霧
宇宙歴20年、3月5日明け方、MSRGD実験場
ルストは管制室の強化ガラス越しに異世界への扉である
巨大な黒い球体を眺めていた。
ルスト:「それにしても、静かだ。
静かすぎる。
何も起こらなければよいのだが。」
モリーの言葉が頭を過る。
一昨年ここに着任してから風は1度もやまなかった。
それが昨日から完全に無風状態が続いていた。
それはまるで何かが起こる前触れの様にも思えた。
ルスト:「んっ、なんだあれは?」
ルストが外を眺めていると、黒い球体の前方に異変を感じた。
その辺りが黒い色に覆われ始めたのだ。
まるで、黒い霧の様にも見えた。
そして、ゆっくりとだが確実に広がっているのが分かった。
ルスト:「球体の前方に異常発生。
解析開始。」
直ぐに解析は終了した。
音声:「各種センサーに異常を確認できませんでした。」
ルスト:「ばかな。」
ルストは目を擦ると再び黒い霧を凝視した。
見間違えなどではなく、明らかにそれは存在していた。
ルスト:(光学センサーでも感知できないというのか?
では、私が見ているこの光景はなんなのだ。)
ルストは再度それを眺めた。
それははっきりと認識できるほど急速に色濃くなり、
そして広がっていった。
すでに中心あたりは後ろの岩肌が完全に見えなくなっていた。
この時、ルストはこの出来事を記録しておかなければならないと
感じていた。
ルスト:「現時点から全ての情報をデータバンクに記録。」
音声:「データバンクに記録します。
データバンクの空き容量はおよそ80%その内70%が
利用可能です。
およそ50時間で限界に達します。」
ルスト:「わかった。
50時間か、それだけあれば十分だろう。」
そう発言した後で、
何が十分なのか?
何故記録する必要があると思ったのか?
そもそも何が起きているのか?
そんな疑問が脳裏をよぎった。
その時、けたたましく警報が鳴り響いた。
音声:「敷地内に生命体1体が出現しました。
至急調査の必要があります。」
ルストは直ぐに監視モニタを見た。
そこに映っていたものは想像を絶するものだった。
ルスト:「なんだ、あれは。」
それは四肢を持ち、2本脚で立ち、そして胴体と頭を持っていた。
遠くから見れば人にも見えたかもしれない。
しかし、その顔は人間とは異なり、毛で覆われており、
鼻と口が突き出ていた。
ルストはその容姿を過去に見たことがあった。
ルスト:「お、狼男?」
そう、3D映画で見た狼男の容姿そのものだった。
その時、頭の中に言葉が浮かんだ。
ルスト:「魔獣?、そう、魔獣だ。
しかし、一体どこから?」
ルストは改めて監視モニタを見つめた。
監視モニターを見つめていると、その疑問に答えるような
場面を見る事ができた。
真っ黒い霧、それが一か所に集まり、人を形作り、
その後、真っ黒い色から本来の色へと変わっていった。
ルストは呆然とそれを見つめていた。
その顔は恐怖に引きつっていた。
音声:「敷地内に2体目の生命体が出現しました。
至急調査の必要があります。
緊急事態と判断し、対象の追尾を開始します。」
その音声でルストは我に返った。
音声:「全ての防衛システム、戦闘車両の砲塔は
対象のロックオンを完了しました。」
ルストは監視モニタを再度見つめると、
何かを悟ったような顔になり、
無言で首から下げたペンダントを引き出して握りしめた。
そして、忘れていたあの時の事を思い出した。
その時監視モニタ上では、3体目の魔獣が出現しようとしていた。
=====
ルストは連合宇宙軍の下士官*1であり、
1年ほど前に、この実験場に赴任してきた。
ビイケ中尉の元、副官として警備の教育を受けていた。
当時の所長は、モリーだった。
モリーは学者であったため、堅物と想像していたが、
予想に反して気さくな人物だった。
さらにモリーは、何かと便宜を図ってくれた。
2人は親密の度を加えていった。
そして2ケ月程前にルストはモリーに呼び出された。
それはビイケ中尉が転任になる話だった。
新任の上官が赴任するまでの間、暫定的に警備を任せたいとの
ことだった。
こんなチャンスはまたとなかった。
不備無く勤め上げれば功績となるはずだ。
そう考え、即答でそれを受けた。
その後、モリーは興味深い話をした。
それはこれから起こるであろうことだった。
ルードフ司令長官がここの指揮権を持つ事。
ここの警備を正式に任される事。
ルストに苦難が降りかかる事。
私は予言かとモリーに聞いた。
モリーは、
『これは予言ではない。
あらゆる可能性から導き出された予測だ。』
と答えた。
しかし信じる気にならなかった。
もっともあり得ない事。
それは、警備を正式に任される事だった。
警備主任は中尉以上という決まりがあり、
2階級昇進というのは戦死以外では前例が無かった。
この時にモリーから渡されたペンダントは金庫の中に。
モリーの話は記憶の底へと追い払われた。
そして実験が開始された当日、ルードフ司令長官がこの施設の
トップになった。
この時は只の偶然であると結論付けていた。
可能性はかなり高い事であり、誰にでも予想可能だったからだ。
そして昨日、驚くべき事が起こった。
ルードフは、モリーとの通信の後、今後の事を考えていた。
ルードフ:(さて、どうするか?
モリーが何かを知っている事は間違いない。
やはり、モリーと直接話す以外ないか。)
音声:「呼び出しに応じて、ルスト准尉が面会を求めています。」
ルードフ:「入れ。」
部屋の扉のロックが解除され、扉が開いた。
ルスト:「ルスト准尉*2入ります。」
ルストは、お決まりの敬礼を済ませると、
ルードフの前へと進んだ。
ルードフ:「君に来てもらったのは他でもない。
君にMSRGD実験場の警備主任を任せたい。」
ルストは、驚いた。
警備主任と言えば、中尉以上の階級が必要である。
ルスト:「いや、しかし、、、。」
ルードフ:「言い忘れていた。
おめでとう。
本日付けで君を少尉へ昇進する。
そして、無事に任務を達成できた暁には、
中尉への昇進も約束しよう。
どうだね、警備主任を引き受けるかね?」
ルストは少し戸惑いながら言った。
ルスト:「任務とは何でしょうか?」
ルードフ:「君も知っての通り、実験は成功し、
異世界の扉は開かれた。
我々は現在、異世界の調査を行っている。
実験に参加していた職員は、次の任務の為、
移動を開始する。
後任職員が到着するまでの間、
ここの警備を任せたい。」
ルストは嫌な予感がした。
そして、言葉を選んで質問した。
ルスト:「異世界の調査は問題なく進んでいるのでしょうか?」
ルードフは一瞬考え答えた。
ルードフ:「いい質問だが、残念ながら機密事項の為、
それに答える事はできない」
当然の事であったし、そもそも危険の無い警備の仕事などは
存在するはずないのだ。
ルストは最終的にこれを受けることにした。
そして自室に戻ると、
モリーから受け取ったペンダントを首に下げた。
実験場には数十台の戦闘車両と数人の警備兵が配備されている
だけだった。
ルストとその部下には異次元空間での出来事は
知らされることはなかった。
宇宙歴20年、3月5日、第10番エリーの個室
エリーは、片手にコーヒーカップを持ち足元を眺めていた。
足元の床には、直径1m程の魔法陣が描かれ、その中心に
四角い箱が置かれていた。
エリーはそれを眺めながらコーヒーを一口飲むと、
今回の出来事について考えた。
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アディス達には声と表現したけど、あの不思議な感覚、
あれは一体何なのだろう?
この魔法陣もそう。
確かにあの本で魔法の知識は少しはあったけど、
これを描ける程知っていたわけでは無い。
私の中に奥深く閉じ込められた記憶?
もし自分の記憶であるならば、目的の物のみをピンポイントで
呼び起こす事が可能なのだろうか?
この魔法陣がどう機能するのかもわからない。
そにも関わらず、これが正しいと思える不思議な感覚。
それに自分の中に、自分以外の存在を感じる。
私であって、私でない何か。
彼女は、あの光と共に私の中に現れた。
彼女?
そう、何故か女性だと思った。
そして、彼女は私を知っている。
いや、知っていると感じただけだ。
この魔法陣も彼女が教えてくれた。
いや、そう思っているだけかもしれない。
二重人格。
それを否定することは私にはできない。
この魔法陣が実際に機能すれば、結論はでるかもしれない。
知り得る事が不可能な事を知っているはずがないからだ。
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エリーはコーヒーを一口飲むと溜息をついた。
エリー:「ふぅ、やってみるしかないか。」
そして、エリーは軽く仮眠をとることにした。
*1:下士官
下士官は、軍隊の階級区分の一つで、士官(将校)の下、
兵(兵卒)の上に位置する。いわゆる士官候補である。
*2:准尉
連合宇宙軍の士官階級は、上から将官、佐官、尉官で
分けられる。
各官位の中は、上から大中少准の4つが存在する。
例としては、大将、中佐、少尉などである。
最も高い階級は大将であり、最も低い階級は准尉である。




