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第三話 サンタクロース殺人事件 その4

 

 彼らが正面の倉庫のドアをノックすると、錆び付いた扉がギギギ、と開く音がして、中から白い、骨ばった手がヌッと現れる。そのあとから、赤メガネの老女が顔を出す。おどろおどろしい形相に、闇に溶け込む黒いワンピースを身につけている。彼女も、もれなく、死んでいる。


 骨皮はそっと窓を開けて、彼らの会話に耳を澄ました。


「お待ちしておりましたわ。主人の38回忌へ、ようこそいらっしゃいました」


「すみません奥さん、今年はこれだけしか集まらなかったもので。」


「まあ、十分すぎるほどですわ。これだけの方がまだこの世に残ってくだすってー」


「だがね奥さん、中にはぬけぬけと成仏しやがった、恩知らずのやつもいるんです」


「仕方のないことですわ。いなくなってしまったもののことを言っても、始まりません。さあ皆さん、どうぞ、中へ。中で主人が待ちくたびれておりますのよ。さあ、さあ!」


 どうやらこの客たちは、故人の法要に集まったものらしい。しかし、亡霊が亡霊の法要に集まるとは…なんという皮肉な情景だろう!


 骨皮はぞろぞろと倉庫の中に吸い込まれてゆく、総勢五十名ほどの男たちを見る。彼らは深くうつむいて、言葉ひとつ交わしあうことなく、一歩、また一歩と進んでいく。

 

 骨皮は、自分の格好を確かめた。骨皮の普段着は喪服である。これは日々遭遇する幽霊たちへの、骨皮なりのささやかな礼儀のようなものである。だから当然のように今夜も、黒々とした皺だらけの喪服を身につけている。

 

 ーあの中に自分が紛れこんでも、誰も変に思うものはあるまい。


 骨皮は死人と間違われるのだけは得意なのである。骨皮は急ぎ足、しのび足で裏口から飛び出すと、何とか列の最後に間に合った。


 前の男がちらりと骨皮の方を見やった。男の片目は潰れて閉じている。もう片方の目つきはキツネのように鋭く、指にはゴツゴツとした純金の指輪をいくつもつけている。骨皮は一瞬ドキリとするが、男は不審そうな顔ひとつすることなく、骨皮に向かって、そっとささやいた。


「なあ、あんた。毎年、ここへ来ると、なんだか、生き返った心地がするんだ。この気持ち、わかるだろう?」


「は、はあ」


「しかし、あの倉庫だけは、見ると、吐き気がするよ。ドンが殺されたあの倉庫ー」


 そう言って男は、骨皮が先ほどまで潜んでいた、向かいの倉庫を指差した。

 骨皮はハッとする。ノートにべっとり付いていたあの血はー


「さあ、どうぞ、中へー」


 透き通るような声にはっとする。扉を押さえている老女が、骨皮に向かって、抑えた笑みを向ける。頬はこけ、落ちくぼんだ瞳はどこまでも落ちてゆく穴ぼこのようだ。うなじから一本だけこぼれ落ちた後れ毛が、柳のごとくざわざわと揺れる。真っ赤な口紅と思ったものは、どうやら喀血の跡のようである。


 骨皮は震えを隠そうと、深くお辞儀をし、中へ足を踏み入れた。後ろで鉄の扉が音を立てて閉まった。


                        *


 中はムンとして、生暖かかった。内部は昭和のダンスホールといった様相で、巨大なクリスマスツリーが真ん中に置かれてある。真紅のテーブルクロスのかかった円形テーブルがあちこちに置かれ、その上には今にも消えそうな幻影のロウソクが灯されている。テーブルの周りで、亡霊たちがワイングラスを片手に、呆けたように立ち尽くしている。


 正面のステージは、ユリやランなどの花で埋め尽くされ、その真ん中に、男の遺影が飾られている。


 男はいかにも、裏社会のドンという顔つきをしていた。ニヤリと微笑んだ口元には縫ったようなあとがあり、薄い髪の毛をワックスで後ろへなでつけている。覗いた金色の歯は星屑のように光っており、腕には金の腕時計をこれ見よがしに装着している。しかし色付きサングラスの奥の目はどこかつぶらで、愛嬌さえ感じられる。


「本日はご多忙の中、またお足元の悪い中、主人の三十八回忌にお越しいただきまして、まことにありがとうございます…」ぼんやりしたスポットライトの下に、先ほどの未亡人が猫背に立って、亡霊たちを見下ろし、スピーチを始めた。


「皆様もご存知のように、主人は三十八年前のクリスマスイブの夜に、向かいの倉庫で、非業の死を遂げました。無慈悲の殺し屋の手によって、その命を奪われたのです…主人は確かに生前、その麻薬売買という仕事柄もあり、たくさんの人間の恨みを買っておりました。


 ですが、みなさまもご存知のように、主人はー主人は、心まで悪に染まり切るということはなかったのです。あの人は、真の優しさというものを持ち合わせている人間でした。頭を撃ち抜かれたあの時も、主人は施設暮らしの、親のいない子供たちのために、プレゼントを届けようとしていた、そのまさに直前のことだったのです。というのも、主人はその施設で育ったものでしたので…


 あたくしは悲しみに耐え兼ねまして、主人の後を追うように、一年後、服毒自殺をいたしました。そうしてこのように、無事にこの世の怨霊となって、今ここに立っているのです。あたくしは非常に幸福です。生きている時よりも幸福と言っても良いくらい。なぜなら、ずっと優しい主人と一緒にいられるんですもの!」


 亡霊たちから、一斉に拍手が巻き起こる。骨皮はその耳鳴りのような拍手に思わず身をすくめる。


「では、あたくしの前置きはこれくらいにさせていただきましてー次は、主人の挨拶でございます」


 すると、亡霊の観客たちが、口々に叫び出す。


「ドン・トルーマン!ドン・トルーマン!」


 骨皮はその熱気に身震いする。幽霊のものとは思えぬ、凄まじいエネルギーだ。傍らのロウソクの炎が、ひとりでに勢いよく燃え上がる。


 遺影の顔が、ニヤリと笑った気がした。どこからか陽気なジャズ演奏が聴こえてくる。一斉に電球とロウソクの炎が消えて、亡霊たちの間から狂喜の悲鳴があがる。穴という穴から、亡霊たちの熱気がなだれ込んでくる。骨皮は慌てて目を閉じ、耳を塞いだ。

 

 波が引いて行くように、すうっと悲鳴がやんだ。目を開けると、部屋は元どおりにーいや、もとより明るくなっている。天井の電灯がチカチカときらめき、クリスマスツリーの電飾が色とりどりに輝く。


 壇上でスピーチをする未亡人の横に、頭が半分吹き飛んだ、かの遺影の男が立って、未亡人のお尻を愛おしそうに撫で回している。その表情には、あの骸骨とは全く正反対の、慈愛と幸福とが浮かんでいる。未亡人は男と熱い抱擁を交わし、唇に長いキスをする。


 亡霊たちから、歓喜の拍手が巻き起こる。

 ドン・トルーマンは彼らに向かって、よく通る、力に満ち溢れた声で、こんな風に叫ぶ。


「わがかわいい兄弟たちよ。メリークリスマス、イブイブ!」


 ドン・トルーマンはグラスを空に向かって掲げる。先ほどまで魂の抜けたような顔をしていた亡霊たちは、すっかり満ち足りた表情になって、グラスを掲げる。どの顔にも、ドンとの再会に対する無限の喜びが浮かんでいる。骨皮は、いつの間にか自分もつられて、何も持たぬ片手を、空に向かって思い切り伸ばしていることに気がつく。


                       *


 骨皮は最初の方こそ正体がばれぬように、隅の方でじっと息を潜めていたが、やがて誰もがこれっぽっちも自分の方を気にしていないことに気がつくと、だんだん寂しくなってきた。もう帰ろうかとも思うが、もう少し手がかりが欲しいところだ。


 ドンはステージの下に移動して、彼の死を悼む部下らしい男たちと、楽しげに談笑を始めている。


「ドン、すいません、今年も奴が見つからなくて」包丁を胸に突き刺したままの男が言う。


「きっと、近くに潜伏してるはずなんですが。ドンをやったあの男ー」手足を縛られ、コンクリートの塊を足に括りつけられた、びしょ濡れの男が言う。


「いいんだ、いいんだよ。お前たち、そこまで躍起になるな。そんなことに時間を使う暇があるなら、もっと幽霊暮らしを楽しみなさい」

 

 部下に心から気を配る、良き上司の姿がそこにあった。ドブネズミン田中とは大違いである。

 骨皮は思わずジンとした。そして、少し、ほんの少しだけ、彼ら幽霊たちを、羨ましく感じるのだった。


 話を終えたドンが、こちらへ歩みよってくる。骨皮は慌てて居住まいを整える。髪を乱し、頬肉を噛み、死相を浮かべ、より死人らしくする。

 

 骨皮を見ると、お前は誰だね?と呟く。見たことのない顔だ。新人かな?しかし、なんとも、頼りなさそうな男だ。


 骨皮は、気分がすっかり高揚しているのに気付く。それは、昔、好きだった憧れの校長先生に、突然気さくに話しかけられ、舞い上がってしまった時の感じによく似ていた。


「すみません、どうも」骨皮が会長の目を見据えて謝ると、ドンは手を滑らせ、持っていたワイングラスを床に落とす。しかし、それは冥土のものなので、落下したところで傷一つつかない。つまり、それは彼の想念のようなものなのだ。骨皮はそれを拾い上げて、驚きのあまり固まる会長の手に戻してから、尋ねた。


「私、骨皮と申しまして。あのう、冥界ニュースの、記者のものです。」


「ほう。幽霊記者くんか。何の用だね?」


「実は、『クリスマスと殺人』シリーズで、あなたの事件を取り扱いたいと思っておりまして。被害者であるあなたに、いくつか、お伺いしたいのですが。」


「ほう。興味深いね。」


「二、三の質問で終わりますので、少しお時間よろしいですか」


「うん、構わないよ。」


 骨皮はドンの懐の大きい、見た目の怖さとは裏腹な、優しげな態度にホッとした。さすが、死後もこれだけの人間に慕われる大人物というだけのことはある。骨皮は自分がどんどん彼に魅了されていることを感じながら、先を続けた。


「まず、あなたの死後の経歴について、簡単にお伺いしたいのですが」骨皮はおずおずと尋ねる。


「私が死んだのは今から三十八年前だ。向かいの倉庫で、ある男にピストルで頭を撃ち抜かれた。敵に雇われた殺し屋さ。それから、大規模な組どうしの抗争があって、たくさんの部下が死んだ。みんな怨霊となってこの世にはびこり、クリスマスイブイブの夜から、毎年こうして集まるようになったのだ。と言うのも、皆このように、死んでからもなお、私を慕ってくれている。我々の絆はこのように、死さえも分かつことができないほど厚く、そして、海よりも深い」


「ほう、なるほど。よくわかりました。それで、あなたを殺した殺し屋に関してですが。あなたが死んだその日、彼はあなたを倉庫に呼び出したのですか?」


「いやいや、違う。奴はずっとあの麻薬倉庫に潜んでおったのだ。そうして、今か今かと、私を殺すチャンスをうかがっていた。私はそんなことには気付かなかった。

 私はあの倉庫に、銃とLSD、子供達へのプレゼント、それからコカインにマリファナを隠し持っていた。そして子供達へのプレゼントを取りに行こうとしたその時に、後ろからーばん!とやられたのだ」

 

 そう言って、ドンは、床の上に落ちている、一丁のピストルを指し示した。それは不自然に、足元に放り出されてあった。


「持ってみたまえ、君。」ドンが笑った。骨皮は何か、「触ってはいけない」という気がしたが、ドンの静かな威圧感に押され、言われるがままにピストルを手に持った。

 

 すると、みるみるうちに、ドンの顔が、タコのように、真っ赤に染まってゆく。骨皮はピストルを持ったまま、思わずあとずさる。そして、それが生者にしか触ることのできないものー

 つまり、現実のものだと気づく。ドンは骨皮を試したのだ。


「あの、お邪魔いたしました…」


 骨皮はくるりと背を向けて、必死に走り出す。幽霊たちが、骨皮の前に飛び出して行く手をふさぐ。血みどろのピアノが、狂ったような交響曲を奏でる。自分の生首を投げつけてくるものもいる。彼らは楽しげに、死のジングルベルを合唱する…


 骨皮はあまりのことにパニックに陥る。彼らは青白い歯を見せて、ケタケタケタケタ、笑っている。なんだこの幽霊たちはー生きている私よりも元気ではないか!


 不意に、発砲音がして、骨皮は恐怖に縮み上がる。振り向くと、ドン・トルーマンがツリーの上に立ち、架空の猟銃を手に、骨皮に狙いをつけている。


 撃てるはずがないのだ。撃てるはずがない、分かっているのに、それなのに、骨皮はあの存在しない銃弾が、自分の弱々しくも平凡な心臓を撃ち抜いてしまうのではないかという、おかしな錯覚にとらわれる。


「出て行け」ドンの声が脳内に響く。

 

 骨皮はいかつい喪服の男たちをかき分けて、暗く、冷たい世界へ飛び出す。


「ここはお前のくるところではない!」


 骨皮はその言葉に、締め付けられるような痛みを覚える。近づけると思っていたものに、撥ね付けられた苦しみ。結局、いつも自分はこうして、暖かい場所から締め出されてしまうのだ。




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