れる様に、言われました。
お母さん、僕は外国の学校に行きました。本を読んで諳んじて、たくさんのルールを勉強しました。
お母さん、だけど僕は忘れてはいません。あの川の中で、継当てだらけの襤褸をまとい、コマネズミの様に働いている親子、惨めな者達が溢れる世の中。それを無くす事が僕の夢、なので、僕は覚えています。お母さん』
舞台に照明、少年が川の中で仕事をしている。母親の姿はない、上手から娼婦が紙袋を手にしてくる。
娼婦 「おはよう、ちょっと上がって休憩しなよ」
少年 「あ!イボンヌおばちゃん!おはよ、うん、わかった」
娼婦 「こら!まだ結婚してないあたいに、おばちゃんって!母さんの具合はどう?寒くない?」
少年 「うん、大丈夫だよ、お母さんが縫ってくれた上着があるんだから、寒かないよ。ふつかぐっすり寝たから、もう大丈夫って、言ってた、おばちゃんが作ってくれた、スープが良かったって言ってる(丁寧に、色んな布地を、継ぎを合わせて作られた上着に手をやる)」
娼婦 「お母さんが塗ってくれたの、良かったね。あはは。そりゃ良かった。肉は、お客の肉屋の店主からせしめたからね、上等なスープさ、ほらこれ持って帰りな」
近づいて来た少年に、わざと落としそうに、紙袋を付き出す。慌てて受け取る少年。
少年 「何?もういっぱいもらったのに、母さんに怒られるよ」
袋の中を見る。干しブドウが入ったパン、果物、チーズ、そして茶色の小瓶が入っていた。
娼婦 「困った時はお互い様、あたいも風邪引いたときに、世話になったんだから、ほら、パンは焼きたてだから、今食べな、その瓶の中のは、上等の葡萄酒だからね食料品屋の店主からせしめたものさ、アッハハ」
真っ赤な唇で、中身を説明すると、はすっぱに笑う娼婦。ありがとうと嬉しそうな少年、そこに洗濯女が登場。
母親の元に駆け寄り、袋を見せる少年。
選択女 「おはよう、この前はすまないねえ、なに?やだねえ、これ以上は悪いよ」
娼婦 「ちょいと!顔色がまだ悪いよ!寝てなきゃだめじゃないか!仕事なんてとんでもない!」
選択女 「もうすっかり元気さ、それに数枚だけだから、今日のパンぐらいは儲けないと………」
その時、カラーンカラーン、と効果音、教会の鐘の音。
洗濯女「ああ、今日はあのお方の葬儀の日………、そうだ、お願いがあるのだけど」
娼婦 「なんだい?アタイに出来る事なら」
洗濯女「(息子の肩に手をかける)この子を教会の近くに、最後の見送りに連れて行ってほしいのさ」
娼婦 「………、ああ、事情は知っているけど、遠い場所からになるよ、アタイ達は、身なりもこんなだし、でも………、行かなきゃいけないね、アンタはいいのかい?愛した男だろ?将来を神に誓った中だったのだろ?」
不安げに母親を見上げる少年。優しく目を向けた洗濯女。彼の視線に合わせる様にかがむ。
洗濯女「………むかしお世話になったお方様なんだ、母さんの代わりに見送ってきておくれ」
真剣な母親に、こくんと頷く少年。娼婦に手を引かれ振り向きながら退場。それを切なく見送ると、かごを持ち川に入る洗濯女。そこで彼女はその水の冷たさに震え、温もろうと、ポケットから小瓶を取り出すが、それを手にしたまま倒れる。
暗転
セリフのみ流れる
神父 「なんと、あの少年の母親が、神の元へとは」
町長 「手に酒瓶を握りしめていたらしい、子供はちゃんとしているというのに、母親はアレだ!全くあの女はろくでなしだ」
神父 「あの健気な少年はこちらで引き取りましょうか、彼は利口ですし、気立ても良い、母親と違い真面目ですから」
町長 「それには及ばん、アレの父親は、先に葬式を出した私の弟だ、母親に似ているのなら知らぬ顔をしようと思ったが、どうやら我が家の血が濃いらしい、当家で引き取りとる、遺言にもそう書かれている」
神父 「それは、誠に素晴らしき神の思し召し、酒に現をぬかす母親に育てられるよりも、彼は幸せになるでしょう」
スポットライト舞台中央、そこに娼婦に、抱かれる少年。
少年 「イボンヌおばさん、母さんが死んじゃった、みんな言うんだ、あの女はろくでなし、て、でもぼくの服も、母さんが縫ってくれて、ボロだけど母さんが(泣く少年)」
娼婦 「何を言ってるのさ、お前の母さんはろくでなしなんかじゃない、お前の父さんをずっと想って暮らしていたんだ、懸命に仕事をして、冷たい冬も、暑い夏も、一生懸命生きていたよ、お前の母さんはそう、誰よりも立派だと、アタイは思っている」
寄り添う二人 暗転 手紙の朗読と、独白で幕。
母さん、僕はきっと良い社会を作りますよ。一日中働いても、ボロしか与えられない、そんな母親を無くすために、
それにしても何てみすぼらしい親子なのだ。
終幕。
チップスにソースを絡めて食べるパトリシア。シナモン、クローブの甘い香りがする、ホットワインを飲むエミール。
「フフ、私の所見?そうねえ、少なくとも彼の夢は、叶うことはないわね」
「なあぜ?いいガッコ行ったって言ってたし、お金持ちになったみたいだし、何故叶わないの?」
どこか少女の様にあどけなく聞くエミール、上質な濃い赤を揺らして楽しむパトリシア、友人の瞳を、グラスの赤を通していたずらっぽく見る。
「ん、そうねぇ、最後に、継ぎ接ぎの襤褸を着た親子に、みすぼらしい、かつては彼もそうだったでしょう?でも襤褸に見える上着にも『価値』はあるということを、忘れている」
「襤褸が?継ぎ接ぎなのに?」
「わからない?母親が精一杯用意しているのよ、身を粉にして働き、そして布を集めて縫う上着、襤褸でも最上の品物、貴方のお気に入りのストールだって、お婆さんが、編みほどきの毛糸で、貴方の為に編んだのでしょう?だけどお金持ちからすれば、古臭く細った毛糸の寄せ集めのそれは『襤褸』になる」
パトリシアの話に、まぁ!ひどおい、と頬をふくらませるエミール、チップスに手を伸ばし口に入れる。
「私のお気に入りにヒドイわ、そうか、そうよね、何かわかったような気がする。じゃ!彼は………あのまま下町にいた方が良かった?、あら?どこに行くの?」
二人の話を手帳に書き込んでいた、エミールの恋人が、少し待ってて、とグラスを片手に席を離れた。彼の行く先を目で追うエミール、素知らぬ顔のパトリシア。やがて彼は、多くのお客の中を進み、一人の紳士の元に辿り着く。
肩を叩き声かけた恋人。振り返る男の顔を見て、エミールは眉を潜めた。『ジョン・サルベニーニ』が、指でこちらを指し示す彼氏に促され、笑顔で手を軽く上げてきたのを目にしたからだ。
「やだ!サルベニーニの爺さんじゃない!もう!なんでわざわざこっちを知らせるのよ!嫌だわ!エロジジイ………フン!」
視線を切るようにそっぽを向くエミール、残っていたホットワインを飲み干すと、先に出ましょうとパトリシアを誘う。
「いいの?待っててって言ってたわよ」
「いいの。どうせ長くなって先に帰ってて、て言われるのがオチ、何より私はあのジジイと、職場以外で
同じ空間にいるのがイヤ!」
まあ…………、仕方ないわね、とパトリシアは赤を飲み干し、グラスをコトンと置いた。