第十五話 落ち着かない茶会
青い空に、ぽんやりと小さな白い雲が浮かんでいる。
色とりどりの花が花壇に咲き誇り、等間隔に立つ木々は緑に萌え、鳥のさえずりが聞こえる。
穏やかな午後。
だけど、どこか日常から切り離されたような空間。
ヴァルハラ城の中はそんなふうになっていた。
「まだ、こちらにきて二月程なのですよね。わずかな期間で始祖竜と渡り合えるとは、本当に才能に恵まれた方なのですね」
そう言った、女性は目を輝かせている。
彼女の名前は、カノン・ヴェルダンディ・オーディン。
この国の王女で、第一王位継承者。
そして、僕が助けた少女だ。
招待状に書かれていた今日の日時は目が覚めた日の翌日の二時だった。
すぐにでもお礼が言いたかったのだろうとは思うが、こっちはまだ完全に傷は癒えていないし、退院許可も下りていなかった。
だけど、さすがに王女殿下の誘いを断るわけにもいかないので、医者に頼み込んで外出許可をもらって、無理やり身体を起こしてきているんだけど、そのおかげで身体中はあちこちが痛い。
今、僕たちは彼女の私室――とはいっても、一戸建ての家――にある、庭で二人きりでいる。
女官にお茶の準備をしてもらうと、彼女を下げさせている。
まあ、少し離れたところに、アレックス隊長がいるけれど。
王城の門で彼に会った後、ここに連れてきてもらったのだ。
昨日の動揺はみじんもなく、落ち着いた様子で案内してくれた。
そこらへんは、さすがは稀代の英雄と言ったところだろう。
「あ、お茶が冷めてしまいましたね。今、新しいものを用意いたします」
「いえ、それには及びません。そろそろ、お暇しようと思っておりましたので」
この場所に来て、三十分ほど。
その間中、感謝と賛美の言葉をもらったが、どうにも居心地が悪い。
基本的に偉い人が苦手というのもあるけれど、それ以前に違和感がある。
あまりにも明るすぎる。
あの時、彼女がいた場所は、ひどい惨状になっていた。
見れたものではなかった。
だから、もしあれを彼女が見ていたのなら、そこまで明るい表情を浮かべられるとは思えない。
もしかすると、王族として何度も目のあたりにして慣れてしまっているだけなのかもしれないが、始祖竜に結界を壊された時の彼女の反応をみると、どうにも戦いなれをしているようには見えない。
だから、考えられることは一つ。
何も見ず、何も知らずにいる。
そうじゃないとしか思えない。
「何かこの後ご用事でもあるのでしょうか?」
「えっと、いや……」
思わず口ごもる。
用事なんてものはない。
居心地が悪いからさっさと帰りたいだけで、せいぜい病院に戻ってゆっくりと身体を休めるぐらいなだけだ。
というか、適当に言ったせいでばれてしまったが、これも一応不敬罪にあたるんだろうな。
失礼ないことをしたわけだし。
「ご用事がないのであれば、そんなことおっしゃらないで、もっとお話を聞かせてください。こうして、市井の方とお話しするのは、初めてでですので」
少しだけ寂しそうにそういう。
思わずどきりとした。
挨拶したときから思っていたことだが、目の前にいる少女は刹那的に心を奪われてしまいそうなほど綺麗だ。
金色のウェーブのかかった腰まで届く柔らかい髪は風が吹くたびにふわりと舞い、ぱっちりと大きめのサファイアブルーの瞳に、すっと通った鼻筋と、小さな桜色の唇。
纏っている雰囲気と口調は淑やかで優しげだけど、整った顔つきを見ると逆に、それが蠱惑的に見える。
一回り以上年下の10代の女の子に、いい年したおっさんがどぎまぎするのはどうかと思うが、それでも見惚れてしまいそうになる。
とはいえ、本人にその自覚はないだろうが。
「分かりました。それでは、もう少しだけお邪魔させていただきますね」
正直言えば、さっさと帰って、病室で安静にしていたい。
外出許可をもらってはいるけれど、長時間は禁止されている。
まぁ、負った怪我や受けたダメージを考えれば当然のことで、そのことに気づかない彼女はやはり王族ということだろう。
気を使われるのが当たり前で、気を使うことはない。
必要性はない。
だから、こんなタイミングで呼んだわけだし。
彼女が呼んだ女官は手際よくお茶を淹れ直すとすぐに姿を消した。
「普段は、どんなことをされているのですか?やはり、鍛練とかをなさっているのですか?」
にこやかに目を輝かせて、彼女はそう尋ねる。
「そうですね。基本的には、体を鍛えていますけど、長い時間というわけでもないですし、普通に遊びに行ったり、部屋でゆっくりと本を読んだりしてますよ」
確かに、生活するためには、クエストをクリアしないといけないし、クリアするためには力がいるから、訓練は必要だけど、常にというわけじゃない。
むしろ、そう言った時間よりも、遊びの時間のほうが多かった。
それこそ、会社勤めしていた頃よりもだ。
「そうなのですか。近衛隊の方は一日中訓練されていますから、貴方もそうだと思っていたのですが、才能のある方は、少しの訓練で十分なのですね」
「いえ、近衛隊の方が特別なだけですよ。近衛隊の方はエリートですから、才能は豊かですし、その才能を伸ばすことにも貪欲ですから、常に厳しい状況に自分を追い込んでいるだけだと思いますよ」
「そうなのですか?」
「はい、逆に僕たちは、というよりも、僕は、今の穏やかな時間をゆっくりと過ごしたいと思っているんです。だから、近衛隊の方々のように、辛い訓練を積んでいないんです」
「確かに、穏やかに過ごすということは、素敵ですね」
そう言った彼女は納得したようだが、本当にびっくりした。
まさか、近衛隊員よりも上に、されるとは思わなかった。
僕のランククラスは、今のところEマイナスだし、ポイント加算させたとしても、せいぜいBマイナスに引っかかればいいぐらいだろう。
そして、近衛隊員はその上のA以上じゃないと入れないんだから、僕よりもずっとずっと上の存在だ。
というか、あくまでも入隊資格であって、それよりもずっと強い人たちが多い。
「しかし、そのように穏やかに過ごしながらも、そのようにお強いのですから、やはり才能豊かなのですね」
思わずため息が出そうになる。
結局、何一つとして理解していないのだろう。
「偶然なんですよ。ひどく優秀な教師がいて、その人たちが、僕に戦い方を押してくれたんです。その人たちのおかげで、強くなることもできましたし、今のランククラスにいられるんです」
「運命的な出会いがあったわけなのですね」
けれど、なぜか途端に目を輝かせる。
「才能豊かな貴方は、優秀な教師と出会い、更に才能を輝かされた。なんだか、物語みたいです」
どうやら、僕が才能豊かな天才というのは、彼女の中で確定事項らしい。
どんどん事実が勝手に彼女の脳内変換で脚色されている。
まあ、あの二人との出会いは確かに運命的というか、物語的と言ってもおかしくはないけれど、どこかの英雄伝みたいなものとは違う。
「先生はどのような方だったのですか?」
「可愛い女の子でしたよ。二人組でパーティを組んでいて、ダブルSランククラスの魔法剣士と魔法使いです」
「二人組の女の子……」
不意に、彼女は思案気な表情をした。
まあ、確かに、成人した男が、女の子に師事していたというのは、あまり格好のいいものではないだろう。
「もしかして、その二人組の女の子というのは、アイシャさんとミィーナさんという方ではありませんか?」
「ええ、そうですけど」
だけど、僕の予想とは全く違う言葉が返ってきた。
どうやら、二人の名前は、王族にまで知れ渡っているみたいだ。
まあ、数の少ないダブルSランククラスで、しかも年若の女の子なのだから当然なのかもしれないけれど。
「なんという運命なのでしょう。アイシャさんは私の大事な幼いころの友人なのです」
「えっ!?」
だけど、彼女の言葉は僕の考えよりもさらに上にあった。
「もう随分とお会いできていないのですが、子供の時は、よく一緒に遊びました」
彼女は、そう言うと、そのまま懐かしい情景を浮かべるように、目をつむる。
だけど、僕にしてみれば、青天の霹靂だ。
目の前にいる彼女は王女なのだ、その彼女と一緒に遊んでいたというアイシャさんも、そうとう高い階級の人間だということぐらい分かるし、あの時、彼女がアレックス隊長に堂々と言葉を投げかけていたのも理解できる。
王族の彼女と友人なのだ、それぐらい出来てもおかしくない。
「アイシャさんはお元気にされていましたか?」
「はい」
彼女の問いかけに返すが、頭の中は混乱したままだ。
知らなかったとはいえ、僕は彼女に貴族に対するにはあまりにも無礼にあたる行動をしていた。
咎められたりしないかと思うと、不安になってしまう。
「そうですか、それは本当に良かったです」
そんな僕とは裏腹に彼女はひどく嬉しそうな顔をしている。
「寂しいことですが、もう何年もアイシャさんにお会いすることができていないのです。ご両親を亡くし、最愛のお兄様も亡くされた。それが原因で塞込んでしまっていたのに、私は何もできなかったのです。ただ、人伝いに彼女の無事を知ることしかできませんでした」
そう言った彼女の顔は今度は悲しみに歪んでいた。
何があったのかは知らない。
だけど、アイシャさんの身には、僕が想像もしていなかった辛い過去があるみたいだ。
「本当は今すぐにでもお会いしたいのですが、ギルドに所属されて以来、お忙しくされているみたいですし、私もまた、王位継承者としての責務があるために、時間の折り合いがつかなくて、お会いすることもままならないんです」
二人がどのような時間を過ごしたのかは知らない。
だけど、二人にとっては、とても大事な時間なのだろう。
彼女の姿を見れば、それが痛いほど伝わる。
「殿下、そろそろお話のほうは終わりにした方がよいかと」
だから、少ない時間だったけれど、過ごした間に起きたことを言おうと思ったけれど、それは不意の横やりで霧散した。
「アレックス様、せっかくアイシャさんのお話が聞けるというのに、それはあまりにも寂しい言葉だとは思いませんか?」
当然彼女も、納得しないだろう。
「ですが、彼はまだ病み上がりです。あまりご無理をさせると、傷に触ると思いますが」
「まぁ、それは本当なのですか?」
「ええ」
そう言った彼は、にこりと笑った。
穏やかで、見る人を、女性を蕩かせる笑顔だった。
だけど、僕の背筋には、悪寒が走る。
よくわからないけれど、もしかしたら、本能的に何かを感じているのかもしれない。
「そうですか。それならば、致し方ありませんね。まずは、傷を癒しいただくことが先決ですもの。よろしければ、後日、傷が十分に癒えた後、また、お越しください。その時は、詳しくお聞かせくださいね」
そう言った彼女は、すっと立ち上がったので、僕も慌てて立ちあがる。
完全に置いてきぼりを食らってしまっていた。
「私が送っていこう」
「あ、はい。このたびはお招きいただきありがとうございました。非常に楽しい時間を過ごさせていただき、感謝しております。それでは、失礼いたします」
そう言ったアレックス隊長は、さきさきと言ってしまっているので、慌ててそうとだけ言うと頭を下げて、彼についていく。
「いえ、私も楽しい時間を過ごさせてもらい、ありがとうございました」
そう言った彼女は、ぺこりと頭を下げた。
なんというか、生きた心地がしない。
さすがに、こういう時の対処の仕方は分からない。
「こちらこそ、ありがとうございました」
とはいえ、返さないわけにもいかないし、かといって、既にアレックス隊長は結構先に言っていて、呑気なことはしていられないから、短くそう返すと、もう一度頭を下げると、アレックス隊長の後をついていく。
ちらりと振り返ると、彼女は、まだ穏やかな笑みを浮かべて、僕を見ていた。
なんというか、本当に対処に困る。
そそくさと、アレックス隊長の後を追い、彼女の視界から消える。
とりあえず、もう、それぐらいしか思い浮かばない。
その時には、彼も立ち止まっていた。
もしかすると、気を使ってくれていたのかもしれない。
僕が帰りやすいように。
「ここまでで大丈夫であろう?この石畳を真っ直ぐ行けば出口だ。衛兵には伝えてあるから、名前を言えば出られる」
「分かりました、ありがとうございます」
彼が指し示したのは入ってきたときとは別の道だが、まあ、彼の説明通りなら大丈夫だろう。
「それと、さとい君なら言わなくても分かると思うが、一応くぎを刺しておくが、殿下は次の機会と言っておられたが、それがどのような意味の言葉かぐらい分かっておるだろう?」
そう言った彼は、どこか僕を試すかのような目をしている。
「社交辞令、ですか?」
思いつくのはそれぐらいだ。
わざわざ、そんな言い方をするわけだし。
「その通り。次の機会はないだろう。今回は特別なだけだ。われわれは君の戦果に感謝しているからこその特例だ。そのことを、重々承知しておいてほしい。それに、君自身も望んでいないだろう?」
まあ、確かに普通に考えれば、僕みたいな人間が会える相手じゃないだろう。
彼女に直接会ってお礼を言ってもらった以上、もう会う理由もないわけだし、それが彼女の友人の話のためでは、理由としては弱すぎる。
それ以前に彼の言うとおり、僕と彼女では住む世界が違いすぎる。
こうした場所には出来れば来たくない。
居心地が悪すぎるし、四六時中気を使った会話をしないのも疲れる。
「そして、これは、私からの助言だ。もう、あの二人にかかわらない方がいい」
「どういう意味ですか?」
一瞬誰のことかと分からなかったが、すぐに浮かんだ。
おそらくはアイシャとミィーナのことだろう。
「言葉通りの意味だ。本来、殿下の友人であるのならば、彼女たちはあんな場所にいたりはしない。けれど、彼女たちはそこにいる。それを考えれば、予測はつくはずだ」
答えはさも簡単だと言いたげにそう言うが、僕には正直全く分からない。
彼が何を思ってそんなことを言っているのか、そして、彼女たちにいったい何があったのか、全く予想なんて出来ない。
彼はそれを予測するのが簡単だと言うが、僕にはさっぱり理解できない。
確かに、彼の言うとおり、殿下の友人と言うことならば、かなり位の高い貴族だということぐらい分かるし、そんな人があの場所にいるのがおかしいのも分かる。
位の高い貴族がわざわざあんなクエストに出るとは思えない。
あのクエストは強制的だったもので、それが原因で僕が出ていたわけだけど、位の高い貴族ならば、回避することだってできたのかもしれない。
だけど、それはあくまでも可能性でしかなくて、何も確定的な情報がない以上、答えにはなりえない。
だから、分からないし、予測がつかない。
「そうか、そう言えば、君はこちらに来て間がなかったのだな」
「はい。すみませんが、検討がつきません」
情けないがそう答えるしかない。
僕は何も知らないのだ。
「貴族ならばあの招集を受けることはない。あの場にいた貴族は王族である祈り巫女であられる殿下と名誉貴族である私だけだ。近衛隊に貴族もいるが、彼らは誰一人として出ていないし、招集はかけられない。これで、意味が分かるだろう?」
「……はい」
なんとなく、だけど、分かった。
あの場所にいた貴族は二人だけ。
その数に彼女たちは入っていない。
要するに貴族ではないということ。
「もう一度言う。彼女たちに関わらない方がいい。もちろん王家ともだ。君は君のいるべき世界で過ごす方がいいだろう。それでは失礼する」
そう言った彼は、この場を去った。
取り残されたのは、彼の言葉を理解しつつも、完全には状況を把握できていない僕だけだ。
「帰ろう」
でも、いつまでもこんなところにいても仕方がない。
さっさと帰って、身体を休ませないと、入院が伸びるかもしれない。
何より、下手したら不審者と間違えられるかもしれない。
いくら、許可をもらったとはいえ、ランククラスの低い一般庶民でしかないのだ、呑気にこんなところにいたら、勘違いされるかもしれない。
アレックス隊長が示した道をゆっくりと歩き出す。
とりあえず、考えるのは後だ。