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ヒーローたちのヒーロー  作者: にのち
10. ヒーロー候補と元ヒーロー
96/100

10.9 物足りないですか?

 事件のたび、野々宮には色々とお世話になってきた。

 それと同じくらい、繰り返す日常の中で一緒にいてくれることは大きなことである。

 何かあるごとに相談しては、解決したりしなかったり。

 日常パートがあるからこそ、ヒーローはいざというときに活躍できる。


 黒霧に襲われた次の日から、朝、昼休み、放課後に至るまで、野々宮との会話は挨拶を交わすくらいになった。

 べつに示し合わせて離れているわけではない。

 俺が変に避けてしまい、それを察した野々宮が空気を読んでくれているだけだ。

 それでも放課後になると毎日、野々宮はたずねてくる。


「今日も……別々に帰りますか?」

「ああ、念のためな」


 そんな日々が一週間も続けば、機微に聡い者は変化に気付く。


「ねぇ、ノノちゃんとなんかあった?」


 ある日の午後、椎野がふらりとやってきてはぼやけた質問を投げた。

 俺が原因ではあるが、俺が野々宮に何かしたというと、そうではない。

 説明しようがないし、説明する気にもなれない。


「いや、そういうわけじゃない」

「……まぁ、ケンカって感じじゃないよね。

 私には相談できないこと?」


 相談して意見を貰うことはいいことかもしれない。

 メアリースーのときのように、野々宮と距離があるときに話せる人がいるのはありがたい。

 椎野の別視点からの見方は、問題の突破口になることもあった。


 ふと、脳裏に影がよぎる。

 そんな貴重で大切な存在と関わることは、悪意につけこまれるきっかけになるのでは。

 魔法少女と同じくらいタイムリーパーだって特殊な存在である。

 ヒーロー補正が発動しかねないシチュエーションになる可能性は否定できない。

 そうなった場合、俺は椎野を守れない。


 可能性がゼロではないと気付いてしまってからは、もう駄目だった。


「……悪い。ちょっとしばらく一人にさせてくれ」

「ちょっとしばらく、ってどのくらい?」


 悪意が消え去るまで。

 それっていつまでなのか、そんなの誰にもわからない。

 それだけの時間、こんな調子で日々を過ごさなければならない。

 どうせ俺は戦えないのに、平凡な日常すら送ることができない。

 日常パートがなければ、戦闘パートすら参加できない。

 それってなんなんだ。俺ってなんなんだ。


「……世界が平和になるまでかな」

「えーっ?」


 椎野の反応は当然である。

 平和にするのがヒーローの仕事だ、と幻聴が聞こえてくるようだ。

 もちろん、そんなこと言ってない椎野はパッと明るい笑顔を見せた。


「じゃあ、それまで待ってるね!」


 普段どおりの軽い口調で手を振る椎野を見送って、俺は一人で帰路についた。




 一人で帰ることに違和感を覚えるようになったのは、いつからだろう。

 去年まではそんなこと当たり前だったのに、どうして気になるのだろう。

 この変化を心が弱くなったと捉えることもできるが、俺はそうは思わない。

 一人ではできないことがある、と知っているからこそ、誰かを守る力が湧くのだ。

 それを理解しているからこそ、今の状況は辛い。

 ヒーローを諦めないでいることが、孤独で抗い続けることならば、ヒーローとはなんと苦行に等しいものだろう。


 ポケットの中で携帯電話が震える。

 取り出すと、野々宮から短いメッセージが届いていた。


『サトーさんやシオさんを交えてでもいいから、ちゃんとお話しませんか?』


 野々宮はまだ諦めていない。

 そのことが余計に俺の心に深く突き刺さった。

 はったりも空元気も、虚構の威勢を張ることもできやしない。

 とりあえず、返信しておかなければ――


「……わかった、って送っていいのか?」


 ヒーロー監察官の下でなら話し合いの場が作れる、という野々宮の提案。

 確かに安全対策としてはこれ以上ないが、悪意の処理は結局シオさんに頼ることになる。

 俺たちの身の安全は確保できるが、万が一の際にかかるシオさんの負担は大きい。


「……ひとまず、考えとくか」


 考えたところで答えを出さなきゃ意味がないのだが、そうわかりつつも先延ばしにした。


『考えておくよ』

『わかりました。また明日、学校で』


 一文で余計な装飾のない野々宮の文章からは、押し込められた感情が不思議と透けて見えた。

 それに比べて自分のなんと淡白なことか、と後悔さえ感じる。

 せっかく久しぶりに野々宮と交流できているのだから、もっとフレンドリーにするべきか。


『ありがとう野々宮。話せなくたって友達だからな』

『今更、友達ですか?』


 どういう意味か、なんて怖くて聞けなかった。

 答えを知ったところで会いたい気持ちが強まるだけで虚しいので、俺は携帯電話をしまった。




 俺は町外れにある川原まで来ていた。

 むしゃくしゃした気持ちが晴れることを期待して川の流れを見つめていたが、魚が跳ねるのを二度見かけただけだった。

 護岸工事で固められたコンクリートに座り込み、数十分を過ごすことで得られたのは軽い寒気だけである。

 失ったものは身体の熱と、ヒーローに対する情熱と、あとエトセトラが延々と続く。


「何してるの」


 ふと声をかけられて振り向くと、ジャージ姿のランニングスタイルといった明智がいた。

 探偵に憧れているはずなのに、助っ人陸上部を続けており、もはや期待の新人の風格を出している。


「すっかり陸上部のエースだなぁ」

「ち、違うわよ! 探偵に必要なフィジカルを鍛えているだけなんだからねっ」

「どんなツンデレだよ」


 明智のことを勧誘した三年生の部長が卒業しても、この調子では辞めないんだろうなと思う。

 そういったある意味で凡庸なところが明智のいいところではある。落ち着く。

 本人に聞かれたら失礼なことを考えていると、明智は怪訝な目で首を捻った。


「なんだか夢破れたおじさんが定職にも就けずにやけになったような顔してるわね」


 明智のほうがよほど失礼だった。しかも口に出して言った。


「具体的に嫌なこと言うなよ」

「それで、どうしてこんなところでたそがれているわけ?」


 直球な疑問にやや面食らったが、この数日で明智もなんとなく察していたのかもしれない。

 話すかどうか迷ったが、野々宮の友人である明智は探偵になることへの渇望はあれど、特殊能力など何一つない一般人だ。

 明智ならヒーロー補正を発動するような展開にはなりにくいはずだ。


「明智なら……いいか」

「なんだか知らないけど、雰囲気が失礼ね」

「誤解だ。これからは明智のような普通のやつと、もっと仲良くしていこうと思ってさ」

「ふーん、そうなの。その台詞は異常だけどね」


 明智がグッと身体を伸ばしながら、話を聞いてあげるという姿勢に入る。

 話すといっても事件に巻き込むわけにはいかないので、念のため直接的な相談は避けることにした。


「明智は探偵辞めろって言われたらどうする?」

「えっ、イヤよそんなの」

「あー、でもさ。

 明智が推理することで、逆に犯人や事件を呼び込んで、周りの人が巻き込まれるってなったら?」


 俺がおかれている状況を明智の場合に例えてたずねると、明智は少しだけ悩む素振りを見せた。


「うーん……やっぱり辞められないわね」

「周りに危険が及んでも?」

「だけど、私にとって探偵は職業というより生き様だもの」


 きっぱりと言い放つ明智は潔く、カッコよかった。

 久しくカッコつけていない俺には眩しく見える。


「探偵が事件を呼ぶんじゃない。事件が探偵を呼んでいるのよ」

「どう違うんだよ」

「ふふ、真の名探偵なら歩いて数分で殺人事件に遭遇することもまれによくあるわね」

「そんな駅から五分の好物件みたいな……」

「殺人なら事故物件ね」

「酷いこと言うな」


 前言撤回。やはり明智は探偵バカだった。

 呆れながら溜息をついていると、明智はそんな俺の様子に気付かずに続けた。


「探偵がいるから事件が起きるの? 違うわ。

 犯人がいるから事件が起きるのよ。

 では、探偵がいるから犯人がいるのかしら? それも違うわね」


 ヒーローがいるから悪意がいるのではない、と明智は意図せずに証明する。

 さりげない解決に、脳で理解する前に心だけが先走って気付く。ああ、言葉にできない。


「それならば探偵の役割は何かしら」


 挑戦的な明智の瞳は、信念を譲らない者の確固たる意志の強さを感じさせた。

 どんなに夢のような憧れだとしても、探偵でいることを諦めない。

 そんな明智に影響されて、俺の心にも少しずつ油がさされ、駆動音が高まりだす。


「事件を解決すること」

「そうよ! 探偵がいなくても事件は起こるけど、事件は探偵がいないと解決しないわ」


 テンションの上がった明智は、どこか遠い目をして言った。


「事件は常にそこにある。

 どんなに光が見えなくても、探偵は足と頭を止めてはいけない。

 動かなければ解決の糸口は掴めないのだから」


 言い切った後、フッと小さく息を漏らした。


「……どこかの探偵が言った台詞か?」

「私の持論よ」


 ふふん、と得意げな明智だったが、調子に乗っていたことに気付いたようで、少しだけ恥ずかしそうに目をそらす。


「私がカッコつけてどうすんのよ……あなたも早く、いつもどおりにしなさい。

 ……友達も、心配してるわ」

「うん、ありがとう」


 探偵談義に調子づいたのも事実だが、最近の野々宮の様子を見て、俺を励ましてくれたのも事実のようだ。

 まさか明智に励まされて、ヒーローへの気持ちを取り戻すとは思わなかった。


「さっきの台詞」

「うん?」

「明智の持論って言ったな」

「そうね」

「……それなら探偵が言った台詞で合ってるじゃないか」


 カッコつけてしまった。

 それは自覚しているが、恥ずかしさの中に誇らしさと懐かしさがある。

 明智は紅潮する頬を冷ましながら、ビシッと人差し指を立てる。


「ふふ、名探偵である私が一つ、真実を教えてあげましょう。


 ――あなたは今でもじゅうぶんヒーローよ」


     + + +


 べつに事態が好転したわけじゃない。

 ヒーロー補正が発動すれば悪意を引き寄せ、自分のみならず周囲に危険が及ぶことに変わりはない。

 何もしなくても悪意はそこにある。


 ――ただ、その悪意を倒せる役割はヒーローであると信じただけだ。


 携帯電話の連絡先から野々宮の番号を呼び出す。

 やや長めのコール音の後に、小さな声で野々宮が出た。


「はい……」

「野々宮。これからのことだけど」


 耳元で息を呑む声がした。

 決断が鈍らないうちに、一気にまくしたてる。


「ヒーロー、やっぱり諦められなかった。

 野々宮となんの憂いもなく会うためにも、まだ頑張ってみる」


 この決断に至るまでの紆余曲折は、すべてこの後の展開への道のりでしかない。

 すべてのもやもやした憂鬱は、気持ちが晴れるカタルシスへの布石でしかない。

 何度も心を打ち砕くピンチの連続は、クライマックスで勝利を手にする伏線でしかない!


「新藤さん……そうですか…………そうですよね!」


 嬉しそうに声を弾ませる野々宮、携帯電話の先の笑顔が目に浮かぶようだ。


「わかりました! 私もお手伝い……」

「それは待ってくれ。悪意の危険性がなくなったわけじゃないんだ。

 でも大丈夫。一人では無茶しないで、サトーに頼ろうと思ってる」

「そ、そうですか……」


 野々宮の声が段々と先細り、わかりやすく意気消沈していた。

 それでも不屈の魔法少女はすぐに元気を取り戻した。


「わかりました。それが新藤さんの決めたことなら。

 ですが、私はヒーロー活動禁止にされてませんからね。

 魔法少女活動を止める権利は、シオさんにも新藤さんにもありませんよ」

「おいおい、何する気だ?」

「とってもよく効くおまじないがあるので、全力でかけ続けようと思います」


 なんだか自宅の部屋に魔法陣を描いて、昼夜問わず祈り倒す野々宮を想像してしまった。

 明るい雰囲気になったのはいいが、無理をして倒れられても困る。


「無茶はするんじゃないぞ」

「どの口が言ってるんですか。

 私だって魔法少女補正で頑張りますから!」


 ヒーロー補正があるなら、魔法少女補正もあるのかもしれない。聞いたことないけど。


「そんなものがあるのか」

「あはは、マネしてごめんなさい。

 けど、ヒーロー補正がない人にだってあるはずです。

 人生の踏ん張りどころというか、カッコつけなきゃいけない瞬間ってのが」


 頑張ることにかけては右に出るものがいない魔法少女の言葉である。

 背中を押してくれた野々宮に、もう一つだけ聞いておきたいことがあった。


「なぁ、野々宮……俺にもあるかな」

「何がですか?」

「ヒーローって認められてなくても、ヒーローとして輝ける瞬間が」


 ヒーロー活動を禁じられて、ヒーロー補正を制限されて。

 シオさんからは何度もヒーローを諦めるように忠告を受けてきた。

 それでも諦め悪くここまで来た俺にもカッコつけられる場面は訪れるだろうか。


「……ごめんなさい。

 こんなとき、ヒーローじゃなくたって新藤さんは新藤さんです!

 とか、そんなこと言えたらいいんですけど……


 私の好きな人はヒーローなんです。

 それはヒーローじゃなくなったら嫌いになるとか、そういうことではなくて。

 どんなときでもヒーローなんです。

 いつだって……いつまでも、新藤さんは私のヒーローなんです」


 野々宮は一拍おいてたずねた。


「……私の公認じゃあ、物足りないですか?」


 ――――そんなわけないだろ。


「…………いいや、何よりも嬉しいよ」

「それならよかったです」

「じゃあ、また」

「えっ、は、はい! 頑張って!」


 電源を切って、喜びに打ち震える。

 危なかった。歓喜で叫びそうになるかと思った。

 さきほどまで川原で不貞腐れていたのはなんだったのだろう。

 やる気が、力がみなぎってくる。


 状況に大きな変化はないが、俺の意識だけは大いに高まった。

 そのとき、手元の携帯電話に着信が入る。サトーだ。

 俺はちょうどいいとばかりに意気揚々と電話に出る。


「サトー、聞いてくれ! やっぱり俺……」

「すまない昌宏。緊急事態だ、簡潔に言うぞ――シオが帰ってこないんだ」

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