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ヒーローたちのヒーロー  作者: にのち
10. ヒーロー候補と元ヒーロー
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10.2 あなたはもうヒーロー候補ではありません

 きっとシオさんは俺が落ち着くのを待っていてくれたのだと思う。

 気付くとあたりはすっかり薄暗くなっていて、街灯の明かりがつき始めていた。


「……今日もここへ来るだろうと、待っていました」


 おそらく大切な話をするため、シオさんは何もないこの場所で俺を待っていてくれていた。

 そのことへの恐縮が、話を聞く覚悟の決まらない俺の身体を律していた。

 気持ちの整理など何一つつかないのだが、ひとまず理解を拒む思考停止状態は解消された。

 俺は一言も発せなかったが、シオさんは察して話し出した。


「便宜上、未来と称しますが、僕たちの世界は実質パラレルワールドのようなものです。

 先輩は今そこで、ある任務についています――ヒーロー補正の解明です」


 シオさんはサトーが一向に帰ってこない理由を、業務上の秘密だとして頑なに教えてくれずにいた。

 ヒーロー補正の解明、そんなの今更どうしてやる必要があるのか。

 その程度の疑問は先回りされているようで、シオさんは流れを読むように言った。


「新藤くんのヒーロー補正は"成長"している可能性があります。

 自らだけでなく他人や世界へ影響を及ぼしていると思われるケースがあったからです。

 あるいは、想定からして間違っていた。

 ヒーロー補正は個人の能力強化ではなく、展開にかかる環境改変の能力だったのかもしれません」

「えっと……よくわからないんですが……」

「そうですね……最近でいうとメアリースーの事件。

 ヒーロー補正の上位互換ともいえる存在がいたことで、純粋な強化でなく、狂言回しのような物語の進行を強化する力が発揮されたと考えられます。

 あとは先日の異能事件ですね。

 真帆の異能を発動させたのはヒーロー補正が影響したと考えられ、わかりやすい他人への補助でした」

「……単純に強くなる力ってわけじゃないのはわかってましたけど」

「ピンチに"強い"。その強さの実態を先輩は調べているんです」


 俺の持つヒーロー補正がそんな大層な性質のものだったなんて。

 というか、そんな話があったのなら教えてくれたっていいのに。持ち主だぞ。

 徐々にだが普段の調子を取り戻しつつあった俺はシオさんにたずねた。


「そのヒーロー補正の話が、サトーが帰ってこない話とどうつながるんですか?」

「先日、僕が新藤くんの関わった事件についてまとめたレポートがありましたね。

 その中に時系列でヒーロー補正の発揮値を表した図があるのですが、その動きがあるものと近似していたんです」


 レポート、レポート、と頭の中で思い浮かべて、壁にスクリーンのように映し出していたアレを思い出す。

 先日のミーティングで見たときには、量が膨大すぎて見ていられなかった。


「あるものって?」

「僕たちの世界に訪れる脅威――――悪意。その影響度です」


 悪意。

 シオさんが凄むような気迫で口にしたので、頭で反芻したが、いまいちピンとこない。

 かといって、それのなにが脅威なんですか、なんて間の抜けた質問もしづらい。

 ひとまず、おさらいの意味も込めて無難な説明を求めた。


「確か……未来での脅威に対抗するため、ヒーロープロジェクトが発足したんですよね。

 その脅威ってのが……それですか?」

「ええ、まさしく」

「その、具体的にイメージがつかめないんですが」


 悪意というのは人の意識のことだろう。

 それが脅威になるというのは、どういう状態のことだろう。

 未来では悪い人が増える、みたいなことなのか。

 疑問符を浮かべる俺にわかりやすいように、とシオさんも首をひねる。


「そうですね……君にとってはだいぶ前のことになりますが、五月病の事件を覚えていますか?」


 五月病、野々宮と出会った思い入れのある事件である。

 懐かしく感じるが、時期で考えるとそろそろ一年が経とうかという頃にすぎない。

 魔法少女として活動限界を迎えていた野々宮の"やる気"を奪おうとした、地味ながらも危険な存在だった。


「もちろん覚えてます」

「あれは無気力感が具現化したようなもので、人体に影響を与えます。

 僕らの世界の悪意も似たようなものと思ってください。


 ――事実、未来では世界の半分が悪意に呑まれています」

「えっ!?」


 衝撃で言葉の出ない俺に向かって、補足するようにシオさんが続ける。


「黒い霧のような物体に世界は覆われているのです。

 それに侵された地域では人々も環境も荒みきっています」

「環境も……?」

「ええ、悪意に染まった大地は枯れ、空は色を失います。とにかく人間の尊厳を破壊するような世界になるのです」


 想像しても、しきれたとは言いがたい。

 シオさんは沈痛な面持ちからは、比較すれば平和な世界に暮らす俺への羨望すら感じられた。


「なんで、そんなことに?」

「……蓄積です」

「悪意の、蓄積……?」

「これから先ずっと悪意は加速度的に増大し続けます。

 なんの気なしの悪口や陰口、匿名による誹謗中傷、嫉妬や羨望から生まれる過度な感情。

 それらは善意やその他の打ち消す要因をも凌駕する勢いで増え続け、まさかなことに具現化するのです」

「まさか!」

「意識なんてものが目に見えるほど増えるなんて、誰もがそう思っていました。

 しかし、現実だったのです」


 呆然として何も言えずに立ち尽くす俺に、シオさんは励ますように言った。


「その悪意に対抗する力。それこそが、ヒーローです」

「対抗できるんですか……!?」

「ヒーローというのは勇気を、力をくれる存在。それはいつの時代、いつの世界も変わりません。

 それが悪意に対しての特効薬となったのです」


 シオさんはほんのわずかではあるが、楽しげに声を弾ませていた。


「世界のバランスというのはよくできたもので、悪意が具現化するほどの時代にヒーローという救世主を生み出してもいました。

 彼らの活躍する地域では悪意の影響度が抑えられており、気付いた国々は協力してヒーロー組織を作り上げたのです。

 それが僕らが属する組織というわけですね」


 ふぅ、と一息ついて、シオさんがようやくといった様子で顔を上げる。


「ここで悪意の影響度、に話を戻します」

「あっ、忘れかけてました」


 話にインパクトがありすぎて、俺のヒーロー補正がどう関わっているのかということをすっかり忘れかけていた。

 シオさんも仕切りなおすかのごとく、落ち着いた仕草で話を始めた。


「レポートのグラフに着目すると、ヒーロー補正と悪意の影響度の動きが似ています。

 つまり新藤くんがヒーロー補正を発揮して活躍すると、未来の悪意に減少傾向が見られるのです。

 二つの事象に相関関係があるかはわかりませんが、そうだとすれば大きな発見となります。

 そこでヒーロー補正の第一人者とも呼ぶべき、新藤くん担当の監察官である先輩が任務にあたっていたのです」


 やっと話がつながった。

 まとめるとサトーがなかなか帰らないのは、俺のヒーロー補正が未来に影響を及ぼしており、その調査をしているからということだ。

 ヒーロープロジェクトの目的でもある脅威の対抗手段として、直接的に役立っているのなら嬉しいことである。


 ……と、思ったが、まだ大事な質問が残っていた。


「でも、それがどうして、サトーがもう帰らないってことになるんですか?」


 ここまでの話はサトーの不在の理由は示したが、不帰の理由にはならない。

 調査が終われば帰ってこれないことはないと思うのだが、まだまだ時間がかかるということなのだろうか。

 いや、あのシオさんの言い方は、二度と帰れないというほどの語気だった。


「……ある調査結果が出て、未来は大騒ぎなのです」

「それって、よくない結果ですか?」

「いえ……先に事実だけ述べてしまえば――――ヒーロー補正によって、現代に悪意が呼び込まれているのです」


 ――え?


 本日、何度目かもわからない思考の停滞。

 急転直下の脳内で繰り広げられる大騒動、これが未来でも起きたとなれば混乱は想像に難くない。

 再起動がかからない俺をよそに、シオさんは複雑そうに唸り声をあげる。


「脅威の分散と考えれば一つの手とも言えなくはないですが、現代での対抗手段が乏しい以上は無責任であるという批判も避けられません。

 現代側だって悪意なんて処理に困るものを抱えたくはないでしょう。

 ……ああ、現代にも未来の存在を認識する上位の人間はいるのですよ。一般的に知られてはないでしょうが」

「あっと、えーっと……つまり……?」

「未来と現代、両者間にはパイプのようなつながりがあります。

 それを維持することで僕たちは移動を可能にしているわけですが、これを一時的に遮断しているのです。

 応急処置になるかもわかりませんが、これはすでに実行済み。

 再接続が決まっても年単位でかかることでしょう」


 俺のヒーロー補正が現代に悪意を引き寄せているので、未来とのつながりを断たざるを得なかった。

 つまり、サトーが帰ってこれないというのは――


「――俺の、せいで?」

「新藤くんのヒーロー活動を非難するべきではないと、僕は考えています。

 よかれと思ってしたことが、大局的には悪影響だったなんて、個人の責任には問えません」

「だ、だけど……それでサトーは帰ってこれないって……」


 シオさんは少しだけ言いづらそうに口を結んだが、すぐに気を取り直した。


「ええ、そうです。ついでに言えば、僕も未来へ帰れません。

 ……おかしな話です。先輩は帰れないのではなく、ここに行けないというほうが正しいのに」


 基本的に丁寧なシオさんが覗かせる、皮肉まじりでとげのある口振り。

 あれだけ慕うサトーに会えなくなったのだから、それも仕方のない話である。

 その気持ちを押して、俺への説明をしてくれているのだと思えば、文句など言えるはずがない。


「……わかりました」

「わかりましたか? 本当に?」

「……いや、わかってませんけど、話は理解しました」


 苦しまぎれの意地みたいなものだったが、シオさんにはお見通しのようで、慈愛のような侮蔑のようなぬるい視線を向けられる。

 やがて長い溜息とともに、シオさんが懺悔のように口を開いた。


「また、やってしまいましたね。つらくあたってしまってすみません」

「いえ……」

「言い訳になりますが、新藤くんに経緯を話したのは僕の独断です。

 未来との接続が断たれている今、現代での判断は僕に一任されていますから」

「……何故、教えてくれたんですか?」

「知らないよりは、知りたかったでしょう?」


 当然、という雰囲気をまとってたずねるシオさんの表情は、そのときだけ不思議とボーイッシュな印象が薄まる。

 見た目と一人称で中性的な印象だけど、サトーを慕う女性なのだと改めて思わされた。

 俺は深々と一礼し、感謝の言葉を口にする。


「ありがとうございました」

「僕は、あなたのためを思って言わない……みたいな優しさが嫌いだった、それだけです」


 それに、と続けかけたシオさんの顔が仕事モードに切り替わった。

 同時に憐憫するような声のトーンが、その先の言葉に悪い予感を感じさせる。


「君には、最後に命じられた決定事項を通告しなければなりません」

「サトーが帰れない以外に何があるって言うんですか……?」


 恐る恐るたずねる俺とは対照的に、シオさんは業務的な堂々とした発言でそれを言葉にした。


「新藤くん、君のヒーロー活動はここで終了となります」


 ガツン、と言葉で殴られるのは今日何度目かもわからないほどで、痛みに慣れてしまっていた。

 よくよく考えてみると当然の帰結である。

 俺のヒーロー補正のせいで未来から悪意が来るのだから、活動停止となるのは簡単な話だ。

 担当監察官のサトーもいないのだから、腹立たしいことに都合はいい。


 ――けど、それだけは納得できない!


「い、いやっ、そんな……事件が起きたらどうするんです!?」

「僕が対応することになります。

 新藤くんが関わればヒーロー補正により、悪意の誘導が引き起こされる恐れがあります」

「それは……でも、否応がなしに巻き込まれることだって!」

「予兆があればすぐに駆けつけます。

 ピンチに陥らずに平穏を保つようにしていれば、恐れる事態は防げるはずです」


 その後もいくつかの場合を提示したが、正直自分からしても大差はなく、すべて想定内として反論された。

 やがて言うことも尽きた俺は、力なく肩を落とした。


「……記憶は」

「記憶処理はしません。

 新藤くんのヒーロー補正が悪意に影響することがわかっている以上、不用意な処置は取り返しのつかない大問題を引き起こす可能性があります。

 揺り戻しのように悪意が未来へ戻っていけば、大変なことになります」

「それじゃあヒーロー補正はそのままで、何もするなってことですか!?」

「そうなりますが先ほども言ったように、発動せずに生活できるように僕が支援します」


 そんないきなり俺だけ平和にされても困る。

 世界は俺のせいで危機を迎えているのに、その危機を防ぐために俺は何もできない。

 ヒーロー候補をずっとやってきた意味はなんだったのか。

 俺のこれまでの、これからの人生はなんだというのか――――


「俺は、どうすれば……」

「何もしなくていいんです。酷ですが、それが命令で、現状で一番の対策でもあるのです」


 何もしなくていい。

 それは傍観者であることから脱却したつもりでいた俺への致命的な一言だった。




 話すべきことは話した。

 そう告げるように背中を向けるシオさんを止める言葉などなく、俺は呆然と立ち尽くしていた。

 しかし、シオさんは立ち止まって振り向いた。


「……話は以上です。

 あなたはもうヒーロー候補ではありません」


 きっと危なっかしく呆けている俺に釘を刺すためだったのだろう。

 言外に今日はおとなしく帰りなさい、と言うような優しささえ含まれた口調であった。

 でも、俺には、トドメの一撃でしかない言葉で。


「…………ぁ」


 俺以外には誰もいなくなった空き地を空虚な瞳に映したまま、悲しさも、寂しさも置き去りにして、ただそこにひたすら佇んでいた。

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