傘貸し屋と洗濯屋
橋の上で口の中にげんこつが入るくらいの大きなあくびをする。
寝ぼけた目をこすりながら、まだ暗く山に連なってうっすらと見えてくる光の線を見ていた。
今日は快晴だ。だから、傘貸し家である私は雨傘ではなく日傘を準備しないといけない。
とは言いつつも、もう準備は終わっているのだが。
え、まだ日が出てないのにどうして天気がわかるのかって? 経験則ですよ、経験則。
「おはようございます!」
突然の掛け声にびくり。
ぶんっと首を振って声の主を見てみると、洗濯屋のアヤノさんだった。
背にたくさんの洗濯物を背負っており、片手にはいろんな洗濯道具を入れているバケツを、もう片方にはでっかいへらを持っている。
「おはようございます。いい天気ですね」
「そうですね! 洗濯日和です!! これだけの良い天気だと、お天道様のにおいがする洗濯物にお客さんにかなり喜んでもらえるはずです!」
ちょっと吹き出してしまった。
「こほん、えっと、お天道様のにおいって……香りの方がいいのでは?」
「あ、そうですね!それではいつものように、橋の下を使わせてもらいますね!」
「ええ、どうぞ」
今日も彼女は元気いっぱいである。
この時間帯はこの橋の通行人は少ない。だから、少しだけ橋の上から彼女の仕事を見ていることにした。
彼女は洗濯板を持ち、よいしょ、よいしょ、と洗濯物を擦り付けていた。彼女の周りには洗濯物の山と二種類のかご、そして、洗濯ベラがある。
彼女たちは洗剤を使わずに洗濯することで、洗剤を使う洗濯屋に比べてかなり安い金額でサービスを提供している。そのため、庶民からの注文が多い。
それからしばらく、ご飯を食べながら彼女の仕事を見ていた。
ちなみに今日の朝ごはんは、固いパンと水筒に入れてきたけれどもう冷めてしまったスープである。もうすこし食事情はよくしたいのだが、なかなかに手に届くものが少ないのがこの界隈の常識だ。
まあ、お金を貯めているというのもあるのだが。ああ、金持ちはもっといいものを食べてるのだろうなあ。いいなあ、いいなあ、いいなあ……。
いま、彼女は平らな岩の上にいくらかの洗濯物を広げ、洗濯ベラでばんばんばんっとたたいていた。どうしてそういうふうにしているのか、理屈はわからないけれどそうやっていればよごれは落ちていくのだろう。
見慣れない人にはシュールな光景だろう。だって、川辺で腕まくりした女が岩の上に置いた服をでっかいへらで力いっぱいたたいているのだから。
服が傷む?そこらへんは彼女に聞いたらいいと思う。私はそちらの専門家ではない。
彼女、結構美人ですよ、お兄さん。話しかけてみてはいかがかしら。
なかなかにこの橋の通行人は来ないようだ。まあ、ちょうど日が昇ったところだし、これから起きてくる人も多いだろう。そろそろ私の仕事が忙しくなってくるころかな。
「お疲れ様です! これからそちらも仕事開始ですよね!? 頑張ってください! ファイトです! ファイトぉ!!」
洗濯を終えたアヤノさんが、また、来た時のような姿をしながら、おっきなへらを持った手でぶんぶんと振っていた。
彼女、案外力持ちである。腕相撲をしてみたら男の人も倒せるのではないだろうか。
「ええ、そちらもお疲れ様です。……とはいっても、また夕方来るんですよね?」
「はい!! また来ますのでよろしくお願いします!!」
そうだ、客の多い彼女はたくさんの服を洗濯しないといけない。
朝から晩まで洗って干して洗って干してを繰り返すのである。夏はいいだろうが、冬がかなりきつそうな仕事だ。
実際、この橋の下を洗濯の縄張りとしている彼女も、冬は死にそうな目をしながらカタカタ震えながらしてた。というか、別に冬は別の場所で洗えばいいものの、なぜ別の場所で洗わないのか、私にはわからない。
ちなみに、アヤノさんには悪いがここで洗うのは早朝と夕方とお願いしてある。私の仕事は、よく日の当たるこの長い橋を渡るための日傘や雨傘を貸し、時にはしゃべり相手として伴いながらサービスを提供していく、いわゆる観光業だ。
せめて橋を渡るときはいい景色を見て、良い気分でで渡ってもらいたいので、それゆえの配慮である。
ごめん、アヤノさん。
話は脱線するが、この一本の橋を占領しているチンピラ、と言っても過言ではない私たちの仕事ではあるのだけれども、特にここでの仕事はかなり大切なものとなっている。何せこの橋は貴族町と平民町を分ける大切な橋でもあるからだ。
特に用もない平民が貴族町に入らないようにするための番として、そして、貴族町で起こっている出来事を情報屋に流す情報源としての役割も担っているのである。
正直、演技がうまく腹黒くて肝が太くないとやっていけないよ、この仕事。なかなかそういう人が少なくて、うちは人手不足なのです。誰か入ってはくれませんかねえ。なんなら私が教育していくっていうのも一考。いや、めんどくさいや。
話を元に戻そう。
「では、それが終わって洗濯物干した後にでも、食事にでも行きませんか? 昨日、庶民思いの貴族の方に平民町のおいしい酒屋を教えてくれたんですよ。かなりおすすめみたいなので、行きませんか?」
「はい! いきます!! 絶対行きます!! あ、この間は奢ってくださったので今回は私が奢りますよ!!」
よし、乗ってくれた。美味しい晩飯(ただ飯)は確保されたし。
「それでは、今日もお互い頑張っていきましょうね」
「はい!」
今日の仕事は、気分よくできそうだ。だって、おいしい晩飯(ただ飯)が待っているのだから。
あら、鼻歌が出ちゃった。いけないいけない。
「う~ひどいですよ~こんなに高いなんて……」
アヤノさんがプーって膨れながら机にぶっ潰している。かわいい。
しかたないよね、貴族のおすすめなんだから。まあ、私は一回その貴族と来たことはあるのだが。(そこでもただ飯だった。人の金で食う飯はうまい)
「まあ、でも、手に届かないって程ではないじゃないですか。ほら、食べませんか? おいしいおいしい鍋ですよ。あ、ねえさん安くてうまいビールを一本ください」
彼女をなだめながら、おばちゃんに注文する。
このおばちゃん、ねえさんではなくおばちゃんっていうと、殴られる。しかも、腰が入った一発。
前回来たとき、彼女のパンチでぶっとんだ大男を目撃したよ。怖いよ、怖いよ、おばちゃん。
「あいよ……でも、安くてうまいってねえ、おいしいビールは高いからおいしいんだよ。一応、ましなビールは渡しておくけど、おいしいもの食べるのにそんなにけちけちするんじゃないよ!」
高いからおいしい。確かに、じゃないとそのおいしさは保証されないからか。納得した。でも、私は安くておいしいものを求む。けちけちするのが私の本分だからだ。
まあ、ここは素直に従うんだけどね。あのパンチ食らいたくない。
「はーい」
そういって、投げられたビール瓶一本受け取った。私が落としたらどうするんだろう。食べ物を粗末にするなーって言われて、ぶっ飛ぶかな。そんな、理不尽な、私はまだ死にたくない!!
冗談はポイって置いておいて。
「ほら、ビールつぎましたし、乾杯しましょうか」
「えーい、もうこうなったらやけくそだ―、もうリャウコさん煮るなり焼くなりしてください!!」
「あはは、そこまでたべませんよ」
そういえば、長い付き合いだがこうやってお酒を飲み合うのは初めてかもしれない。いつもは美味しい料理を食べて、きゃっきゃっと世間話をしていくのだが。
今夜は彼女との晩酌を堪能しようと決心し、乾杯をして食事を楽しんだのだった。(酒が入ってしまったせいか、ほぼ内容がお互いの仕事の愚痴という暗い話だったのだが)
翌朝、私はいつも通り橋の上でまだ暗く山に連なってうっすらと見えてくる光の線をぼーと見ていた。
「ぉ早うございます」
「わっ」
いつもは元気な声とは違ってぬっとした暗い声をかけられて、驚いてしまう。
「だ、大丈夫ですか」
「……ええ。仕事はできますよ。仕事は」
アヤノさんが死にそうな顔になっていた。二日酔い……かな、これは。なんて声かけるべきだろう……。
「とりあえず、ここにスープがあるので、もらってください」
「はいぃ」
とりあえず水代わりに渡しておいた。朝ごはんが減るのだけれど、まあ、親友のためには仕方がない。早く元気になって欲しいしね。
「今日は私も手伝いますから、ほら、その洗濯物よこして!」
「……すみません」
「あと、ほらこれつてでもらった酔い覚ましですから、飲んでください。少しはましになるでしょ」
「……ありがとうございます」
「礼はあとです。まずは仕事です仕事。あ、今度は私が奢りますよ。あなたの大好物でも食べに行きましょうよ。いいお店でも探してきてください」
「はいぃぃ」
その日はすごく大変だった。
まず、洗濯を手伝ったあとどうしても彼女が心配だったから、同業者にお願いして朝の番を変わってもらい、彼女を職場の洗濯屋さんに連れて行った。
それから、自分の職場に戻るとびっくりするほど人がごった返していた。今日は貴族町でイベントがあるようで、その参加者であるようだ。お客様がいっぱいである。
結局、朝ごはんも昼ごはんも食べずに仕事に忙殺され、夕方になってやっと開放された。ヘトヘトで潰れていた私のもとに、朝とはうって変わって笑顔なアヤノさんが登場し、「約束ですよ~今から行きますよ~」とおんぶされて、たっかい蕎麦屋さんに連れて行かれましたとさ。
ああ、私のへそくりが……。
ここまで読んでくださりありがとうございました。誤字脱字等あれば言ってください。
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2017/3/8 内容の修正/誤字修正
2017/5/11 内容の大幅修正
2017/5/19 内容の修正