第一章 6. クイズの答えと美貌のダークエルフ
双子が考え込む表情を見せて黙り込んだところで、ようやく目的のレストランに到着した。
レストランというよりは大衆居酒屋という雰囲気か。RPG風に言うなら酒場である。
ローランの御用達だが、借金を背負ってからは特別なときのみしか来れないらしい。
「さ、入りましょ」
ローランを先頭に扉を開けて中に入ると、顔馴染みらしい店員がいらっしゃいませとローランを出迎える。
ツレの顔ぶれ―――特に特大サイズのシルバーの体格を見て、壁際にベンチ席のある奥まったテーブルに案内された。
テーブルとテーブルの間をぞろぞろと通って行く間にも、シルバーや双子の容姿は客たちの注目を浴びていた。
一ヶ月ほど前、キヨが初めてローランにこの店に連れてこられた時にはまるで空気のように誰の視線も感じなかったというのに。
いや、今もキヨは空気だ。いつものことだし気にするのはやめよう……。
「あ、そういえば」
席についてから、キヨはふと思い出した。
「クイズの答え聞いてないぞ!」
目立たないモブ顔が役に立つという双子たちの前職当てクイズである。
「ああ、あれな」
「殺し屋だよ」
クリーニング屋だよ、とでも言うような気軽さで双子は答えた。
絶句したキヨをよそに、メニューを手にしたローランと双子たちは楽しげに料理の検討を始めた。苦手な食材はないというヴェイグラントたちの意見を聞きつつ、ローランがおすすめの料理をいくつかウェイトレスに注文する頃になって、ようやくフリーズしていたキヨの脳細胞が活動を再開した。
「あのぅユエさんシンさん? それって結構特殊なご職業なのでは…?」
「まあ日本人にとってはそうかもな」
「キヨは知らないかもしれないが、アメリカでは人口の約1/3くらいは殺し屋がいるって言われてるんだぜ?」
絶対嘘だからーーーーーっ!! そこまで世間知らずじゃないですからぁあーーー!!
むぅっと顔をしかめるキヨを覗き込んで、双子はにやにやと笑っている。
「なんて顔してるんだよ。アメリカ人てのは約4割が銃を持ってるような国だぜ?」
「日本では考えられないようなことがまかり通ってたりするんだ」
「たとえばこのナイフ」
「俺たちはこいつをほんの子供の頃から使えるように訓練されてきたんだ」
「そんなのはアメリカじゃあ普通だ」
「射撃訓練は毎日の日課だった」
「10歳の頃には長距離射撃用のライフルだって使いこなしてたんだぜ」
「そのおかげで地球BではT-REXみたいなモンスターだって倒せたんだ」
絶対嘘だとわかっているのに、双子の真ん中に座って腕組みで話を聞いているシルバーが真面目くさった顔でうんうんと頷いたりしているので、キヨは己の常識がわからなくなってきた。
え? アメリカってそうだっけ? あれ? 銃は確かに一家に一丁とかって聞いたことあった気もするし…。あれ? ――――あれあれぇえ??
キヨの脳みそが目まぐるしく真偽を考え込む様を思う存分眺めたあとで、双子はさも楽しげな笑い声を上げた。
「やばいキヨからかうのが面白すぎてクセになりそうだ」
「お前全然モブなんかじゃねーよ。面白すぎる」
シルバーにすがりつくようにして笑いこけている二人である。
「………それくらいにしとかないと、さしもの温厚な俺でも若干気分を害しちゃうよー」
地を這うような声でキヨが呻くと、ようやく二人は笑いを収めてキヨに目を戻した。
「まあでも、アメリカ以外の部分は全部ほんとなんだけどな」
「銃所持率んとこはほんとだろ?」
「ああそうだっけ?」
兄弟たちのやり取りからすると、……えーと? 殺し屋だの訓練だのT-REXだののくだりは全部ほんとってことに……?
とりあえず、考えることをやめたキヨだった。
料理がやってくると、どれが美味しいこれも旨い、といった話に花が咲いた。ローランからもたらされる食材の特産地などの話も面白く、一行は大いに飲み食いを楽しんだ。
ちなみに、メンバーの中で酒を嗜むのはどうやらローランだけらしい。
双子曰く、「俺たちはウワバミだし酒を旨いと思ったこともないからカネがもったいない」ということらしい。
キヨは未成年なので飲酒経験がない。せっかく異世界に来たのだから飲んでみようかという気にもなったが、ローランが勧めてくる酒はやたらきつい匂いがしてあまり飲みたい気分になれなかったのだ。
驚いたことにシルバーも酒を飲んだことがないのだという。だったら飲んでみようかという話になったのだが、なぜか双子が微妙な顔をして、今日はやめとこうぜと勝手に自分たちと同じソフトドリンクを注文してしまった。
アルコールでますますおネエ口調が冴え渡るローランだけでも賑々しいのに、酒がなくても騒がしい面々なのでとくに問題はない。
そんなこんなでしばらく楽しい時間を過ごし、テーブルの上の料理もあらかた片付いた頃。
店の中の雰囲気が突然変わった。スイングドアを開けて数人の客が入ってきた瞬間、一瞬だが店内から音が消え、すぐに別のざわめきに満たされた。店中の視線がその客たちに集まるのがキヨたちの席からもわかった。
「あれってもしかして……」
顔だけ振り返り見た先には、びっくりするほどのイケメンが。その特徴のある容姿は、ドーン生活ほんの一ヶ月のキヨでも聞いたことがあった。実際に目にしたのは初めてだったが、あれは…。
「あれは『ジオ・ギルド』のレヴァインね」
ローランがささやき声で答える。
やはりそうだった。
レヴァイン・グラシャラス。キャセラと並ぶジオギルドのトップステラだ。
浅黒い肌に白銀の髪を持つダークエルフで、双剣の使い手だという。
容姿、実力ともにキャセラと並び、ジオの金と銀の双璧と称されていた。
指定席ででもあるのか、レヴァイン御一行は案内されるまでもなく、奥の席にまっすぐ歩いてきた。酒類を出すカウンターを挟んで、向かいの壁際である。
「相変わらず綺麗ねぇ~~~♥」
「あれはエルフ…?」
ローランのうっとりしたつぶやきに、ユエが小さく尋ねた。
「彼はダークエルフよ。肌の色以外の外見的特徴はエルフに似ているけど、全く別の種族」
「随分と色男だな」
シンの感想に、ローランは組んだ両手を嬉しそうに左右に振りながらそうでしょそうでしょと頷いた。
「エルフもそうだけど、ダークエルフも美麗なことで有名なのよぉ。その昔は王国や貴族たちの慰みものにされたって歴史もあるくらい。奴隷制が残っていた時代は、ダークエルフは一番の高値がついたそうよ」
テラの語る昔というと、百年や二百年じゃすまない場合がある。奴隷制がいつの頃の話なのかまったくわからないまま、ヴェイグラントたちは話を聞いていた。
「なんでだよ。エルフの方が品があって値が張りそうなのに」
「エルフもそう多くはないけど、ダークエルフはとっても少数民族なのよ。谷底の種族と呼ばれていて、居住地域が限定的だったのね」
「希少価値ってことか」
「今でもダークエルフはとっても珍しいのよ。この街だと、テラの数より少ないくらいじゃないかしら」
「へぇ、それでこんなに有名人だなんて、あいつすごいやつなんだな~」
ジオギルドでトップということは、キヨにとっては天上人も同然の雲の上の人である。それを「あいつ」呼ばわりとは。
やはりこの双子は侮れない…。
そう遠くはない席だ。向こうまで聞こえていやしないかとヒヤヒヤしながらキヨがちらりと振り返ると、黒鈍色の瞳とバチッと目があった。
――――聞こえてる聞こえてるぅぅうう~~!! あれ絶対聞こえてるってぇええ!!
ばっと首を元に戻し、だらだら冷や汗をかきながら向かいの席を見ると、双子に両隣を挟まれていたシルバーが、二人に腕を回してギュッと抱き寄せるところだった。
「どうしたシルバー?」
「なんだよヤキモチか~?」
「俺たちがあいつを褒めたのが気に入らないのか?」
「バカだな~お前が一番に決まってるだろ~」
どうやら双子のラブパワーに勝るとも劣らないベクトルで大男の青鬼も双子にぞっこんであるらしい。
ピンク色のオーラを振りまきながらスリスリと大きな胸板に頬擦りをするユエとシンを、シルバーの長い腕が力強く抱きしめた。
傍から見ているとまったくいい加減にしやがれと砂を吐きたい光景である。
背後の気配に冷や汗をかいていたことも忘れて「ケッ!」となるキヨだった。
「ケッ!」という気分になったのはキヨだけではなかったらしい。
キヨの冷や汗の原因が、後ろの席で声を上げた。
「この店はいつからこんなに客層が悪くなったんだァ? 酒が不味くなる」
聞えよがし、というほどではないが、はっきりとこちらの席にまで聞き取れる声だった。恐る恐るキヨが振り返ると、レヴァインが高く組んだ長い脚の向こうからこちらを睥睨していた。
容姿以外の人となりに初めて触れたキヨだったが、「もしかして意外とガラ悪い…?」というのが第一印象。
「カマ野郎が固まって気色悪いったらないぜ」
掠れた低い声が追い打ちをかけるように言った。黒鈍色の瞳がギラリと店内の照明を反射している。どう見ても挑発する気マンマンである。
この段になって、店の中はしーんと静まり返っていた。
――――えええええっ!? どどどどうすんのこれ! 早いとこ店出た方がよくね!??
ひぃっとなって再度首を元に戻すと、こちらはこちらでやばい雰囲気が漂い出していた。
――――そういえばあの人ローランの禁止ワード言っちゃってたよねぇ!?
笑顔のまま固まっているローランのこめかみが、小さく波打っているのに気づいてしまう。双子は双子でシルバーの両脇にぴったりと張り付いたまま、目つきだけ剣呑になってカウンター越し、壁際の席にガンを飛ばしていた。
「い、いやほら……あれだよ、もうお腹もいっぱいになったしさ、そろそろお開きにしようかなーなんて、な? ……――――な?」
目配せどころか似合わないウィンクまでバチンバチン送りまくるキヨ。
しかしそれに応えてくれる常識を持ち合わせたメンバーは誰もいないのだった。
ゆらりと立ち上がったのはユエとシンの二人だった。
最後の頼みの綱とばかりにシルバーを見遣ったキヨの願いもむなしく、青い鬼の青年は二人の髪をひと撫ですると少し心配そうな顔をしながらも送り出してきた。
「なあお前ケンカ売ってんの?」
「売ってるつもりなら買ってやるけど」
いっそ静かな口調で切り出した双子は、その美貌にうっすらとした微笑を貼りつけながら目は少しも笑っていない。
進み出てきた二人を見て、それまで椅子の上で脚を組んでふんぞり返っていたダークエルフの青年もゆっくりと立ち上がった。
「なんの話だ? 俺はただ酒が不味いって話をしてただけだぜ?」
こちらも男らしい美貌に形ばかりの笑みを貼りつけているが、その鋭い眼差しにはひとかけらの温かみもない。
――――これはあれだ。よくあるチンピラヤクザのいちゃもんの付け合いシーンだ。「あァんどこ見てやがんだオイ」「んだとコラやんのかコラ」「いい度胸だちょっとこっちこいやァ」「すかんしてんじゃねぇぞオラァ」てなステレオ展開で殴る蹴るに発展していくアレだ!
この場合種族間の言葉は通じてない方が争わなくて済んだのかもぉおおお!?
キヨが脳内現実逃避している間にも、事態は刻々と進展。
長身のレヴァインとキヨより背の低い双子はカウンターを回り込んで接触を果たそうとしていた。
――――まずいまずいまずいまずいまずいーーー!
いくら双子が強かろうと、ステラに敵うはずがない。しかも相手は最強ギルドのトップステラ。一流中の一流ステラだ。
パニックが頂点に達しようとしたとき、キヨは思ってもいない行動に出た。
自分でもあまりにも思いがけなくて、一瞬何が起きたのかわからなかったくらいだ。自分以外の誰かが行動を起こしたのかと思った。
だが動いたのは自分で、キヨの身体は、なんとレヴァインと双子たちとの間に立ちふさがっていたのだ。
「―――えっ」
間抜けな声を上げて呆然と目の前の浅黒い顔を見上げてしまう。
「…なんだおまえは? 雑魚はすっこんでろ」
脳内パニック再び! 間近で感じるトップステラの威圧感にガクブルでもらしそうだ。
「あ…、あの……お、俺は…」
なにをどう言えばこの場を収められるとかそんなことを考える余裕などあろうはずもない。キヨは小刻みに震える左手を体の前に突き出し、手の甲を上に向けた。
「あ? なんのつもりだ?」
差し出した甲の上に、うっすらと光が生まれる。
それはステラなら誰でも知っている、ステラとしての位階の証〈ステラバッジ〉だった。
テラと契約をしてステラになると、誰もがその証を授かるのだ。
光は手の動きに合わせて小刻みに揺れながら球形を描く。そこにはテラの文字で、キヨのLvやステータスなどが光の線となって球を形作っていた。
本人の意思でいつでも手の甲の上に浮かび上がらせることのできるものだ。
だが、普通他人の目のあるところで―――特に他ギルド員の前で見せるものではない。たとえその相手にテラの文字の素養があろうとなかろうと、だ。
――――なにやってんの俺ぇぇぇええーーー!?
「こ…、この二人はステラじゃない。まさかステラでもない一般人に喧嘩を売ったりしないっすよね? 天下のジオギルドの双璧ともあろう人が…」
震えて聞き取りづらい声でキヨは言う。
「もし売るなら、俺にしてください。これでも俺は…俺なら、一応ステラすから…!」
啖呵を切るにもあまりに情けない有様ではあったが、それでもキヨはそれだけ言うと左手を下ろしてレヴァインをキッと睨みあげた。
――――マジでなにしちゃってんの俺ぇぇぇええーーー!?
内なる叫びと行動とが全く不一致な状態のキヨは、目の前の眼差しが一層険しくなるのを見て人生の終焉を確信した。
―――終わった…。マジ終わったわ………。
「なめてんのかてめぇ…!」
レヴァインの手がキヨの胸ぐらに掴みかかってくる。ステラの腕力で手加減なしだと衣服もろとも引き裂かれるほどになるはずだが、さすがに軽く持ち上げる程度に加減はされていた。が、キヨは喉がぐっと詰まって息ができなくなる。
「…っぐぅ…っ!」
そこへ、背後からするりと四本の手が伸びてきた。
「それじゃこうしようぜ」
「お前相手にキヨ一人じゃバランス悪すぎるだろ?」
「相手はこいつプラス一般人の俺たち二人だ。三対一でもトップステラ様なら余裕だろう?」
ちょうど耳の後ろ、左からユエが、右からシンが囁くような声でレヴァインに告げる。首が締まって聴覚も制限されていく中で、キヨの耳にはまるでセイレーンの歌声のように大きくなったり小さくなったり、魔的に響いた。
見下ろした視界の中では、左右から伸ばされた手が浅黒い肌の大きな手に重なっていく。どういう目の錯覚か、まるで白い蛇がしゅるしゅるとその身を伸ばして絡みついていくかのような光景だった。
ほどなく、キヨの身体は解放された。
本当に蛇に触れられたかのように、レヴァインの手がびくりと竦んだようにも思えた。
ゲホゲホと咳き込みながら、キヨはもう一度レヴァインを見上げた。
「……いいだろう。一人が三人になろうとなんのハンデにもならないがな」
据わりきった黒鈍色の瞳が三人を射抜いてきた。