9.6 二組逢引《ダブルデート》
俺たちの町には若者向けといえるデートスポットなんかない。
そういう色恋ごとに無縁だったから知らないとか、そんな理由ではなく本当にないのだ。
だからこそ、ただ郊外に出店してきた商業施設の服屋なんかをぶらぶらする中高生のカップルがいたりするわけだ。
しかし、この情報化社会にどっぷり浸かる若者がそれで満足するはずもなく、多少の小遣いをはたけば選択肢は広がる。
野々宮調べによると海方面に映画館と水族館が一つの建物に入っている複合施設があるそうだ。
聞くだけで気後れしそうな場所だが、野々宮も気合を入れて臨むと言っていたので気持ちは同じだろう。
そう思うだけで少し気が楽になる――そう考えていたのだが。
「……この時間は地獄だな」
「そっすね……」
映画館の入り口で翔太と男二人きり、通り過ぎていくカップルたちを無感情に見送る。
待ち合わせするほうがムードありますよね、という野々宮の提案でこうなったのだが、二つ返事で了承したことに早くも後悔していた。
せめて一人なら待ち合わせしてる彼氏と見られないこともないのに、二人だからこそ辛いものがある。
「どう見られてるんだろうな、俺たち……」
「先輩が早めに行こうって言ったんじゃないっすか」
「いや、野々宮だったら十五分は早めに着くだろうから……」
「真帆と来るなら多分ギリギリっすよ」
もっと目立たない場所で暇を潰しながら待てばいいのかもしれない、連絡だってとれるのだから。
しかし、相手が来たときに待ち合わせ場所にいないというのは格好がつかないというか、なんともだらしない。
せっかく早く到着しているのに相手を待たせることになるのは本末転倒である。
うーん、と悩ましく唸っていると、横から溜息が聞こえた。
「……なんなんすかね、自分」
「ん?」
翔太が自嘲気味に呟いた。
「吹っ切れたとか格好いいこと言っといて、来てるじゃないっすか」
「……いいだろ、べつに」
気の利いたこと一つ言えなくて、思わず黙り込む。
先輩風を吹かそうにもジャンルが畑違いにも程がある。
せめて一言くらい出てこないかと頭を捻っていると、翔太がまた声を上げた。
「あっ」
「今度はどうした?」
「あいつら……」
翔太の視線の先には数人の男子グループがいたのだが、雰囲気が場所に似つかわしくなかった。
賑やかなのだが、よくいるおちゃらけた明るい集団ではなく、寒々しさのある軽さで、まるで責任感のない車のような危うい素振りを感じた。
「知ってるのか?」
「赤坂……異能を悪用していた不良グループのボスっす」
「どいつだ」
「あの後ろのでかい奴っす」
そこそこ遠いので聞こえるはずもないのだが、自然と小声で会話してしまう。
翔太の示した赤坂という男は確かに大柄でリーダーにたり得る体格をしていた。
しかし、集団での位置は見たままの後方で、先頭の鋭い目つきの男に従っているように見える。
「……あの前を歩いてるのは?」
「えっ、えーと……あぁ、反町だ。顔の広い情報通で奴らの中では頭の回るほうっすね」
翔太はなおも赤坂を気にしていた様子だったが、俺は先頭の反町という男のほうが気になった。
「反町のほうがリーダーっぽく見えるんだが」
「……そうっすね。でも、異能があろうとなかろうと赤坂がボスだったはず……」
異能の記憶が消えたことで後ろに控えるようになったのだろうか。
翔太は違和感があるみたいだったが、考えても仕方のないことのように思う。
「異能がなくてもあんな威張ってる奴らに関わりたくはないな」
「同感っすね……多分、ろくなことないっす」
そのとき、彼らの進行方向がこちらに向いた。
俺たちの間に緊張が走るが、ここで不自然に逃げ出すほうが悪目立ちする。
無事に逃げ出したところで、野々宮たちと赤坂たちが出くわしたら最悪なので留まるほかない。
無関心を装いつつドキドキしながら立ち尽くす。
すれ違う瞬間、赤坂ではなく反町の目線がこちらに向いたような気がした。
「……っ」
翔太が息を呑むが、すぐに興味を失ったように不良集団は映画館の中へと入っていった。
俺は何事もなかったことにホッと胸をなでおろした。
「いったな」
「はい……向こうも俺たちを知らないんだし、男二人に絡んだって意味ないっすからね」
口ではそう言いつつも翔太はぎこちない笑みを浮かべている。
「そんなに強かったのか?」
「赤坂の火炎は単純な異能だったんすけど、とにかくしつこくてタフなんすよね……
俺は異能は無効化できても、ただのケンカでは勝てないし」
そのたびに真帆がぶっ飛ばしてたんすけど、と遠慮がちに意地を張る。
好きな女の子に守られているシチュエーションだから苦い顔だったのか、と俺は納得した。
俺は空気を変えようと、なんとなくたずねる。
「他にはどんな異能があったんだ?」
「えーと……反転とか――」
「お待たせしましたぁーっ!」
耳馴染みの良い声が近づいてくるにつれ、俺の目は野々宮へと吸い寄せられていった。
桂木を連れ立って現れた野々宮は、首元まで覆うハイネックの白いニットに大きめのコートを羽織っている。
オーバーサイズのダウンコートで全体的にもこっとしているのが、むしろ良い。
そんな野々宮の印象とは逆に、桂木はダークカラーのシュッとしたロングコートが主張しすぎない格好よさを仕立てている。
単純なニットとデニムパンツに合わせた雰囲気が良く、最近の女子はお洒落だと感心する。
「すみません~……服が決まらなくて遅くなっちゃって……」
「いいよ、似合ってるぞ、野々宮」
「あ、私じゃないです。真帆さんの」
その言葉で視線が桂木に向き、妙な時間が流れる。
ほら、と軽く翔太を小突くと、急かされるように口を開いた。
「に、似合ってるよ、桂木さん」
「うん、ありがと……」
初々しいやり取りに微笑ましくなり、俺と野々宮は後方で腕組みしながら満足気に頷いた。
「うむ、良いスタートだな」
「はい! 真帆さん、スタイル良いので選びがいがありました!」
褒められるままにされていた桂木だったが、さすがに恥ずかしくなったのか、少し声を張って言った。
「早く入りましょう、入り口で邪魔になるといけないし!」
「あ、待って!」
ずかずかと大股で歩き出す桂木を止める翔太。
確かに赤坂たちが中にいると知っているのに、同じ場所に入るのはまずい。
お互いに知らないとはいえ、元は敵同士である。
それでなくとも柄の悪い集団がいるところにわざわざ入っていくことはない。
「映画はやめて、先に水族館行こう」
「えっ、どうして?」
「それは……」
当然の疑問なのだが、翔太は言葉を詰まらせた。
赤坂たちがいるから、とは桂木の前では言いづらいのだろう。
敵同士だったから関わらないほうがいいとは、シオさんとの約束があるので言えない。
「悪そうな奴らが入ってったから……」
「そんなの気にして予定変えるの?」
よくない流れになりそうだったので、慌てて俺も口を挟んだ。
「俺も賛成だな。せっかくの日に騒がしい奴らと一緒なんて」
「……まぁ、それならどっちが先でもいいですけど?」
そこまでこだわりはないようで、桂木はあっさりと意見を取り下げた。
隣で野々宮も不思議そうに首を傾げていたため、俺は手を前にしてジェスチャーだけでこっそりと謝る。
それだけである程度は察してくれたらしく、野々宮も仕切り直すように明るく言った。
「午前中に水族館を回っちゃうのもアリですよね……ああっ!?」
「ど、どうした?」
いきなりスマホを取り出し何かを調べ始めた野々宮が、しまったと顔色を変えた。
「午前はイルカショーとペンギンのお散歩タイムが被ってるんです……どうしましょう!?」
「……午後まで居よう」
わくわくしている野々宮は見ていて嬉しいのだが、今日は翔太と桂木が仲良くなるためのデートだよな、と少し心配になるのだった。
+ + +
海の生物とは不思議なものである。
重力に支配されていない世界というのは宇宙にも似ている。
解放された生き物の姿は見つめていると、なんともいいがたい神秘的な魅力を感じてしまう。
特にこのクラゲという生物は不思議だ。
骨のないゆらゆらとした外見だが、ジッと目を凝らせば収縮する器官が透けて見える。
ああ、もう、一生見れる――――
「新藤さーん……もう行きましょうよぉー」
「もう少しだけ……もう少しだけ、クラゲを見ていたい……」
無限に見ていられる遊泳運動から引きはがされるようにして、俺は野々宮とイルカショーの会場へと向かう。
気付けば翔太と桂木の姿がなく、どこへ行ったのかとたずねる。
「二人はどうした?」
「先に行って席をとっといてくれるって。できた後輩ですよね」
「おお、つまり俺のおかげで自然と二人きりになったわけだな」
「新藤さん?」
「いや、ごめん悪かった」
そういえば、これはいい機会だ。
ちょうど野々宮と二人になったので赤坂たちのことを伝えておいた。
野々宮は眉をひそめながらも、気にしないように声を弾ませる。
「まぁ、起こる前のトラブルを心配したって仕方ありません。
打てる手段として、こうして別のところに来てるわけですし」
野々宮の言うとおり、何もしていない、されるかもわからない相手を心配しても仕方ない。
ただ一方的に怯えていたって疲れるだけだし、過去に敵だったからなんて理由でどうこうできるわけもない。
「……そうだな、楽しまないと損だしな」
「そうですよ!」
「じゃあ、俺はもう一度クラゲを」
ぐいっ、と腕を掴まれて図らずも野々宮と腕を組みながらのデートとなるが、笑顔のまま無言で突き進む野々宮に、俺は別の意味でドキドキが止まらなかった。
イルカショーの会場に着くと、段々に並ぶベンチの中段端っこに二人はいた。
ありがとうもそこそこに席に座ると、さっそくショーが始まった。ナイスタイミングだ。
軽快な音楽に合わせてイルカたちが右へ左へ泳ぎ、ハイジャンプ、さらに一回転ジャンプ。
次々と繰り出されていくパフォーマンスに思わず息を漏らし、周りの客につられて拍手を送る。
「わぁ、すごーい!」
楽しそうに手を叩く野々宮。その奥の桂木も目をきらきらさせてショーに見入っている。
そんな光景に、来てよかったという思いがあふれる。
ぎこちない表情が多かった翔太も、純粋な男子の素顔を見せていた。
「……初めて来たな、こんなとこ」
独り言にもならないような翔太の呟きだったが、ショーに夢中だったはずの桂木は耳聡くそれを捉えた。
「えっ、水族館に?」
「あ、いや、桂木さんと来たのが」
「……そりゃそうじゃない?」
翔太は一瞬のどを詰まらせたが、すぐに笑って誤魔化した。
「うん、俺の勘違い。気にしないで」
「それって――」
その瞬間、イルカたちが一斉にハイジャンプを決めて、場内が歓声に包まれた。
トレーナーが丁寧にお辞儀をするとともに、イルカたちが片ヒレを水面から上げてアピールする。
盛大な拍手がショーの終わりを告げており、翔太は笑顔のまま立ち上がった。
「午後からのペンギンショーも楽しむなら、早く移動しなくちゃ」
時刻は十一時二十分。
確かにお昼のことを考え出さないと、午後のペンギンに間に合わなくなってしまう。
「……うん」
桂木は言いかけた言葉を呑み込むように頷くと、翔太に微笑みを返した。
昼食は手頃な値段と豊富なメニューが売りのファミレスに決まった。
デートなのに、と思わなくもないが、水族館の入場料と映画のチケット代を考えると予算は厳しい。
予約するような店に背伸びをして入ったところで落ち着かないだけだろうし、無難かもしれない。
「先に座ってて下さい、トイレ行ってきます」
「あ、先輩。私も……」
女子組がトイレに行ってしまったので、俺は奥のほうの四人掛けテーブル席についた。
窓際は外が気になるんだよな、と少しばかりの小心者を発揮してると、翔太が横に座った。
「えっ、そこ座るのか」
「駄目っすか?」
「そんなことはないけど……」
こういうときって男同士で座るものか? と思いつつ、まぁいいかと一息つく。
俺は翔太が何か引け目みたいなものを感じているように思えて、さっきのことを聞かずにはいられなくなった。
「なぁ、さっき言ってたことって」
「なんすか?」
「水族館、初めて来たってやつ」
「ああ……真帆、いや桂木さんとこういうところ来たことないなって思いだして」
ばつが悪そうに、だけど話したくもあるようで、翔太は口をもごもごとさせていた。
「異能がらみで一緒にいたときは、そんな場合じゃなかったっすから……
一緒にいた時間は今より長かったけど、普通の恋人みたいなこと一つもしてないなって」
「それはわかる」
俺も野々宮との思い出は事件のことばかりで、一般的なお出かけの記憶は少ない。
歩けば騒動に出くわすヒーローたちにとって、普通で過ごせることは尊いのかもしれない。
「だから、嬉しいんすよ。前よりも普通に幸せで楽しく一緒にいられるってことが」
「翔太……」
「だから――」
はにかんだ翔太の表情にこちらも嬉しくなるが、次第に声が陰りを帯びていく。
「やっぱりこれでいいんすよ、俺も忘れてしまえばお互いに幸せじゃないっすか。
忘れてない俺のほうがおかしいんだから、俺が忘れてしまえば――――
――――でも、できないんすよね、好きだったから」
好きな人のために好きな人のことを忘れようとしても、それが好きな人だから忘れられない。
とてつもない矛盾を抱えた真っ直ぐな思いを、翔太は何度も何度も考え抜いたのだろう。
そうでなければこんなこと、こんな簡単に言葉にできるわけがない。
だけど、それでも答えが出なかったんだ。
「……いいんじゃないか、それで」
「何がっすか」
「忘れられないなら、そのままで、思いを抱えたまま一緒にいればいい」
「でも、それってなんか不誠実っつーか……」
「好きな人を好きでいることが不誠実か?」
翔太はさらに悩ましい顔で眉間にしわを寄せている。
まだまだ苦悩は続きそうだが、忘れなくちゃいけないのにできない、なんて自己嫌悪な考え方は和らいだようだ。
「思い出があったからこそ、さっきも赤坂たちから桂木を守れただろ?」
「ん、まぁ、それは……」
「そう焦って答えを出すことはないさ、異能の事件は終わってるんだから――忘れたのか?」
「――忘れてないんすよ」
俺の軽口を少し笑いながら返してくれる翔太からは、陰りの色が消えていた。
「さぁ、先にメニュー決めとこうぜ? 二人を待たせなくて済むように」
「そっすね……あぁ、でも桂木さんはエビピラフっすよ」
「なんでわかるんだ?」
「初回の店の味はエビピラフでわかる、らしいっすよ?」
翔太は何故か少しだけ自慢げに言う。
そして、メニューを見ていると野々宮と桂木が戻ってくる。
すでに俺たちは注文する品を決めていたので、メニューを二人に渡した。
「んー、どうしましょう……」
「私、エビピラフで」
「決めるの早いですね」
「初回の店の味はエビピラフでわかるんですよ、先輩」
何故か少しだけ自慢げに語る桂木を見て、俺と翔太は密かに笑い合うのだった。




