第二話 ゴースト・ライター その2
あれから三日が過ぎた。骨皮はアパートで求人情報誌をめくっていた。
骨皮は無事に洞窟から生還し、あの「やらかしてしまった」写真データを一枚だけ抜いて、あとは無事に全てをブルーノ博士に渡すことができた。しかしもう次の時には呼ばれないだろうし、万が一呼ばれたとしてももうやりたくない。
しかしこのご時世、仕事はそう簡単には見つからない。仕事を選んでいる余裕などないはずなのに、彼は骨皮は頭を抱え、寝転んだ。
こうしてじっとしていると、秋の暮れの寒さが、骨身に深々と染み込んでくるようだ。壁にびっしりと貼られたお札が、風もないのに揺れている。窓際には黒猫が寝そべって、あくびをしている。全ての仏滅の欄にバツ印をつけたカレンダーが、理由もないのに床に落ちる。
テレビでは、夜のワイドショーをやっている。キャスターのニヤネが、テレビ中継の相手と話している。
「ブルーノ博士、そのへんはどうお考えですか?」
「トンデモナイ言い掛かりダヨ!あの壁画を世界で一番最初に発見したのはブルーノ!このボクだよ!あいつの言ってることはアタマがおかしいよ!」
しかし骨皮は別のことを考えているので忙しい。何かを思いついたように、赤いバツだらけの求人誌を突然投げ捨てると、ダイヤルを回して電話をかける。
「ではブルーノ博士は、文化学者の土屋さんの主張は百パーセント嘘だと、 そういうわけですね?」
「アッタリマエダヨ!証拠ミセロッテンダ!」
「実は博士、本日土屋さんと中継が繋がっておるんですわ」
「ジョウトウダ、カカッテコイ!」
骨皮は電話の相手に向かって、ブツブツ呟いている。「あ、そうですか、今週も仕事、ないですか…いえ大丈夫です、流行らないですよね、心霊ブライダルなんて…」
受話器を置く骨皮。何も考えたくなくなって、とりあえず猫の方を見る。テレビでは、文化学者の土屋が、ブルーノと対決をしている最中だ。
「ですからブルーノさん。何度も言いますけど、私はあなたがあの壁画群を発見する十年前にもう、あそこを見つけていたんです」
「トンダホラフキヤローダナ!」
「では土屋さん、どうしてそれを世間に公表しなかったんです?」ニヤネの質問に、土屋はげほんと咳払いをする。
「時期を伺っておったのです」
「と言いますと?」
「つまり、無闇に公表することで壁画が第三者によって損傷され、傷つけられることを恐れたのです。私はあの素晴らしい壁画群を、この手で研究し、謎を解き明かす時間を必要としていました…そう、誰にも邪魔されずに、です」
骨皮はちゃぶ台の上の干物を狙う猫を、片手で追い払おうとする。「ダメ。あなたはもう死んでいるんですよ。諦めなさい。」
「まあしかし」テレビの向こうの土屋が言う。「いつかこの日がくるだろうとは、思っていましたがね。どこかの強欲なエセ学者が、あの壁画の発見を我が物顔でタレ回る日を」
「ファッキンジャップ!」
どこかで聞いたことのあるような声を聞いた気がして、骨皮はようやくテレビに注意を向けた。しかし、画面に映し出されているのは、「しばらくお待ちください」の文字である。「えー只今、番組の一部で不適切な表現がありましたことをお詫びいたします…」
その時、黒電話がけたたましく鳴り響いて、骨皮は受話器に飛びついた。
「はい骨」
「ミスターボーンレザー!」
「ああブルーノ博士、先日はどうも」
「チョットタノミガアル」
「また洞窟ですか」
「アッタリマエダロ」
「あの、私迷子になるので洞窟はもう」
だが相手は聞く耳を持たなかった。彼は翌日の朝いちばんに、例の壁画洞窟の前にくるように一方的に指図すると、がちゃんと電話を切ってしまった。
*
今朝は一層風が冷たく感じられる。骨皮は憂鬱な足取りで、眠たい目をこすりながら、なんとか始発電車に乗り込んだ。
問題の洞窟は、東京郊外の山の中にある。朝もやの中、鬱蒼とした森をタクシーに乗って進んで行く。目的地が近づいてくるにつれて、山道に無理やり停められたロケバスや乗用車の姿が目立ち始める。
運転手の話で、骨皮はようやく自分が、連日ワイドショーの話題に祭り上げられている「どちらが壁画を先に発見したのか問題」に巻き込まれていることを知る。骨皮はますます憂鬱になってくる。こんなことに巻き込まれるくらいなら、遊園地の記念写真撮影のアルバイトを選んだ方がよかった。
道はどんどん狭く、傾斜は険しくなってゆく。傍若無人に突き出した小枝が、フロントガラスをひっかいてゆく。ポキポキと、枝の折れる音がする。少しでもハンドルを間違えたら、崖の下に真っ逆さまだ。
骨皮は駅に戻ってくださいと言いかけて、やめた。後戻りするのには道が狭すぎたし、洞窟の中に、会いたい人がいたからだ。会ってお礼を言いたい人が。
*
洞窟の入り口には報道陣が溜まっていて、その中心には血気盛んなブルーノと、青白い顔をした土屋の姿があった。ブルーノは何やら大声でマイクに向かってがなりたてていたが、骨皮を見つけると、「ヘイ、ヘイ、ボーンレザー!」と手招きした。
骨皮の方へ、一斉にカメラが向けられる。骨皮はカメラを向けられるのが世界で二番目くらいに苦手だった。それは、霊界に片足突っ込みながら生きているような自分が、いつかカメラに映らない日が来るのではないかと、そういう独特な恐れによるものだった。
眩しいライトに目を細めながら、やっとの事でブルーノ博士の隣にたどり着く。よろめく骨皮の肩を抱き寄せると、博士は記者たちに向けて堂々と彼を紹介した。
「エブリワン!こちらがカメラマンのミスターボーンレザー!」
一斉に焚かれるフラッシュに、眠気も霊気も生気も、何もかもが一気に吹き飛びそうになる。
「ドチラがサキにミツケタカ!」ブルーノが骨皮の耳元で叫ぶ。「コレカラ、ミスターツチヤと、ブルーノ、イッショ、モグリ、ハナシをつける!」骨皮の鼓膜が破れそうに震える。「ショウコがアレバ、カレニテイクピクチャーしてもらう!ミスターツチヤ、モンクアルか?」
一斉にカメラとマイクが、思い出したかのように隣の土屋に向けられる。
「異論はない」
ふと、骨皮は土屋の地味な茶色い探検着に、ところどころ絵の具が飛び散った跡があるのに気がつく。骨皮の視線に気づくと、土屋は鋭い視線で骨皮を睨みつけた。それはまるでネズミが見当違いの敵を威嚇するような、そんな態度であった。骨皮は慌てて目をそらす。こういうふとした瞬間に、人間ほど怖いものはないのだと、骨皮はいつも感じてしまう。
「グッドラック!」
ブルーノと土屋は洞窟の暗がりの中へと消えてゆく。骨皮もフラッシュライトの明かりから逃げるように、後に続いた。