9.10 何も無い日常《ピースフル》
事件から数日が経ったある日。
出かける用事があった俺は、先にサトーの拠点に立ち寄ることにした。
あの後すぐにシオさんがやってきて、事後処理があるからと無理やり帰宅させられた。
確かにそのままデートの続きを、なんて誰も考えてはいなかったが、事件の後始末がどうなったかは気になる。
「おーい、サトー」
呼びかけても中からの反応はなく、仕方なくドアの暗証番号を押し始める。
するとパタパタと軽い足音とともにドアが開き、中からシオさんが顔を覗かせた。
「あら、新藤くんですか。先輩ならいませんよ」
「えっ、まだ帰ってないんですか」
これまでサトーとは長い付き合いだが、会いたいときに会えないのは初めてである。
といっても、会いたいときなんて事件のときくらいなので、タイミングが悪いだけと言えなくもない。
シオさんは少しだけ考えるように視線を上に向けると、自己完結するように頷いた。
「新藤くんには色々とお話ししておきましょう。さぁ、玄関先で話すのもなんですから」
「あぁ、はい……」
シオさんに招かれるままに部屋へと通され、熱いお茶を出される。
サトーのいないサトーの部屋というのも違和感があると思いつつ、シオさんの話に耳を傾けた。
「結果から言えば、真帆や翔太くんの記憶処理は行われないこととなりました」
「おお! ……なんでですか?」
「……少々、込み入った事情もありますが」
シオさんは小さく息をもらすと、背筋を伸ばして話し出した。
「桂木真帆は異能を再使用したものの、記憶自体は封印されたままでした。
彼女の異能発現条件には厳しい制限があると推測されます。
一つ、彼女の異能を知るものの協力。二つ、ヒーロー補正の影響下。三つ、彼女の感情が閾値を超えること。
これらのことから日常生活で発現する可能性は低いとされ、悪影響が出かねない記憶処理を施す必要性は低いと判断されました」
桂木が異能は特殊な要因が重なった状況下でないと発揮されないらしい。
ほぼ有り得ない再発を防ぐための強引な記憶処理は不要とされたとのことだった。
「内藤翔太に至っては現段階で彼の異能を封じる有効な手段がありません。
また、今回のケースのような敵性のある異能者が現れた場合に彼の存在は保険となります。
再現性の低い危険ではありますが、対処できる人材を失うべきではないでしょう」
こほん、とシオさんが芝居がかったせき払いをする。
「やや行き過ぎた机上の空論をしていたところに今回のことが起こり、本部も丸く収める決断をしたのでしょう。
まったく、ヒーロー組織というのは理想主義が先行しがちで困ります」
心配されていた異能の発現は、実際に起きた結果――あ、こんなの滅多に起こらないな――となり、万が一の場合も現場経験者の翔太を残しておく、ということになったようだ。
なんだかんだ言っても組織の本部もハッピーエンド至上主義じゃないか、となりかけたところで反町たちの存在を思い出した。
「ちなみに反町や取り巻きの奴らはどうなったんですか?」
「彼らは軽度の記憶処理で真っ当な不良に戻っています。
《反転》を持つリーダーだけは技術的に封印ができないので、保護観察のような状態にあります」
真っ当な不良というワードが存在するかは知らないが、反町以外は異能のない平凡な日常に戻ったらしい。
反町は保護観察状態とのことだったが――
「本人が反省して、更生したら戻ってくるんですか?」
「ああ、いえ……新藤くんが知っている保護観察とは違うかもしれません」
「……反町は今どうなってるんです?」
「他者と隔離された環境下ですが、生存することに一切の不自由なく過ごしているはずです」
それ以上は教えられない、と無言の圧力を発するシオさんの笑顔に、俺は何も聞けなかった。
とにかく二度と翔太や桂木と関わることがないのであれば、こちらとしては安心だった。
「なんだか脅かしてたわりには、うまいこと解決しましたね」
「脅かしたつもりはありませんが……?」
「思い出したら記憶を消されるだとか、二度と元には戻れないみたいなこと言ったじゃないですか」
もちろん単なる脅かしなどではなく誠実な忠告であったことはわかっている。
からかうような声色だったのが伝わったのだろう、シオさんはフッと微笑んだ。
「真帆は思い出してはいないし、結果的に同じ関係には戻れませんでした、でしょう?」
「そうですね……でも、よかった」
俺は肩の荷が下りたように身体を伸ばし、大きく息をついた。
シオさんからの依頼のような形で始まった今回のことは、いわゆる巻き込まれてなし崩しに関わった事件とは違う。
こうして無事、当事者が納得できる結末を迎えられたことは一安心だった。
「僕もよかったです、新藤くんに相談して」
シオさんも俺と同様、安堵するようにのんびりとした様子でお茶を口にする。
「君のことをよく知れましたし、先輩の顔も久しぶりに見れましたからね」
「そういえば、サトーと同僚なんですよね。昔の話とか聞きたいかもな……」
「先輩は話してくれませんでしたか?」
サトーは基本的に秘密主義である。
俺がむやみに聞こうとしないということもあるが、自ら過去を語るようなタイプではない。
自信ありげに語りだされてもうっとうしいだけだし、わざわざ聞きだそうというまでの興味もなかった。
しかし、シオさんからであれば落ち着いて聞ける。
それに元ヒーローだったという過去は、正直気にならないといえば嘘になる。
「……あっ、でも今日はこれから用事があるんだった」
俺は先約があったことを思い出し、残念とばかりに溜息をついた。
「おや、引き止めたようで悪かったですか?」
「いいえ、また今度聞かせてください」
「そうですね、機会があれば」
時計を見てギリギリであることを確かめると、急ぎ足で玄関へと向かう。
シオさんが見送るように手を振りながら言った。
「そういえば、今日はどこへ行くんですか?」
「あの日のデートのやり直しです」
+ + +
待ち合わせをした駅前に着くと、すでに他の三人は到着していた。
慌てて駆け足で近づきながら、申し訳ないと手を前にやって謝る。
「悪い、待たせた!」
「いいえー、まだ大丈夫ですよ」
野々宮は気にしないで、と微笑みながら手を振った。
翔太と桂木も軽く会釈をすると、手元のスマホに視線を落とした。
「ただお昼をみんなで、って時間はなさそうっすね……」
本来ならば昼食を一緒にしてから二人を見送る予定だったのだが、俺のせいで時間が足りなくなってしまった。
「悪いな……」
「元々、時間があればって話っすから」
「電車の時間的に仕方ないですよ」
年下二人からフォローされてはグチグチ謝っても仕方ない。
溜息をついていると、野々宮がやたら嬉しそうな顔で俺の隣でこそこそと話す。
「まぁまぁ、二人きりのランチタイムを演出したと思えば……」
「……それもそうだな」
ここは野々宮の素敵な考え方に乗っかって割り切ることにしよう。
一人で頷きながら強引に自分を納得させていると、翔太がむず痒そうに頬をかきながら言った。
「聞こえてんすけど……ホントに二人で行くんすか?」
「何? 私と二人じゃ嫌なの?」
「ちがっ、そういうことじゃなくて、いきなり進展早いっつーか……!」
翔太がごちゃごちゃと言っている中、桂木がわざとらしく突っかかる。
明らかに桂木は楽しんでいるだけなのだが、翔太は気付かずに真面目に弁解している。
今日、俺と野々宮は駅で見送り――つまり、この先は二人きりだ。
俺としてはいつまでもダブルデート状態より嬉しいのでは、と思うのだが、そういうものでもないらしい。
「べつに早くたっていいじゃない、付き合うの二度目なんだから」
「~っっ! ってか、あんまり話してると電車乗り遅れるから!」
翔太が早く行こう、と桂木に手を伸ばす。
数秒、その手を見つめたまま動かない桂木。
戸惑う翔太が手を引っ込めようとするが、バシッと腕ごと掴まれる。
「そうね、行きましょ! じゃあ、行ってきます!」
「あ、あぁ……行ってきます」
俺と野々宮は二人の様子に笑いながら手を振り、見送る。
「お昼どうする?」
「向こう着いたら喫茶店があるよ、多分好きなとこ」
「どこよ?」
「エビピラフがないけど美味しいって言ってた店」
「……あー。ん、私それ言ったっけ」
「知ってるよ、付き合うの二度目なんだから」
「……ずるくない?」
「ずるくないよ」
二人の話し声が段々と遠ざかっていく。
俺と野々宮は二人が見えなくなった後も、電車の発車時刻を過ぎるまで何も喋らなかった。
やがて駅に到着した電車から降り行く雑踏に紛れるように、お互い無言のまま歩き出した。
おそらく駅近くの食堂に向かってるんだろうな、となんとなく思いながら歩いていると、野々宮がぽつりとこぼした。
「あの二人……異能を持ったまま平和に暮らしていけるんでしょうか?」
魔法少女を長年やってきた身としては、これから先の未来に事件が待ち受けてないかと心配になるのだろう。
いつか困難にぶつかり、波乱万丈に巻き込まれ、解決のために奔走するはめになるかもしれない。
俺も心配する気持ちがないわけでもないが、あの二人に限っては滅多なことにはならないと思っている。
「大丈夫。この世界の少年少女ってのは大抵が"普通"だし、それは異能を持ってようが変わりはしないさ」
普通の少年少女はいつだって難題を抱えている。
それが恋だろうと、異能だろうと、もっと別の何かだろうと、誰しもが悩んでは解決しての繰り返し。
だから何かあったって、ゆくゆくは何も無かったと言える日々になっていく。
何だかんだあっても、なんてことない日常。
そういう時間こそ平和と呼ぶのだから。




