第一話 僕の空
~前回のあらすじ~
転送のつもりが転生だった。
異世界に転生してから一日が経過した。
僕、エーリ・アルンティーネ(生後一日)は家の天井を眺めていた。もちろん、好きで眺めているわけではない。
時間的に日が昇り始めた頃だろう。天井の一部を太陽光が照らしている。
きっと外はいい天気なのだろう。聞き覚えのありそうでなさそうな鳥の鳴き声が聞こえる。
気持ちのいい朝だ。
「ぅあぁああっふ」
あくびをして伸びをする。ううむ、赤ちゃんの体には慣れないな。慣れたらマズい気がするけど。
異世界に転生し、一日時間をかけて考えた。さすがに頭は冷静になった。心はまだ落ち着かないが。
「(ていうか、この世界の言葉が聞き取れてよかったなぁ……)」
と、今では呑気なことも考える余裕がある。
言語については、僕の世界にベリーチェが来た時、ベリーチェの言葉が普通に聞き取れたので、まぁなんか通じるんじゃね? とあまり深く考えてはいなかったが、結果としてよかった。
まず、状況について。
ここは確実に異世界だ。ベリーチェの世界かは分からないが、異世界には違いない。
何故なら、僕の両親が人の特徴から外れた外見だからだ。母親のロベラが、額に紫色のような宝石を埋めていることや、父親のディーベが、少し尖った耳をしているところとか。
しかし、これだけで異世界というには理由としては貧弱だ。
それでは、徹底的な根拠を言おう。
この世界には……
魔法が存在する!
……らしい。マジで。
「んあぁぁぁぶ!(よっしゃあっ!)」
言葉は出ないが取り敢えず叫んだ。この高揚感を溜め込むことができなかった。一度放出してスッキリしないと。
魔法。あの憧れの力が、この世界には普及している。これを喜ばずしてどうするのか!
「(長かった。十年かけてようやく、この舞台に立てた)」
できれば自身の両足でこの大地に立ちたかったが……。まぁ赤ちゃんになってしまったのは仕方ない。起きてしまったこと嘆くより、次にどうするかを考える方がよっぽど建設的だ。
とにかく、魔法が存在する。ロベラが魔法を使って見せてくれたのだ。
経緯はこうだ。
赤ちゃんである僕に、ロベラは授乳をしようとした。しかし、僕は純情無垢、質実剛健、思春期真っ盛りの硬派な男子高校生……の精神を持った赤ん坊。女性の胸を見て照れないはずがない。僕は夕焼けの如く顔を真っ赤にしてしまう。それをロベラが熱を出しているのだと勘違い。するとロベラが小さな杖を取り出し、
「『癒せ! 儚き女神の慈悲を!』」
と詠唱した。
するとどうだろう。みるみる羞恥心が緩和されていく。心が安らぎ、この心地よい感覚が永遠に続けばいいのにと思うほど、癒された。ほわーって感じ。
僕は確信した。これこそ奇跡。魔法が存在する、と。
つまり、
魔法がある → 元いた世界には魔法がない → ならここは別の世界 → 異世界!
と、以上の理由から、ここが異世界であることは明らかである。のだ。
僕はその事実に歓喜しつつ、ロベラの乳を吸ったのだった。
……いや、別に授乳に歓喜していたわけじゃないよ?
次に、現状についてだ。
僕はこれからどうすべきなのか、これを考えなくてはいけない。
……こんなことを考えている赤ちゃんはきっと、世界に僕だけだろう。
とにかく、僕はこれからこの世界でどうするかを考えた。
まず、帰る方法を確立すること。これは絶対だ。
あそこまで陽鳴を泣かせて帰らないわけには行かない。ならなんで転送したんだと言われたら困るが。
一応帰る方法はある。じゃなきゃすぐ帰ってくるとか言わない。ただしそれは僕が悠飛だった場合のだ。エーリの場合どうなるか分からない。また他の世界へ転生してしまうとかなったら最悪だ。だから、確実に帰れる方法を見つけなくては。陽鳴のために。
次は、元の姿に戻る方法。まぁ、必須かな。
僕的には、この姿で帰ってもいいんだが。きっと向こうが困惑してしまうからね。
できるだけ戻ることを心がけよう。うん。
最後に、ベリーチェがこの世界にいるのか捜すこと。
きっと、ベリーチェならば僕の力になってくれるだろう。元の世界に帰る方法も、姿を元に戻す方法も、知っているかもしれない。僕の憧れの人は何でもできるのだから。
こんなもんかな。
これら三つを考えながら行動していこう。うん、指針としては妥当じゃないかな。
……おっと、一つ忘れていたことがあった。すっごく大事なことだ。
「(魔法を、精一杯楽しむこと!)」
これを果たせなきゃ来た意味がないでしょ!
昼下がり。穏やかな時間が流れる。
ロベラは外出中。ディーベは朝早くから仕事。
ということは、今、この家には。
「(僕一人!)」
そう、一人。オンリーワン。ロンリーボーイ。
今ならできるかもしれない。そう、魔法だ。
「(常に傍らにロベラかディーベがいたからねー)」
元の世界の僕にはできなかった魔法。幸か不幸か、今の僕は転生してこの世界の人間だ。魔力もきっとあるだろう。魔法を使ってみたいと思うのは至極当然。
誰もいない今ならば、魔法を使える。やってみよう。
そもそも魔法とはなんなのか。
ベリーチェ曰く、
「魔法とはこの世の奇跡。想いを形にする術。願いの具現化……まぁそんなもんじゃ」
奇跡、想い、願い。魔法は、そういったものでできている。人の気持ちは、世界の法則さえも歪めてしまうということかもしれない。愛は何よりも強いのかもね。知らないけど。
魔法は『魔力』と『魔式』で実現させることができる。
魔力は体内に宿る不可視のエネルギーだ。
まぁ、元の世界でも一般的知識として普及していたからね。主にサブカルチャーで。
魔式は魔法という現象を起こすための式だ。
世界の法則を乱し、普通ではありえない現象を引き起こす。そういったことをベリーチェが言っていた気がする。当時の僕には難しくて理解できなかったが。
魔式に魔力を注ぎ込む直接的な方法か、魔式を詠唱することで世界に魔力を注ぐ間接的な方法か、どっちでも魔法は成立する。
ちなみに、魔式が書いてあるのが魔法陣で、僕はそれに直接魔力を注いで転生したのだ。
楽なのは魔法陣に魔力を込める方だろう。しかし魔法陣というものは書くのが難しく、少しでも間違えるととんでもない事故が発生する可能性があるらしい。だから普通は詠唱を覚えて魔法を使うらしい。
……僕の魔法陣は完璧だったと信じたい。
魔法陣は何に書いてもできるらしい。地面に木の枝で書いても、ルーズリーフに鉛筆で書いても、結露した窓に指で書いてもだ。
そして、ベリーチェはこんな面白いこと言った。
「頭の中に魔法陣を完全な形で思い浮かべ、魔力を込めても発動するぞ」
俗に言う『無詠唱』だろう。
今の僕は赤ちゃんだ。しかし、魔法陣のことはよく覚えている。魔法大全を隅々まで熟読し、一言一句暗記している。
更に、今の僕は異世界人だ。魔力も持っているだろう。魔力は生まれた時に魔力の容量が決まるらしいから、今のこの状態ですでに十分な魔力を持っているだろう。
ならば、赤ちゃんでも魔法を扱えるのではないだろうか?
試そう。試してみよう。上手く喋れない僕でも無詠唱なら可能かも知れないんだ。
「(よし、思い浮かべる魔法陣は……)」
僕は早速記憶を呼び起こした。無限に浮かぶ魔法陣の中からたった一つを思い出す。
最初に試すのはもちろん、
「(空を、飛ぼう)」
飛行魔法だ。
ベリーチェは『黄昏の散歩』とかいう物を使った魔法を使用した。しかし物を使わないで空を飛ぶ魔法もあるらしい。
ならば何故それを使わないのかと尋ねると、
「物に跨るという行為自体が条件付けとなるから、短縮して空を飛べるのじゃ」
子供には難しいこと言っていた。でも今なら分かる。
僕はここ一番で本気を出す時、ついつい指をポキポキと鳴らす癖があるのだが、これがベリーチェの言う条件付けとなっているのだろう。
指を鳴らすというスイッチで、僕は本気を出す。出すことができるのだ。
頭の中の魔法陣に魔力を込める。魔力を込めようと意識する。
魔法陣は物を使わず我が身一つで空を飛ぶ魔法。名前は付いてなかった。
きっと、ベリーチェはそんな魔法を見ただけで、詳しく知ることができなかったのだろう。
ならば僕が名付けよう。今日からこの魔法は――
「(僕の空、だ!)」
次の瞬間、僕の体は宙へ浮いた。
ふわふわと、無重力空間にでもいるような浮遊感。それと同時に高揚感が溢れてくる。
「ぶぁああぶ! ぁだぁあ! んあぁっぷぁぁぁっ!(飛んでるっ! 僕は今、自分の力で飛んでる! 魔法が使えてるんだ!)」
感動した。人生で二度目の感極まる状態だ。僕はあの時の感動を、思い出した。
鳥肌が立ち、体が震え、涙まで出てしまいそうになる、あの感覚を。
僕は今までやって来たことが、報われたような気がした。
数分かけて、宙に浮きながら心を落ち着かせた。
心臓の鼓動はまだうるさいが、周囲を見る余裕が出てきたので、眺めてみる。
まるで童話に出てきそうな洋式の館だ。壁が石材でできており、天井にはシャンデリア――っぽい物が付いていて豪華なイメージを引き立てる。床も大理石みたいに光沢があって綺麗な石を使っているのが分かる。家具も見た感じ高級な物を使っているのかもしれない。
それもそのはず。僕の転生したアルンティーネ家は、ここら辺で有名な貴族の家らしいからね。ディーベがそういうことを言っていたから確実だろう。
一通り目に焼き付け、満足した。
うむ。エアロスターによって、首の座っていない赤ちゃんでも、こうやって家の中を見渡せる。やっぱり魔法って最高だな!
ようし、この他のフロアに行ってみるか。
そう思い、部屋を出て廊下に出る。これまた高そうな赤色の絨毯が敷かれており、所々に謎の壺が置いてある。窓からは輝く太陽の光が差し込んで幻想的だ。
そんな真っ直ぐな廊下を、僕は堂々を飛んでいく。何だか気持ち良くなってきた。鼻歌でも歌おうか。
そう、のんびり考えていると、ガッシャーン! と、何かが割る音がした。
方向的に外かな? 窓の外へ目を向けた。
「あ、あぁ、あわわわわわ!」
メイド服に身を包んだ少女と目が合った。
随分と幼い少女だ。質素なメイド服に着て、庭園のような場所で、信じられないものでも見たような顔で突っ立っていた。割れたのはティーカップのようで、今は無残に砕け散っている。
おお、この世界にもメイド服あるんだなぁと考え、はたと気付いた。
僕、今赤ちゃんだよね?
「赤ちゃんが浮かんでるぅ!?」
ヤバイ!
メイドの絶叫で我に返り、物凄いスピードで宙を駆け、華麗に部屋へと逆戻りした。
そしてそのまま赤ちゃん用のベッドに着陸して、狸寝入りを始めた。
「(そりゃそうだ。いくら何でも赤ちゃんを一人にしておくはずがないよね。声が聞こえる位置にいて何かあったら駆けつけられるようにしているのが普通だよねぇ)」
数秒後、ドタドタと音を立ててメイドがやって来た。
「エーリ坊ちゃまぁ!」
目の閉じているので分からないが、メイドは相当焦った顔をしているだろう。
ドキドキしながら寝たふりを続ける。
「あ、あれぇ? 寝てる? 寝てます? なんでぇ!?」
混乱で右往左往しているのが目に見えるようだ。
すると、廊下の方からまた別の足音が。
「何ですか騒々しい!」
「あぁ、お母様!」
「ここではメイド長と呼びなさいと言ったはずですが?」
「す、すいません! メイド長」
声だけでも十分威厳を感じさせた。なるほど、メイドの母親でメイド長か。
「それで、どうかしたのですか?」
「はっ、はい! それがですね……!」
しどろもどろになりつつ先程見たこと話すメイド。きっと信じてもらえないだろうな。普通はありえないし。
「(僕のせいでごめんね。大きくなったら是非とも謝らせて下さい)」
僕は心の中でメイドへ謝罪しつつ、寝返りをうった。
そして次はこんなミスをしないように気を付けよう、そう心に誓ったのだった……。