第三話 サンタクロース殺人事件 その5
骨皮は必死で走った。雪のつもった道をひた走り、ようやく大通りに出た。頭の中に、ドンの声がまだ響いている。鼓動はまだ、どくどくと早鐘を打ち続けている。
骨皮は必死に空車のタクシーを探す。しかしなかなか見つからない。ようやく一台の空車を見つけて、必死に止める。しかし、乗り込もうとして、財布を倉庫に落としてきたことに気づき、諦める。
骨皮はとぼとぼと通り沿いを進む。倉庫に戻る気にはなれない。かといって、このままだと、凍え死んでしまいそうだ。
骨皮は少しでも暖かな光を求めて、大通り沿いをさまよった。ガソリンスタンド、コンビニ、ファミリーレストラン。窓から漏れる明かりを、じっと見つめるだけしかできない。
ふと、24時間営業のハンバーグ屋に、見知った顔を見つけて立ち止まる。見ると、ドブネズミン田中が疲れた顔をして、窓際にもたれている。骨皮はぼんやりと彼を見つめた。彼は本当に、死んでいるドンよりも、ずっと死んでいるみたいに見えた。骨皮は目をそらして、何も見なかったふりをする。しかし、思い直してから、踵をくるりと返すと、店の中へと入っていった。
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その翌日の日曜日。骨皮は市立図書館の書庫内にいた。過去の新聞のファイルを漁り、とうとう、その記事を見つける。
日付は今から38年前の、12月24日。そこには小さな見出しで、「身元不明の男性、サンタの格好で車に轢かれ死亡」と書かれている。
「24日午後6時50分ごろ、東京都のP町の倉庫内で、身元不明の男性(年齢不詳)がP線上り方面にはねられ、病院に運ばれたが死亡した。県警によると、男性はサンタクロースの格好をしており、近くにはプレゼントのつまった袋が落ちていた。遺体の損傷も激しいことから、身元はまだ判明しておらず、現在詳しい状況を調べている。男性の特徴は、瘦せ型で長身、年の頃は40代から50代…」
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12月24日の夜。遊園地の前に、骸骨サンタが一人、立ち尽くしている。足元には、血みどろの骸骨犬が居眠りしている。
彼は今晩、骨皮とここで、ロマンチックな男同士の待ち合わせをしたのである。サンタは落ち着かない素振りで、あたりを何度も見回す。家族連れや若い男女が、彼の真ん中をすり抜けてゆく。
「なにあれ、きもい!」突然、女子高生が叫ぶ。
一台の霊柩車が滑り込んできて、サンタの眼の前で止まる。扉が開いて、骨皮が降りてくる。
言葉を失って佇む骸骨に、骨皮は後部座席の扉を開けてやる。しかし、骸骨サンタは躊躇する。幽霊というものは、猫のように、自分のいつもの縄張りから離れるのが不安なのだ。しかし、骨皮に強引に促されると、おずおずと中へ乗り込んだ。
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霊柩車は静かに街の中を滑って行く。きらびやかなネオンの色とりどりの光が、骸骨サンタの骨を染めるのを、骨皮はバックミラー越しにちらっと見やる。
サンタの目玉は、窓の外に向けられている。プレゼントをかかえて微笑み合いながら街を行く家族連れ。酒を片手に腕を組み合い、ジングルベルを歌いながら、行き過ぎてゆく若者達。
信号待ちの間に、骨皮はサイドボードの上に、あの血みどろのピストルを置く。サンタはハッと顔を上げ、触れられないピストルにそっと骨の指を伸ばす。
「あなたのことを、いくつか調べてまいりました。これは私の推理ですが、あなたはあの倉庫で、ドン・トルーマンなる、敵対組織の大物をずっと見張っていた、一人の殺し屋だったのではないですか。そして、34年前の12月23日に、サンタの格好をして、倉庫に一人現れたトルーマンの頭を、そのピストルで撃ち抜いたのでは。」
サンタは俯き加減に聞いていた。その目玉はかすかに震えている。
「そして、あなたは何を思ったか、サンタの服を剥ぎ取って、それを身にまとった。
そうして、犬とともに、電車に轢かれた。あなたは殺し屋であったから、身元不明のまま、死体は静かに処理された。記憶が飛んでいるのは、殺された時のショックによるものでしょう。死んだ方にはよくあることです。」
骨と骨の擦れ合う音がした。それはカタカタと響き合い、完全な調和を生み出して、車内の中に響き渡った。
「そうだ、そうだった。」骸骨は自嘲気味につぶやいた。「僕は、名前のない人間だった。」
彼はポツン、ポツンと記憶を手繰り寄せるように、話し出した。
「僕はいつだって、うまくやってきたんだ。
何人もの客を、この手で殺してきた。みんな、殺しても殺したりないような奴らだった。僕は自分に満足していた。名前のない人生にも、家族も、恋人も持たぬ人生にも。そういうものは高額な給料の代償と思って、全てを捨てて生きてきた。それなりに満足していたんだ。
だけど、あの男を見張るようになってから、僕の全ては変わってしまった」
サンタは膝の上の犬を撫でる。
「あの男は、僕にはない全てを持っていた。家族に愛され、部下たちに愛されていた。金も有り余るほど持っていた。彼を見張り始めた当初、僕は激しい嫉妬に駆られた。それからしばらくして、僕は自分の中に、別の感情を見出した。奴のことがー
奴のことが、好きになってきてしまっている自分に気がついた。」
骨皮のハンドルを持つ手に力がはいった。そんな骨皮の緊張を察したのか、骸骨は素早く言い直す。
「違うよ、変な意味ではなくてね。奴はね、本当に、不思議な人間なんだ。やっていることも、性格も、腐りきっているはずなのに、不思議と、人の心を魅了してしまうというか、そういうところがあるんだ。僕はつまり、やつを観察するうちに、奴に憧れるようになっていた。彼のようになれたらどんなに良いだろうかと。その願いが叶わなくとも、彼の元で働くことができたら、どんなに良いだろうかと。その頃、僕を雇っていた男は、なんの魅力も持たない、つまらない人間だったから、なおさらそう思った。」
骨皮はうなづいた。そういう人間は確かに存在している。魅力を放つ、特別な人間。その場に存在していなくとも、人々の心の中で呼吸をし続ける、サンタクロースのような人間。そういう人間にもし一晩でもなることができたら、一体、どんなに幸せだろう?
「だけど、僕は殺し屋だ。奴を殺さねばならない。僕は苦しんだ。悩み抜いた挙句、僕はとうとう、覚悟を決めた。プライドも何もかも捨て去って、トルーマンに自分の正体を明かし、舎弟として受け入れてほしいと、そう頼み込もうと、決めたんだ。そして、あのイブの晩、倉庫に潜んでいる僕の前にサンタの格好をした彼が現れた…僕は彼の前に裸で飛び出して、土下座をし、どうか、僕を舎弟にしてください、とそう頼み込んだ」
骨皮はちらりとサイドミラーを見た。黒いリムジンがちらりと映り、すぐに追い越してきたトラックに隠れる。骨皮は、ハンドルを握る自分の手が、うっすら汗ばむのを感じる。
「しかし、トルーマンは、僕を拒絶したのだ。」
骨皮は息を飲む。
「僕は打ちのめされた。毎日のように、奴がいろいろな人間を快く受け入れ続けている光景を嫌という程目にしてきたのだから、尚更だった。敵であろうとも、自分に忠誠を誓うものは、受け入れる懐のある男と、そう信じていたのに。なぜだ?僕は尋ねた。すると、トルーマンは答える代わりに、僕を撃ち殺そうとしたのだ。僕はやり返すしかなかったー」
骸骨の触れられないピストルが、カーブの振動で床に落ちる。
「僕は死んだトルーマンを見つめながら、ただ悲しみも苦しみも感じることもなく、ただ、あることを為さねばならぬ、と云う思いにとらわれた。それは、彼に成り代わって、サンタの役目をせねばならぬ、と云うことだった。今宵一晩こそが、僕が彼に近づける、最初で最後の時と思ったのだ。僕は子供達へのプレゼントを背負い、サンタの服を剥ぎ取ると、相棒のポチとともに、夜の街へ飛び出した。しかし、そこで僕を待ち受けていたのは、怒り狂ったドンの部下たちであった。僕とポチとは蜂の巣にされ、線路上に放置されたのだー」
骨皮は黙って、ひっそりとした車道脇に霊柩車を止める。リムジンの姿はないようだ。
骨皮はサンタを霊柩車の後ろ側へ誘い、棺の中を開けて見せた。サンタは目を見張る。そこには死体の代わりに、色とりどりの新品のプレゼントの箱が、詰まっているのだった。
「トルーマンの最後のメモにあったリストを元に、プレゼントを買いました。判読不可能なものだけですが。」
サンタは又しても、それらの手触りを一つ一つ確かめるように、震える骨を伸ばした。
「どうです。私と一緒に、これらを配ってみませんか。もっとも、もう彼らは、中年になっていると思われますが。」
その誘いかたは、バーの片隅で、よく見しらぬ相手に向かって、酔った勢いで、どうです、一杯だけご一緒しませんか。という言い方と、何ら変わりなかった。
「どうです。冥土の土産に、いかがですか」
サンタは骨皮を見つめた。そこにはやはり何の感情も読み取れなかったが、しかし、骨皮はきっと彼が喜んでいるのだろうと信じた。
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それから骨皮と骸骨と犬を乗せた霊柩車は、夜の街を下っていった。そうして総勢15名の、もうすっかり夢も理想もくたびれ果てた、脂ののった中年の男女たちにプレゼントを配っていった。ただ静かに、穏やかに、見つからぬように、それを実行していくだけだった。つまり優秀な殺し屋のように。
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霊柩車は銀色に染まる住宅街を静かに滑って行く。それは漂流する霊魂のように見えた。プレゼントは、残りあと一つになった。骨皮は訳もなく胸が弾むのを感じる。
その時、突然、骨皮は黒塗りのリムジンに両側を挟まれていることに気がつく。骸骨サンタが悲鳴をあげる。
それは、ドン・トルーマンの手下たちだった!