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第四話 フレームアウトの亡霊 その1


桜を見に行こう、見に行こうと思っているうちに、あっという間に散ってしまう。そんな馬鹿げたことを、もう何年も繰り返している。


 しかし、花見の終わりのお知らせに、どこか安心している自分もいる。桜というものは、影の中で生きているものにとっては、ほんのちょっぴり、美しすぎ、そして、眩しすぎるのだ。君たちのような青二才には、さっぱりわからないであろうが。



挿絵(By みてみん)


  骨皮が彼女と出会ったのは、桜のすっかり散りかけた頃の、雅叙園近くの、目黒の橋の上であった。骨皮はその時、私物の一眼レフを片手に、街をさまよっていたのだが、思ったような良い絵が撮れずに、そろそろ帰ろうとしていた時だった。


 というのは、骨皮は幽霊どもも昼の眩しい桜の前ではさすがに遠慮してくれるだろうと踏んで、わざわざ日曜日を使って、撮影に出かけてきたのであったが、しかしそれは浅はかというものであった。


 というのも、骨皮が撮ると、美しい桜も幽霊の怨念のどす黒い紫色に染まってしまって、普段よりも一層不気味な画になってしまうのであった。また、桜の生えている場所というと、どうしても川の近くになってしまい、幽霊と水とは切り離せないものであるからして、つまり骨皮の思うような桜の写真は撮れないのであった。


 骨皮はもう諦めて、これで最後の一枚にしようと、花見客で賑わう橋の上にカメラを向けた。なんだか、何が撮りたいのかわからないような、ぼやけた画角になってしまったが、骨皮はもう足が痛いのと意気消沈しているのとで、やけくそにシャッターを押し込んだ。


                      *


 少し休憩しようと、近くのファミレスに入り、コーヒーを頼んだ。画面を一枚一枚確認し、幽霊の写りこんだものを消してゆく作業にしばし没頭した。


 これもだ、これもだめ、これもそれも地縛霊、これも浮遊霊、あ、これは…いや、だめだ、小さく生き霊が写っている。


 半分まで行ったところで、骨皮は深いため息をついた。自分は何をしているのか。カメラを向かいの席に、友達の代わりに置いて、心の中で話しかける。「ああ、どうしたら私は、霊感を失えることができるだろうね?」



 骨皮は窓の外を見やった。青になったばかりの横断歩道を、日曜日の家族連れ、大学生やカップル達が、せわしなく行き過ぎてゆく。

 

 骨皮は、今年も誕生日はたった一人か、と心の奥でつぶやいた。誕生日は一週間後に迫っていたが、一緒に過ごしてくれそうな人間は、一人も思い当たらない。去年も一人だったな。その前の年も。その前も、その前の前も…


 突然、ガチャン、とカップの浮き上がる音がして、骨皮は正面へ向き直った。いつの間に、向かいの席に、見たことのない、二十代前半くらいの娘が座って、骨皮をニコニコしながら睨みつけていた。


 艶を放つ長い黒髪、無垢に輝く瞳。薄い耳たぶから落ちる銀のピアスが、絶え間なくひらひらおどって揺れる。高く筋の通った鼻は、外国の血を思わせる。もちろん美女には違いないのだが、何だか全体的に、擦り切れたあばずれな女のオーラが漂っているせいで、相手に残念な感じを抱かせる。


「あの、ちょっといいですか?」

「は、はあ」

「あの、さっき、私のこと、撮りましたよね」

「えっ」

「私のこと、撮ってませんでしたか?このカメラで」


 いつの間にか、骨皮のカメラは、彼女の手の中にすっぽりと、人質のように収まっている。


「ほら、この写真!」


 彼女は勝手にカメラを素早くいじくると、撮影データを表示して、骨皮の眼前に突きつけた。

 

 それは橋の上でやけくそ気味に撮ったあの最後の一枚であった。娘のネイルを施した派手な指先が、画面の右端に映る、黒髪の娘を指差している。確かにそれは、目の前の女に違いなかった。だが、しかしー


「あなたを撮ったわけではありません」骨皮はおずおずと言い返した。「風景を撮っていたんです」

「でも、写ってますよね、私。これ、私ですよね。ね。」

「でも、ほんの小さくしか…」

「みんな、そういうんですよ。映り込んだ私が悪いんだって」

「はあ」

「ね、写ってますよね。私ですよね、これ。」

「はあ、まあ…」


 彼女は骨皮が力なくうなづくのを見届けると、すかさずカバンから、一枚の名刺を取り出して、滑らすようにテーブルの上に置いた。


 その手触りの良い銀行カードのように硬い紙の上には、派手な金の飾り文字で、「プロダクションメルヴィル所属 モデル 目黒川メジロ」と描かれてある。


「ねえカメラマンさん」メジロはずいと身を乗り出した。「これ、卑猥なサイトにあげるやつですか?」

「い、いえ、そんなつもりでは」

「じゃあ、インスタか、ツイッターか、個人のブログとかそういうのですか?」

「いや、そのどれもやってません」

「じゃあ目的は?」

「いや、これといって、とくには…」

「目的がない?」

「はあ、まあ」

 

 骨皮は無心霊写真を撮るためのウォーミングアップだとは、よもや言えそうになかった。


「ふうん?」メジロは哀れむように骨皮をまじまじと見つめた。「そうですか。そんなら、一万でいいですよ」

「え?」

「なにに使うか知らないけど、そのくらいのサイズなら、1万でいいです。ギリ私だってわかるくらいのレベルだから。」

「ですから、何にも使いません」

「あのですねえ?」メジロは「こんなのどかな休日に、一人でカメラ持ち歩いてる中年なんて、女の盗撮か、SNSにアップするためか、どちらかに決まってるんです。」

「…」

「一万が無理なら、八千円でいいですけど」

「…」

「聞いてます?」

「それなら今、ここで消します。あなたの眼の前で。」

「そんなの意味ありません。撮った時点で、撮影料は発生してるんですから。すでに別のところに、データをコピーしてるかもしれないし」

「そんなことを言われましてもですね…」


 骨皮はもう面倒臭くなってきたので、一万円を払ってしまおうかとも思った。しかし、あまりにも理不尽ではないか。この女は当たり屋ならぬ写り込み屋だ。下手な幽霊よりもタチが悪い。きっとカメラ小僧が集まってくるあの橋の上に一日中立っていて、こうして小金をせしめているのだろう。


「小金をせしめているのだろう。それにモデルといっても大した顔でもない。内面のがめつさが顔に滲み出しているしな」


 骨皮ははっとした。心の中で言っているつもりが、実際に口に出してしまっていたようだ。

 

 骨皮は恐る恐る顔を上げた。メジロの頬は怒りと屈辱に震えて引きつっていた。骨皮は濃いコーヒーを一気に飲み干すと、カバンの中の財布に手を伸ばそうとした。


 しかし、メジロの蛇のように白い腕がぬっとのびてきて、骨皮の手を強く掴んだので、出しかけた財布は床に落ちてしまった。


「私の顔を見てください」

 

 そう言ってメジロは骨皮の尖った顎をぐっと掴んで、自分の方へ向けさせた。骨皮はメジロに触られた部分が熱くなるのを感じた。


「あ、あの」

「よく見てください!」

「はあ」

「私の顔、テレビとかで見た事ないですか?」

「え、ええ、ちょっと、ごめんなさい」

「本当の本当ですか?本当の本当の本当に?」

「え、ええ」


 すぐ目の前に、メジロの整った顔があった。しかしすっかり気が動転してしまった骨皮の目には、その潤んだ瞳も、長い睫毛も、薄い唇に一本だけかかった髪の毛も、すべてがバラバラの生き物のように映るのだった。


 しかしよりによってここは日曜日のファミレスの中である。大学生くらいの若い娘と中年の喪服スーツのおじさんが顔を近づけて向かい合っている不思議な光景を、周りの客たちが物珍しそうにチラチラ見やる。骨皮は慌ててメジロの手を振り払った。


「あ、すいませんつい」

「い、いえ」

 骨皮は震える手で財布を拾い上げた。

「私、これでも一応、ちょこちょこテレビに出てるんですけど。ほら、あの、台風のニュースとかで、スカートがめくれる通行人の役とかで、結構出てるんですけど。見た事ないですか。」

「すみません、あんまりテレビ見ないもので」

「…」

「…」

「嘘でも、言ってくれないんですね。そういや見たことある気がするとか、なんとか」

「はあ」


 メジロは長い爪で引っ掛けて、テーブルに引っ付いた名刺を拾い上げると、骨皮の黒いネクタイにグイッと突きつけて、「もういいです。」と言い残して、逃げるようにでていった。


 一人取り残された骨皮は、メジロの写真を消そうとして、ふと、あるものを見つけた。それは、メジロの背後に立つ、白髪の外国人の姿であった。特徴的なエム字ハゲで、色付きのサングラスの奥で、優し気な青い瞳が穏やかに輝いている。特注の高級スーツを身につけて、長いステッキを腕に下げ、その両腕をメジロの頭の上に置いている。

 

 骨皮は彼に見覚えがあった。それはかつてハリウッドで一世を風靡した有名な俳優、アダム・ジョッキーであった。


 骨皮は彼の大ファンであった。幽霊ホテルが舞台の「ショイニング」は彼のお気に入りの一本であるし、俳優として脂の乗り始めた彼が主演を務めるラブストーリー「ベルを鳴らしすぎる幽霊」も、社会派ドラマ「ゴーストタウン」も全部持っている…

 

 去年の春、享年77歳でこの世を去った時は、涙が止まらなかったものである…


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