第一章 1. モブのため息
よくある異世界もので、ソフトBL目指してみました!
少しでも楽しんでいただけるよう頑張ります。
よろしくお願いしますm(_ _)m
世の中は不公平だ。
不公平なのはいい。仕方ないことだと思う。だけどそのヒエラルキーのどこに自分が位置するかで話は違ってくる。たぶん最下辺ではないとは思う。ただ、今現在限りなく最下辺に近いあたりをうろついてることは間違いない。
要するに、かなりどうでもいい存在だ。
世界にとって。そしてもちろん、誰にとっても。
たぶんローランなら「そんなことないわよ!」と言ってくれるだろう。
だがキヨにとってそれはあまり意味のない慰めだ。
この世界の主人公になりたい!…とまでは言わない。だがせめて誰かの…いやこの際はっきりと、恋しいあの人にとっての特別な存在になりたい!!
俺物語の主人公として堂々と胸を張りたいと思うのが男ってものじゃないだろうか!
「―――なのに。はぁ~…、俺ってどうしてこうなんだろうなー…」
キヨは目の前に広がる向こう岸が霞んで見えるほどの湖に向かってため息を吐き出した。
足元の水面に映った顔は、可もなく不可もなく。よくよく見ればそこそこ整っているように見えないでもない。しかしそれは平凡という範疇からただの一歩も踏み出すことのない一種残酷なまでのモブ評価。小学校から中学までのわりと親しかったクラスメイトと再会しても一瞬考える表情を浮かべられることは間違いない(むしろ経験済みだ)。高校に入ってからのクラスメイトなどさらに進んで、「誰これ」と言われる自信満載だ。なんといっても、二年時から自宅警備しかしていないのだから当たり前と言えば当たり前なのだが…。
要するに、世に言うひきこもりである。
ひきこもった原因は単純だ。好きな相手に告白…まではできなかったのだが、気持ちを隠せない性格が災いして、するまでもなくバレてしまったのである。相手は憧れていた先輩。同性だ。眉目秀麗で誰にでも優しい好青年。当然モテていた。もちろん女子にだ。しかし誰と付き合ったという噂も聞かず、もしかしてとかひょっとしたら、なんていう期待が心のどこかになかったとは言い切れない。ほとんど接点はなかったというのに、ある日偶然に偶然が重なってなぜか二人きりの胸キュンシチュエーションが突然降って沸いたのだった。
あの日の自分はどうかしていた。
心臓が胸板を破って飛び出すんじゃないかという極度の緊張の中、勇気を振り絞って話しかけたその時。先輩はものすごく心苦しそうな表情で微笑んだのだ。
「ごめんな…」という言葉とともに。
先輩はすべてを承知の顔で、きちんとした『お断り』をしてくださった。告白もまだだったのに、ご丁寧なまでに。
次の日から、キヨは学校へ行かなくなった。
「はぁ~…」
ため息で水鏡を揺らめかせたとき、背後で気配を感じた。が、感じた時にはすでに気配は遠ざかるところだった。
「へ?」
間抜けな声とともに振り返ると、視界に映ったのは小さな後ろ姿。赤茶けた髪の色と子供のような体つきの少年だか少女だかもわからない人影が走り去ろうとしていた。見知った相手でないのはすぐにわかったが、それよりも問題はその手に握られているもの。
「ああ…っ!!」
ばっと己の腰につけていたホルダーを探り、入っていたはずの多少なりと厚みのあった巾着がなくなっているのを確認。
「俺の財布!!」
―――今日の稼ぎが全部入ってたのに!
「待てこら!」
キヨはすぐさま立ち上がって駆け出した。水辺の潅木はまばらで泥棒がちらりとこちらを振り返るのが見えた。なかなか可愛い顔をした少女だ。はしっこそうな瞳がいたずらに成功したように輝き、口元はずるそうな笑みを浮かべていた。それで頭に血が上り、キヨはがむしゃらに追いかけ始める。
「待ぁてぇいゴルァ~~~~!」
足だけは速いのだ。
ローランの血を舐めて契約の儀式をしてから、身体能力だけは上がった。いっぱしのステラを気取るにはまだまだ実力不足だが、追いかけっこぐらいで負けてたまるか。
少女とキヨの追走劇は湖を半周するほども続いた。湖の源流には大きな滝があり、だんだんとその瀑音が耳に届き始める。
すぐ目と鼻の先に瀑布の深い淵が見えようかという距離になって、キヨの目に追いかけていた少女が立ち止まっているのが見えた。
「ようやく、観念、したか…ハァハァ…」
だが少女はこちらなど見ていない。追跡者に注意も払わず背中を向けたままの少女の視線の先を追って、キヨの心臓が悲鳴を上げた。
「…ジェノサイドテディーっ!?」
口からも悲鳴がほとばしる。B級ホラーのような名前のそのモンスターは、キヨのLvでは到底太刀打ちできない大物だった。見た目はネットで見たことのある北米最強の巨大灰色熊グリズリーに似ている。ただ、色はレッサーパンダのような鮮やかなオレンジ色をしており、毛皮だけ見ればちょっとぬいぐるみのような気もしなくはない。だがその顔は凶悪そのものだ。剥き出しになった牙は口の上下にずらりと並び、ダラダラと涎を滴らせている。血走った目は赤く爛々と光っており、話して説得できそうな気配は微塵もない。
現に、くるりとこちらを振り向いた少女の目には恐怖の涙が浮かび上がっている。彼女の仕込みではありえないということだ。
「おいおいおいおいぃ! 嘘だろぉおおおお!!!」
今度は追走劇の逆走である。内心でギャグコントかよ!とセルフツッコミを入れようとしたとき、湖側から瀑音を凌ぐほどの飛沫音が上がった。音だけではない。湖畔を走っていたキヨの方にまで盛大な水飛沫が飛んできた。
「今度はなんだぁー!?」
キヨと少女、おまけにテディモンスターまで頭から水を浴び、足を止めざるを得なくなる。三者三様に顔にかかった水を払っていると、湖からバシャバシャと音が聞こえてきた。見やると、巨大な人影が湖から上がってくるところだった。
―――人…影……?だよな??
膝から下はまだ水面の下に隠れているが、それを差し引いたとしてもデカい。
2.5メートル近くはあるんじゃないのか………!?
当然ずぶ濡れの濡れ鼠でおまけに湖の底の砂でもかぶったのか、全身の半分くらいうす茶色の斑になっていて姿が判然としない。上半身の比重がやけに大きく膨れているように見えたが、見ているうちに膨れているように見えた部分に別の人間を抱えていることがわかった。一人が二人を両腕に抱えていたのだ。
両腕の二人がブルブルと頭を振ってこちらを見た。
「はーっ、まいったぜ」
「いきなり水落ちとか勘弁してくれ」
「てかここどこだよ」
「お前ら誰だ?」
「なにしてんの?」
交互に上の二人が話す間にも下のもう一人がバシャバシャと近づき、気づくと人馬一体ならぬ人人一体の三人はキヨの目の前まで迫ってきていた。目の前まで来ると、本当にデカい。
首を直角に曲げるほどに見上げたキヨは言葉もないままぽかんと口を開けるしかない。
見下ろしてきていた二人がふと視線を飛ばし、顎をしゃくった。
「で、あれってどういう状況?」
「あの子ヤバくね?」
はっとして振り返ると、先程の少女が悲鳴を上げるところだった。
テディの巨大爪の凶刃が少女の上に振りかぶっている。
「危ない…っ!!!」
絶対に敵うわけはない。というか満足な武器も持っていない。Lvも足りない。しかも少女には助ける義理もない。冷静に考えればないない尽くしのオンパレードでキヨには動機も能力もついでに運だってなかったわけだが、結果としてキヨの身体は見切り発車で走り出した暴走列車のように飛び出していた。
その手が少女に届いたのも、凶刃をかいくぐって一撃を二人で逃れられたことも、奇跡としか言いようがない。
それを思えば、運だけはあったと訂正するべきか。
だが絶体絶命の大ピンチが去ったわけではなかった。
「だだだだだ大丈夫!?」
「あああああありがとよ兄ちゃん…!」
今更ながらに自分のしたことが恐ろしくなり歯の根も合わず。獲物に逃げられてさらに凶暴さを増した感のあるテディの気配に二人して歯の根も合わず×2。
「でででもどどどうすんだよぉぉぉ!?」
「どどどっどうしよう!?」
ブルブル震えてこの熊が私の最後の運命なのねと走馬灯を鑑賞しながらいっそ子守唄でも歌ってやろうかという場面で、呑気な声が聞こえてきた。
「助けて欲しいみたいだから」
「助けてやろうか、な! っと…」
先程のツインステレオな二人組の声だ。
「…………え…………?」
「……うそぉ………!」
キヨと少女が震えながら見上げるその真上で、その強大な獣の姿が二度ほど揺れたように見えた。次の瞬間には、赤黒い液体が左右に勢いよく吹き出し、と同時に雨のように自分たちの上にも降ってきた。視界が鮮血で覆われる寸前、大きな手のひらが熊の頭を鷲掴み、その巨体がこちらに倒れ込むのを防いでくれるのが見えた。
湖からやってきた三人は砂と泥を洗い流すため、陸側の二人は頭からかぶったテディの血を清めるために、水辺でパシャパシャと汚れと格闘すること数分。
どうにか人心地ついてから、改めて一行は顔を見合わせることとなった。
「えーと、助けてくれてあんがとよ、兄ちゃん。…命を助けられたからにはこいつは返すよ。盗ったりして悪かったな」
赤茶色の髪を肩口ではねさせた少女が決まり悪そうに言った。懐からキヨの巾着を取り出し、はい、と渡してくる。
キヨはキヨで似合わぬ&Lvに見合わぬ人助けなどしたものだから、面映ゆいやらなにやらでどこか居心地悪そうな顔で言葉に詰まった。
「なんだお前この子にそれを盗まれてたのか」
「ダメだぜ。返せばいいってもんじゃない」
「ちゃんと当局に突き出してやらなきゃその子のためにもならねえぞ」
横から口を出してきた二人を見遣って、キヨは少なからず度肝を抜かれた。
声や喋り口調から半ば予想はしていたので、二人が双子だったのにはそれほど驚かなかったのだが、ただの双子ではなかった。度肝を抜かれるほどの水も滴る美形が二つ、全く同じ顔でこちらを見つめていた。キヨと同じ黒髪黒瞳だが、だいぶスペックに差がある。おまけにその後ろには、こちらも度肝を抜かれるような男がいた。二人を両腕に抱えていた大男だ。顔はやっぱり美形だ。女と見まごう美貌の双子とは対照的に、こちらは男らしく精悍でありながら、精緻に整った容貌をしている。かなりの美丈夫だ。だがそれだけならそれほど度肝は抜かれなかっただろう。
青いのだ。肌や髪は青白く、その瞳は抜けるような空の色。その上そのこめかみには角と思しきものの残骸がチラリと見えていた。
「お、お、鬼………?」
キヨと少女の怯えた顔を見遣って、双子は人の悪い笑みをその口元に刷いた。
「綺麗な鬼だろう?」
「こいつは俺たちの男だ」
「手を出したら殺すぜ」
「それはそれとして。――ちょっとそれ見せてみろ」
双子はそう言うが早いか、返してもらったばかりのキヨの財布を奪い取った。
「あ…っ」
その場で巾着の紐を解き、ざらりと中の硬貨を手のひらにあけた。そう多くはない。銀色の硬貨が一枚と、銅色が五枚だ。
「……うわぁ、しけてんなァ…」
思わずといった調子で少女が呟くのが地味にキヨの胸に痛い。
「なんだこりゃ、どこのカネだ?」
「海底からサルベージした古代貨幣…にしては綺麗なもんだな」
「かといって見たことも聞いたこともないデザインだ」
「……ていうかさ、マジでここはどこなんだ?」
双子は矯めつ眇めつ硬貨を眺めたり匂いを嗅いだりしたあと、巾着に戻してキヨの手に放ってきた。どうやら奪い取る気はないらしい。
ホッとしはしたが、新たに訝しむ気持ちが芽生えてくる。
「ていうか、あんたたちこそ何者? てかさっきどっから現れたの??」
キヨ的に一番知りたいところはそこだった。
「俺はシン」
「俺はユエだ」
双子が名乗ると、その後ろから青鬼が「シルバー・バレットだ」と初めて声を上げた。渋くてなかなかいい声だ。
三人組の自己紹介はそれで終わりらしく、視線は自然と小柄な少女へ向いた。
「あたしはエリンダ。普段はダンジョンの中ではやらないんだけど、この兄ちゃんがあんまり間抜けヅラでぼーっとしてやがるからさぁ、逆に盗って欲しいのかと思っちゃって」
てへwとでも言いそうな顔で舌を出すと、少女――エリンダは後ろ頭を掻いた。ダンジョンの中では、ということは普段は街中でああいうことをしているということだろう。キヨも所属ギルドが莫大な借金持ちなので、汚いことに手を染めたくなる誘惑とかなり日常的に闘っている。いっそスリ指南でもしてもらった方がいいのか…?
いやいやいやと首を振り、キヨはしかつめらしい顔をどうにか作る。
「んなわけあるか! えーっと、俺が言うのもなんだけど、もうああいうことはすんなよ。ダンジョンの中でも、それ以外でも」
「なんで俺が言うのもなんだけど、なんだよ」
双子の片割れに問われ、キヨは肩を竦めた。
「だって助けたって言っても俺もあんたたちに助けられちゃったし。結局全然助けにはなってなかったしさ」
「なに言ってんだ。その子を助けたのはお前だろ」
ぐりっと双子の片割れが指先を眉間に突き立ててくる。
「あの熊の一撃を避けたのはなかなかだったぜ。自信持てよ」
言いながらもう片方も別方向から指を突き立ててくる。
にやにや笑いが気になるところだが、どうやら褒められているらしい。褒められ慣れていないキヨはつんつんつついてくる指を邪険に追い払いながら、無駄に咳払いなどしてみる。
「と、とにかく!だ! 連盟につき出したりしない代わりに、エリンダは盗みをやめること! いいな!」
「うーわかったよ。…でもそれで食うに困ったら兄ちゃんとこで遠慮なく食わせてもらうからな!」
「ぅえ…!?」
上目遣いでちゃっかり口約束をせびる少女に、キヨが目を白黒させる。借金の返済も滞りがちだっていうのに、他人を食わせている余裕などあるわけがない。しかしここは年長者らしくちょっとは頼もしい顔でもしておくべきか? いやしかしない袖は振れるわけがない…。でもでもでも。
「……お、おおう、ま、まかせとけぃ。袖触れ合うも多少縁があるって言うしな!」
だらだら汗を流しつつ無理な約束を交わしてしまう。
「俺は本庄清澄。キヨでいいよ。『ローラン・ギルド』のステラだ」
するとエリンダのもともと丸い目がさらに大きく丸くなった。
「ええええ! ローランてあの!? なんだよあたしより貧乏なんじゃねーか!! 悪かったな兄ちゃん。本来あたしは貧乏人からは盗らない主義なんだ。ほんっとーに悪かった!!」
――――知られてたー!! しかも逆に超同情されてるぅぅぅぅ!!!!
心底情けない気持ちになりながら、キヨは両手で顔を覆った。
ローランのばかやろーーーーーーーッ!
「そう落ち込むなよ。そのうちいいことあるって、な!」
エリンダはそう言ってキヨの肩をポンポンと叩くと、改めて一同に礼を言い、仲間が待っているからとその場を去っていった。
残されたのはキヨとおかしな三人組だ。
エリンダの精神攻撃からどうにか立ち直ったキヨが顔を上げると、双子はなんとテディの死骸の解体作業を行っていた。
「な、なにしてんの?」
手にはそれぞれ馬鹿でかいナイフを携えている。どうやらこいつが物騒な名前のテディを絶命させた武器らしい。
滑らかな刀身は相当の切れ味を予感させる。実際手さばきは鮮やかで、見ている間にも皮を剥ぎ、肉を削ぎ、体の中心を開いて中身を解剖&観察しているようだった。
「それにしてもさぁお前、『袖触れ合うも多少縁がある』ってなんだよ。それを言うなら『袖すり合うも他生の縁』だろ?」
「日本人のくせにアメリカ人に日本語教わってどうすんだ」
キヨの質問には答えず手元に視線を落としたまま、双子はくすくすと笑った。
「…ん、なんだこれ?」
「石…か? うっすら光って見えるが…触っても大丈夫なのか?」
「どうだろう。……おいお前、キヨちょっと来い」
二人に呼ばれたとき、キヨは呆然と二人を見つめていた。その容姿を、穴が開くほどに凝視している。
形状はノーマルヒューマンタイプで、こっちの世界でも多数派なので区別はつかない。髪と目は黒くて肌は白、それもありふれている。だがその服装はどうだ。二人とも黒革でなかなかイカしたデザインだ。銀鋲が付いていてちょっとパンクロックだ。よく見れば後ろでおとなしく控えている青色の大鬼も同系の黒革ジャケットを身につけている。ちょっと北斗の拳みたいなイメージだ。
キヨが違和感を覚えないということは、あちら風ということじゃないのか?
「ていうか今明らかに俺のとこ日本人て言ったよな!?」
「あ? ああ。だって名前が…」
「んでもってお前らアメリカ人て言ってたよな!???」
「お、おう」
キヨの勢いに気圧されて、双子がパチパチと瞬きを繰り返す。
「やっと会えた――――――!!!」
涙でも流しそうな歓喜に溢れた顔で、キヨが叫ぶ。両腕を広げて天を仰ぐ仕草を見ながら、双子はお互いの顔を見合わせて首をかしげた。