第十二話 圧倒的な壁
森の中を駆け抜ける。
目的地の検討はだいたいついている。
彼女は、祭壇と言っていたが、この森に祭壇と呼べるものは一つだけしかない。
実際に見たことはないけど、ユグドラシルの木の根もとに、巫女が祈りを捧げる祭壇があるというのを聞いたことがある。
奥に行けばいくほど緑は濃くなり、靄がかってきて視界も悪くなる。
だけど、唯一の救いは魔物がいないことだろうか。
死体がかなり転がっているが、生きているものは一体とない。
『早く!!』
また、彼女の声が聞こえた。
だけど、今度はどこかくぐもっていて、聞きとるのが精いっぱいだ。
危険な状態なのかもしれない。
魔法の出力を上げて、いっきに突き抜ける。
そして、次の瞬間視界が広がった。
「う、うそ、だろ」
だけど、それと同時に固まってしまった。
目の前にはユグドラシルの樹が広がっていて、その麓には聞いた話の通り祭壇があり、そこには人の姿が合った。
遠目からなのではっきりと分からないが自分よりもずっと年下の少女だ。
だけど、それ以上に動きを止めざるを得ない光景が広がっている。
目の前いっぱいに死屍累々の地獄絵図が広がっている。
煌びやかな甲冑を来ているところからみると、それはおそらく近衛隊の隊士だろうが、彼らの死体がそこらじゅうに転がっている。
「な、なんだ」
不意に大気が震えた。
どうやら、まだ戦闘は続いているらしい。
まあ、そうでなければ呼ばれた意味もないのだが、できれば終わっていて欲しかった。
この惨状を見て、正直戦えるとは思えない。
近衛隊が出向いてこの惨状となれば、相手は相当の難敵だろう。
入隊資格はAランククラス以上だが、隊員の大多数ががSランククラスに手が届きそうなほどの手練だ。
「くっ、また、か」
再び大気が震え、それと同時に甲高い声が聞こえる。
同時に悲鳴も聞こえるあたり、また何人か死んだのだろう。
どうやら、状況は最悪のようだ。
彼女の声ももう聞こえない。
「ぐっ、いったい、なんだっていうんだよ」
三度、大気が震える。
それと同時に、すぐ近くで何かが落ちてくる音が聞こえた。
「あ、あんた、救援か?」
音がした方へと近づいてみると、どうやらそれは近衛隊士のようで、身体中を傷だらけにして、息も絶え絶えの様子だ。
「頼む、殿下を守ってくれ。殿下は今、祭壇で、祈祷中なんだ」
「殿下、って、王女殿下か?」
「そうだ。今、隊長は始祖竜10体を相手にしていて、すぐに戻れそうにもない。まだ時間がかかりそうなんだ」
「始祖竜十匹!?」
それが、本当なら噂以上の化けものだ。
「ああ、ただ他の始祖竜が三匹こっちに来て、二匹まではなんとか倒せたんだが、俺たちではもう無理だ」
「冗談だろう」
目も口も何とか開いている状況の彼を見て、思わず泣き言が漏れた。
「冗談だとどれだけ助かるものか。すまないが、頼む」
「た、頼むといわれても」
「頼むことしか、でき……」
そう言ったきり、彼は何も言わない。
もしかしたらこと切れたのかもしれない。
だけど、それがはっきりと確信は持てない。
当然、こと切れているのかどうかを確認しなければいけないが、それをする勇気はない。
人の死を見るのはこれが初めてで、正直怖いのだ。
そして、今ここにある現実もまた怖い。
始祖竜なんていうものは、同じドラゴンでも亜種のワイバーンとは格が違いすぎる。
ワイバーンが何十匹と出るよりも、一匹の始祖竜が出るほうが怖いというぐらいなんだから、どれだけ格の差があるのかがよくわかるし、そんなものの相手が僕に務まるとわけがない。
こんなことならば、彼女たちを呼んで来ればよかった。
僕にはどうしようもない。
ここは逃げるべきだろう。
「また、か」
大気が、また震えた。
おそらく、始祖竜の攻撃の余波がこんなところまで来ているのだろう。
震源地のほうを見ると、黒々とした鱗と大きな翼をもったドラゴンがいた。
そして、その周りには、どこにも動いている人の姿はない。
全滅だろう。
その中に、いったいどれだけの人間が生きているのだろうか、そしていったいどれだけの人が死んでしまったのだろうか。
そう考えるだけでも怖い。
「ぐあああああ」
始祖竜が吠えた。
それだけで、その周辺の地面がめくれあがる。
そして、ひとたび翼をはためかせると、そのまま王女のところへと向かい、大きな腕をなぎおろす。
僕は思わず、その場で目をつむった。
その惨状を見たくなかった。
ばらばらになる少女のことなんか見たくなかった。
だけど、予想していた悲鳴はあがらなかった。
恐る恐る目を開けてみると、必死になって何度も腕を振り下ろしている始祖竜の姿が見えるが、そのどれもが、途中で阻まれている。
おそらくは強力な結界で守られているからなのだろうが、始祖竜の攻撃を受けてもびくともしない結界を作れるあたり、相当な魔法の技術があるのだと思うと、正直びっくりする。
もしかすると、このまま放っておいたとしても、アレックス隊長が戻ってくるまで持つかもしれない。
そうだったら、僕がここで無理して出る必要はない。
情けないかもしれないが、命あっての物種だ。
『彼女を助けてあげて。そんなに長くはあの結界はもたないわ』
だけど、それは突如聞こえた声に否定された。
ノルンだ。
ただ、ようやく聞こえた声は、まるでうまく電波を拾えないラジオのように雑音が混じったような限界ぎりぎりの状態で必死になって絞り出しているような声にしか聞こえない。
『もう話せるのはこれで最後。お願いだから、助けてあげて』
「助けるって、僕には無理だって。あんなの倒せるわけがない!」
『……大丈夫…だって、あなたは……』
だけど、その答えは途中で途切れて返ってこない。
彼女が言った通りに最後だったのかもしれない。
ただ、黙っているだけなのかもしれない。
それは、分からないけど、分かることは一つある。
このままだと、目の前にいる少女が死んでしまうこと。
だけど、どうしても一歩が踏み出せない。
怖い。
もし、ここで踏み出したら、生き残れる可能性はほとんどない。
期待できるのはアレックス隊長だけど、その帰りがいつになるのか分からない以上あてには出来ない。
大気が震えるのを確認して、王女のほうへを見ると、始祖竜が結界いっぱいにブレス攻撃をしている。
結界のほうはまだ壊れてはいないが、先ほどとは違ってブレ始めている。
確かに、それでは彼女の言っていた通り、長くはもたないだろう。
助けにいかないといけないのは、間違いない。
剣を構え直し、魔法陣を目の前に発言させる。
始祖竜が気づいている感じはない。
この場で選択できる魔法は一つしかない。
僕が使える最高の魔法ディバインカタストロフィだ。
限界ぎりぎりまで、魔力をためると、圧縮する。
倒せすことを考えるのは、無意味だ。
僕の攻撃程度が、ぶ厚いうろこを突き抜けるわけがない。
出来ることと言えば、せいぜい、気をそらして、時間を稼ぐことぐらいだ。
無事に圧縮させると、始祖竜のほうへと向く。
相変わらずブレスを吐き散らしていて、結界は今にも崩れてしまいそうなほど揺れている。
助けないといけない。
「……打てない、よ」
だけど、準備は万端なのに、放つだけなのに、それができないでいる。
やはり、怖い。
ここで、放てば、生き残れる可能性はほとんどない。
せいぜい出来たとしても、王女が死ぬ時間を遅らせる程度で、だけどそれだと僕はただの犬死だ。
だいたい、犬死じゃなかったとしても、死にたくなんてない。
まだまだ、やりたいことはある。
新しい世界は始まったばかりだというのに、こんなにもあっけなく終わるのなんて、嫌だ。
ここまでは順風満帆でこれたのだ、こんなところで終わりたくはない。
もっともっと、いろんなものを見たい。
そう思うと、どうしても、打てない。
死ぬよりも孤独のほうがつらいと言っていたくせに、実際に死が目の前にやってくるとそれにおびえてしまう。
結局口だけだったのだ。
「ぐああああ」
焦れたように、始祖竜は思いっきりブレスを吐いた。
その攻撃力は今までのものとは段違いの威力を誇り、ついに結界にひびが入った。
次攻撃を受ければ、完全に砕け散るだろう。
そうなれば、もう王女に助かる道はない。
死しかない。
だけど、アレックス隊長は戻ってくる気配はなく、他に救援があるようにも思えない。
いるのは、僕一人だけ。
僕しか、どうすることもできない。
『ディバインカタストロフィ!!』
始祖竜めがけて放った、それは、ぶれることなく、始祖竜の翼に着弾した。
「ちくしょう、なんで、なんでこんなことになるんだよ!」
そのまま右に飛んでその場を離れた途端に、爆音がとどろきそれに合わせて衝撃波に襲われる。
始祖竜のほうを見てみれば、大きく口をあけている。
どうやらブレス攻撃をされたみたいで、翼のほうを見てみればダメージなんてどこにもない。
分かっていたこととはいえ、こうしてまざまざと現実を見せられると、絶望的な気持ちになるが、そんな暇はない。
次々と襲うブレス攻撃をよける。
攻撃のことなんか考えている余裕はない。
全魔力をエンジェルウィングとディバインオーラに集中させ、回避するだけを考える。
とはいえ、それだけのことをしても、うまく回避することはできない。
よけるたびに余波を受けて、あちこちに傷を受けている。
だからと言って、距離を取れば、確実に始祖竜は彼女を狙うし、そうなると、攻撃しないわけにもいかない。
ダメージはなかったとしても、邪魔をすることぐらいにはなるだろう。
『ナインズソード』
九
つの光の剣を呼び出すと、縦横無尽に始祖竜へめがけて突き進む。
それを小煩そうに払い落とす、わけでもなくそのまま受ける。
どうやらこの程度の魔法じゃ、気を散らすこともできないみたい。
『ブレイブバスター』
ならば、これならどうだ。
始祖竜の目へめがけて放つ。
さすがにこれは受けるようなことはせず、はたき落とす。
どうやら、さすがに目は堅いうろこに覆われていないから危険らしい。
それなら、そこを重点的に狙えばいい。
吐き出されたブレスをよけながら、そう考えていたが、一瞬でその思いは消えた。
そんな考えは、随分と甘いことだった。
不意に身体が軽くなったと思った瞬間、強烈な衝撃を身体中に受けた。
一瞬目の前が真っ白になり、次に真っ赤になった。