10.10 これは全力で前に進んでるんだ
サトーが焦燥感をはらんだ声で事の急転を告げる。
「シオがいなくなった。
探してはみたが、俺の取れる手段では見つかりそうにない」
「え、どういうことだ。サトーはいまどこに」
「昌宏の協力が必要だ。今、そちらに着く」
ピリピリと焼けつくような声がプツンと途切れると、足音とともにサトーが走ってくるのが見えた。
息を切らしながらも表情に苦しさはなく、すぐに呼吸を整えて平静を取り戻す。
「説明しながら作業を行うから、そのまま聞いてくれ」
「あ、ああ……」
言外に動かないように指示され、緊張しながら言うとおりにする。
サトーはお馴染みのよくわからない機器を扱いつつ、周辺の様子を探っていた。
「いきなりですまない。しかし、時間が惜しい。
シオがまだ昌宏の監視体制を解いていないのであれば、逆探知のようなことができるはずだ」
「そういうことか……」
どういう形であれ協力できるということは喜ばしい。
しかし、シオさんが姿を消したとはどういうことだろう。
疑問をそのまま口にすると、サトーは作業しながら答えた。
「おそらく、悪意が抑えきれなくなったのだろう。
迷惑をかけないため……あるいは、俺から逃れるために姿を隠した」
「サトーから逃れるため?」
「……何かあったときは、容赦なく手を下してくれと言われていたからな」
苦虫を噛み潰したような渋い顔で語るサトーの目元には、とても色濃い疲れが見てとれた。
俺やシオさんへの自責の念から、サトーはいつも以上に業務に打ち込んでいた。
いくら元ヒーローのタフな身体といえど限界は誰にでもある。
「無理しすぎじゃないか?」
「それはシオも同じだ……他にやりようがないとはいえ……!」
珍しく愚痴るサトーを見ていて、なんだか腑に落ちるものがあった。
サトーもシオさんもお互いを助け合っているのに、どうしてうまくいかないのか。
「なぁ、サトー」
「どうした?」
「すごいな、サトーもシオさんも」
サトーは作業していた手を止め、少し不思議そうな目を向けた。
「どうした急に……?」
「いや、ヒーロー時代の話を聞いてさ。
俺なんかより素質も実績もあって、ヒーローとしてトップクラスだったんだろ。
後輩のシオさんを守るために黙って覚悟決めて」
「それはどちらかというと後悔してることなんだが……」
「シオさんもシオさんで、そんなヒーローに追いつこうとして追いつけるだけの能力がある。
サトーが現代に戻れなくなって、権限だけでなく責任も引き受けて。
捨て身で悪意の拡散を防ぐ決断力は、プロだなって思うよ」
もはや声も出ずにぽかんとするサトーに向かって、途切れることなく言葉を続ける。
「ヒーローだけあって、二人はお互いを助けようとしてる。
それなのになんかうまくいかないのは、やっぱり理由があるんだよ」
「……そうなのか?」
「単純なことさ、カッコつけるのが下手なんだ」
「へ、下手……?」
サトーは俺に言われたことがショックだったらしく、大きく目を見開いてへこんでいる。
そこまでの反応をされると、少々言い過ぎたかと首筋がかゆくなってくる。
「下手っていうか、黙ってカッコつけようとしすぎだ。二人とも」
「……言ったら心配されるだろう」
「言わなくたって心配されてるだろうが」
サトーは納得しがたいといった様子で口を固く結んでいる。
きっと俺が何を言ったところで容易く納得はしてくれないだろう。
それなら、俺にしか言えない経験則がある。
「ヒーローみたいな助けのプロを助けるなら、誤魔化しなんてきかない。
正々堂々真っ向勝負。毎度ピンチに陥って、毎度クライマックスを潜りぬけるしかない。
――って、ヒーローを助けてきたヒーローは思うけどな」
「……昌宏」
そのとき、機械が反応を示して、サトーの顔つきが変わる。
「居たか! ……そう遠くはない」
「きっと、周囲への被害が最小限になるように町を離れただけなんだ」
「俺も同意見だ」
シオさんの捜索に使った機械を片付けながらサトーが言った。
「昌宏」
「なんだよ」
「……一緒に来てくれるか?」
「むしろ、一人で行くつもりだったのか」
「いや……そうだな、すまん」
支度が済んで動き出す、かと思いきや、サトーはやけに動きが悪かった。
また妙なことを考えているのではないかとやきもきしていると、サトーが不意に口を開いた。
「シオは――――俺に似て、強情なやつだ。
人のことは助けようとするくせに、自分のことは助けてもらおうとしない。
だから、俺は今度こそ、あいつを真正面から助けに行こうと思う。
……手遅れだろうか?」
サトーの大きな背中に影が差す。
だが、サトーは立ち止まるようなことはしない。
失敗しても、後悔しても、諦めないことを覚悟しているからだ。
守ろうとして守れなかったものを抱えていても、その重さに潰れることはないからだ。
サトーは立派なヒーローだ。
俺にヒーローを教えてくれたサトーならば、手遅れかどうかはわかるはずだ。
「手遅れだって? そんなのサトーがいつも言ってたことだろ?」
訳知り顔で煽り立てると、サトーは首を捻って唸り声を上げる。
しかし、思い当たる節がなかったのか、すぐにギブアップした。
「すまん、俺はなんと言った?」
「ヒーローは遅れてやってくるものだ、って」
「……ああ、そうだったな」
力の抜けた声だったが、サトーの進むスピードはどんどんと増して、やがて追いかけるのも精一杯になった。
どういうことだと思いながら必死に走っていると、サトーの楽しそうな声がした。
「――だが、これ以上遅れてたまるか!」
+ + +
夕暮れが加速していく。
沈みかける夕陽は辛うじて光を残しており、まるでエンディングを見逃すまいと居座っているかのようだ。
町外れの川沿いから更に離れ、辺りはすっかり人家もなくなり、道の左右には雑木林しか見えない。
そう遠くはないと言いつつ、だいぶ走っている。
サトー基準の遠くない発言だったのではないか、と疑い始めた頃、ようやくサトーが足を止めた。
破れそうな心臓を落ち着けていると、サトーが静かに言った。
「あそこだ」
トンネル。
それも古めかしい手掘りの様相は、新道が開通したことで使われなくなった旧トンネルだ。
「あんなところにシオさんがいるのか……?」
反応があったのだからいるのだろうが、およそ似つかわしくない雰囲気に疑問を声に出さざるを得ない。
しかし、サトーは確信するようにどんどんとトンネルの奥へ進んでいった。
慌てて後を追いかけると、奥のほうから聞き慣れたものより一段低いトーンでシオさんの声が聞こえた。
「……先輩ですものね、やはり探しに来ますよね。そして見つけますよね。
連絡を残そうかとも考えましたが、何を書こうと無駄だと思ってやめました。
それ以上、考え込むとどうにかなってしまいそうだったから」
位置関係ではサトーよりシオさんのほうが遠くにいるはずなのに、不思議とシオさんの声だけが耳に響く。
トンネルの中は闇に包まれて一寸先も見えないほどで、明らかに異常な暗さだった。
泥のように足取りを重くさせる空気のねばつきに逆らいながら、ひたすらにサトーを追いかける。
なおも聞こえてくるのはシオさんの言葉ばかりだ。
「逃げたのは正解です。
あなたと一緒にいられると思ってそうしたのに、あなたと一緒にいると気が狂いそうになる自分がいます。
僕はもう僕でいられない。自分が――私が、悪意に呑まれていくのがわかるんです」
シオさんは明らかにサトーに話しかけている。
それなのにサトーの話す声は一向に聞こえてこない。
サトーの身に何かあったのではないかと、抵抗感を押しのけながら進む。
やがて、鈍く、赤く光るものが見えた。
「彼のとなりに並び立てる存在なんて、才能があって、努力を怠らない私くらいだと――
誰もが尊敬や憧れるばかりで近づこうとしない彼のとなりに辿り着けるのは、私だけだと――
彼を理解して、助けられるのは私だけだと――
だから――――――だからだからだからだからだからだからっ!!!」
途端に闇が消え、サトーの姿と、シオさんの振りかぶる腕が見えた――
「――――その人のとなりに、立つなぁあああああっ!!!」
瞬間、内臓ごと心を抉り取られたような経験のない痛みが走る。
勿論それは錯覚で、勢いに押されて倒れ込んだ俺の身体のどこにも外傷はない。
全身で生き延びるための呼吸をしているシオさんが、眼をぎらつかせている。
「……はぁ……はぁ……新藤くんの管理権限は、今、私に、あります……」
「シオ、貴様っ!!」
激昂するサトーが俺とシオさんのあいだに割って入る。
二人の戦いを止めないといけないとわかっているのに、何故だかそうすることができない。
急速にしぼんでいく何かを感じながら、その正体がわからずにいた。
「は、ははっ……やってしまいましたね……私」
「仕組んだ結果ではないはずだ!」
「……わかってて言ってるでしょう」
なんの話をしているかは掴めないが、一つだけ気付いたことがある。
あの、女の人はとても辛そうに笑っている。
あれは覚悟を決めたヒーローがよくしている表情で、あまりよくない兆候だ。
見覚えがある。どこで見たかは覚えていないが。
「……偶然といえば偶然ですか?
私が意思を持って動いたのはレポートの報告だけですから。
ヒーロー補正と悪意の動きに関連性があると、わかりやすく示したに過ぎない」
悪意とは、なんの話をしているんだ。
ヒーロー補正にどんな関係があるというのか。
「ヒーロー補正が悪意を誘引することも、彼のヒーロー活動停止も、先輩が現場から外れたことも、すべては偶然ですか?
きっかけが私の報告で――そうすることで、こんな結果を招くかもという思惑があったとしても、偶然ですか?」
「……本当に、こうなるとわかっててやったのか?」
「まさか! ここまでうまく転がるとは想像もしませんでしたよ!
できれば続けたかったんですけど、私に限界が来てしまいましたからね……」
乾いた笑い声をあげる女性は、息苦しそうに喘いでいる。
薄暗い煌めき湛える瞳からぽとりと一滴が落ちた。
「こんな……嫌な女になってまで、私は先輩と一緒にいたかったんでしょうか?」
独白のように悪意を晒し続ける女性の話を聞き、サトーはだいぶ落ち着きを取り戻していた。
むしろ悲しげな目を向けていたが、数秒目を閉じて、それを振り払った。
「こんなことしなくてもよかっただろう……」
「した後で言われても遅いんですよ、先輩。
私はてっきり、現場解任や悪意への対応という理由付けがなければ、同じ方向を向いてくれないと思っていたんですから」
「それは……」
口ごもるサトーを見て、女性がフッと微笑をこぼした。
そして、ふと視線を俺に向けた。
「どうしてまだここにいるんです?」
「えっ」
「先輩の、サトーの背後にいるから無事でいられると気付きませんか?」
話に集中していた意識を周囲に向けると、押し寄せる闇が自分の周りだけ和らいでいる。
それでもジワジワと侵食されるような感覚があり、言い知れない不安感が込み上げてきた。
自覚すると余計に押し潰されそうになり、思わず叫び声をあげる。
「あ、ああっ」
「くっ、逃げろ昌宏! じきに悪意に呑み込まれるぞ!」
「だけど、サトーが……!」
「早くしろ! ヒーロー補正が消え去る前に!」
「消え――――あっ」
それを言われて気付いた。思い出したと言ってもいい。
あの女性の一撃により、俺はヒーロー補正を記憶ごと封印されかけている。
強引な手段だったために記憶に揺らぎがあるが、徐々に無へと整理されていくだろう。
実際、女性の姿や声はわかるのに、どうしても名前が出てこない。
「サトー! 俺、わかってる! わかってるのに、逃げたら駄目なのに――!」
色々と思い出したはずなのに、浮かび上がっては沈んでいく。
ここ一番の勝負どころと感じているが、立ち向かう勇気が湧いてこない。
それもそのはず、ヒーロー補正のないヒーロー候補など、ただの一般人だ。
一般人が悪意をあふれさせて、だだ漏れにしているやつを相手にできるわけがない。
「昌宏の封印を解く管理権限は今の俺にはない……とにかく、今は逃げるんだ!」
「今は逃げろったって、後でどうにかなるのかよ!」
「頼む、もう後悔したくない!」
切実な叫びに突き動かされ、迷いを振り切って駆け出した。
しかし、俺はすぐに後悔した。サトーが後悔しないために、俺が後悔するはめになるとは。
もう止まれない。止まれば無駄になるものが大きすぎる。
サトーが守り続けてくれた一筋の道を進みながら、悔し紛れに怒鳴る。
「サトーのバカ野郎! 覚えとけ、俺は逃げないぞ!」
走り去る俺の後ろで、サトーと女性がどんな顔をしているかは知らない。
振り向くこともできずに――――いいや、振り向くこともなく、俺は言い放った。
「必ず戻るから、これは全力で前に進んでるんだ!!」
+ + +
トンネルを抜けると、すっかり陽は沈んで暗くなっていた。
電灯が一つもない道外れ。わずかな星明りも雑木林が遮っている。
それでもトンネル内より空気が明るくなったように感じる。
なんとも不可思議な表現だが、そう思ったのだから仕方がない。
「や、やばい……足が震えてる……」
ヒーロー補正は最後の捨て台詞で空っぽになったらしい。
ピンチだろうとなんだろうと、人間は全力で走れば疲れるものだ。
気合で頑張れることには限度がある。
「早く、早くしないと」
俺は焦りながらも、慣れ親しんだ番号へ連絡をとった。
相手はすぐに出た。
「新藤さん?」
「野々宮! 助けてくれ!」
「えっ、どういう――――」
ツーツー、と無機質な音が鳴る。
携帯電話を見ると圏外となっていてつながるはずもなかった。
意味のない通話を終了すると、画面には登録されていない電話番号が表示されていた。
「あれ……なんで俺――――知らない番号にかけたんだ?」




