10.6 ヒーローじゃなくても友人として
失意のまま魔法界から逃げるように帰り、しばらくが過ぎた。
時間が経つにつれて、俺は自分の取った選択肢に後悔しつつも、妥協を覚え始めていた。
あの場はそうするしかなかった。
サトーとシオさんの戦いを止めるには、ヒーローをやめることを本気で示さなければいけなかった。
「……これでいいんだ」
自らに言い聞かせるような台詞も何回こぼしたのかわからない。
ふと気付くと終礼のベルが鳴り、となりでは野々宮がうんざりを顔に書いたような目つきで立っていた。
「新藤さん、いい加減にしませんか?」
「なんのことだ」
「『これでいいんだ』って言いながら宙を見上げるやつですよ」
べつに言いたくて言っているわけではない。言ってしまうだけである。
しかし、そんな幼稚な言い訳を口にすれば三倍になって返ってきそうなので黙り込む。
野々宮はなおも呆れ顔をしながら文句を続ける。
「数日ならわかりますけど、もう二週間ですよ、二週間。
そろそろやる気になってシオさんのアパートに襲撃をしかける頃合いじゃないですか?」
「そんなことしたら本当にヒーローじゃなくなっちまう」
「……じゃあ、ヒーローを諦めて魔法少女の友人枠としての一生を過ごしますか?」
「いいじゃないか、なんでそんな悪いほうの選択肢みたいに言うんだよ」
ぶっきらぼうに返事をしていると、野々宮は言葉が尽きたようで口惜しそうにしていた。
野々宮はあれからずっと俺のことを励まし続けてくれている。
時には優しく、時には厳しく。どれだけ感謝の言葉を並べても足りないくらいだ。
それに応えてあげたいとは思うのだが。
「俺が動いたところでどうにかなる話じゃないし、どうにかできそうなヒーロー補正は絶対に使うことはできない」
「……それでいいんですか、新藤さんは」
「野々宮がとなりにいてくれて、サトーにも会えた。
ヒーローにはなれなかったけど、ヒーローじゃなくたって誰かの手助けくらいはできるさ」
俺は純粋なヒーローになりたかったわけじゃない。
誰かを助けるヒーローを助けることで、より多くの人を、より大きなものを助けられると思っただけだ。
強い人ってのは助けてくれる人が少ないから、誰もやらないなら俺がやる意義があると思った。
「俺が動かないことで世界が安定して平和になるなら、いいことなんだよ」
ちらりと野々宮の顔色をうかがうと、複雑そうに顔をしかめていた。
「なんだその顔」
「いえ、だって……」
「……野々宮は俺にヒーローでいてほしいのか?」
「当たり前ですっ!」
「……ヒーローじゃないと駄目か?」
「そっ、そんなこと言われたら困りますけどぉ……」
野々宮を困らせてしまうずるい質問だったと、心の中で反省した。
ヒーローでいられないのは仕方のないことで、どうやって踏ん切りつけるかは俺自身の問題だ。
「……帰ろう。もうとっくに下校の時間だ」
「もーっ、授業終わったのにぼんやりしてたのは誰ですか!」
帰宅する道の途中、いつもより早い分岐で野々宮が止まった。
「すみません。今日はお母さんに買い物頼まれてるので、ここで」
「手伝おうか?」
「そんな重いものはないので大丈夫です。それよりですね!」
野々宮はずいっと前に出て、顔を近づける。
「早くしゃきっとしてください。
私、新藤さんがどんな決断をしたってついていきますから」
それでは、と野々宮は学生鞄から買い物袋を取り出して去っていく。
あまりの勢いに返事もできずにぽかんとしてしまった。
野々宮は用事があったのに、放課後まで俺に付き合ってくれていたのか。
ありがたさを感じる前に、自分への情けなさで涙が出そうだ。
「……はぁ」
「どうしたの?」
「うわぁ!」
真後ろから声がしたと思えば、椎野が何食わぬ顔でそこにいた。
近づく気配がなかったので、また時間を止めて接近したのだろう。
まったく神出鬼没にもほどがある。
「椎野か……もっと心臓に優しい登場をしてくれ」
「えー、もっとヒロくんをドキドキさせたいんだけど」
「こんな物理的なドキドキでいいのか、お前は」
なんだか最近、椎野とよく会うなと思いつつ、気を取り直す。
「それにしても奇遇だな」
「偶然じゃないよ?」
「え」
怖いんだが。さっそくドキドキしてるんだが。
言葉に詰まる俺を味わうように目で舐めまわし、椎野はあっさりと経緯を語った。
「スーパー寄って帰ろうと思ったんだけど、面倒臭くなってやめたら会えたんだよ」
「それならそうと言ってくれ!」
「今、言ったじゃない」
くすくすとひとしきり笑い転げると、椎野は小さく溜息をついた。
「で、どうしたの?」
どうも椎野と話しているとペースを崩されて、おちおちへこんでもいられない。
首元に手を回しながら、なるべく平静を装ってわけを話した。
「ヒーローのことで悩んでたら、野々宮にガツンと言われてな」
「なんて?」
「……ヒーロー続けるか、魔法少女の友人枠で一生過ごすかって」
「えっ、野々宮さんと一生添い遂げる!?」
「どういう風に耳に入れたら、口からそんなんが出てくるんだよ」
「まーまー、冗談だって」
俺は椎野に簡単にこれまでの事情を話した。
椎野はうーんとわざとらしく考え込む素振りで、数秒のあいだ目をつぶった。
「ヒロくんは何を悩んでるの?」
「……そりゃ、ヒーローやめたくないなって」
「やめたくないんだ?」
「……まぁ、できることなら」
あっさりと口からこぼれた本音に自分でも驚きつつ、椎野の反応をうかがう。
椎野はまだ目を閉じたままで、何かを納得するようにふんふんと頷いている。
「それ、ノノちゃんには言った?」
「言えるか、そんなカッコ悪いこと」
「……そっかー」
椎野は少し微笑みながら、どことなく悲しげに目を開けた。
「私には言えるんだね」
その言葉の意図はよくわからなかったが、いつの間にか椎野の顔には明るい色が戻っていた。
「べつにヒーローなんて言われてなる者じゃないし、言われてやめることもないんじゃない?」
「簡単に言うけど、世界をぶち壊してまでヒーローになりたくはない」
「……でも、なりたいからもやもやするんでしょ?」
あんまりに率直な指摘に息苦しくなる。
世界平和を盾にされてるのにヒーローになりたいなど、駄々をこねる赤ん坊になったような気まずさだ。
頭ではわかっているつもりなのだが、ヒーローを続けることはヒーローらしくないという論理が心で処理できずに燻っている。
燃えあがれない気持ち。まさしく不完全燃焼である。
「……ヒーローだって悩むし困るよ。よくないことを考えることだってあると思う」
「それは――!」
「ヒロくんが一番知ってるはずでしょ。そして、そんな人たちを助けてきたことは、私が知ってる」
どこか自慢げに笑みを浮かべて、椎野は急にそっぽを向いた。
「でもね、今回ヒロくんは世界平和とヒーローの天秤、わりとドライに決着つけてると思うよ」
「えっ」
「だって、世界をどうこうしてまでヒーローになりたくはないんでしょ」
堂々巡りで結論づかないと思っていた感情を、椎野は一つずつ丁寧に整理していく。
まるで解剖されているような居心地の悪さに思わず結論を急がせる。
「じゃあ、なんだってこんなやりきれない気持ちになるんだ……?」
「わかんない?」
わかっていたら悩んでない、という言葉が顔に書いてあったのだろう。
椎野は俺の表情を見るなり、やれやれといったふうに口を開いた。
「助けてくれって言ってきた人を助けられなかったからだよ」
そのとき、サトーが求めてくれた助けの言葉が頭の中で再生された。
絶対にサトーが言わないようなことを言わせたくせに、俺は何もできない。
その不甲斐なさがもやもやの正体であり、ぐるぐる回っていた気持ちに説明がついた。
「……当たった?」
「……たぶん、そうだと思う」
口から出たのは頼りない言葉だったが、椎野は心境の変化を鋭く感じ取ったらしい。
上機嫌に口元を綻ばせると、俺のとなりへとすり寄ってきた。
「な、なんだ……?」
「ヒロくんのとなりにいるのが既に他の誰かだったとしても、もう片方は確保しとこうかなって」
「……悪いな、励ましてくれてるのに応えられなくって」
「あっ、そういうこと言うのは鼻につくなぁー」
椎野はふらりとした動きで距離をとると、そのままバイバイと手を振った。
「私を助けてくれたヒーローは、何度も何度も諦めずに付き合ってくれたよ」
「……ああ」
「それってヒーロー補正がなくたってできるよね」
できるさ。やってみせる。
それらの決意は口にすることはなかったが、足取りは自然とサトーがいるアパートへと向かっていた。
+ + +
サトーとシオさん、二人がいるアパートは先日の異能事件で使われていた平凡な建物だ。
通された部屋も生活感のあるリビングで、出された飲み物は湯気を立てる緑茶。
未来から訪れたヒーロー監察官の拠点としては、およそ結びつかないほど和みのある空間である。
「……もうヒーロー活動はしない、と約束してくれたはずですが?」
その平和な空気をぶち壊しているのが、眼光鋭く俺を睨みつけているシオさんだった。
サトーと二人で住んでいるのだから、サトーに会いに来ればシオさんとも顔を合わせるのはわかっていた。
わかっていたが、ここまで不快そうな顔をされるとさすがに怯まざるを得ない。
「や、約束はしました。けど、サトーのことは放っておけません」
「……あのですね」
「助けたいんだ! ヒーローじゃなくても友人として……!」
俺の主張が効いたかどうかはわからない。
シオさんはそれ以上は反論することなく、視線を奥の部屋へと移した。
「……君は今の先輩、ヒーロー監察官のサトーしか知らないんでしたね」
シオさんは立ち上がると奥の部屋のドアを叩いた。
数秒の間の後、部屋からサトーが顔をのぞかせる。
やや姿勢が悪く、顔色に明るさがない。
「昌宏か、よく来てくれたな」
挨拶する声にも張りがない。
どうやら非常に疲れているらしく、よくない無理の仕方をしているようだった。
「サトー、大丈夫か……?」
「心配をかけてすまない。
全力で悪意への対抗策を検討しているところでな、無理は承知の上だ。
解決すれば昌宏のヒーロー活動も再開できるかもしれない」
いまだに俺のサポートを続けてくれるサトーの姿に、嬉しさよりも申し訳なさが先に立つ。
それでもここに来た理由を思い出し、俺は勇気を持って切り出した。
「サトー、教えてほしいんだ……何を悩んでいて、どうしたいのか。
今の俺にもできることがないのか」
サトーは頷きつつも、シオさんに向けて小さく声をかけた。
「俺から話しても構わないだろうか」
「構いませんよ」
短い会話の中に抱えきれない重みを感じたが、サトーはゆっくりと話し始めた。
「そうだな……これは悪意の脅威と、俺の後悔の話だが――――」
+ + +
ヒーロー。
どんなときも、だれかのために、全力で行動できる人。
サトーはそれを信条に戦ってきたヒーローの一人だ。
世界の半分が悪意に呑まれてからも、諦めずに徹底抗戦を続けている。
その姿が各地で反響を呼び、今やトップスターのような扱いでもある。
本人は評価を得るために戦うわけではないとしながらも、好かれていることは素直に嬉しく思っていた。
「先輩、また大活躍だったそうですね」
「……ああ」
戦地からの帰還中、一緒になった後輩ヒーローであるシオが話しかけてきた。
ヒーローたちが組織化された昨今、ヒーロー同士の交流はそれほど盛んではない。
悪意が活発化する中で引く手あまたなヒーローは、お互いの活動で手一杯だった。
そんな中でもシオはサトーのことを慕っており、もはやファンのような有り様だ。
「悪意で煽られた紛争危機を未然に止めたんですって?」
「どうしてニュースにもなっていないのに知っているんだ……」
「ふふっ、私、先輩の一番弟子ですから」
「答えになっていない」
シオはヒーローとしては駆け出しも同然で、サトーに比べれば実力の差は歴然としている。
通常、ヒーローは己の実力に見合った地域へ赴任することが主である。
そうなると赴任先が重なることは滅多になく、何度も遭遇することはおかしな話である。
当然それには理由が合って、シオは戦闘力こそ劣るものの、雄弁で論理的な思考はヒーロー随一だった。
自身の持つ能力を示すことにも長けており、組織や民衆の支持も高い。
長い髪をひるがえし、可憐に舞うように戦う姿は写真映えもした。
一方、サトーは質実剛健で、真面目を絵に描いたような孤高のヒーローだった。
どんな絶望的な状況においても諦めることなく、奮起すれば必ず逆境をはね返す。
その場に現れるだけで空気が変わり、勇気と希望が湧き上がる。
両者は性質こそ異なるが優秀なヒーローであり、同レベルの戦地で遭遇することがあった。
そのとき、苦戦するシオをサトーが助けたことで、奇妙な上下関係が出来たのである。
「私も頑張ってはいるのですが、力で解決となると……まだまだですね」
「……そんなことはない」
サトーはシオのやり方を高く評価していた。
利害関係やパワーバランスを調整し、無用な争いは最初から起こさない。
戦闘はあくまで最小限で、落としどころを見出すパフォーマンスであることも多い。
「いえいえ、立ち回りに失敗すると途端にピンチになってばかりで……
そういえば、先輩と出会ったのもそんなときでしたね」
サトーはしまった、と思ったがもう遅かった。
指の数では数え切れなくなったほど聞いたシオの思い出話が始まった。
本部までの道のりと時間を頭で弾きだして、残り時間の多さに辟易する。
「……まぁ、いいか」
耳に慣れ始めたシオの声をラジオ代わりに、サトーは束の間の休息に耽るのだった。




