第一章 11. ダンジョン・ダンジョン
『ローラン・ギルド』の活動内容は単純だ。
ダンジョンでポーションなどの材料を仕入れる。薬を作る。そして売る。
資金が不足するときは材料集め以外の探索を増やし、逆に余裕のあるときは新薬開発などをすることもある。
現在の薬剤師はローラン一人。
新規入会したストレンジャーズはどれも調薬にまったく興味を示さず、素養もない。
「とりあえず材料集めは任せとけ。ローランはひたすら作る! 寝る間も惜しんで作る! 俺たちがいない間もサボんなよ~」
「ええぇ~寝ないとお肌が荒れちゃうぅ~」
「嘘つけ。朝になればピチピチになるって前に自慢してたじゃん」
「あァん鬼ィ~! こないだだって在庫一掃とか言って全部ジオギルドに持ってっちゃうし」
「売れもしないもん置いといたってしょうがないだろ。先行投資ってやつだと思え」
「あ、あとこないだ言っといたダンジョン用の携帯食料も試作しといてくれよな」
「シルバーが考えたレシピ美味そうだったよな。早く試食したい!」
双子のサラウンドトークにキヨもローランもすっかり馴染み、いつのまにやら会話を挟めるレベルになっていた。
「んじゃいってきまーす!」
「気をつけてね! いってらっしゃ~い」
バタバタと装備を整えると、四人のギルド員たちは今日のダンジョン探索に向かった。
「なあお前らってさ、髪型変えたり服の色変えたりする気ねぇの?」
常に同じ服、同じ髪型の双子はキヨにはまったく区別がつかない。どうも区別がつかなくても誰も困らないように行動しているらしいので、実質の被害はゼロではあるのだが。
「うーん、ずっとこれで過ごしてきたしな~」
「シルバーはどうせ関係ないし」
「え、関係ないって、どゆこと?」
「こいつって出会ってから一度も俺たちを取り違えたことないんだぜ!」
「な!」と自慢げに言いながら双子はシルバーの手を片方ずつ握り、子供のように振りながら歩く。ただでさえ目立つ容姿なので大通りなどを歩いていると人目を引いて仕方ない。が、これについてはキヨはもう諦めた。
なにをどうしたってシルバーは目立つし、双子は双子でシルバーとイチャイチャして歩くのが楽しくてたまらないらしいし。
「まあどうしてもってんなら考えるけど」
「どうしてもってかさー、せっかく名前あんのに、どっちかわかんなくて呼べないからさ」
手をつないだ三人の前を歩きながら、キヨは振り返り振り返り言った。
「それにダンジョンの中で咄嗟に注意を喚起する、なんて場面があったら、やっぱどっちかわかった方が便利だと思うんだよねー」
「まあ、それもそうか」
「シルバーはどう思う?」
「お前たちの好きにしろ。どんな格好でもお前たちは綺麗だ」
「「シルバー! 愛してるぜェ!」」
後ろを振り返るのが怖くなったキヨは、それから街を抜けるまで黙って前だけを見て歩くのだった。
新規加入者三人を加えたキヨのダンジョン探索は、劇的に変わった。
なんといっても、初日でLvが三つも上がったのである。およそ半月でLv3にまでしかならなかったキヨがである。
だがその代わり、キヨにとっては死と隣り合わせと言ってもいいほどの過酷な冒険となった。
なぜなら…。
「ちょ…いきなりなにしちゃってんのぉおおおお!!」
入口でまず、双子はシルバーの両肩に座った。そしてあろうことか、シルバーはキヨを姫抱っこしたのである。
「それはいつか現れる俺の王子様のためにとっときたかったのにィイイイイイ」
できれば金髪のあの人のためにぃいいい。
「口を閉じてろ。舌を噛む」
―――あ、はい。
真上から降ってきた渋い声に従って、キヨは口を噤んだ。直後、ものすごいスタートダッシュでシルバーが走り出した。
「シルバー、これってパワーアップしてる?」
「あんま変わんなくね?」
「キヨがいるからこれ以上は無理だ」
―――なんで双子は普通に喋ってんだよ! ってか俺いなかったらどんだけハイスピードォオ!??
もともと並みのステラをしのぐ強さだった双子は、どうやらステラになってから自分たちがどう変わったかを実証実験したいらしい。
腕力と走力ぐらいしかその実力を知らないが、シルバーについても同様のようだ。
キヨはそれにつき合わされる羽目になっている、というわけだ。
数日経った今では姫抱っこでの移動にも慣れてしまった。といっても、慣れたのは移動だけで他は慣れられるわけがない。
初日に行ったことのないショートカットコースに連れて行かれたところから始まって、ジェノサイドテディクラスのモンスターが出る区域まで何のためらいもなく駆け抜けていく連中である。
キヨは悲鳴の上げすぎで喉を嗄らし、恐怖のあまり失神し、びっくりしすぎて何度も心臓が止まりかけた。
ほとんど戦闘らしい戦闘もしなかったというのに初日にLvが三つも上がったのはどう考えても戦闘以外の『経験値』―――たとえば恐怖体験とかか?―――のせいとしか思えない。
それでも、キヨは新しい冒険の日々が楽しかった。
パーティーの仲間と過ごすというのに、やはり憧れがあったのだ。
湖畔でローラン手製の弁当を食べ、双子たちと軽口を叩き合い、泣きながらモンスターから逃げ惑う。
そんな日々が。
だが、その日、ダンジョンの入口まで来ると双子は言った。
「このままじゃ埒が明かないな」
「ああ。どうにもうまくない」
「よし、二手に分かれよう」
「そうだな。仕方ないか」
―――えええーっ!! それってまた俺ぼっちってこと!?
一挙にパラメーターダウン、キヨのテンションがだだ下がった。というか、双子にダメ出しをされたのだということがキヨにはショックだった。
そんな風に言わせた自分が悲しく、腹立たしく、情けなかった。
反論したくてもできないおんぶに抱っこの自分では何も言えない。
―――比喩にもなってねーし。姫抱っこ上等だぜチクショウ…!
こっそり泣きそうになっていると、思わぬところから反対意見が飛び出した。
「ダメだ。俺から離れるな」
シルバーである。
―――ふぇ?
「大丈夫だシルバー。キヨもいるんだからそんな危険な区域までは行かない」
「だが…」
「俺たちの強さはお前が一番知ってるだろ?」
渋るシルバーの首にするりと四本の白い腕が絡められる。いつのまにか大きな体によじ登っている。
「お前を倒したのは誰だ?」
「お前を地面に引きずり倒してやったのは誰だった?」
思わず赤面したくなってしまうような顔と囁き声で、双子がシルバーに尋ねる。
―――なんでそんなエロい訊き方すんだよぉお?
「お前たちだ」
シルバーは観念したように答えた。
「そうだ。俺たちはお前より強い」
「俺たちに負けてお前は俺たちの男になったんだ」
ニンマリと笑った双子たちが、左右からシルバーのエルフ耳をかじる。
見ていられなくなったキヨは、真っ赤になってくるりと背を向けた。
と、ふと気づくと彼らは周囲のダンジョン探索者たちの注目の的となっていた。
―――そういやここダンジョンの入口だったわ…。
あらゆる意味でいたたまれなくなったキヨだったが、逃げ出すこともできず、その試練に耐え続けるのだった。
結局、双子の言う『二手に分かれる』の内訳は、双子の片割れ+シルバー&双子の片割れ+キヨという組み合わせだった。
キヨにとっては杞憂だったわけだ。
この日キヨと一緒に来てくれたのはシンだった。
「なーに心配してたんだよ」
「だってさぁ…」
ニヤニヤ顔で問われて、キヨは口を尖らす。
「お荷物になってる自覚はあるんだぜ、これでも」
「手っ取り早くダンジョンの奥に進みたいならもとからジオギルドに行ってるよ。俺たちの楽しみ方は俺たちで決める。お前はお前のペースで進め」
「シン…ありがとな」
「礼を言うのはまだ早いぜ」
そう言って先を促され、キヨもダンジョンに歩を進めた。
現在のキヨのLvは10。最序盤のモンスターなら気をつけていればやられることはなくなった。
シンがまず向かったのは、その最序盤の区域だった。Lv帯で言えば1~5といったところ。
「まずは基礎だ。お前は無駄が多い、それと意識が間違ってる、あとは…なんだろ? とにかく全部直す」
「お、おう。……ん? 意識って何?」
道すがら出会うモンスターをシンのナイフがさくりさくりと一撃づつで仕留めていく。片手間というよりすでにただの反射とでも言うべき自然さだ。
会話に滞りはまったくない。
「お前ってさ、モンスターと出会ったとき大概怯えてるだろ」
「そりゃあお前、相手はこっちを殺す気マンマンで向かってくるわけだし」
「それがダメなんだ。そういう怯えは相手に伝わる。怯えを見せるならフリだけにしとけ」
「フリだけってもなあ」
一角カピバラですらものすごい殺気で向かってくるのだ。初めて相対したときはマジで腰が抜け、通りすがりのパーティーに助けてもらった。あのパーティーが通りがからなかったら、今頃Lv1帯で死んだステラとして名を残してしまっていたかもしれない…。
「そこで意識改革だ!」
シンは倒したモンスターたちをキヨに示し、スフィアを回収させた。
「モンスターに出会ったらカネだと思え!」
「人を見たら泥棒と思えの親戚か? あーまあでもその感覚は理解できる。ゲームだと序盤はセコセコ雑魚モンスター狩ってまず最低限の装備費用を貯めるんだよなー。あの作業感がハンパない感じ、嫌いじゃねーよ?」
「そうだ。お前はまず装備費用を稼ぐことだけ考えろ。そのおんぼろ装備だけはどうにかしなきゃ」
ギルドの屋根裏で拾った長剣をちらりと流し見てシンが嘆息した。
「ちょっと貸してみろ」
手を出されて、長剣を手渡す。刃こぼれ錆びつきなんでもござれの粗悪品だ。
「ひっでーな…」
彼はそう呟くと、ぽいっと道端の茂みにそれを投げやった。
「ちょ…っ、いくらなんでも捨てなくたって…!」
「とりあえず今日はこいつを使え」
キヨの抗議など聞く耳も持たず、シンは自分の得物を渡してきた。
―――おぉ~、じつはちょっと触ってみたかったドデカナイフ!
「さすがに持ち重りすんなぁ。ぅひょお~かっちょえ~」
ブンブンと振り回していると、一角カピーが一匹こちらにやってきた。
「あ、はい」
すぐに返そうとすると、シンはカピーに顎をしゃくって受け取らなかった。
「使えって言ったろ」
「え、でもシンの武器がなくなっちゃったじゃん」
「もちろんお前が倒すんだよ。全部」
「全部ぅ!?」
「そら来るぞ」
「わっ、わっ…!」
そこからはのんきにおしゃべりなどしている余裕はなくなった。たとえLv1~5の低Lvモンスターだろうと、ちゃんと殺傷能力のある牙や爪を持っているのだ。Lv10のキヨがよそ見しながら戦える相手ではない。
「そうだ、体の中心線を狙え」
うまくナイフがカピーの懐に入ると、シンが声をかけてきた。ボクシングのセコンドのようだ。
「また来たぞ」
連盟の初心者講座によると、モンスターの弱点はいくつかあるという。まず挙げられるのが体の中心に埋まったスフィアだ。モンスターにとってエネルギーの源だとか命そのものだとかいろいろ言われているが、こいつを砕くと身体自体が消えてあとにはスフィアだけが残る。
次に挙げられるのが、心臓、首、脳、内臓など。ビーストタイプのモンスターは基本的に普通の動物と同じようにこれら体の主要器官にダメージを受けると絶命する。脊椎動物に類似したタイプは大体同じだ。
他に、ビースト系以外の特殊形態のモンスターはそれぞれの弱点が別個にあるらしい。連盟に申請すればLv帯ごとのマップ攻略講座が受けられるので、きちんと予習して臨むことを最初に強く勧められた。
そういうところもゲームっぽいなと思ったものだ。
だがゲームとリアルは違う。
キヨは切れ味鋭いナイフを振り回しながら、飛び散る血やそれ以外の体液、肉片などにできるだけ意識を向けないようにしていた。
蚊やアリなどならともかく、こんな大きな動物の命を奪うことをキヨはこの歳になるまでしたことがないのだ。
少しは慣れてきたといっても、まだまだ殺すこと自体に恐れを感じる。
「怯むな! 奴らはカネだ! カネだと思うんだ!」
―――カネ、こいつはカネだ、カネだぁああ!
「もっと重心を低く! そうだ、敵の動きをよく見ろ。―――そこだ、突け! いいぞ、今の感じを忘れるな!」
まずますセコンドっぽくなってきた。
「ぅおりゃぁあああ!」
「今のはダメだ。ちゃんと中心線を狙え」
渾身の一撃をダメ出しされる。しかし確かに中心をそれて倒しきれていなかったので、もう一度狙い定めてナイフを突き出す。カピーが動かなくなったのを確かめてから、周りを見回した。敵の姿はない。
「途切れたな」
そう言うと、シンは手早く地面に転がった死骸のスフィアを回収して回った。すべて回収し終えると、キヨの方へ戻ってくる。
「もう少しコンパクトに構えろ。無駄が多いと初擊が遅れる」
ナイフを持った手に手を添えられ、動きのイメージをなぞられる。
「こう。そしてこうだ。―――こっからこんな感じで次に繋げる。膝と腰は常に低めにして、どうにでも対処できるようにしておけ」
ポイントポイントを押さえて指示されるとわかりやすい。
「おっす!」
返事で気合を表現すると、いいタイミングで次のモンスターがやってきた。
「よし行け!」
セコンドアウト。カーン!とゴングが鳴った。
ジャブ! ジャブ! 右ストレート……かーらーの、右フック!
「変な動きつけんな! さっき教えたみたいにやれ!」
せっかく雰囲気を出していたら、さっそくダメ出しを食らう。ボクシングスタイルをナイフでやったのがまずかったらしい。
仕方なく、キヨは真面目に第二ラウンドをこなした。
教えられたことを忠実に、「あれはカネ、あれはカネ」と唱えながら殺生の感覚をなるべく麻痺させ、キヨがどうにかカピーの群れを難なく対処できるようになると、シンは次のステージへとコマを進めることにした。
「丹下の旦那、俺にはまだ早えーよ!」
「誰だよ丹下って。…大丈夫だ、次って言ってもゴブリンまでだ。今のお前ならいける」
―――さすがにこんな美形をあの出っ歯の親父に喩えるのは無理があったか…。
ネタスルーとともに訴えも退けられ、二人はLv6~10の区域へ場所移動することになった。
カピーの姿は消え、このあたりはゴブリンの根城となる。ゴブリンは棍棒や石斧のような武器を持つモンスターだ。
まだまだ弱いモンスターとはいえ、武器と武器との戦いというのもキヨにはまたプレッシャーとなる。
「いいか、初撃を受けようと思うな。先手必勝だ」
キヨは片手剣の戦闘スタイルなので、左肘から甲にかけて小さなシールドを装備している。革バンドで固定しているのでそれほど邪魔にはならない。
敵の攻撃を受けるときはこのシールドで受け止めるのだが、シンからさっそく禁止令を出される。
ゴブリン相手だとつい腰が引けてガツンともらってしまい、体勢が崩れて危ない目に遭うという黄金パターンができつつあるので自分でもどうにかせねばとは思っていた。
しかし。
ガツーン!!
「だから受けんなっつってんだろ! 行け! 攻めろ攻めろ攻めろ!!!」
正面からシールドで受けた衝撃を殺しきれずにたたらを踏んでいると、目の前に迫ったゴブリンがまるでこちらをあざ笑うかのような表情を浮かべて攻めてきた。
「こんの……ゴブ野郎がぁああ! 調子に乗るんじゃねぇええええ!」
人間に近い感情表現を示すゴブリンにマジギレして、キヨはシールドを力任せに押し返すとシンの声に後押しされるようにナイフを連続で突き出した。
引きつったような喘鳴をもらしてゴブリンが倒れる。ピクピクと痙攣するのへ、「止めを刺せ!」の指示のもと心臓へ一突きして絶命させた。
「次来るぞ! 怯むな! ゴブもカネだ。カネが走ってくると思え!」
「ぅおおお! カネぇえええ!」
初撃をもらわないためにはこちらから接近しなければならない。キヨは怖気を振り払って駆け出す。振り下ろされるタイミングを外すために、それより前の間合いでゴブの武器を持つ肩へ一閃、シールドでめちゃくちゃに押しまくりながら目の前に迫った腹へナイフを突き刺した。
手応えあったぁ!
「まだだ!」
シンの声にハッと見ると、血まみれの腕で棍棒が振りかぶられていた。
咄嗟にナイフを引き抜いてもう一度今度は心臓へ! その瞬間、耳元でパシッとなにかが弾けるような音がした。
一瞬、やられたのかと瞑ってしまった目を、すぐに開ける。キョロキョロと辺りを見回すと、目の前に絶命したゴブリンの死骸が倒れていた。
ハッハッと短い息を継ぎながら体を起こす。
―――今のはなんだ…?
「次、団体さん来るぞ!」
「えっ!」
ダンジョンの曲がり角からやってきたのは、思い思いの武器を手にした四匹のゴブリン。跳ねるような足取りでこちらへやって来る。既にキヨの存在は捕捉されていた。
「うそぉ! あんなに対処しきれるわけねーだろ!!」
カピーはそうでもないのだが、ゴブはときとして生意気にもパーティーでやってくる。このLv6~10区域はダンジョンの最初のデッドスポットと呼ばれており、ソロの初心者が命を落としやすい場所として知られている…らしい。
「大丈夫だ! 今のお前ならやれる!」
シンの無責任なセコンドが聞こえる。無根拠もいいところだ、と訴えたいがもうそんな余裕はなかった。シンは武器を持っていないし、自分が戦うしかない。
キヨはナイフを構えると腰を低く落とし、つま先に力を入れた。
「ぅらぁあああああ!!!」
数を頼りに優位を確信している様子の先頭のゴブに突撃。キヨが全速で突っ込んでくるとは予想していなかったのか、一匹目はあたふたした動きをした。ほんの一瞬のことだったが、キヨの目はちゃんとその動きを捉えられた。胸の中心にナイフを突き立てると、肉を抉る感触とカツンという手応えのあと、そいつは突然消えた。
右手に持ったナイフ周りで、スフィアの結晶がパラパラと散った。
「―――…ッ!」
一気に場の空気が殺伐としたものに変わった。
残った三匹のゴブリンは歯を剥いて威嚇の唸りを上げる。さっきまでのこちらを侮っていた油断が消え、十分に警戒した慎重な動きになっていた。
――――ぅあああ、あのまま油断しててくれれば良かったのにぃいい!
まるでチンピラに囲まれる高校生の図である。
―――洒落んなってねーし全然笑えないから!!!
背中側だけは敵がいないが、前面に三匹のゴブ。どうやって戦えばいいのかキヨには見当もつかない。
内心の困惑を気取られたのか、左右から同時攻撃が来る。
左はシールドで、右は剣で受ける。そしてガラ空きとなった正面から、当然石斧が迫ってくる!
「左手で剣を支えろ! 両手で持って踏ん張れ!」
シンの声が耳に届いた。ただでさえ左右に二擊も受けて踵が踏ん張りきれないくらいなのに。それでもここが踏ん張りどころ、とキヨは意地を見せる。言われたとおり棍棒を防いだ左をぐっと正面に引き寄せて右手に添える。右は右で別の棍棒を防いでギリギリとした攻防を続けていた。
「よし半歩下がれ!」
―――無茶苦茶言うなぁああ!
と思いつつ、低い体勢を維持していたキヨの体はどうにか半歩分下がることができた。
間一髪のタイミングで、正面からの石斧が振り下ろされた。キヨの足元に、棍棒二本と石斧がめり込む。
「あっっっぶねぇえええ…」
飛び退るようにしてキヨは数歩間合いを取った。
「シールドは正面から受けずに必ず外側に流すように角度をつけろ。剣も基本の動きは同じだ。敵の動きをよく見ろ。隙を逃すな。そのナイフと自分の力を信じろ」
セコンドの冷静な声がキヨの心にも平静さをもたらす。
短いレクチャーではあったが、確かに今日は今までにない手応えをキヨに感じさせていた。落ち着いてやればなんとかなる。やれなければ死ぬだけだ。
ふぅーっと息を吐き出し、キヨはナイフを構えた。腰を低くし、少しずつ右側に移動する。じりっじりっと土を踏む音。あちら側からも同じ音。ゴブリンもキヨに合わせて円を描くように移動していた。
そのまま1/4周ほどしたとき、左側のゴブが攻め込んできた。キヨもすかさず左へ。反時計回りにじりじりしていたところへ、キヨだけが反転した格好だ。
大振りの攻撃を、シンに言われたようにシールドに角度をつけて左側へ滑らせるようにしながらゴブに接近。ためた右腕のナイフでガラ空きの心臓へ一突き。
「一匹ィ!」
崩れ落ちる一匹目のゴブの首を左手で掴んで、次いで突っ込んできた石斧のゴブへ思い切り押し付ける。仲間の死骸に邪魔され、そいつは思うように石斧を振るえない。血がべったり付いたナイフを連続で突き出すと、石斧のゴブはたたらを踏むようにして逃げ惑った。
思った通りに一匹目を倒したことで少し気をよくしていたキヨは、つい逃げたゴブを追ってしまった。一瞬の判断ミスが命取り。連盟の初心者講座で耳タコに聞いた警告。だがそう思い知るのはいつだって後悔するときなのだ。
気づいたときにはキヨの右斜め上方から、もう一匹のゴブが振り下ろした棍棒が迫っていた。
―――これ、俺死んだかも………。
スローモーションのように迫り来る棍棒をただ見ているしかなかったキヨの耳に、またあの音が聞こえた。
ヒュ…ピシッ!
どこか小気味良いその音の出処を、ついにキヨは見た。
「じょ…女王様ぁああああああ!?」
シンの手に握られた長細い黒い紐状のもの―――SM女王様の必須アイテム・黒革の鞭―――が、棍棒を持ったゴブの首を無慈悲に締め上げていた。
「よそ見してる暇ねーぞ!」
シンの言葉でハッと首を戻すと、一度は逃げた石斧のゴブが必死の形相で迫ってきていた。
「ぅおおおお!」
突進、回避、攻撃! やっとつかんできたリズムを刻んで、どうにかこうにか三匹目を倒しきる。
荒い息を吐きながら恐る恐る振り返ると、やはり見間違いではなかった。地面に引きずり倒されたゴブリンが己の首に絡みつく鞭を外そうと必死にもがいている。その先に、鞭の柄を握った女王様―――いやシンがいた。
「あのぉ…シンさんそれはー…」
「あれ、見たことないか? これは鞭だ」
「いやもちろん知ってっけど。いや実際に見たのは初めてってくらい日常生活では見かけない―――やっぱ鞭ナンデスネ」
黒革のジャケットをはじめ服も装備品も黒が多い双子なので、黒髪や黒い瞳と相まって大変似合っている。むしろ似合いすぎてて怖すぎるというだけだ。
「早くとどめを刺してやれ」
シンに言われて、泡を噴いて失神寸前の哀れなゴブに引導を渡してやった。
「南無南無…」
思わず両手を合わせてしまうキヨである。
シンは屈んでスフィアを取り出す作業をする傍ら、そのアイテムの解説をしてくれた。
「地球Bにいたときに、俺たちはふと某アクション映画の考古学博士を思い出したんだ。そんで使い始めたらサバイバル生活では思いのほか役に立ってな。それ以来コイツは手放せないんだ。ユエも同じものを持ってるぜ。まあ、地球Aでは夜のお楽しみぐらいでしか出番がないんだが」
「………!!!!」
ついキヨの脳裏にイケナイ映像が思い浮かんでしまった。
―――ま、まさかあのシルバーが…………!?
「といってもコイツは頑丈すぎてそっちの用途にはちょっと使えないんだけどな。コイツはカーボンファイバーとチタン合金を織り込んだ特殊繊維の特注品だ。前はただの革製のを使ってたんだが鬼に引きちぎられちゃってさ」
シンは手首を軽く振ると、鮮やかな手さばきで鞭を手元に引き寄せて折りたたんだ。腰のベルトに上手く装着できるようにしてあるらしい。
「それはともかくとして。さっきは途中まではなかなかよかったぞ。最後の場面で残りの一匹にまで注意がいってれば言うことなかったな。さ、それじゃ続きといこう」
「えーちょっと休憩入れねぇ? 九死に一生を得ちゃったからなんか疲れちゃったぜ」
「そりゃちょうどいい。今後そういう目にあった時のための訓練だ」
にべもなく言い、シンは少し先の通路まで行って数匹のゴブリンを引き連れてきた。
「ちょお……!」
否応なく戦いの渦中へ再投入されるキヨ。
「キヨなりのペースでいいとかなんとか言ってなかったかぁあああ!?」
「俺の中のキヨはできると叫んでいる。さあ行け!!」
―――過大評価もいいとこだぁああああ!!
その後も本当に危なくなったらシンは鞭でヘルプを入れてくれたのだが、ピシィッという鋭い響きはゴブリンだけでなくキヨの心臓も恐怖で縮み上がらせるのだった。
―――ううっ、夢に見そう…。
昼食もすっとばして特訓は続き、日が西に傾き始めた頃、ようやくキヨは入口まで戻ることを許された。この日の特訓でキヨのLvは二つ上がった。
「キヨ、ほら水」
「ありがと…」
ダンジョン入口のアーケードにあるベンチで、ローランから持たされていた弁当を食べていると、シンが飲み物を用意してくれた。ズタボロ状態のキヨはもう一歩も歩きたくなかったのである。
「街で武器を見繕わないとなー」
隣に座ってこちらも食べ始めたシンが言った。
お前がポイ捨てしたからだろ!と思いつつ、キヨは黙ってもぐもぐと食べ続けた。だが実際、シンのナイフを一日使ってみて武器の大切さをしみじみ実感したのも事実だった。
「シンのナイフ、すげー使いやすかった」
「だろ?」
シンが嬉しそうに破顔する。
「これはニューヨークの友達が選んでくれたもんなんだ。だいぶ前にもらったんだけど、結構長く使ってる」
「ふーん」
「片手剣がいいんだよな、お前。だったらこれよりもうちょっとでかい方がいい気がするけどな」
「そういうのって自分ではわかんねーなぁ。剣なんて持ったことすらなかったし」
「敵が大型化してくると体格的に俺たちみたいなのは不利だからな。まあ得物がでかすぎて自分が振り回されるようじゃ本末転倒だろうけど。実際持って、使ってみて、自分でいろいろ確かめるといい」
「うん、そうする」
腹も膨れ、午後の日差しの下ぼんやり風に吹かれていると、ここがダンジョンであることを忘れてしまいそうだ。キヨは目を閉じて食後の一服を満喫した。
「お、来た」
シンの声に目を開けると、森の切れ目から肩にユエを乗せたシルバーの大きな身体が出てくるところだった。
R15…しといてよかったですね^^;