ジョン・サルベニーニの覗き窓
―――子供の時の夢は見るもの、大人になれば夢を見ていても仕方が無い。なので夢は持たない、持つならば『野望』を持ちたい。
『カシワの旦那に拾われた』
ある国の首都と呼ばれる大きな街で、物書きを生業にしていた私、もちろんそれだけでは食べてはいけない。日々の糧と、粗末な住まい、そしてペンと原稿用紙を、書物を、時に衣類を得る為に、私は花屋の売り子をしていた。
人間としての営み、生活をする事が、私にとっては非常に面倒くさく、そして一日の大半をそれに取られる事に、煩わしさを常に感じていた。書くことに、物語を組み立てる事に、それだけに限られた時を、使いたかったからだ。
「公爵様のカシワの処だぜえ、出会うのは」
ある日の事、郊外に屋敷を構える金持ちのところに夜会で使うという、色とりどりの花を、小さな荷馬車で私は届けに行った。大きな屋敷だった。オークの木が使われいた、歴史を感じさせるその建物を見ると、ふと口に出た戯曲の中の台詞。
「ほほう、花屋の売り子なのに、よく知っている、ほう、これは見たことのない色だ、白の中に虹を宿している………君、これの名前は?」
主と思われる、身なりの良い男が、沢山届けた花の中より、開きかけの一輪の薔薇に目に止め、私に問いかけてきた。奥方の髪を飾る一輪を贈る為に、自ら選びに来ていた。
名前とはいったい何?ほかのどんな名前で呼んでも、薔薇は甘い香りを放つでしょう、と私はそれを手渡しながら答えた。
視線があった。高貴な人間が持っている、圧力。でも私はそれに臆する事もなく受け止める、人に上も下も無いと思っていたから。そして、扉が開かれた。
「君は役者を目指している?それとも絵か?あるいは物書きか?少し話をしよう、奥に来なさい」
才能がある。どうだ?私のもとで書かないか?売り出してあげよう、と誘われた。
通された一室で、物書きならば、我が妻を讃えてみよと言われ、庭を散策していたご婦人を、ちらりと目にした後、即興で詩を一遍書き上げ『カシワの旦那』に私はそれを手渡した。
どれどれ、と何処か値踏みをする様な、いやらしい光を宿した目でそれを読んだ後、私は初めて自分以外の人間に、創り上げ書いた世界を認められた。
そして少しだが願いが叶った、彼からそれらしい名前を、一つ貰い、その名前で、望まれている世界を書く。あくせく働かずとも清潔で、ただ文字を紡いでいくことに専念をしていても、何不自由の無い日々を過ごせるようになったからだ
カシワの旦那に、拾われた時だった。
私が客人として、その美しい屋敷に滞在をするのは、決まって薔薇の花咲く季節。後はそこから得た別の友人の屋敷か、時折息抜きに戻る下町の安宿か、全く知り合いの無い場所を、旅に出て彷徨っているかのどれか。
自由に旅ができる暮らし、なのに私は何故か、前よりも、硬くそして、窮屈に四肢を拘束する鎖の様なモノを、身の回りに感じていた。
雑多な人種の坩堝、ゴミゴミとした市街から離れたそこは、自然あふれる閑静な郊外、周りの景色と混ざり合うような、手入れをされた広く美しい庭を、有している友人の屋敷での日々。
「ゆるりと過ごしてくれたまえ、遠慮はいらない、私達は対等だ、友人と呼んでくれたまえ」
そう話し、迎えてくれた彼は、親からの財産、恵まれた環境、そして妻の親からの地位、名誉ある立場をかちえたカシワの旦那。
貞淑な美しい奥方。愛らしい娘、利発な跡取り息子、ブルジョワな知り合い達、あらゆるジャンルの知識人達に囲まれ、人生を謳歌していた。
そして今は庇護者として、彼の感性に沿った、若い芸術家、女優、役者、そして私のような物書きに支援をし、自らの名声を高めようとしている。
称号を持つ者。女王陛下の覚えもめでたい、前途洋々の彼………。非の打ち所もない、善良たる人間。それらが集まる世界。下々には晒されない闇がうごめく世界。
どうだ?少し覗いて見ないか。気にならないか?お嬢さん達。光満ち溢れる世界の秘められた事を。
富も名誉も自然に寄ってくる様な特権階級の人々。しかしね、全ての物事には、表と裏、光と陰、正義と悪、聖と邪がある。それらを持ち得ているから『人間』という。
方っぽだけなら、神か、悪魔だろう。地上に彼らはいない。いるのは人間、動物、植物………選ばれているとはいえ、彼らも所詮は、神の前では、ただの人間でしかない。
薔薇の花の中から、キャベツから、ましてやコウノトリに運ばれる存在では無い。生物における基本、異性の出会いそして行動により生まれる命に、違いは無いと私は思うがカシワの旦那を始め友人達は、
「選ばれている我々は、下々の人間とは違う、高貴なる存在なのだ」
と言うのが常。
さて、私はここで、色々な刺激を受けて執筆している。このような居場所での私は、才能溢れる、若くて純粋で高潔な作家の卵。
彼らの自尊心を軽く、くすぐる人間を演じている。請われるままに、美しく汚れのない、理想たる世界をペンにて、創り上げている。
しかしね……、方っぽだけ書いていたら面白く無いのだよ。生きている実感が無い。ククク、そうだろう?私も真反対のものを宿している、一介の『人間』に過ぎないのだから………、そして刺激に満ち溢れる世界が、日々目の前で繰り広げられている。
作家として、そんな美味しい出来事を、指を加えて眺めていると思うかい?
なので覗いた事を記すとしよう。これでも前途有望と、称されている物書きだ。モデルは誰か、分からないようにする事ぐらい容易い。こっそりと、扉の隙間から覗く世界。人々の裏と表のアレコレ。それを書き記しておきたい。
題名は『覗き窓』そう名付けようか、書き上がれば世間に出してみたい。だから名前も変えよう、そうだ、ジョン・サルベニーニ、今から始まる物語の、執筆者の名前だ。
話が、世界が組み合わされ、動き始めた。
先ずは友人に仮の名を与えよう。カシワの旦那ではあんまりだから。主役に相応しいのがいい、そうだな………熱い正義心に溢れているから『リチャード』にでもしておこうか。
ククク、相応しいねぇ、彼にぴったりだ。そして私も新たな『物書き』になろうか。そこでは『僕』にしてみよう。
準備は整った、それではお嬢様方、始めてもよろしゅう御座いますか?
『ジョン・サルベニーニの覗き窓 薔薇の花咲く屋敷』
僕は、ある屋敷で客人として、もてなしを受けながら、創作をしていた。そこでは、書くことに行き詰ると、豪奢に趣向を凝らした館の中を、自由にうろついてもいいと、館の主から直々の許可を得ていた。
なのでその様な時には、気晴らしに、遠慮なくあちらこちらを覗いている。行ったこともない異国の調度品、絵画を飾られている部屋の中で、ある時は恋の話を、ある時は試練に打ち勝つ勇者の話を、賢者、聖者、様々な妄想の世界に、誘われるままに、僕の意識は旅に出ていた。
もちろん、使われている部屋、鍵がかかっている場所には立ち入らない。これはどこに招かれても守っている事。下手な事をすれば、あらぬ疑いをかけられ、挙げ句の果には、殺されてしまうからね。
それに流石に一人では無い、どこでもそうだが、ここでは、僕の日常の世話をしてくれている、ジェシーと言う名の年若い召使いの子供が、常に後ろを付いてきていた。
何かしら問題をおこせば、この子供にも責任が行くことになる。関係はないのだが、若い命を散らす事は、僅かばかりの良心が痛むので、僕は気まぐれなリチャードの、琴線に触れぬ様に、全てを垣間見たいという好奇心を、それなりにだが抑ていた。
そして広い邸宅を、手入れの行き届いた庭を、日に数度彷徨い歩き、様々な世界を楽しんでいる毎日。ジェシーをお供として。
ここでジェシーの事も、記さなければならない。
僕の後ろ、つかず離れずの距離にいるジェシー、小さく軽い足音、その気配。時々に邪魔に思うのだが、気ままに過ごさせて貰っている以上は、少しばかりの束縛は、仕方のない事なのだろう。
小さい召使いの仕事は、僕の身の回りの事と、行動の監視。
続く。
シェークスピアの、真夏の夜の夢と、ロミオとジュリエットから、一節を使っています。