家族のために上手にミルクを温めたい
両親は少し頭がおかしいと思っている。
母の職業は作家で父の職業は画家で、独特の世界観と価値観を持ち合わせているのが、頭がおかしい原因なのかもしれないと気付いたのは、結構前の話。
リビングのソファーに座り、紅茶、珈琲、と単語を繰り返す二人を見て、私は溜息を吐いた。
三人掛けのソファーの左半分に母が座って、右半分に父が座る。
定位置かよ、なんて思いながらも真ん中はポッカリ、一人分が開けられていてむず痒い。
二人の間が私の定位置らしく、それを譲る気のない二人に、二度目の溜息を吐く。
「かなちゃんもおいでよ。珈琲と紅茶、どっちが良いか議論しよう」
リビングを後にするべきか、それとも気にせずにキッチンへ向かうべきか、迷っているうちに声が掛けられた。
声の主である母は、相変わらず光のない黒目をしていて、そこに私を映している。
些か娘への対応としては威厳に欠けるが、母はそういう人だと思う。
締めるところ以外は基本緩い、緩過ぎるのだ。
父も私に気付いたらしく、柔和な笑顔を浮かべて手招きをしている。
巻き込むな、私を巻き込むな。
切実に思うのに、どうしようもなく私の足は三人掛けのソファーへ向かい、背もたれを跨いで中央に腰を下ろす。
「……それで、今日は何」
左側の肘置きに腰を預けてこちらを見る母は、二、三回程瞬きを繰り返してから、するりとその視線を父の方へと移した。
私もそれに習って父に視線を向けると、笑顔がキョトンとしたものになって、あぁ、と頷く。
「このパウンドケーキには、紅茶と珈琲のどっちが合うかって話をしててねぇ」
ふんわりと柔らかく笑って答えた父だが、その内容は本当に下らない。
百億当たりました、みたいな迷惑メールくらいに下らない。
思い切り顔を顰めた私を見て、父は情けなく視線を逸らすけど、母は珈琲と呟く。
父は人の話を聞くのが上手いが、議論が上手いというわけではない。
逆に母は相手の話を聞きながら自分の意見を言うのが上手いので、議論向きだろう。
よくこの二人が結婚して私を産めたな、と思うのはこれで何度目だろうか。
目の前にあるガラスのローテーブルの中央には、ホール状態のパウンドケーキが置かれていて、私達に食べられるのを大人しく待っている。
どっちでも良いから、早く決めて食べれば良いのに。
じっとパウンドケーキを見つめれば、母は「かなちゃんはどっちが良い?」と問い掛けてくる。
先程の呟きからして母は珈琲らしく、そこを踏まえた結果父は紅茶なのだろう。
別にどっちでも良いし、ウチのキッチンは母にとってのお城になりつつあるので、珈琲も紅茶も大量に在庫がある。
種類豊富だし、インスタントでもティーパックでも、茶葉でも豆でもあるじゃないか。
「好きなの飲めば良いじゃん」
長い前髪を指先で払いながら答えれば、母が緩く首を振った。
私と同じくらい長い前髪もそれに合わせて揺れて、その奥の黒目が私を射抜く。
何でも見透かす水晶玉みたいな透明度だ。
「折角のお茶の時間だよ。ボクは同じものを共有したい」
子供みたいな言い分だし、一人称がボクだった。
母のおかしいところは、学生時代からあまり変わらないらしい中身のせいでもあるのだろうか。
時折一人称がボクになり、意固地になる。
それに対し父は、表情筋を緩めるから気持ち悪い。
容姿は美人と言っても差し支えない、寧ろ贔屓目なしに綺麗な母は、残念だ。
中身が伴わずに議論好きでマイペースで、変に意固地になったり意見を歪めない。
作家は皆変なんだよ、と昔聞かされたことがあるが、それは他の人達に失礼だと思うと返しておいた。
可愛いなぁ、なんて声が右側から聞こえてくるので、溜息で書き消し立ち上がる。
ちょっと待ってて、響いた私の声に両親とも顔を見合わせた。
元々喉を潤すためにやって来たのに、何で巻き込まれてるんだろうか、疑問が残る。
それでもキッチンへ向かい、冷蔵庫を開けてお目当ての牛乳を取り出す。
低脂肪、なんてわざわざ大きく書かなくても私は気にしない。
と言うか、両親とも気にしてないだろう。
年齢の割には容姿全体が変わらない二人を見て、私もあんな風に若さを保てるのか、と思った。
三人分のマグカップを取り出して、並々に注ぐ。
マグカップもティーカップも種類豊富なのは、母の意向でお茶を楽しみたいから、らしい。
因みにそんな母は自身の食には疎く、自分一人ならまず栄養補助食品で済ます、やはりおかしい人だ。
逆に父は飲み物よりも食の方が関心があり、母に変わりお弁当を作ってくれた日には、周りに見られるのが恥ずかしくらいに可愛らしいキャラ弁を作ってくれた。
芸術家肌なんだね、と言えば、照れた様に笑ったけど年頃の娘の気持ちを考えて欲しかったのも事実。
やっぱり父もおかしい人だ。
砂糖の入ったケースを取り、それぞれのマグカップに大さじ一杯をどぼどぼ。
更に追加で塩を一つまみ。
この塩で味変わっているのかは、正直不明。
そうして三つまとめてレンジに突っ込んで温めるだけ。
飲み物一つ作るのにも性格が出ると、私は思う。
シンプル・イズ・ベストを地で行く私としてはこのタイプのホットミルクで満足だが、凝り性な母は手鍋を取り出す上にホットレモンミルクだったりホットキャラメルミルクだったりが出てくる。
父はそのホットミルクに刻んだチョコレートを入れる一手間タイプ。
両親揃って芸術家肌なせいか、なかなかに面倒なことを好むらしい。
理解出来ない、と項を撫でたところで、レンジがチーンッと軽快な音を立てる。
開ければ牛乳特有の匂いが広がって、マグカップ三つから湯気が溢れ出た。
流石に三つまとめて何て持てないので、お盆を取り出し乗せて運ぶ。
そうすれば、おやまあ、と言わんばかりに目を瞬く母に、不思議そうに小首を傾ける父。
どれも無地の色違いマグカップ。
黒を父に、白を母に、灰色を私に。
「ハイブリッドだね」
「作ちゃん」
「ごめんよ、かなくん」
マグカップを受け取って一言目がそれか、と思うがそれを咎めたのは父で、肩を竦めて謝罪する母。
その謝罪には心は込められていない。
再度三人掛けソファーの中央を陣取った私は、左右の両親に溜息を吐きながら手掴みでパウンドケーキをもぎ取った。
左からは感嘆の声が、右からは悲鳴混じりの声が。
それらを無視して口の中に入れたパウンドケーキは、両親の議論のせいで少しパサついている。
もそもそと咀嚼して飲み込み、熱いホットミルクを一口。
「美味しい」
私を見ていた両親が幸せそうに笑った。