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第二話 ゴースト・ライター その3

 

 黙りこくったままの二人。不規則な息遣いが、洞窟内に反響する。空気はひんやりとつめたく、奥から吹いてくる風は生ぬるい。時折、視界の隅で闇の塊が動く。侵入者を静かに監視しているコウモリたちだ。

 

 入り口から10分ほど進んだ場所の、狭く丸い空間で、ブルーノが不意に足を止める。先ほどとは打って変わった、厳かな、ささやくような声で、「マズ、コレダ」と壁の絵を指し示す。

 

 三つのライトで照らすと、壁に描かれた絵が浮かび上がる。鞭を持ち、何かを殴ろうとしている美しい女の絵だ。しなやかな肢体に、整った賢そうな顔立ち。入念に彫られ、鮮やかな色が塗られたその壁画は、古代人の趣味にしては、あまりに現代的だ。


「ミスターツチヤ」ブルーノは裁判官のような声で続ける。「あなたのハナシホントなら、あなたはこのエをナンドモミテル、ソウネ?」


「当然です」土屋はどこか落ち着かぬ様子で、ヘルメットを脱ぎ、枯れ野原のような頭の汗をぬぐった。


「デハこのエのイミするところ、ボク、ソシテ、カレにもワカルように、カイセツしてみてクダサイや」


 土屋は低い豚鼻を鳴らして笑い、言った。

「簡単なことです。いいですか、これはかつて弥生人の信仰していた神話の女神なのです。彼らの歴史を辿ると太陰暦を暦としていた記録があり…」


「それデタラメジャナイだろうね?」


 ブルーノの言葉に、土屋は天井を見、見えない誰かに向けてしゃべりかけるように、

「これだから学の足りない自称学者は困りますな」と笑った。


「君ケンカ売ってるネ?」


「とんでもない。どうすれば、おバカなアメ公にでもわかるように説明ができるのかを、考えておるんです」

 それから二人はじりじりとにらみ合いを始めた。

 長くなりそうだったので、骨皮は「あのう、すみません。ちょっとお手洗いに」と言って、その場を離れた。


                       *


 チャックを上げようとした時、後ろから声をかけられた。


「ようほねちゃん、また来てくれたんか?」


 しわがれた声に、骨皮はハッと振り返り、ほっとしたような笑みを浮かべた。


 そこには平べったい猿のような顔をした男、ハデスが立っていた。年齢は定かでない。ニヤッと笑うと、牙のような黄色い犬歯が光る。手には黒曜石を持ち、首には勾玉や珍しい動物の骨をぶら下げている。背は骨皮の半分ほどしかない。むき出しの体には獣に噛みつかれたような傷跡が、あちらこちらについている。中でも目を引くのは、その首についた深い傷である。真っ暗闇の空洞のようなその傷が、彼の致命傷になったのだと、骨皮は心の中で考える。


「ハデスさん。脅かさないでください」


「すまねえ。どうやって人間に話しかけるもんやら、おら、忘れちまったんだ。ずっとここでひとりぼっちでいたもんだから」


 悲しそうなハデスの平べったい横顔に、骨皮はなんだか申し訳ない気持ちになった。


「いいえ、こちらこそ、なんかすみません。あなたの風貌、どうも見慣れないものですから」


「そうか?」ハデスはニンマリとして、骨皮の汗ばんだシャツの裾を引っ張った。正確には、引っ張ったのではなく、引っ張ろうとした、ということだが。「俺こそほねちゃんの格好が不思議でならないよ」


 骨皮は気を使って、実際に裾を直す振りをしてやった。なんせ、彼は骨皮の命の恩人なのである。


「あの、先日はありがとうございました。ハデスさんのおかげで、無事に外界にたどり着くことができました。あなたが写真に写り込んで下さらなければ、私はここで干からびていたことでしょう」


「そうだね、いっそ、そうさせてやろうかと思ったけどよ」


 ハデスの言葉に、骨皮は青ざめた。


「冗談だよ、骨ちゃん。おいらにだって選ぶ権利がある。一緒に彷徨う相手なら、かわいい女の子の方がいいしさ…」

 

 ハデスは悲しそうに明るく笑った。骨皮はこの古代人の幽霊に、外界にはない特別な優しさを感じ、思わず胸を詰まらせた。


「だけど骨ちゃんまさか、今日もまた、迷子になってんじゃないだろな?」


「いいえ、今日はまだ大丈夫ですよ」


「そんならいいけどよ。ね、あっちで言い争ってる二人は誰なんだい」


「いや、名乗るほどの二人じゃないんです。ねえ、ハデスさん、禿げている方のおじさん、私たちのくる随分前から、よくここによく来てますか?」


「ああ、よく来てるよ。もうずっと前からだな。おいらの事は、見えないみたいだけど」


「ああ、そうですか。ではやはり…」骨皮はうなった。これで、真実は明らかになった。土屋の言っていることはきっと正しいのだ。あとは、どうやって証明をするかだが…


「だけど、あのおっさん、面白えんだぜ」


「何がです?」


 ハデスはいたずら小僧みたいにニヤリと笑った。


「ちょっとこっちきて。見せたいものがあるんだ」

                     

                       *


 「鞭女の間」では、言い争いに疲れ果てたブルーノと土屋が地べたにへたり込んでいた。彼らの頭上では、仮面をつけて鞭を持った女が、彼らを蔑むように見下している。


「ドコニイッテタンデス?」ブルーノが骨皮を力なく見上げる。


「すみません、お手洗いに」


「君、神聖な洞窟で用を足したのかね?」土屋がギラリとした視線を向ける。骨皮が「すみません」としおれると、土屋は嫌味なため息をついた。


「絵の解説は終わったのですか?」ムッとした骨皮がそう尋ねると、土屋は首を振った。


「解説の受け手側に問題があるので、諦めました」


「ナンだと」


「これ以上話し合っても無駄だ、この洞窟は誰がなんと言おうと私が先に見つけたんだ、私のものだ」


「ノー…ノー!」ブルーノが立ち上がった。「オマエにはショウコガがナンにもナイ!」


「いいえ、証拠はあります」骨皮は言った。


 二人はここへきて初めて、この存在感のないカメラマンをまじまじと見つめた。


「ナニヲイッテルノキミ?ドコニアルッテノソレ?」


「ここにあります」骨皮は力強く壁画を指差した。「これこそが証拠なのです」


「ドユコト…」


「この絵を描いたのは土屋さんですね」


 土屋は吹き出す汗をぬぐって、うつむいた。


「あなたは十年前からこの洞窟に通い、絵を刻んできた。そして自分の満足いく出来に仕上がったら、世間に発表するつもりだった。自分の作品ではなく、貴重な過去の遺跡として。違いますか?」

 

ブルーノは青い瞳を今にも飛び出さんばかりにして宿敵を見た。土屋は紫色の唇を震わせ、必死に声を絞り出した。


「で、でたらめだ、何の根拠もない」


「では、これは一体なんですか」


 骨皮はそう言って、黄色い絵の具用のバケツを掲げて見せた。塗料の飛び散った筆と、削れた彫刻刀が、そこには何本も刺さっている。土屋は目を見開いて固まった。骨皮はバケツの底をひっくり返して、そこに大きく書かれた「つちや」という文字を見せた。


「先ほど用を足した場所の隅に、布を被せた状態でおかれてありました」


「マジデ…」ブルーノは息を飲んだ。土屋は金魚のようにパクパク口を開いていたが、やがてかすれた声でこう言った。


「…彼の言う通りだ」


「オメエ…!コケにシヤガッタナ!」


 ブルーノが土屋に掴みかかろうとする。骨皮は慌てて土屋の前に飛び出し、それを遮った。


「私はずっと画家になることを夢見ていた。しかし描いても描いても認められない、誰も私の絵を見てはくれない。しかしふと思いついたんだ。どんなに下手な絵でも、それが古代の壁画だったら?」


「オロカナ…オロカナコトだ!」


「あんたにはわからないだろう、自分の作品が、ゴミのように扱われる気持ちが。でも遺跡は違う。人類の全力を挙げて後世まで大切に保存され続ける。それが、古代のものだというだけで」


 ブルーノの体から急速に力が抜けて行くのを骨皮は感じた。

 土屋は充血した瞳で壁画を見つめ、言った。


「君たちは私を糾弾するなりなんなり、好きにすればいい。それは、私がずるい事を考えた罰なのだから」


 土屋はブルーノの足元にひざまづいて、その惨めな頭を、濡れた洞窟の床にこすりつけた。


「すまなかった」


「スマナイでスムカヨ…」


「見て欲しかっただけなんだ、私の絵を…一人でも多くの人に」


 ブルーノはしばらく土屋の頭を見下ろしていたが、やがて荷物を背負い直すと、一人来た道を戻っていった。


 骨皮は土屋になんと声をかけて良いのかわからずに、絵の具セットをぶら下げたまま立ち尽くしていた。土屋の泥だらけのしなびた頭を見ていたら、自分のしたことが正しかったのか、すっかりわからなくなってきて、胸が苦しくなってくる。


 その時、後ろから「骨ちゃん」と呼ばれ、振り向いた。ハデスが手招きをして、骨皮をよんでいた。骨皮は絵の具セットと土屋を残して、逃げるようにハデスの呼ぶ方へと歩いて行った。



 


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