第一章 10. ジオギルド
ドーンの目抜き通りから東の中通りへ少し入り、そこからさらに北に二ブロックほど行くと、白い塗装の門扉が現れる。地域としては中流住宅地、ドーンでもミッドタウンに位置する。
そこがジオギルドの本拠地だった。
道に面しているのは門だけで、左右には別の家が立ち並び肝心のギルドホームは表からはよく見えなかった。
数百年単位で続くギルドにはよくある話で、街の造成や新開発などの都合によりおかしな形の敷地になることも多かった。それを機に引越しを繰り返す新し物好きなギルドマスターもいれば、ジオのように古くから住む場所を移りたがらない頑固者もいる。
門から続く常緑樹の並木道を進むとようやくギルドホームである屋敷が見えてくる。古い様式で建てられた前玄関に、増改築を繰り返してきたと思しき色や系統の違う壁や柱が各所をつないでいるのが見て取れる。一見しただけでは全貌が全く掴めない。一言で言い表すなら、迷宮屋敷。この屋敷を本拠地とするギルドがダンジョン(迷宮)攻略を目指す探索系であることも絡め――迷宮屋敷と呼ばれていた。
屋敷の裏手から、鋭い剣戟の音が響き渡ってくる。
攻略系ギルドらしく、迷宮屋敷の敷地内には訓練場があるのだ。
半屋根のついた射撃訓練場、モンスターを模した数体のカカシが立ち並ぶ近接訓練場、それから一番広く取られているのが無手の組手訓練や武器を手にしての実践訓練のできる対人訓練場。
今、そこで手合わせをしているのはジオギルドの金と銀の双璧と謳われる金髪と銀髪の青年たちだった。
普段はギルド員たちが自主訓練に励んでいるこの訓練場も、今はトップステラたちに遠慮してか、二人の他には誰もいない。
銀髪の青年――レヴァインの手にはわずかに刀身の反った双剣が握られている。構えは重心が低く、その優美な姿にはそぐわないほど野性的だ。その長い手足を生かした攻撃はしなるように相手の手元で伸び、己の体格を熟知した者の動きである。
一方の金髪の青年――キャセラは長身の片手剣の使い手だった。こちらも恵まれた体格をしており、上段から振り下ろされる剣の威力は凄まじい。動きの優雅さに惑わされるとその重い一撃で簡単に石畳に沈められてしまう。
二人は無言で息詰まる攻防を繰り返していた。
訓練とはいえ真剣を使った勝負でもある。二人のLvはほぼ互角。多少の怪我も覚悟の実践訓練だった。
キャセラの長剣がレヴァインの右手剣を薙ぎ払う。勢いを殺しきれずにレヴァインの体勢が流れる。まっすぐにそれを追う長剣。だがそれはそうと見せかけたレヴァインの左手剣の必殺の間合いへの誘い。レヴァインの剣が唸りを上げる。キャセラの胴を貫くかに見えた片手剣は、しかし空を切る。誘い込まれたかと思ったキャセラの体は、さらにレヴァインの間近へ。いつのまにかたぐり寄せられていた長剣の切っ先が、レヴァインの顎下へ。そこで二人の動きはぴたりと止まった。
「…くそっ!」
止まった長剣を鋭い剣戟を響かせてレヴァインの双剣が弾いたところで、二人の間に張り詰めていた緊張の糸がほどけた。
「そろそろ休憩にするか」
気づけばもう数時間も訓練を続けていた。息が上がるというほどではないが、二人とも流れる汗で服がぐっしょりと濡れていた。
用意しておいた布で汗を拭いながら息を吐き出す。長時間緊張感にさらされていた神経が少しずつ緩んでいく。
ダンジョンは魔物の領域だ。長い歴史の中、時間をかけて少しずつ攻略し、出現モンスターやダンジョントラップの情報を集めても、不測の事態は必ず生じる。数日間モンスターに追い回されるような事態だって起こりうるし、実際にそんな事態に幾度も遭遇した。
ステラになって身体能力、体力ともに尋常を遥かに超えることができたとしても、それを支える精神力や胆力といったものはたゆまぬ努力によって培うしかない。
それはトップステラと持ち上げられている二人とて同じこと。いや、決しておろそかにはしないからこそのトップステラの地位、というべきか。
「―――あいつら、来ると思うか?」
「彼ら……か。どうだろうな」
この数日間、街はその話題でざわついていた。キャセラが直接勧誘したから、というのもあるしそれ以外でも彼らは各所で話題をさらっているらしい。
曰く、ダンジョンをありえない速度、ありえない強さで駆け回っていた、だの。
曰く、彼らはストレンジャーで、見たこともないような異世界の発明品をドーンにもたらした、だの。
もちろんレヴァインとの喧嘩騒ぎもそこに加えられる。
「彼らは本当に一般人だったのか?」
直接手合わせをしたレヴァインに、キャセラが尋ねる。キャセラが到着した時には勝負はついてしまっていたので、彼らの戦いぶりをキャセラは目にしていない。
「俺が戦ったのは双子の方だけだぜ。青い肌の大男は見ているだけだった。双子の方は…感触では際どいな。戦い慣れしているのは確かだろう。だがステラにしちゃ力が弱すぎる。手を抜いてたって可能性もあるけどな」
「ステラ契約を解いている状態なのかも」
「だがストレンジャーだって噂じゃねぇか」
「異世界からの来訪者…か。彼――シルバーと言ったか、彼もそうなのかな…」
「お前はあのデカいのに随分とご執心みたいだな」
「チラッと見ただけだけど、あんな理想的な戦士の体格を初めて見た。レヴィだって、彼ならぜひうちのようなギルドに必要だと思うだろう」
体格だけなら確かに滅多に見ない逸材と言える。だがただのでくのぼうだったら目も当てられない。
レヴァインにとっては、どちらかというと実際に拳を交えた双子の方が興味をそそられた。
「ありゃハーフエルフだろう。なんとの混血かは知らねぇが、要するに中途半端ってことだ」
吐き捨てるように言ったレヴァインの言葉にキャセラは眉根を寄せた。
「ハーフエルフが中途半端だとは思わない。……そうか、彼はハーフエルフなのかな。だけどストレンジャーに亜人種はいないって聞いた気もするし。だとしたら彼は一体…?」
「さぁな。もしここに来ることがあったら、そんときに聞きゃあいい」
レヴァインがそう口にしたとき、二人の目が同時に屋敷の方へ向いた。建物の方からこちらへ駆けてくる人影があった。若いギルド員だ。なにやら慌てた様子で手を振り、二人に向かってなにか叫んでいる。
「―――…ましたーっ!」
彼もステラの一員ではあるので、そうしている間にも二人のいる訓練場へ駆け込んでくる。
「来ましたぁ!! 例の、ストレンジャーたちです!!!」
息を継ぐのものどかしそうに若者は叫んだ。
礼儀を失わない最低限の最速でキャセラとレヴァインが応接室に駆け込んだ時、そこには予想外の光景が広がっていた。
「いようお二人さん」
親しげに手を挙げて声をかけてきたのは、双子のどちらか。
「ああ、キャセラにレヴァイン。待っていたんだ。えーと、彼らはお前たちの知り合いだと言うんだが…」
ソファでストレンジャーたちの相手をしていたらしいミシェが顔を上げた。
ミシェは獣人種のステラで、ギルドの資材管理を受け持っている。ダンジョン攻略の際ギルドで公式に持っていく装備やアイテムなどの調達管理が主な役割だ。
「ミシェ、これは一体…?」
キャセラたちが面食らったのは、応接テーブルの上に所狭しと広げられたアイテムの数々だった。特に、薬系のアイテム――ポーションや毒消しなど――が多い。
ミシェの対面のソファに腰掛けているのはシルバー一人で、双子ともうひとり――喧嘩騒ぎの時に怪我をしていたローランギルドのギルド員は、品物をテーブルの上に並べている最中だった。
「俺たちはローランギルド商会から営業にやってきたのさ」
「このギルドはダンジョン攻略をしてるんだろう?」
「つまり薬屋にとっては大得意さまってわけだ」
「だけど聞いた限りじゃ最近はライバル店にみんな持ってかれちまってるっていうじゃねーか」
「そこでこうやって売り込みにやって来たってわけ」
「まあ今日のところは俺たちも初めての営業活動なわけで、顔見せのご挨拶程度だ」
「今後の活動に役立ちそうなサンプル品を置いていくんで、よかったら使ってみてくれよ」
立て板に水の流れるようなセールストークを披露するのは双子の二人。左右に分かれて息もつかせぬ完璧なコンビネーションで喋られるので誰も口を挟めない。
サラウンド効果を知らない異世界人たちも、身をもってその効果を実体験してしまう。
と、中で一番目立たなかった黒髪の少年が、ぺこりと頭を下げた。
「あー、えーと、ご挨拶が遅れました。俺はローランギルドの本庄清澄って言います。いきなりでほんと申し訳ないんすけど、せっかくお知り合いになれたのもなにかのご縁―――つまりあちら風に言うと袖すり合うも他生の縁ってやつでして。あ、ちなみに俺たちはみんなストレンジャーなんすけど。そ、そんなわけで、よかったらこれから懇意にしてもらえたらなーって思ってます。い、以上っす……!」
こちらは双子に比べて随分と緊張している様子だ。
顔立ちも雰囲気も至って平凡で、キャラの立ちすぎている面々を見たあとではちょっとホッとするくらいだ。
「君たちは…、結局ローランギルドに加入したということかい?」
キャセラがまっすぐシルバーを見て言った。シルバーはちらりとそちらへ目を向けると、こくりと頷いた。
そのシルバーのもとへ、双子が歩み寄っていく。二人はソファには座らず、大きく広げたシルバーの両膝へと腰を下ろした。
「そう、俺たちは今朝ローランギルドのギルド員になった」
シルバーの左腕を持ち上げてその手を掲げ、その左右にさらに自分たちの左手を添える。そして三人の手の上に、ゆっくりと光の玉が浮かび上がっていった。
「お前ら……」
そう呟いたのはレヴァインだった。
その場にいる全員が固唾を飲んで見つめる中、三人の〈ステラバッジ〉が衆目に晒された。
とはいっても、先日キヨが晒したのとほぼ同じ、スッカスカの生まれたてほやほやLv1のステラバッジである。
「本当に一般人だったのか…」
二人はステラバッジを消すと、思わずというふうに呟きをもらすレヴァインのもとへ軽い足取りで近づいていった。
「よぅレヴィ、こないだはどーもな」
「いやーさ、でかいギルドだと縛りが多そうだから」
「自由を愛する俺たちにはローランとこぐらいユッルユルの方が性に合ってると思うんだよね」
「まあでも違うギルドになってもこれから仲良くしてこーぜ」
二人揃って目の前に立たれ、同じ顔で見上げられる。普段のレヴァインなら馴れ馴れしいと一蹴するところだが、どうにもこの双子には調子を狂わされてしまう。
「立場わかってんのか…? 違うギルドってことは敵も同然…」
「敵ィ? こんなでっかいギルドが俺たちみたいな弱小ギルドいじめるなよ~」
「それに、聞いてる分には、お前たちのライバルは同じダンジョン攻略系の『サーヴェス・ギルド』や『メニエ・ギルド』なんだろ?」
「うちは薬舗ギルド。いい協力関係が築けると思うぜ? な、キャス?」
突然話を振られたキャセラは、唐突な愛称呼びもあって珍しく面食らった顔で「あ、ああ」と肯定ともなんともつかない返事をしてしまう。
「いずれにしても今日は挨拶と、もうひとつの野暮用のために来ただけだからそろそろお暇するよ」
双子がそう言うと、シルバーがソファから立ち上がった。間近で接すると、やはり大きい。長身のエルフ族なども不自由なく過ごせるように屋敷はかなり大きな作りにしてあるが、それでも天井に頭頂部がつきそうなくらいだ。
キャセラはシルバーを獲得できなかったことを改めて残念に思った。
終始ストレンジャーたちのペースに乗せられっぱなしのままだったが、ここにきてどうにか立て直すとキャセラは問い返した。
「野暮用、というのは?」
「ああ…」
双子は少し身を引くような仕草をして、キャセラの前の道をあけた。
そこにギクシャクとした動きで進み出てきたのは、先ほどの黒髪の少年だった。確か、ホンジョウキヨスミ、と言ったか。
「い、一ヶ月前、ドラゴンから助けていただいて本当にありがとうございました。一度きちんとお礼を言いたかったんだけど、なんか言い出せなくて。……あの、あの俺っ、」
真っ赤に紅潮した必死な顔で少年は口を開く。
そのセリフに、キャセラは「ん?」となる。一ヶ月前? ドラゴン? 助けた? それらのキーワードが、頭の中でもやもや~っと形をとり始める。
「と、とりあえず借金返済から頑張りますからぁああ……っ!!!」
だが、続く最後のセリフで霧散してしまった。
力いっぱい叫んで縋り付くような眼差しで見上げられて。
ローランギルドに莫大な借金があるという噂は本当だったらしい。つまり、この営業活動も借金返済の第一歩ということなのだろう。
「礼を言われる覚えはないけど、とにかく頑張れよ!」
キャセラはその美貌に爽やかな笑顔を浮かべると、少年の肩に力強く手を置いた。
「は……はい……」
少年はその手にびくぅっと体を揺らし、赤かった頬をどこか生気のない色に変化させると、やがて意気消沈した声で返事をした。
そのまま、扉の方へ歩いて行く少年を見送り、キャセラはなんとなく首をかしげる。
まずはシルバーが大きく屈んで扉を抜け、ついで少年が。最後に双子が部屋を出ていこうとして、ちらりとキャセラを振り返り、
「お前………最低だなァ」
「いつか後ろから刺されるタイプだな……」
そう言い残して扉が閉められた。
「………え?」
しんと静まり返っている応接間で、キャセラは最後の双子の言葉がどう考えても自分に向けられているように思えて、固まった。
最低、とか、後ろから刺される、とか。かなり聞き捨てならない言葉である。
背後から聞こえてきたクックックという含み笑いの声に振り返ると、レヴァインが意地の悪そうな顔でキャセラを見ていた。
「なるほど……。こないだどっかで見た気がしてたんだ。あのギルドマスターのセリフもようやく合点がいったし」
「どういう意味だ、レヴィ?」
「そこまで言われてその反応って、お前じつはアホだろ?」
むっと顔をしかめつつも、キャセラもなにかおかしいなとは感じている。そういえば、さきほどなにかを思い出しかけていた気がする。少年の借金返済の叫びでどこかへ行ってしまったが、確かあれは………。
「ん? …ストレンジャー?」
彼らは『全員』ストレンジャーだと言っていた。そして、一ヶ月前、ドラゴン、助ける―――その単語をつなぎ合わせると……?
「あ………!」
トントン、と控えめなノックの音が聞こえ、キヨはドアを開けた。
扉の外にいたのはカップを二つ手にしたローランだった。
「ちょっとつき合わない?」
カップを掲げてウィンクをしてくるのへキヨはこくっと頷き、室内にギルドマスターを招き入れた。
部屋は狭く、煎餅ベッドの他は椅子が一つあるきりである。服や装備などの荷物は部屋の隅に置かれた木箱にまとめて放り込まれている。
キヨはベッドに腰掛けた。ローランは窓枠に二つのカップを置くと、椅子を引きずって窓際まで行き、そこに座った。
「キヨもこっちいらっしゃい」
ローランに呼ばれ、キヨはベッドの上を窓際まで移動していった。
湯気を立てるカップを手渡され、キヨは条件反射のようにしてそれに息を吹きかけた。温かいハーブティーの香りが鼻腔をくすぐり、胸の中に満ちていった。
ローランはなにも言わず、窓の外の夜空を眺めている。
「これ、変な匂いする」
いつものハーブティーの香りだけではない、なにか甘いような香りがする。
「少しだけピュリ酒が垂らしてあるの。飲みなさい」
よく眠れるわよ、と言われて、キヨは少しずつ冷ましながらすすった。
空には月と、星が見えた。こちらの世界でも星はまたたき、月は満ち欠けする。この夜空はあの地球の夜空とどこか変わるのだろうか? ふとそんなことを思った。
「ユエって月って意味なんですって。シンは星。シルバーは銀色のことだって」
「ふぅん」
酒入りのお茶のせいだろうか、キヨの声は少しとろんと眠そうにかすれていた。
「ユエとシンに聞いたの? 今日のこと」
空を見つめたままキヨは訊いた。
「少しだけね」
ローランも窓の外を見たまま答える。囁くようなその声に、ローランの気遣いが感じられた。
ヒリヒリとした胸に沁みるようなだな、とキヨは思った。
「ローラン、俺大丈夫だよ」
「そう?」
「うん。ユエとシンと、シルバーも、すごく優しかったよ。俺、今日一人じゃなくてよかったってすごく思った」
いつもよりも少しだけ子供っぽい口調でキヨは言う。
「いい子たちね」
キヨは頷いて、ずずっと音を立ててお茶をすすった。
「それにさ、さっき考えてたんだけど。双子が言った主人公への道の、今日がスタート地点なんだったら、最低ラインからのスタートでちょうど良かったんかなって。よく言うじゃん、ドン底からのスタートなら、あとは上がるだけ、って」
本当はそんな簡単じゃない。
そんなことはキヨにもわかっている。
でも、一人じゃない。
それがこんなに心強いと今はもう知っている。
キヨは最後の一口をずずずっとすすって、カップをローランに返した。
「ごちそうさま」
「ん」
ローランは小さく頷くと、少し勢いをつけて立ち上がる。
「おやすみなさいキヨ。よい夢を」
「おやすみローラン」
まだちょっと上手くは笑えないけど、明日は大丈夫な気がする。ローランの優しい微笑みをドアの外に見送ってから、キヨはベッドの中に潜った。