─秘密─
セシュとヴァスに連れられ、街へたどり着いたのはすでにあたりが蜂蜜色に染まり始めた頃だった。
一軒の宿屋のドアを叩くと、ぎいっと音をたて、女将が眠そうな目をこすりつつ出てきた。
「なんだい、あんた達、約束は夕べだったじゃないか。こんな時間にこられても困るよ。」
「ちょっと道に迷ってねえ。女将さん、金は弾むからさ、。泊めておくれよ。この子も一緒にね。」
「ちょっと・・。この子、まさかユクタからの子じゃないだろうねえ?あそこから逃げた子を匿ったらこっちの首が飛んじまうよ。」
女将の言葉にはっとセシュはフィレーンに目をやった。
すでに幼いフィレーンが起きていられるはずもなく、よほど疲れたのか、ヴァスの腕の中ですやすやと寝息を立てている。
ほっとため息をつきつつ、セシュは女将の手に金貨を数枚握らせた。
「大丈夫、絶対にばれないようにするからさ。もしばれたら追い出されたって文句は言わないよ。ねえ、あんた。」
振り返ってヴァスを見ると、ヴァスは苦笑を浮かべ、肩をすくめて見せた。
「ち・・っ仕方がないねえ。あんた達の歌を楽しみにしてる客もいるし・・。ここは見なかったことにしてやるさ。」
女将は懐に金貨をしまうと、中へと招き入れた。
◆
フィレーンが目を覚ますと、部屋には異様な匂いが漂っていた。
「ああ、フィレーン。目が覚めたみたいね。」
にこり、とセシュが振り返った。長い髪を一つに結い、シャツの袖をまくっている。
どうやら匂いの元はセシュの前に置かれた桶から漂ってくるようだ。中には黒い染料で満たされていた。
髪を染めるための染料の匂いだと言うことはすぐにわかった。
フィレーンが体を起こすと、それまで窓辺にもたれかかるようにして腕を組んで立っていたヴァスが、ふいにフィレーンに歩み寄ると、フィレーンの手を握りながらベッドの隅にしゃがみ込んで、硬い表情で口を開いた。
「フィレーン。俺の話をよくお聞き。良いかい?君のいた村、ユクタは、悪いヤツに襲われて無くなってしまった。」
「ちょ・・ヴァス!」
止めようとするセシュを手で制し、ヴァスはまっすぐにフィレーンの目を見つめつつ、言葉を続けた。
「そしてね、ユクタから逃げてきた人を、その悪いヤツが捜しているんだ。君の事が知れると、君は殺されてしまうかも知れない。」
「・・・なら・・。かあさんは?」
どこか結果をわかっているような、淡々とした表情でフィレーンはヴァスを見つめた。
「かあさん、死んだのね。」
淡々とした口調。わかっていたと言いたげな言い回し。セシュが息をのんで口を押さえる。
涙すら見せないのは、傷ついていないからではない。
幼い少女には、あまりにも過酷な運命を、まだ受け入れることが出来ていないだけ。
ヴァスがゆっくりと頷いた。
目を伏せているフィレーンに諭すようにヴァスは言葉を続けた。
「君のおかあさんは俺が後で弔ってやる。君は今、何をすればいいか、わかるかい?」
「・・・捕まらないように、する・・?」
ヴァスは大きく頷くと、これからどうすべきかを話し出した。
──数時間後。
「フィー。今からあんたはあたしとこの人の息子よ。良いわね?」
黒く染まった手を流しつつ、満足げにセシュが振り返った。
そこには───
長かった見事なまでの朱金の髪をばっさりと短く切って黒く染めあげ、少年の服に身を包んだフィレーンの姿があった。