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ヒーローたちのヒーロー  作者: にのち
10. ヒーロー候補と元ヒーロー
92/100

10.5 もうヒーローごっこの時間は終わりだ

 魔法界の夜は深い。

 前回訪れたとき魔力不足で白みっぱなしだった夜空は、どこまでも沈みゆくような漆黒にほんのりと赤みがかった満月が浮かんでいた。

 サフィの家でのんびりと過ごすうちに夜になっていたらしい。

 どんなに遅くなろうとも人間界を出発した時間に戻れるので心配はないが、これ以上は外泊も視野に入り出す。


「……うーん、それはなぁ」


 お泊りとなればサフィを無駄に喜ばせることになるのは目に見えている。

 べつに野々宮と過ごすことが嫌なわけではないし、むしろ嬉しいのだけど、そういうことじゃない。

 それなら早い話、帰ればいいのだが――


「ライバルが一人なんて幸せだよー、最近は三ケタだってありえなくないよ?」

「ええっ!? そんなの私だったらモブもいいとこです……」


 女子同士の恋バナトークが咲き誇っており、散りゆく気配がない。

 せめて俺のいないところで話してくれと思いつつ、そうされてもなんだかんだで気になる。


「マサヒロのタイプってどうなの? そこ大事じゃない?」

「……こ、個性的な人ですかねぇ?」

「人間なんてみんな個性的だよ」


 なるべく耳から耳へと聞き流していたのだが、さすがに自分の名前を出されるとそうもいかない。

 女子トークに割り込むのは本意ではないが、仕方なく抗議の声を上げる。


「なぁ……俺がいるところではやめてくれないか?」

「なんで? これからマサヒロの話題なのに」

「だからだよ!」


 溜息をつきながら扉に手をかけると、くすくすと笑い転げていたサフィが慌てて身を起こす。


「あ、ごめん。怒った?」

「……違うよ、ちょっと外の風にあたりたくなっただけだ」


 余計な心配かけたかな、と苦笑いして外へ出ると、頬をしっとり撫でていくような生温い風が吹いた。

 魔法の森の夜は何かが起こりそうな危うい静けさで、不安をかきたてる獣の声だけが遠くで響いている。

 一人でうろつくには向かない雰囲気は、魔法の森としては正しい姿なのかもしれない。


(あまり遠くまで行かないほうがいいか……)


 そう思ったそばから、不意に暗闇の奥で閃光が瞬いた。

 機械の作動音らしき森に似つかわしくない音が鳴り、森は静寂を取り戻す。


 何かがある。

 このようなシチュエーション、ヒーローの経験に頼らずとも直感できる。

 同時に明らかな危険も感じる。

 せめて小屋にいる二人に一声かけてから、そう考えたとき。


「……さて、ここからどうしたものか」


 聞き覚えのある声。

 長年、そばにいてサポートしてくれていた男の声に、俺が気付けないはずがない。


「サトー!?」


 そう思った瞬間、俺の頭からは駆け出す以外の選択肢は綺麗さっぱり吹き飛んでいた。

 一直線で向かった先には、待ち焦がれていたサトーの姿があった。

 驚いた顔でこちらを見るサトーは、ひどく疲れているようだった。


「昌宏か!? どうしてここに……?」


 サトーは夢か幻でも見るように目を大きく開いている。

 ここにいることを何故かと問われたが、こちらも聞きたいことは山ほどある。


「サトーに会うために色々とやってたんだよ!

 そっちこそ、どうしてこんなところにいるんだ。

 未来から戻ってこれないはずだろ?」

「ああ、昌宏のいる現代世界には直接戻ることはできなかった。

 そこで別ルートをどうにかして見つけた……魔法界と未来をつなぐ道を」


 未来と現代のつながりは遮断されたが、それ以外が閉ざされたわけではなかった。

 信じられないことだが、未来と魔法界をつなぐルートが存在したのだ。


「そんなものがあったのか?」

「非合法だがな。いつの時代も歴史犯罪者や世界マニアというのはいるものだ」


 どうやら相当に危うい手段を使ったらしい。

 それが不本意であることは、サトーの苦々しい表情からすぐに読み取れた。


「ところで、どうして俺が戻れなくなっていたことを知っている?」

「シオさんが教えてくれた。それ以外にないだろ」

「……そうか」


 サトーは眉間にしわを寄せながら、何かを言おうと息を漏らしながら悩んでいた。


「……どうかしたのか?」

「いや、そうだな……」


 この期に及んで言うべきか迷うようなことがあるのか。

 ヒーローっぽくない手段を選んでまで会いに来ておいて、まだ何か言えないことがあるのか。


「……なぁ」


 サトーのそういう言動はこれまでにもあった。

 ヒーローや俺のこととなるとうるさいくらい饒舌なサトーだが、未来のことやサトー自身のこととなると一気に口が重くなる。

 聞く必要がなければ、本人が言わないことを無理に聞き出そうとは思わない。

 しかし、今サトーが言おうとしていることは、言う必要があることではないのか。

 それでも俺には言えないようなことなのか。

 俺とサトーの付き合いの長さは、ただ長いだけのものだったのか。


「……サトー、ちゃんと言ってくれよ」

「……昌宏」

「俺、サトーが元ヒーローだってことも、後輩がいたことも、ヒーロー補正を調べてくれていたことも、全部シオさんに聞いたんだぞ?」


 サトーのことなのに、どうしてサトーが言ってくれなかったのか。

 そんな言葉の裏は言わずとも伝わったようで、サトーはばつの悪そうな顔をしていた。


『知らないよりは、知りたかったでしょう?』


 シオさんが言っていた言葉の意味がよくわかる。

 特にサトーを心配しているときには、痛いほど。


「……すまない、昌宏。しかし、俺の問題に昌宏を巻き込むのは……」

「俺の人生巻き込んでおいて、今更なんだそのくらい」

「うっ」


 俺の言葉にサトーが怯んだ。

 いまだかつてない反応に心が勢いづいて、言葉が喉の奥からあふれ出す。


「あのなぁ、サトーが自分のこと言わないのなんて気付いてるんだよ。

 俺がそういうの気付いちゃうのは、子供の頃から知ってるだろ?

 気付いてて聞かないでやってるし、気にしないでやってきたんだろうが。

 だから、今回のだってサトー自身のトラブルなのはわかってんだよ」

「ず、随分言うな……」

「普段だったらサトーの長台詞だろ。

 ヒーローたる者、こういうときにはこうするとか、こういうやつにはこう言うとか。

 事件の中盤で延々と説教たれるのがサトーじゃないかよ」


 これまでサトーに対して言わずにいた怒涛の文句に、さすがのサトーも引き気味に苦笑する。

 まだまだ言い足りないことはたくさんあるが、まずはやっておかねばならないことがある。


「サトー、困ってるんだよな?」

「……ああ」

「それなら俺に言うことあるだろ。

 元ヒーローで、俺にとってもヒーローであるサトーが、俺に言うこと。

 ヒーローを助けるヒーローである、この俺に言うことは?」


 サトーを助ける新藤昌宏に対して、言うこと。

 困っている人が助けてほしいときに言うことなんて、ひとつしかない。

 ここまでわかりやすく言ったのにも関わらず、サトーはまだ溜息まじりに反省を念を愚痴る。


「駄目だな……俺は、また同じ過ちを犯してしまうところだった……」

「早くしろよ。言おうが、言わなかろうが、俺がやることは変わんないんだから」


 サトーに明確な言葉として吐き出してほしい。

 ヒーローを助けるヒーローに共感してくれたサトーなら、人一倍言いづらい言葉なのだと思うから。

 言うことで価値観が変わって、心が少しでも軽くなるなら言ってほしい。

 俺が聞きたいだけというのも理由の半分くらいはあるけど。


「なあ、サトー!」


 俺の呼びかけに意を決した様子で顔を引き締めるサトー。

 ついに観念したように清々しさのこもった息を大きく吐いて、しっかりと言った。


「助けてくれるか、昌宏」

「……当然だろ」


 頑固な元ヒーローの言質を取った。

 これまで散々、俺を助けに助けまくってきたサトーをようやく俺が助けてやれる。

 一仕事終えたような開放感に浸っていると、スーッと空気を一変させるような鋭利な視線を背筋に感じた。


「――どうして僕のときは、その言葉が出なかったんでしょうかね」


 振り返るとシオさんがいた。

 先程からそこにいたのがさも当たり前のように、目を閉じたまま思想に耽るように余裕ある立ち姿だった。


「いいえ、わかっていますよ? 嫉妬だって。

 今と昔のあなたは違う。今だからこそ、新藤くんだからこそ出た言葉なんだって。

 わかっていますとも」


 何故だろう。

 時折、シオさんのことを鋭い、怖いと思ったことはあった。

 それでも危険を感じたことは今までなかったのに、今のシオさんからは肌を貫くほどの刺々しい危険性を感じる。

 サトーも突如現れた後輩に困惑しているかと思われたが、やけに険しい表情でシオさんを見つめていた。


「……こうなるのも時間の問題だったか」

「どういうこと――」


「――――ヒーロー補正が発動していますよ、新藤くん」


 シオさんはあくまで事務的な口調で、俺とサトーの会話にメスを入れた。

 あまりの圧迫感に思わず身体が強張る。


「発動は意図的ではないにせよ、能動的に事態を動かしてこの結果を招いたことは認めざるを得ませんね?」

「……い、いや、そんなつもりは、ただサトーと話ができればと――!」

「結果こうしてヒーロー補正を発動して先輩と会うことができました。

 代償として、魔法界に悪意を引きこんでね」

「なんだって!?」

「ご安心を。既に格納済みです」


 シオさんはやれやれ、と首を振りながら俺に近づく。

 俺は魔法界を危険に晒してしまったショックで動けず、サトーも沈黙のまま緊張した面持ちで状況を見ている。


「まぁ、ヒーロー活動を禁じられて黙っておとなしくしているとは思ってはいませんでした」


 シオさんはとうとう俺の目の前で腕を組み、先生が生徒を指導するかのようにくどくどと詰りはじめた。


「知り合いに相談するくらい、愚痴とみなしましょう。

 異世界に解決法を求めるのはグレーですが、監視付きなら許容しました。

 ですが、監視を逃れたとあっては、こちらも見逃すことはできません」


 それはサフィの魔法によるもので俺の意思ではないのだが、そんなもの言い訳にもならない。

 ここまで来たのは確かに俺の発案で、サトーに会いたいと思ったのも俺の私情だ。

 公的にシオさんからヒーロー活動を禁止されている以上、これはプライベートでヒーロー補正を発動させたということになる。

 まぁヒーローにプライベートも何もあったもんじゃないが、それは置いといて。

 サトーに会いたい一心で行動し、余計な真似で魔法界への悪意の流入を起こしたことには間違いない。


「すみませんでした。ヒーロー補正は発動しないようにします、だから――」

「その話はもう済んだはずですよ」


 こうべを垂れる俺の後頭部にそっと手を置いて、優しくはない、けれど厳しくもない、平坦な声で淡々と告げる。


「僕はもうあなたを信用できません。

 ヒーロー活動禁止処分ではなく、ヒーロー補正もろとも――ヒーロー活動の記憶ごと封印処理します」


 下げたままの頭に触れているシオさんの手に熱を感じた。

 何をされるかはわからないが、何かをされることはわかった。

 首は上がらなかった。尋常じゃない力で押さえつけられていた。


(――消される)


 感情が絶望に染まりかけたが、すぐそばに希望がいた。


「やめろ」


 体勢は頭を押さえつけられたまま。横目に映るサトーが光線銃を構えているのが見える。

 顔までは視界に入らず、サトーがどんな顔をして後輩に銃を向けているのかはわからなかった。


「……先輩」

「動くなシオ、俺はためらわない」


 悲しみとも呆れとも取れるシオさんの呼びかけに、サトーは動じず簡潔に返す。


「……ええ、知ってますよ。あなたが強いことくらい」


 シオさんの空いたもう片方の手に警棒のような武器が現れる。

 まるで手品でステッキを取り出すかのごとく、一瞬の出来事だった。

 シオさんが警棒についたボタンを押すと、警棒の先端部分から光と熱が発し始めた。


「不正な航行ルートでの時間遡行法違反。

 監察官職務法、携行武器の適正使用規範からの逸脱」


 いつの間にか、俺の頭を押さえつける手に力が入り始めていた。

 抗わなければすぐにでも地面へ頭蓋を叩きつけられそうな勢いで、下方向への力が加えられていく。

 つらつらと罪状を述べるあいだもシオさんの力は緩むことなく、むしろどんどんと増していった。


「短期間に重大な違反を二つも犯した要注意特定対象者には、有形力の行使を用いた対処も不当ではありません……!」

「待ってくれ!」


 シオさんの語調に覚悟を感じ取り、思わず制止していた。

 サトーも本気だ。マジで俺に危害が及べば手を出すという殺気を出している。

 この魔法界であんな武器が使用可能なのかわからないが、それに賭けることはできない。

 止めなければ取り返しのつかないことになる。

 サトーとシオさん。ヒーロー監察官の同僚で、元ヒーロー同士で、先輩後輩。

 きっと因縁があるのだろう。うかがい知れない過去があるのだろう。

 そうでなければ、こんなことになるはずがない。


 何があったか俺は知らない。

 だから、今この戦いを止めるには――


「……やめれば、いいんだろ」


 止めるには、こう言うしかない。


「――俺が、ヒーロー! やめればいいんだろ……!」


 シオさんに頭を押さえつけられたまま、絞り出すように叫ぶ。

 言葉にした瞬間、ガクッと膝から崩れ落ちて地面に両手をついた。

 触れられていた手から伝わる気迫から解放され、俺は全力で呼吸に喘いでいた。


「……まだヒーローのつもりでいたんですか、あなたは」


 頭上から凍ったナイフのような言葉が降り刺さる。

 耳元から首へと滑り落ちるような感覚に硬直し、ぶわっと目頭が熱くなる。

 ポタポタと大地に二点の雫が零れる。


 悔しい。カッコ悪い。

 俺は本当にヒーローでもなんでもなく。

 こんなやり方でしかサトーを助けられない。

 俺はもう、ヒーローじゃない。


「……一度、頭を冷やしましょう。

 新藤くんの記憶処理に多大なリスクがあることは、既に言った通りです」


 うつむいたまま顔を上げられずにいるあいだも、シオさんだけが音を発している。

 視界がぼやけるのはわかるが、聴覚までもぼやけるのかと、俺は場違いなことを考えていた。


「ただし、必要とあらば僕は記憶処理を実行しますし、妨害するなら先輩だろうと相手します。

 二度と事故が起きないように、新藤くんの関係者すべての記憶を処理することだって厭わない」


 脅しのような忠告、いや、脅しだったのだろう。

 俺の背後で支えてくれている人たちを背負わせることで、俺の身動きをとれなくさせたのだ。

 しかし、そんなことをしなくても、とうに俺は動く気力が尽きていた。

 呆けてまともに口のきけない俺をよそに、シオさんは平静な態度でサトーに声をかける。


「先輩。戻ってきたのであれば、悪意への対策に協力してくださいますね?」

「あ、ああ……もちろんだ」


 先程まで戦闘に発展しかけていたとは思えないやり取りだ。

 シオさんは俺やサトーに敵意を向けているわけではなく、状況による判断の上で攻撃的手段を取っているに過ぎない。

 私情が一切絡まないというと気にかかる点はある。

 だが、前提としてシオさんの行動に根拠があるからこそ、説得力に裏打ちされた自信ある行動が取れるのだろう。


「……そろそろ認識阻害装置のバッテリーが切れます。

 僕と先輩は一足先に戻らせてもらいます」


 うちひしがれる俺に向かって、律義にあいさつを残すシオさん。


「新藤くん、僕たちは拠点をアパートに移そうと思います。

 いつでもまた来ていただいて構いませんから」


 シオさんは敵ではない。敵意はないのだ。

 俺は今までシオさんの言う『悪意』が脅威という意味がいまいちわからなかった。

 このシオさんの言動が、表情が、瞳が、敵意でなく、悪意だというならば。

 未来の人々はきっと、今の俺と同じ顔をするのだろう。


「……でも、邪魔はしないでください」


 二人分の足音が遠ざかる。

 サトーは最後、俺に何も言ってくれなかった。

 そう離れていなかったはずの森の小屋から、野々宮とサフィが駆け寄ってくるのが見える。


「新藤さん! 大丈夫ですか!?」


 野々宮が切羽詰まった顔でたずねる。

 サフィが異変に感づいて魔法をあれこれと試したそうだが、一向に俺を見つけられなかったらしい。

 でも今はそんなことより。


「……帰ろう」

「…………えっ?」





「もうヒーローごっこの時間は終わりだ」


 現代へ、日常へ帰らなければならない。

 ただ平和に暮らすこと。それがヒーローの、ちがう――

 元ヒーローがみんなを助けられる唯一の方法だから。

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