未知への扉
MSRGD(多次元空間路生成装置)については、情報の一部が一般に
公開されていた。
情報公開は、憶測による人々の不安を避ける為であったが、
情報の一部公開が逆に特定の者達の間に憶測を生ませる
結果になった。
彼等はデモを行い、実験の中止を求めていた。
軍の投入は秘密裡に行われていたが、軍事ジャーナリストにより
それは白日の下にさらされ、多くの人々に不安を与える
こととなった。
これに対し連合軍高官の記者会見があり、、
「軍の投入はあくまでも不測の事態の対応目的であり、
それ以外の意図はありません。」
という声明があったばかりである。
宇宙歴20年、2月1日、MSRGD実験場
モリー博士は監視棟からそれを眺めていた。
それは、巨大な魔法陣だった。
山を直角に切り出して崖の様になった面に、
金属の骨組みが設置され、その内側に直径10mの魔法陣が
描かれていた。
魔法陣の前には大きな広場があり、
そこには多数の装甲戦闘車両*1が整列していた。
それは宇宙歴元年に新設された連合宇宙軍*2の車両であり、
各国の兵隊を徴集して構成されている。
モリー:「作業の進捗はどうなっている?」
音声:「進捗率98%、最終調整工程にて遅延が発生しています。
これは、魔法陣の情報不足が原因です。」
モリー:「そうか、やはり直接手を下す必要があるようだな。
工程の見直しを頼む。」
モリー博士の介入により、この後の進捗は大きく進み、
ついに初実験を迎える運びとなった。
宇宙歴20年、2月15日、MSRGD実験場
音声:「MSRGDの起動を開始します。
レーザー照射開始まで、あと10秒。
9、8、7、6、5、4、3、2、1、
レーザー照射開始。」
この時モリー博士が何か呟いたのを聞いた者は誰もいなかった。
職員達:「おぉー。」
レーザー照射によって、魔法陣が淡く光り始め、
その前方に小さな赤い球体が出現した。
音声:「魔法陣前方に赤色球体出現を確認。
急速な温度上昇を確認。
放電現象を確認。
屈折率の変動を確認。
オゾンの発生を確認。
プラズマ*3発生を確認。
急速な球体の膨張を確認。
:
:
球体の膨張停止を確認。
プラズマの消滅を確認。
急速な温度下降を確認。
色調変化を確認、赤から黒へと変化しています。」
出現した赤い球体は急速に大きくなり、その膨張が止まると、
赤色から黒色へと変化して行った。
最終的には、およそ10m程の真っ黒な球体がそこにあった。
音声:「球体の安定を確認しました。
球体温度は外気温と同じ35度。
球体周辺で、光の屈折率の変動および放電現象を
確認しています。
オゾンの発生はごく微量であり、
人体への影響はありません。」
モリー:「うむ、レーザー照射停止。」
音声:「レーザー照射停止します。
:
:
レーザー停止確認後、1分経過しました。」
モリーは黙って球体を見つめていた。
モリー:(ついに扉が開かれたか。
そうだ、これが始まりなのだ。)
職員:「モリー博士、成功ですか?」
モリー:「あぁ、成功だ。」
その一言に職員達の間に歓声が上がった。
職員達は歓喜に震えていた。
しかし、モリーは職員達とは一線を置くように、
淡々と指示を出し続けた。
そこには喜びなどの感情は皆無であった。
モリー:「無人偵察車両*4を進行してくれ。」
音声:「無人偵察車両、始動します。」
黒い球体に横付けされた足場の上を無人偵察車両が進んで行く。
職員達はそれを固唾を呑んで見守っていた。
そして、車両はその大きく開いた球体の中へと消えていった。
突然、無人偵察車両からの映像が途絶えた。
音声:「通信が切断されました。
ケーブルの損傷はありません。
再接続を実行します。
無人偵察車両との接続を確認。
無人偵察車両との通信は良好です。」
モリーは無人偵察車両からの映像を眺めていた。
周囲は暗闇に覆われているようで、映像は真っ暗だった。
音声:「移動による、車両損傷および分子構造の変化は
確認できませんでした。
周囲の光源はありません。
車両照明を点灯します。」
照明の点灯により辺りの映像が映し出された。
職員:「どうやら、洞窟の中のようですね。」
モリー:「そのようだな。
帰還用次元路の確認。」
音声:「無人偵察車両の後方に球体を確認しました。」
モリー:「大気および地質調査を実行。」
音声:「大気および地質調査を実行します。
主な大気成分は、
窒素 75%、
酸素 21%、
:
:
です。
大気中に人体への有害成分は検出されませんでした*5。
地質に人体への有害成分は検出されませんでした。
地質に未知の分子構造を多数検出しました。
調査には、調査車両の搬入が必要です。」
モリー:「調査車両の搬入開始。」
音声:「調査車両の搬入を開始します。」
モリー:「ケーブルの届く範囲の偵察を実行。
結果をマップ表示。」
音声:「偵察を実行し、結果を立体マップ*6表示します。」
目の前に立体マップが出現した。
それを見ながら、モリーは次々と指示を出した。
調査は引き続き行われたが、洞窟は深くケーブル限界に達し、
それ以上の偵察は不可能だった。
残念ながら生物は発見できなかった。
モリー:「さて、どうするかだな。」
職員:「車両は完全密閉型です。
有人車両を送り込みましょう。」
モリーはその言葉で思い出したように言った。
モリー:「いや、まだだ。
車両に積載したマウスの状況報告*7。」
音声:「3匹供、肉体の損傷、細胞レベルの変化は
確認されませんでした。
バイタルサイン*8および行動においても、
異常は確認されませんでした。」
モリー:「無線通信機能テスト開始。」
音声:「無線通信テスト開始します。
:
:
全帯域で通信に失敗しました。」
モリー:「無人偵察車両を無線中継基地に設定。」
音声:「無人偵察車両を無線中継基地に設定しました。」
モリー:「よし。
兵士の中に志願者はいるか?」
音声:「13名の志願者が存在します。」
モリー:「3名を人選し、
明日、歩兵戦闘車両での進行を試みる。」
宇宙歴20年、2月16日、MSRGD実験場
歩兵戦闘車両内には3人の兵士が異世界への進行を待っていた。
ジョセフ:「異世界か。
ところで、兵士長はどんな理由で志願したんですか?」
マイク:「名を売るチャンスだからな。
これに成功すれば、一躍有名人だ。」
そしてマイクは1枚の写真を取り出し、それを見つめた。
ブラッド:「それは、奥さんですか?」
マイク:「いや、婚約者だ。
無事に戻ったら結婚するつもりだ*9。」
ジョセフ:「そうなんですか、それはおめでとうございます。」
ブラッド:「おめでとうございます。
それにしても、有名人か。
インタビューとかされるのかな?」
会話は音声によって止められた。
音声:「進行開始30分前です。
車両ダイアグ*10を実行します。
:
:
車両ダイアグ結果、オールグリーン。
バイタル確認開始。
バイタルに異常値なし。
緊張による心拍数増加を確認しました。
リラックスするため、大きく深呼吸しましょう。*11」
マイク:「あぁ、そうだな。
深呼吸始め。
吸ってー。
吐いてー。
:
:」
ジョセフ、ブラッド:「すーーー。
はーーー。
:
:」
音声:「心拍数低下を確認。
そのまま待機してください。」
30分後、人類初の多次元空間への進行が開始される。
果たしてそこは、楽園なのだろうか?
*1:装甲戦闘車両
装甲化され攻撃兵器を備えた戦闘用の軍用車両のことであり、
戦車や歩兵戦闘車などが含まれる。
完全密閉型であり、宇宙空間、水中などの行動も可能。
なお、兵器を装備した無人車両は条約によって存在しない。
これは無人攻撃は虐殺でしかないという考えによるものだ。
このため、アロイドにも兵器の搭載は禁止されている。
*2:連合宇宙軍
宇宙軍という名称から宇宙戦艦などを保有していると
思われるかもしれないが、予算の大半は移民船に
割り当てられた為、一隻も保有していない。
戦闘能力の大半は装甲戦闘車両と歩兵である。
*3:プラズマ
温度が上昇すると物質は固体から液体へ、液体から気体へと
状態が変化する。
気体の温度が上昇すると気体の分子は解離して原子となり、
さらに温度が上昇すると原子核のまわりを回っていた電子が
原子から離れて、正イオンと電子に分かれる。
この現象は電離と呼ばれており、電離によって生じた
荷電粒子を含む気体をプラズマと呼ぶ。
*4:無人偵察車両
MSRGDの為に作られた無人の偵察車両。
無線が使えない事を考慮して有線で操作する。
*5:立体マップ
取得した情報を元にリアルタイムに立体的な地図を生成する。
*6:有害成分は検出されませんでした
あくまでも、バトラーの知識の範囲内での回答であるため、
推測の域を超えた未知の成分は含まれない。
*7:車両に積載したマウスの状況報告
いわゆる動物実験である。
非道と呼ぶ人もいるが、これがあってこそ医療が
進歩するのである。
冥福を祈り、感謝するだけだ。
*8:バイタルサイン
人間が生きている状態であることを示す兆候(生命兆候)。
一般的にバイタルサインで確認される項目は、血圧、脈拍、
呼吸速度、体温であり、それを数値化して使用する。
瞳孔反射、尿量、意識レベル、痛み、動脈血酸素飽和度等を
採用する場合もある。
*9:無事に戻ったら結婚するつもりだ
小説、映画、ドラマ、漫画、アニメ等ではフラグとして利用
されることが多い言葉の一つである。
*10:ダイアグ
ダイアグノーシスの略で、自動車の各種センサーが正常に
作動しているかを確認するための自己診断機能のこと。
他の分野でも、自己診断機能の意味で使われる。
*11:リラックスするため、大きく深呼吸しましょう
緊張状態は自律神経の交感神経が優位になっている状態。
深呼吸により副交感神経を優位にすることで、
リラックス効果を得る事ができる。