10.1 一緒にヒーローのために戦わないか!?
その出会いは突然だった。
例えるならば、校庭に犬が迷い込んで騒然とするような。
否、遅刻寸前の朝に出会った見知らぬ相手が転校生だったときのような。
否否、唐突に鳴り響く銃撃音、学内を占拠するテロリストのような。
健全な男子なら一度は妄想したであろう、クラスに降りかかるトラブルの数々。
その男との出会いは、それくらい荒唐無稽なものだった。
まだ小学五年生だった俺に向かって、根拠のない自信に満ちた顔で言う。
『俺の名はサトー! 一緒にヒーローのために戦わないか!?』
ヒーローにならないか? ――ではない。
巷にあふれるポピュラーな誘い文句なら、力が欲しいか、くれてやる、ってところだろう。
しかし、ありふれないその言葉は、当時悩んでいた俺の心にスッと入りこんで、未だにヒーロー候補なんてものを続けさせる原動力となっている。
ヒーローらしくあればあるほど、ヒーローらしく活躍するというヒーロー補正。
そんな曖昧で不確かで、あるのかないのか信じられないものを信じて戦ってきた数年間。
ここ一年、特に野々宮と知り合ったあたりからはトラブルに次ぐトラブルの日々だった。
乗り切れたのは俺一人だけの力では絶対になく、野々宮や、知り合ってきた多くの人たち、そして――
「サトー」
あの憎たらしいほど堂々とした目をする男のおかげだ。
ぶっきらぼうな扱いをしてしまうこともあるが、心の底では感謝している。
だから、ここしばらくサトーに会えなかったことにはわだかまりを感じていた。
訪れるたびにシオさんが丁寧に出迎えてくれることに、一抹の寂しさを感じていたのだ。
「サトーは、どうしたんですか……?」
「新藤くん、色々と聞きたいことはあるでしょうけど――」
俺は日課のごとくサトーの拠点に来ており、今日も当然とばかりに下校の合間に訪れていた。
連日押しかけて申し訳ないなんて気持ちは、今は吹き飛んでいた。
シオさんが眉を寄せながら、話す言葉に苦慮している様子なんて、気にしていられなかった。
衝撃の光景を目の当たりにして、思考のねじが一つ一つ確実にゆるんでいくように感じた。
「どうしてサトーの家がないんですか……?」
昨日は建っていたものが一夜にして綺麗さっぱり消え去っている。
解体現場のような悠長な段階ではなく、完全な更地で、廃材の一つも残されてはいない。
そこには最初から建物などなかったかのような顔で、黄色と黒のトラロープが区画に引かれていた。
どうして拠点が解体されているのか、サトーはどうしているのか、シオさんは解体された拠点に何故いるのか。
シオさんの言うとおり色々と疑問は尽きないが、それらを言葉に変換することができない。
思考も行動も追いつかない俺に言い聞かせるように、シオさんはすーっと息を吐いた。
「いいですか? まず、聞いてください」
ああ、これから聞きたくないことを言うんだな、とシオさんの表情が物語っていた。
だが、俺には覚悟するだけの時間も余裕もなかったので、次の台詞を無抵抗に浴びるほかなかった。
「先輩……サトーは、もう帰ってきません」
+ + +
その日は朝から一日中、どんよりとした曇り空だった。
まだまだ寒い二月の空気は、街路を吹き抜ける風に乗って心身を冷やした。
野々宮は手袋を忘れたのか、両手に息を吐きながら暖をとっている。
「はぁー、今日もこれからサトーさんところ寄っていくんですか?」
「まぁなー……お茶も出るし……」
野々宮との帰り道、いつもよりぼんやりしていた俺は気の抜けた返事をしていた。
隣で歩いている野々宮はムッと口を尖らせて、声色に不満をにじませる。
「もう……まるで新藤さん、シオさんの通い妻ですよ」
「……俺は男だから旦那だろ」
「~~っっ! じゃなくてですねぇ!」
ずいっと前に飛び出した野々宮に、ぶつからないように慌てて立ち止まる。
「ど、どうした?」
「今日は朝からぼーっとしてますよ? どうしたんですか?」
腕を組んで首をひねる野々宮は、一日通して俺の様子がおかしかったと指摘する。
そうだっただろうか、と思い出そうとするが、思い出せないほどに漠然としている。
どうやら本当にぼんやりと一日過ごしてしまったようだ。
「悪いな、きっと夢見が悪かったせいだ」
「どんな夢だったんです?」
「サトーとの出会い」
なんとなく口にして、即座に後悔が押し寄せる。言うんじゃなかった。
ここでそんなことを言えば次の台詞は「どんな出会いだったんですか」に決まっている。
その程度の問答も思い至らず答えてしまうとは、本格的に頭が回っていないらしい。
誤魔化すように大股で歩き出すが、野々宮がわくわくを隠そうともせずに弾んだ声で追ってくる。
「どんな出会いだったんですかっ??」
「ええい! 一言一句、想像通りの質問をするなっ!」
「新藤さんの頭の中なんて知りませんよ! で、どうなんですか?」
「うっ……んー、そうだなぁ」
野々宮になら話さないでもないが、人様に話すようなエピソードでもない。
悪者もいなければ、ヒーローすらいない、なんでもない話にしかならないのだ。
俺は首の後ろを意味もなく触りながら、仕方ないなと呟いた。
「じゃあ今度、野々宮の魔法少女爆笑秘話も聞かせてくれよ?」
「ええっ、なんで対価が爆笑秘話なんですかっ!?」
騒ぐ野々宮を思考の外へとはずしながら、ぼんやりとした頭で昔を思い出していた。
まだ小学生だった頃の、ヒーローらしい答えなんか一つも持ち合わせていなかった時代の俺を――
+ + +
人一倍、物事を外側から見ているような子供だったと思う。
小学生の未熟ゆえに起こしがちな間違いに気付いては、やめとけと忠告した。
それは素直に感謝されることもあれば、うっとうしいと跳ね除けられることもあった。
まあ、どちらかといえば邪魔臭いと思われるほうが多かったように思う。
結局は俺だって未熟な小学生だったのである。
言ってどうにかなること、ならないことの区別などつかず、だいぶ遠回りをして、言わないでおくことを身につけた。
放置すると危険なことや、忠告を素直に聞いてくれる相手以外には、傍観者で徹した。
どんなことも、どんな相手も助けるヒーローみたいな人にはなれないんだな、と漠然と感じながら。
そんなことを考えていたある日。
小学校高学年で一緒になったクラスメイトの女子は、まさにヒーローみたいな存在だった。
「俺よりタイム早ぇってどういうことだよ!? 勉強もできるくせによ!」
「お兄さんが中学の生徒会長なんだってー」
「話してて面白いんだよなぁ、ゲームの話も乗ってくれるし」
背が高く、顔立ちも良く、足が速くて、勉強ができる。家が裕福で、性格は優しく、人の相談も聞いてくれて、非の打ち所がなかった。
傍から見ていて、そんなやついるのかと思ったが、いるのだから仕方がない。
大人の目線で見れば可愛い欠点の一つもあるのかもしれないが、同世代からすればヒーロー以外の何者でもなかった。
当然、男子の人気は高いのだが、高嶺の花に告白する度胸ある小学生はそうそうおらず。
本人が男女分け隔てなく接することもあり、いつもクラスの、いや学校の中心にいた。
ある日の放課後。俺は日直当番で、先生に教材を運ぶように頼まれて帰りが遅くなった。
ひと気のない別棟で、重くはないがやたらとかさばる教材を運んでいると声をかけられた。
「手伝おうか?」
学校でも有名人な彼女がこんなところで何をしているのか。
反応もできずに固まる俺の返事も待つことなく、彼女は荷物を半分持ち、悠々と前を歩きだした。
協力により教材運びはものの数分で終わった。
ありがとう、と言おうとした俺の目に映ったのは、かすかに口元を歪ませる彼女の姿だった。
俺はなんとなく気付いてしまった。
「助かった……けど、なんかごめん」
余計なことを言った気がした。
彼女の表情に後悔を感じ取り、つい口に出た言葉だった。
他の誰が聞いてもたいしたことない言葉だったが、彼女には突き刺さった。
驚愕に目を潤ませ、それでも気丈に耐え抜いて、抑えた声で言った。
「……なにが、ごめんなの?」
「……なんだか、手伝ったことを後悔してるように思って」
正直に話すほかなく、彼女はしばらく黙った後にゆっくり口を開いた。
「新藤くんって人が困ってるの気付いてて、無視することあるよね?」
少しだけ責めるような口調に俺は驚いた。
彼女のような人間がそんな風に思っていたとは、考えてもみなかった。
だからこそ、言葉にはしづらくても答えなければと思った。
「無視してるわけじゃない……自分で解決できるならそれでいいし、助けてくれる人がいるなら俺じゃなくてもいいと思うんだ」
「助けたい、って思わないの?」
更に責め立てるような言い方に怯んでしまい、情けなくも俺は黙り込んでしまった。
それを見て彼女は反省したようにハッと口ごもり、ぽつりぽつりと語りだした。
「あっ、そんなつもりじゃないの……ただ、困ってる人は助けて当然だと思ってたから」
「……思ってた?」
彼女は逡巡するように目を細めて、視線の行き先を、俺へ、床へと目まぐるしく動かした。
「来年……生徒会長に立候補しなきゃと思ってたから……兄に相談したの。
そうしたら『八方美人はやめて、自分のことは自分で決めないとな』って……」
「八方美人……なのか?」
「そんな気ない! 良い顔しようなんて気はないんだけど……」
もうよくわからなくなって、とこぼす彼女に俺は何も返せなかった。
明確に相談されているわけではないし、返事すら求められてはいない。
しかし、そのときの俺は何も言えなかったことにとてつもない後悔を感じていた。
「……このことは秘密にしといて」
俺は頷くことしかできず、その後は何もなく別れた。
次の日も彼女に変化らしい変化はなく、普段どおりの優等生ぶりだった。
その顔の下に悩みを抱えているかもしれないなんて、まるで俺の妄想に過ぎないかのように。
良い子であることは八方美人なのか。優等生でいることは自立心がないのか。そんなわけあるか。
良いことするのに理由も納得もなくできるのは、ただただ尊敬すべき人なだけだ。
彼女は悩む必要などないのだが、それを伝える術もなければ、伝えるべきかもわからない。
そう、俺は良いことをするのに理由や納得を探してしまう人間だからだ。
口を出していいのか、手を出していいのか――助けていいのか?
いいんだよ、と常識では理解しつつも、心が二の足を踏む。
そもそもどうすれば彼女を助けられるのか。
彼女の兄に説教する? 彼女がされる相談を肩代わりする?
前者はありえないし、後者は俺のスペックが足りてない。
俺はどうすればいいのか考えながら、自らの無力さに嫌気がさした。
彼女に変化はない、というのは結果的に間違っていた。
ある日の給食の時間。彼女はわりと遅いペースで食べ終えて一息ついていた。
すぐ隣では牛乳嫌いの女子がこの世の終わりが来たような顔で牛乳パックを抱えている。
「うう、これ飲んで~」
「ダメだよ、自分で飲まなきゃ……」
「えっ、前は飲んでくれたじゃん」
「た、たいへんそうだったから……」
「今日は塾でテストがあって、これ飲んだら無理なの、おねがいっ……」
「……しょうがないなぁ」
二人のやり取りが目についたのは、彼女のことを気にしていたからだろう。
葛藤の末、彼女は牛乳を受け取って飲むことに決めたようだった。
ところが半分ほど飲んだところで異変が起こった。
「ごふっ……!?」
大きくむせるとともに口元を押さえる彼女。
一瞬で教室中の注目が集まり、何事かとにわかに周りが騒ぎ出す。
涙目で何かを堪える彼女に視線が刺さる。
困惑しながら顔を上げる彼女。
不意に、目が合った。
――――――たすけて。
事情は呑み込めなくとも、助けなければ。迷いなくそう思った。だから。
「わああああああああぁぁっ!!」
やけくそ気味に叫びながら窓を指差し、教室中の意識をかっさらった。
こんなの小学生のやけくそな悪あがきに過ぎなかった。
スーッと冷えていく頭の中で後悔しながら、なんとかなれと強く願った。
――ガラッ!
「おお! 着いたが、ここはどこだ?」
その瞬間、クラス一同は窓から突如現れた男に釘付けになった。
張りのある声で「この時代のこの地点から強いヒーロー反応を感じたのだが……」と言いながら教室に乗り込んでくる強烈な違和感。
光沢のある銀色スーツという勘違いした未来感バリバリのファッション。見た目だけは好青年なので不審者らしい不信感は少ない。
だが、二階の窓から教室に平然と侵入してくる手品のような光景は、もはや窓が異次元につながっているとしか思えなかった。
クラスのほとんどが呆然として固まる中で、侵入者である謎の男は言った。
「俺の名はサトー! 一緒にヒーローのために戦わないか!?」
明らかに、俺に向けて言っていた。
+ + +
話を静かに聞いていた野々宮が我慢できないというように声を上げた。
「えっ、いきなり空気変わりすぎじゃありません?」
そのあんまりなツッコミに思わず噴き出し、ちょっと落ち着いてから話を戻す。
「そう、まさに空気を変えたんだ。
その隙に彼女はトイレへ駆け込んで、最悪の事態は避けられたってわけだ」
後から彼女が聞かせてくれたことだが、あのときはストレスで食欲が著しく減退していたのだという。
毎日、自分の分だけは平静を装って完食していたが、断りきれなかった牛乳が限界のドアを叩いたらしい。
「当然、サトーはすぐに姿を消したし、俺以外との接触は避けたから集団幻覚として扱われた……というか、そうするほかなかったって感じだな」
「それから新藤さんはヒーロー活動を始めたんですね……その彼女の悩みは解決したんですか?」
「……どうだったかな」
元々、かつては忠告魔として名を馳せていた俺。
それを知る者たちがサトー乱入事件をセンセーショナルに騒ぎ立てたことで、新藤昌宏は不思議な力があるという一種のカルト的需要を獲得することとなった。
どうしようもなさそうな相談事が舞い込むようになり、それがヒーロー活動の下地となった。
俺の活動が彼女の負担軽減になったかどうか確かめたことはない。
ただ彼女はその後、生徒会長の役職を全うし、優等生であり続けた。
その選択に迷いはなさそうに見えたが、彼女は意外と意地っ張りでポーカーフェイスでもある。
それでも何かの役には立ったのだと、俺は信じたい。
これが、俺がヒーローの助けになるヒーローになりたい、と思ったきっかけである。
「でも、そうですかー、はー」
「なんだよ」
「ヒーロー誕生秘話で、過去の女の子の話が飛び出すとは……」
「おい! なんにもないぞ! びっくりするくらい!」
「……わ、わかったからその悲しい目をやめてください」
可愛げのある野々宮の嫉妬を大声で叩きつけたことへの虚無感に苛まれながら、俺は不思議とすっきりした気分になっていた。
誰にも話したことのなかったサトーとの邂逅を話したことで楽になったのかもしれない。
話しているうちに帰路の分かれ道に立っており、野々宮が小さく手を振っていた。
「じゃあ、私はここで」
「今日はサトーのとこ寄ってかないのか?」
「いや、シオさんしかいませんし、そんな毎日話すことありませんよ」
「そうか……」
俺は日課となっているサトーの拠点への訪問だったが、野々宮はここしばらく一日おきくらいだ。
はじめの一週間は一緒に通ってくれただけ付き合いの良いほうかもしれない。
「それなら、また明日」
「はいっ」
+ + +
さきほど野々宮と話したばかりの思い出話が、すさまじい速度で色褪せていくのを感じた。
「先輩……サトーは、もう帰ってきません」
かつて彼女の窮地を、そして俺のアイデンティティを救ってくれた男がもういない。
淡々と告げられた台詞の理解を脳が拒んでいたが、一つだけは認めざるを得なかった。
サトーは憧れで、理想で、俺の最初のヒーローだった。




