お姉ちゃんの独白
いつだって、大嫌いだった。
愛しているなんて思ったことも伝えたことも、一度たりともなかった。
「お姉ちゃんっ!ねぇねぇ今日ねっ!」
頬を赤く染め、嬉しそうに今日あった出来事を語る弟を、冷たい目で押し退かす。
「ねぇ私、予備校通って疲れてるんだけど。空気読んで。」
疲れていた。頑張って、頑張って、それでも結果はそこそこで。イライラしていたのもあると思う。いつもいつも犬のように私の所に駆けてくる弟だから、何を言っても平気だろうと甘えていたのかもしれない。
そんな私に弟は、ハッと驚いた顔をして、そのあと申し訳なさそうに眉を下げた。
「あ……お姉ちゃんごめんね。」
「……寝るから。」
時刻はかなり遅く、もう11時を回ろうとしていた。小学生の起きている時間ではない。
それを聞いて弟は、最初は名残惜しそうにこちらを振り返ったが私が背を向けると今日はもう構ってもらえないとわかったのだろう。すごすごとベッドに向かった。
「はぁ……」
私の弟は面倒くさい。母親が育児放棄しているせいで私があの子の面倒を見なければいけない。母は酷く荒れていて、私達に暴力を奮ったかと思えば泣きながら抱き締めてきたりする。精神的に不安定な人なのだ。父親だって、いつも家に居なくてたまに帰ってきてもお金を渡して直ぐにどこかへと行ってしまう。
花の女子高生なのに私は本当に損してる。友達は放課後予備校のない日はカラオケ行ったり、遊んだりしているのに。あの子がいるから、私はすぐ家に帰らなくてはいけないのだ。まぁあの子も私みたいなお姉ちゃんで損してると思うけど。
「寝よう……。」
ぐったりとした体に鞭を打ち、立ち上がって着替える。寝て、明日も頑張ろう。
あ、明日は土曜日、休日だ。久し振りに何も予定がない日だから、友達と買い物にでも行こうかな。
ぐだぐだと頭の中でそんなことを考えながら、歯を磨き、布団にはいる。
パチッと消えた電気の中で、私は直ぐ様眠りについたのだった。
「おい、今日は家族でドライブにいくぞ。」
朝起きて、寝ぼけ眼を擦りながらリビングに行くと珍しく家にいる父が、これまた珍しく安定した母から珈琲を受け取ってそう言った。
「……え?」
何を言っているのだろうか。ここ数年家族で出掛けたことなんて一回もなかったのに。
弟も困惑したようにおろおろしている。ああもう、イライラするな。嫌なら嫌って言いなよ。
「別に良いだろう。家族なんだ。」
次いで放たれた父の言葉に私は愕然としてフォークを投げつけそうになった。私と弟を放置しておきながら、よく家族だなんて言えるな。
「二人とも、いいな?」
私の中の葛藤を多分、いや絶対見透かしながら父が有無を言わせぬ態度でそう言う。
弟は、数回私の方を見たあと、おずおずと頷いた。
「お前も、いいな?」
父が私の方を見てそう言う。もう頷くしか残っていない選択肢に口の中で臍を噛みながら、私は頷いた。
母は、終始にこにこと笑っていた。
「お弁当も作ったのよ。」
相変わらずどこか可笑しい笑顔の母を見つめながら、私は面倒なことになったなぁと溜め息をついた。
「着いたぞ。」
父の運転する車に揺られて早数十分。
その声に促され、車を下りる。
「うわ……」
相変わらずここは広いなぁ。弟も、嬉しそうに目をキラキラさせている。それになんだか無性にムカついて、嫌味を言ってやろうかと思ったけど、やめておいた。こんな日ぐらい、優しいお姉ちゃんをやっておくのも悪くない。
それからひとしきり遊んで、父と母がそれを眺めながら何かを話すという普通の家族みたいな時間が続き、ついに夕暮れ、帰る時間となった。
車に乗り込む。弟も、泥だらけの体を気にしながらも、笑いながら後をついてきた。これで、明日からは平凡な毎日を過ごせる。はずだった。
「きゃあぁっ!」
「うわあっっ!」
結論から言うと、やっぱり母は狂っていて、父もそれにならって可笑しかった。
「可哀想に……」
「まだこんなに幼かったのに……」
今までなにもしてこなかった親戚が、ここぞとばかりに美しい言葉を吐いていく。私はそれをただ、制服で聞き流すことしか出来なかった。飾られた弟の写真。それを見てどこかドライに、これから大変だなと思った。
あの日、父と母は一家心中を図った。崖に車を落とし、全員死ぬつもりだったのだ。
しかし、その事故は結局木に引っ掛かったため大事にはならなかった。幼い弟を除いて。
助かった父と母の病室に行って、弟の死を伝えると母は泣き崩れた。どうして、と呟き続ける母の肩を抱きながら静かに涙を流す父を見て私は、ああ、この人達も一応親だったんだなぁ、と思った。死んだ弟に向かって懺悔する程度には、あの子を愛していたんだなぁ、と思った。
「ああ、疲れた……」
予想通り色んな人の心のこもらない言葉に本格的に可笑しくなって話にならない父と母の代わりに愛想笑いで返し、通夜、葬式が終わった頃にふと気付く。私、一回もあの子の死で泣いてないな。まぁ、疎ましいと思っていたぐらいだから仕方ないか。
実は、誰にも言ってないことが一つある。事故が起きた瞬間、弟は私を庇ったのだ。小さい体で私を抱え込み、衝撃を自分の体で吸収した。最後の言葉はお姉ちゃん危ない、だった。最後の最後まで、本当に馬鹿な子。自分が死ぬなんて。私は弟を愛してなんて、いなかったのに。
愛してなんて。
「ふっ……うっ……」
硬いコンクリートにぽたぽたと雫が落ちる。あれ、なんだろう。もしかして私泣いているの?ああ本当に、馬鹿な子。私なんかのために死んだりして。何でこんなに悲しいんだろう。私はあの子を嫌っていたはずなのに。
「 っ‥‥」
ぽたぽた、ぽたぽた。コンクリートに雨が降る。どうして私泣いているの。どうして涙が止まらないの?
「優希……」
私は泣く。なぜ涙が溢れるのか、その理由も知らずに。
「うっ、うぇっっ……!ごめんなさいっ……!」
本当に、ごめんね。
「えー、次のニュースです。先日、交通事故で亡くなった鈴木優希くんの両親が遺体となった状態で自宅のリビングから発見されました。また、優希くんの姉の優菜さんも行方不明です。
次のニュースは……。」