第三話 サンタクロース殺人事件 その6
リムジンの後部座席から、葉巻をくわえたドン・トルーマンが微笑んだ。その微笑みに、骨皮はハッと息を飲む。
ドントルーマンが、ポツンと一言つぶやいた。
「やれ」
リムジンの中から、無数の銃口が、蛇のように飛び出してくる。その穴ぼこのような矛先は、骸骨サンタに向けられている。撃鉄の、カチリと上がる音がする。
骨皮はハッと我にかえり、慌ててハンドルを切る。
一斉に銃弾が放たれる。亡霊たちの銃弾はガラスを音もなく突き抜けて、サンタの体めがけて放たれる。存在しないはずの銃弾が弾ける音が、骨皮の耳には聞こえる。
骨皮は窓ガラスを開けて、リムジンに向かって叫ぶ。
「やめてください、この人はもう死んでいるんですよ」
「そんなことは関係ない」
骨皮は耳元で聞こえる声にはっと振り返る。いつの間にか助手席にドンが座り、太い葉巻をふかしているではないか。骨皮は悲鳴をあげそうになる。骸骨サンタは身動きひとつせずに、犬と頭を抱えて震えている。
「プレゼントは配り終えたかね。」
「え、ええ、一応は」
「そうかね」ドンは煙を燻らせた。「君は、死んでもなお、私を苦しめる。そうだね、サンタくん。」
その瞳は、静かな怒りと黒い憎しみに燃え上がっていた。骨皮はパーティの際、トルーマンが部下にいった言葉を思い出す。あの時は、そんなに殺し屋探しに対してムキにならなくてもいい、とそう言っていたはずなのに、今ではすっかり別人のようになって、自らの手で銃弾を撃ち込もうとしている。この男は、とことん身内には甘く、敵には残忍な生き物なのだ。
骸骨サンタは震えている。
こいつらの狙いは骸骨サンタを二度殺し、さらなる苦しみを与えることで、彼の心を成仏からますます遠いところに、追いやってしまうことなのだ。
トルーマンが胸からピストルを取り出す。骨皮の全身から、いやな汗がドッと噴き出す。まずい。しかし、亡霊同士の殺し合いを止めることなどできるはずがない。自分はあくまで呼吸をしている生者であって、つまりそれはどこまでいっても結局は、自分が部外者だということだ。
骨皮はとうとう諦めた。そうして、自分にできることは、ただ冷静に車を走らせることだと悟った。
「せめて、教えてください」銃口を突きつけられた骸骨サンタがか細い声でつぶやく。
「なぜ、あなたはあの時、私を拒否したのか?」
ドン・トルーマンの太い指先が、引き金にかけられる。骨皮は車を止めることができない。信号は先ほどから、怖いくらい青になり続けている。
「君が、憎いのだ」ドンは苦しそうに呟いた。
「わしに敬意を示さぬ親類縁者はいなかった。ただ一人の甥っ子を除いては。その甥っ子は、あろうことか、殺し屋の君のことを、誰より慕っていたのだ。そうだろう。」
骸骨サンタの震えが止まる。骨皮は、その言葉にはっとする。そして、田中の言葉を思い出したのだった。
*
あの晩、骨皮はファミリーレストランに入り、金を貸してもらうつもりで、田中に丁寧な挨拶をした。
田中は骨皮を見ると、さして驚いた様子もなく、ただ、すっかりもう何もかも諦めてしまった、という風に、脱力して、窓にもたれた。骨皮が電車賃を貸して欲しい旨を告げると、特に嫌な顔もせず、骨皮がここにいることを不思議に思う風でもなく、別にいいですよ、と投げやりに言った。
骨皮はドブネズミンの外にいる時の田中がすっかり別人のようなことに驚いた。彼は死んでいるドンよりもずっと死んでいるみたいに見えた。
骨皮はドリンクバー代も一緒に借りてもよろしいかと田中に尋ねた。田中は返事の代わりに、黙って呼び出しボタンを押し込んだ。
「田中さん、この辺に住んでらっしゃるのですか」
「ええ、まあ。」
「はあ、そうですか。あ、ドリンクバーを一つ」
「それだけでいいんですか。他に何か、食べ物は?」
「じゃあ、すいませんけど、ミートソースパスタをください。」
店員が行ってしまうと、田中は淀んだ瞳で骨皮を見つめ、唐突に、「僕、来年で、14年生になるんです。」と言った。
「ああ、ええと、大学の?」
「そうです。」
「留年もそこまでくるともう、大学の地縛霊のようですね」
骨皮はまずいことをいってしまったと思ったが、骨皮の意に反して、田中はただ、「確かに」と言って、自虐的な笑みを浮かべただけだった。
「僕、変ですけど、骨皮さん。」田中は上体を起こしていった。「バイトしてる時が、一番楽しいんです。生きてるという感じがするのは、ドブネズミンの中にいる時だけなんだな。」
「はあ。」
「同級生たちは、もうみんな家庭があったり、子供がいたり、そこそこの地位についていたりしてるんですけど。だけど、僕、強がりじゃなくて、全然、羨ましくないんです。本当に、全然。一生ドブネズミンのままでいたいと思ってるんだ。」
ぬるく、伸びきったやる気のないパスタが運ばれてくる。骨皮はフォークに手を伸ばすタイミングを失ってしまったような気がした。
「それというのも、子どもの頃、ある人に言われたからなんですよ。そのある人ってのは、名前も知らないおじさんなんですけどね、ずっと一人、倉庫の中に隠れて、誰かを見張ってるんです。
僕はその時まだ小学生で、倉庫でかくれんぼをしてる時に、その人と出会ったんですけど。その人、名前はないっていうんです。自分には名前はない。名前はあっちゃいけないんだって。家族も友達も恋人も全部、同じようにいないんだって。自分が死んでも誰も悲しまない。ただ、仕事のために生きてるんだって、そういうんですね。なぜかって、仕事がうまくいけば、喜んでくれる人間がいるからだって。その人間というのが、どんなに嫌いなやつであっても、なんであっても。
そん時はわからなかったですけどね。名前も家族も恋人もいない、世間的にも認められないなんて、あんまり悲しいじゃないかってね。
だけど今なら、僕、不思議とわかるんですよ。ずっと誰も喜ばせることができなかった人間が、一度何かをして、誰かに喜んでもらえたら、それがどんなにくだらないことでもひどいことであっても、そしてその相手というのがどんなくだらない人間でもひどい人間であっても、ずっとそれだけをやり続けていたくなるんだなって。
だから僕も、ドブネズミンの中に、ずっといたいと思うんですね。そして僕にそれを教えてくれた、名前も知らないあの人は、僕の中で、ずっと特別なんですね」
骨皮は、田中の気持ちが、わからないような、わかるような気がした。
「その人は、どこへ行ってしまったんでしょうか」
しかし田中は「さあ、わかりません。どこへ行っちゃったんでしょうね」と答えたきり、黙り込んでしまった。
*
田中はドントルーマンの甥っ子であった。子供の頃に、殺し屋として倉庫に潜伏していたこの骸骨サンタに出会ったのだろう。そこで、田中少年は彼と仲良くなったのに違いない。これはおそらく想像であるが、劣等感の強い田中少年はカリスマ性のあるトルーマンよりも、自分に似たものを持つ殺し屋に、強い羨望の念を抱いたのだろう。そしておそらく、田中少年はトルーマンのいうことを聞かなかった、もしくはおざなりに対応した。人望に自信のあるドン・トルーマンにとって、自分になびかない甥っ子の存在は、見過ごせないものであったのに違いない。
殺し屋がトルーマンに嫉妬していたのと同じように、トルーマンもまた、殺し屋に嫉妬を抱いていたのだ。二人は知らず知らずのうちに、互いにないものを妬みあっていたということだ。
「そうですよ、サンタさん、あなたー」ようやく信号が赤になり、骨皮は呟いた。「田中さんは、あなたのことを、誰より特別と言っていましたよ。ねえ、きっとあなた、そういってもらいたくて、あそこに、彼の近くに、立ち尽くしていたんですね、あなた…」
骨皮が興奮気味に振り返った、その時、凄まじい銃声が鼓膜を震わせた。ドンの銃口から、白い硝煙があがっていた。骨皮はあまりのことに、口もきけずに凍りついた。
後部座席には、しかし、誰の姿もなかった。犬の姿も、何もない。彼はとうとう、この世界と別れることができたのだ。自分が誰かにとって、特別であったと言うことを確かめられたことで。
骨皮はホッと胸をなでおろし、助手席で呆然としているドンの横顔を見つめた。
「間に合いませんでしたね…」
ドン・トルーマンはしかし、微笑みを浮かべて骨皮を見た。
「大したことではない。我々には、パーティがある」
それから、やおらに立ち上がると、隣のリムジンへと風のように乗り移った。彼ら亡霊マフィアを乗せたリムジンは、ネオン輝く夜の中へと、音もなく消えていった。骨皮はその青白い賑やかなリムジンを、羨ましいような、切ないような気分で見送った。
*
残された骨皮は一人、棺の中の、最後の包みを開ける。中には、霊柩車のミニカーがある。骨皮はそれを座席に置いて、じっと見つめる。これこそが、この世で一番かっこいい乗りものだ。やはりドン・トルーマンは、特別な人間なのだ。私の一番欲しいものをちゃんと、知っていた。他の子供達と同じように、しっかりリサーチをしたのだろう。誰にでもできることではない。彼はどこまで行っても、サンタクロースのように、唯一無二の男なのだ。
骨皮は霊柩車を発進させる。一方通行の住宅街を進んで行ったところで、ふと、目の前のごみ捨て場に打ち捨てられた、ウサギのぬいぐるみを見る。それは彼が先ほど、骸骨サンタと共に配ったプレゼントのうちの、しかも高価なものの一つであった。
骨皮はその瞬間、やはり自分だけが、一番死んでいるという気がした。死んでもなお愛され続けるトルーマンも、一人の少年に感銘を与えた殺し屋も、子供達を喜ばせようと必死な田中も、皆、自分よりずっと特別で、この世に生きていると言う感じがする。
骨皮は、ああ、また自分は、誰も幸せにできなかったのだといういつものやるせなさに沈みながら、ポツポツと明かりの灯る街の中を一人きり、幽霊も死体もいない霊柩車で、進んでいく。仕方ない。だけど、誰かの役に少しで良いから立ってみたい。自分のすることで、誰かに笑顔になって欲しい。できれば、「生きている」誰かに…
*
佐藤花絵、39歳。
彼女には二人の娘がいて、今は専業主婦である。
先日、養母の四十九日を終えたばかりであった。
彼女は、窓からそのプレゼントが投げ入れられた時、居間でぼんやりとテレビを見ている最中であった。テレビでは、マフィアとスパイの抗争映画をやっていた。お気に入りのイケメン俳優が、くさくさした花絵の、唯一の癒しなのである。
突然、バコンという音がして飛び上がる。
窓のカーテンが、激しくバタバタと揺れている。
恐る恐る近づくと、謎の包みが一つ、床の上に転がっている。
花絵は即座に、爆弾かもしれない、と思う。もしくは、毒入りのクリスマス・ケーキ。
映画の影響かもしれない。しかし、突然乱暴に放り投げられたリボン付きの箱を見て、怪しむなという方が、無理な注文である。
花絵はそっとクイックルワイパーの先でつついてみる。それから匂いを嗅ぎ、耳を当てる。そっとリボンをほどき、蓋を開けて、戦慄する。そこには、茶色いウサギの人形が入っている。花絵は不気味でたまらなくなる。捨ててしまおうと思う。中に、カメラが仕掛けられているのかもしれない。警察に届けるべきだろうか。いや、それほどのことでもない。捨てて仕舞えば良いだけの話だ。何か、たちの悪いいたずらなんだろう。
箱ごと裏のゴミ箱に捨てて、再びソファに座り、娘を寝かしつけ、帰りの遅い旦那のために作った料理を冷蔵庫に入れて、風呂に入り、ベッドの上にぼんやり座る。その間じゅう、花絵は、ぬいぐるみのことを考えている。
確かにまだ施設にいた子供の頃、欲しいものを聞かれて、うさぎと答えた記憶がある。「ハナエちゃん、でも、白いの一つ、持っているじゃないの」そんな風に先生に言われたことを、今でもうっすら覚えている。偶然だろうと思う。しかし、頭から離れない。
不意にベッドを飛び出して、ゴミ捨て場に向かう。茶色いウサギが、雪の中で、真っ白に染まっている。花絵は呆然と、白いうさぎを大事にしていた頃のことを思い出す。
あの夜、うさぎを抱えながら、私はサンタを一晩中待ち続けた。しかし、窓の外がうっすら白み始めても、サンタは結局こなかった。いま思えばあの夜が、サンタという幻想の、消滅の始まりなのだった。
ここはサンタのいない、無慈悲な世界なのだと思い知ることの。
大人になるということは、つまり自分の中のサンタクロースを殺すことなのだ。そして、特別でもなんでもない自分を、受け入れ、諦めることなのだ。
しかし、花絵は考える。幻想のサンタは死んだが、代わりに現れたのは、彼女を引き取った養母が扮する、下手くそなサンタクロースであった。
養母は毎年、花絵が高校を卒業するまで、プレゼントを置き続けた。花絵は高校三年生のクリスマス、彼氏の家にどうしてもお泊まりしたくて、それでとうとう朝まで帰らなかった。ただいまも言わずに帰ってきた私の顔に向かって、養母は用意していたプレゼントの箱を投げつけた。中身は、流行遅れのネックレスだった。その時はもう、腸が煮えくり返る思いがした。花絵はそれを投げ返した。顔も見ないで、ドアをバタンとしめた。
だけど、養母がいなくなった今、わかるのだ。この世の中で、彼女の行いほど、特別なものなど、他には存在しなかったのだということが。
私の帰ってこないことを本気で心配したり、毎日私のために暑い味噌汁を持ってきてくれたりすることほど特別なものは、この世で他には一つもないのだ。どんなマフィアだってスパイだって、どんなイケメンだって、そしてサンタクロースだって、その特別さには叶わない。
花絵はうさぎに話しかける。だけど、サンタさん。くるのがあまりに遅すぎる。あなたをとっくの昔に殺してしまった私には、もはや悪趣味で気味の悪いいたずらとしか思えない。だけど、きてくれて、ありがとう。
花絵は家の中に戻って行く。二人の娘の枕元に、プレゼントを置かねばならないのだ。雪はどんどん降り積もり、ウサギは見えなくなってゆく。不気味な霊柩車がその横を通り過ぎるのは、それから五分後のことである。