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─ミューズの子─

エルシナの街の一角。『碧眼の黒猫亭』からは、人が扉の外にまであふれかえっていた。

酒場からは高く澄んだ歌声と、絶妙な音色のリュートの音が響いてくる。

類い希な美貌の『宵闇の歌姫』と、繊細な音色を醸し出す『音神の申し子』と呼ばれる楽士。

『ミューズの翼』と呼ばれるこの二人の名は、大陸の隅々まで知られていた。

彼らの歌を、傍らでじっと聴いていた少年が、曲が終わると同時に、帽子を持って客の間を歩き始めた。



「セシュ。このちび、いつの間に産んだんだい?前に来たときは連れていなかったじゃないか。」


客の一人が歌姫に声をかけてきた。


「まだ小さかったんでね。親類に預けてたのよ。でも、もうフィーも8歳だものね。連れて歩いても良いかなと思って。」


額に流れる汗を布で押さえつつ、セシュと呼ばれた歌姫はにこり、と微笑んだ。


「へぇ。しっかし・・。髪の色はあんたゆずりだが、顔までは似なかったようだな。」


酔っぱらった客が少年の顎に手をかけた。


「かといってヴァスに似てるってわけでもねえな?浮気でもしたのかい?セシュ。」

「馬鹿な事お言いでないよ。」


体を固くしていた少年──否、少年に扮した少女、フィレーンをセシュが引き寄せる。


「フィーは俺の母親に似たんだ。文句あるか?」


じろり、とヴァスが酔った客をねめつけた。


「おっとっと。怖い怖い、そう怒るなよ、ヴァス。」


客はおどけたように両手をあげると、傍にいた仲間と共にまた酒を飲み始めた。


セシュ、ヴァス、そしてフィレーンがこの宿に腰を据えてから、数ヶ月がすぎた。

初めのうちは、顔を強ばらせ、口を開こうとしなかったフィレーンも、元々明るく、人なつっこい性格だったため、10日もする頃には、すっかり酒場の常連と馴染み、店の手伝いをするまでになっていた。


「よぅ、ボーズ。今日も元気だな」

「あのねぇ、おっさん、何度言えばわかるの。ボクの名前はフィー!ちゃんと名前があるんだから、名前で呼んでよね!」

「それを言うなら俺はまだ『おにいさん』だっつーの」


すっかり最近の日課になった常連とのやり取りをしながら、フィレーンはくるくると店内を駆け回っていた。

注文を取ってはカウンターヘぱたぱたと走っていく。

ふと、フィレーンの耳に、ついたばかりの客の話が入ってきた。


「エシルも例の病に門を閉めたってよ。」

「ぁ〜ぁ、物騒だねえ。死斑、か・・。怖い怖い」


死斑とは、最近大陸のあちらこちらに流行りだした、不治の病。病に冒されると、紫色の斑点が体に現れるという。

ついた呼び名が死の斑点───『死斑』。何故か病に冒されるのは皆成人した大人ばかりだった。

けれど、エシルにしろ、病が蔓延している地域にしろ、ここからはまだかなり距離がある。

理屈は無いが、きっとここは大丈夫。

フィレーンは対して気にもとめず、また客の間をくるくると走り始めた。


が・・。死の病は、風に乗り、気づかぬうちに足を忍ばせ、着実にフィレーン達のすぐ傍に迫っていたのだ。


 ◆


セシュの様子がおかしい。

そう気づいたのは、夜中によく咳き込むようになったから。

あの明るく元気だったのが嘘のように、疲れた表情を見せるようになった。

客達の興味はあの病へと向けられていた。

セシュは『あの病』に犯されているのではないか?

碧眼の黒猫亭からは客の足が途絶え、街からは人の姿が消えた。


「セシュ・・・」


辛そうにヴァスがセシュの背を撫でていた。


「わかってるわよ。ヴァス。・・・すまないわね。もう、ここにいることは無理そうね。・・・ううん。ここだけじゃないわ。きっともう、どこの街にも入れないわね。」


ゴホゴホと咳き込みながら、掠れた声でセシュが小さくつぶやいた。

フィレーンは───


フィレーンは、どうすることも出来なかった。

ただ、黙って二人の話から耳を遠ざけた。

キキタクナイ。シンジタクナイ。モウ ウシナウノハ イヤ。

けれど。


静寂を破り、ドアが叩かれた。

ヴァスが静かに立ち上がって、扉を開ける。

切れ切れに聞こえてくる、女将とヴァスの会話。


「あんた・・・世話になった・・」

「・・・すまないねぇ・・。けれど・・・あがったりなんだよ・・。」

「色々ありがとう・・・。」


ぱたん、と閉じる扉の音が、いやに冷たく聞こえた。

ぎゅっと目を閉じ、耳をふさいだフィレーンの傍へ、ゆっくりとヴァスが近づいてくる。

肩を叩かれた。

ヴァスの大きな手。悟りきったような、澄んだまっすぐな目。


「わかっているよな?フィー。」


優しい、優しい、そして、切ない笑み。

フィレーンは黙ってヴァスに抱きついた。

涙が止めどなく流れた。


「ヴァス・・。ボクも、貴方達と一緒に行く。」


どうか、どうか一緒にいさせて。

切なる願いを込めて、やっとの思いで紡ぎ出した言葉。

だが、ヴァスはゆっくりと頭を振った。


「いいや。フィー。お前はまだまだ、生きなくっちゃいけない。お前の母親の命。そして・・これから消えゆく俺たちの命を、お前は背負っているんだよ。お前はまだ幼い。もっと色々な世界を見て回らないとな。死ぬのは、それからでいい・・。」


ゆっくりと、ゆっくりと、大きな手が、フィレーンの頭を撫でた。

もう、何も言えなかった。ベッドの上で、静かな笑みをたたえ、セシュも泣いているようだった。───涙は、見えなかったが。


宵闇があたりを包み始めた。

酒場にはまばらな人影。あれほどにぎわっていた酒場も、今は2,3人の客だけになってしまっていた。

ヴァスはリュートを抱え、一人舞台へと上がった。

歌姫の姿は無かった。そして、いつも元気に走り回っていた少年の姿も。


「ぼーず、今日は来ないのか?」


いつも軽口を叩いていた客が、のろのろと口を開く。

ヴァスは、苦笑を浮かべると、軽く肩をすくめた。


「俺がここで弾くのも、きっとこれが最後になるだろうな。」


調律を済ませ、ヴァスは大きく息を吸い込むと、静かに弦をつま弾き始めた。


と。その時だった。

一瞬、舞台が緋色に染まる。

セシュがいつも身に纏っていた薄布の緋。

はっと、その場にいた者すべてが、舞台の上へと釘付けになった。

朱金の短い髪。そして、鮮やかな緋色の薄布が、宙を舞った。

それはさながら妖精のように、天使のように、舞台の上に舞い降りたのだ。


「ヴァス。続けて・・・」


フィレーンの小さな声に、ヴァスは、はっと我に返った。

五指が絶妙な旋律を紡ぎ出す。


「ぼーず・・・じゃ、無かったのか・・。」


客の口から、ため息が漏れる。

シャラン、と四肢に付けた鈴が鳴る。

しなやかな小さな姿態が宙を舞う。

徐々に、徐々に客が集まり始めた。


上階から、歌声が、リュートの音に重なる。

その歌声は、とても病に冒された者とは思えない、どこまでも高く、稟とし、澄んだ夜空に染み渡っていった。─────


朝日があたりを金色に染め上げた。

総勢16名。死斑の感染者と思われる者達が、国から派遣された兵士によって、街の外に出された。

そして、その中には、あのセシュとヴァスの姿もあった。

双方を隔てているのは、門の両脇に立ちふさがった無表情の兵士。

街を追われた者達に持たされるのはわずかな食料と水のみ。そして、門の先には、深い森へと通じていた。

もう二度と街へ踏み入れることは出来ない。

やがて皆、森の木々の糧となるのだ。

それを知っているにもかかわらず、皆一様に穏やかな表情を浮かべていた。

フィレーンは門を隔てた、碧眼の黒猫亭の女将の腕に預けられていた。

じっと見つめ合う、親子。血は繋がっていない。まだ、出会って1年と経っていない。

それでも、三人は、確かに固い絆で結ばれた親子だった。


ぎい・・っと軋む音を立て、門が閉じていく。ゆっくりと、16人は街に背を向けた。

村に残された者達は、ある者は泣き崩れ、ある者は目を背け・・。

ある者は、その目に最後を刻み付けるかのように、じっと見つめていた。

ふいに、フィレーンは女将の腕を振りほどくと、門のギリギリまで走り寄った。

兵が槍で行く手を阻んだ。

ずっと、言いたかった言葉。照れくさくて言えなかった言葉。まだ、言えなかった言葉。


「とうさん・・っ!!!かあさーーんっ!!」


兵にすがりつくように叫んだ。大粒の涙が、セシュとヴァスの姿を曇らせた。

にじむ景色の中、わずかに開いた扉の間から、

こちらを振り返るセシュとヴァスの嬉しそうな笑顔が見えた・・・・ような、気がした。




数年後───

一人の少女が、小さな体に不釣り合いな荷物を抱え、古びた宿屋を後にした。

まだ、夜も明け切らぬ時間帯。見送りはいない。いらない。

心の中で、オルゴールの音が聞こえる。


『もっと色々な世界を見て回らないとな。』


うん。ヴァス・・・とうさん。ボク、行くよ。この広い世界を、どこまでも。

まっすぐに、門の先を見据える。あの頃と違うのは、大きく外へと開け放たれた門。

そして、両親の去っていった門と、反対側の。

大事な大事な、両親。ほんの僅かな時間だったけれど、暖かく、優しい時間。忘れることは出来ない。

否。決して忘れることはない。忘れない。けれど、フィレーンにとっては、過去。

見据えるのは未来。両親の面影を胸に抱いて、

フィレーンは大きく一歩を踏み出した。


まだ見ぬ未来が、この道の先にある。─────


初めて書いた小説です。つたない文章ですが、最後までお付き合い有難うございました!

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