9.3 強化《プラスパワー》
桂木真帆が戦えるのは、内藤翔太がそばにいてくれるからだ。
「翔太、指示お願いっ!」
異能《強化》は桂木真帆の持つ力を強化する能力。
腕力、脚力など力と名のつくものであれば大抵はその効果を発揮できる。
ただし、電力や重力といった人間が元々持ち合わせない力は強化の対象にはならない。
また、強化の認識対象は一つずつが精一杯で、同時に複数の強化もできない。
何より問題は真帆自身が強化する力を知っていることであり、それが最大の弱点でもあった。
「瞬発力だ!」
「うんっ、強化!」
残念なことに真帆の貧弱なワードセンスでは、腕力を上げて物理で殴るしか、とっさに思いつかない。
翔太の言葉でイメージが湧き、反応速度が格段に向上する。
相手である生徒会の副会長が放つ見えない遠距離の思念弾をギリギリでかわしていく。
「くっ、私の心眼を避けるだと!?」
副会長の余裕に満ちていた口調の中に苛立ちが混じる。
真帆は着実に副会長との距離を縮め、あと数メートルといったところまで迫る。
「ちっ!」
「……攻撃が止まった?」
副会長が逃げると、思念弾の勢いが止むことに真帆は気付いた。
それを聞いていた翔太が確信を得たように笑みを見せながらたずねる。
「副会長、あなたの《心眼》は目を閉じてなければ使えない。
かと言って、目を閉じたままでは全力で逃げられない。
そうなんだな?」
ずっと目を閉じていた副会長がようやく鋭い目つきを見せる。
焦りながら背中を向けて駆け出し、再び安全な距離を取ろうとする。
「逃がすな真帆! 跳躍力だ!」
「よしっ!」
気合いとともに脚部をバネのようにして飛び跳ね、副会長の眼前へと躍り出る。
いつも朗らかで糸目のように開かれなかった瞳が目一杯に見開かれ、驚愕の色に染まっている。
常日頃の余裕はどこへやら、壁面を背にした副会長は忙しなく視界をうろつかせる。
「せ、生徒会に逆らうつもりか……!?」
「私は会長に言われて、異能を悪用する生徒たちの取り締まりに協力してきた。
それがどうして翔太が処分対象になったのか、納得のいく説明はあるんでしょうね?」
「やめろ……これまでの不良どもと私は違うんだ……手を出したらどうなるか、わかってるのか!?」
ドン、と副会長の顔間近の壁を叩きつける。
真帆は怒っていた。信じていた生徒会の黒いやり方に憤りを感じていたのだ。
「どうなのか言いなさい! 会長は知ってるの!?」
真帆が強く問い詰めると、副会長はわなわなと唇を震わせながら声を絞り出す。
「き、君には利用価値がある……会長の理想である異能者が管理、支配する学園にとってなくてはならない存在だ。
しかし、内藤翔太の異能は危険だ。
彼が生徒会の意向に従わないとなれば、異能を無効化するなんて危険分子でしかない。
君たちが一緒にいることは、君にとっての損にしかならないんだよ……」
真帆の怒りが頂点を超える。
後先構わず平手打ちしようと振りかぶった手を――追いついた翔太がガシッと握った。
「はぁっ、はぁっ……真帆。ここで手を出せば、こっちが悪者にされちまう」
「だけど!」
取り逃がしたところで立場が悪くなることは目に見えており、何より真帆自身が納得いかない。
悔しげに振り上げた右腕を震わせる真帆に、副会長が少しだけ余裕を取り戻す。
「は、ははっ……いいぞ、内藤翔太……おとなしくしていれば無能は無能なりにそれなりのポストを与えて――」
「真帆、強化してほしい力があるんだ」
「えっ」
手は出さないと今まさに言ったはずなのに、と真帆も、副会長も困惑の表情になる。
翔太は副会長が逃げられないように肩を押さえつけ、真帆に目で合図した。
「今から起きることは、"不可抗力"だ」
いたずらを企む少年のような笑みに、真帆はグッと拳を握った。
桂木真帆が信念を通して戦えるのは、内藤翔太がそばにいてくれるからだ。
…………ピピピピピピ。
無機質な電子音が部屋に響き渡り、スッと目を開けて、バッと手を伸ばしてスマホの目覚ましを止める。
「ふわぁ……もう朝かぁ」
なんだか心が震えるような、締めつけられるような、それでいて悪くない夢を見ていた。
しかし、スマホの画面に映るアプリの着信に気を取られているうちに――
「やっば、もうこんな時間」
桂木真帆の頭からは、夢のことなんかすっかり消え去ってしまっているのだった。
+ + +
「出会わなければ恋もへったくれもありません」
というのは野々宮の言葉である。心の名言集に加えたいほど単純明快だ。
そういうわけで次の日の放課後、俺と野々宮と翔太の三人は桂木真帆に会うために集まった。
彼女は清掃委員であり、本日は学区内清掃デーということでグループ単位で清掃活動をしているらしい。
つまり、清掃後は必ず学校に戻ってくるということであり、それを待ちながらの作戦会議をしようというわけだ。
「とりあえず来たけど、良い作戦はあるのか?」
「恋に作戦なんてありませんよ」
「……なんか話す話題あるのか、ってことだよ」
「新藤さん、冷たいです……うん、まぁ、それなんですよね……」
俺たちが悩んでいるのは、桂木真帆と出会ったところで、何をしたらいいかということである。
仲良くなりたいとはいえ、何かきっかけは必要だろう。
しかし、シオさんから事件について真実を明かすことは禁じられている。
絶対面倒臭いことになるからお願いします、とまで言われてしまっては頷くほかない。
「幼馴染ってわけでもないんだよな?」
「そうっすね……事件がきっかけで知り合ったんで」
「共通点とかありません? 好きなものとか」
「あー……真帆はアニメのヒーローとか、遊園地のショーとか好きっす。
性格からして熱血漢なところがあるっていうか、女子っすけど」
それを聞いた野々宮はこれだとばかりに手をポンと打った。
「いいですねっ、共通の趣味をきっかけにすれば……」
「いや、俺はべつに詳しくないんすけど」
「ちょっとくらい好きな女の子の趣味に合わせるのもいいじゃないですか?」
「それはいいっすけど……」
翔太は考え込むように眉根を寄せて、とても言いづらそうな顔で言った。
「急にクラスメイトの男子が自分に趣味を合わせてくるって、女子的にどうなんすか?」
「うっ」
「しかも、その趣味を俺が知ってることを真帆は忘れてるんすよ?」
「それはぁ……」
野々宮は痛いところを突かれたように顔をしかめながら頭を抱えた。
初対面こそ無気力感に囚われていた翔太だが、少し話してみるとよく頭の回る賢い少年である。
俺は感心すると同時に、このまま役立たずでいるわけにはいかないと意見を出す。
「翔太がどうこうするより、第三者を立てるってのはどうだ?」
「だいさんしゃ?」
「俺たちのことだよ。せっかくついてきたんだから、俺たちを言い訳にして話すきっかけを作ってみるのは?」
「……確かに年上に用があるって言われたら断りづらいですもんねぇ」
「お、おう」
野々宮が同意してくれるのは嬉しいが、その言い方だと小賢しい感じがしてなんかいやだ。
複雑な気持ちでいると、翔太がおずおずとした態度で待ったを差し込む。
「その、悪いんすけど……それ以前の心配があるというか」
「なんだ?」
「数日前に真帆に会ったときに、異能のこととか、戦ってたこととか、色々と話してるんすよ。
正直、だいぶ引かれてんじゃないかなって……」
「ん、んー……そうとも限らないんじゃないか……?」
意外と本人の勘違いというか考え過ぎというか、相手はさほど気にしてなかったりするパターンはあるものだ。
翔太のやっちまった感にあふれる表情から察するに、そんなレベルのやらかしではなさそうだが、そういう可能性もなくはない。
「ぐ、具体的にはどんな反応だったんだ?」
「まず名前で呼び捨てされてることに疑問を持ってたっす。
それで人違いだと思われて、食い下がるとからかってるんじゃないかと怒られて。
証拠を出そうにも俺の《無能》では見える証拠にはならないし……
あとは、能力者の戦いってそれなんてアニメ? その設定古くない? とか……
強化ってどう発音してるの、とか……」
ダメだ。もう、手のつけどころがわからん。
どうやら翔太は一緒に過ごした思い出を一から十まで語り尽くす勢いで迫ったそうで、そこをシオさんに止められたらしい。
野々宮は表面上は笑顔を保っているが、目の奥で「どうしよう」と敗北寸前を訴えている。
翔太もひとしきり話し終わると、改めて自分のしたことへの後悔が押し寄せているように目に涙を溜めた。
「こんなのただ痛いオタク設定をひけらかしただけじゃないっすか!」
そんななにも正確無比な言葉のナイフで自分を傷つけなくても。
真帆にどんな顔して会えばいいんだ、と落ち込む翔太。
これはヒーローとして見捨てるわけにはいかない。
どんな困難であろうと立ち向かう姿勢、それこそがヒーローの力の根源なのだ。
下を向いた彼の頭に手を乗せて、俺は励ますように言った。
「……ヒーローは諦めないんだ」
「えっ」
翔太が顔をこちらに向ける。
「任せろ、すぐに無理のない誤魔化し方を考えてやる」
「……新藤、先輩」
「詭弁、こじつけ、つじつま合わせ――すべてヒーロー候補の得意技だ」
「先輩っ!」
俺たちが盛り上がる一方で、置いていかれた野々宮がぼそっと呟いた。
「はぁ。すーぐ、熱くなるんですから……」
+ + +
玄関で暇を装いながら待っていると、桂木真帆が属する生徒一団が帰ってきた。
俺と野々宮は少し離れた場所で様子をうかがっている。
見慣れない高校生がいるというのは、それだけで周囲へのプレッシャーになるとの配慮からだ。
翔太は緊張気味なのが遠目でも見て取れて、なんだかこちらの方がドキドキする。
「な、なんだか子供のおつかいを見守る気分ですね……」
「それ絶対に言ってやるなよ。思春期の男子にはキツイ台詞だ」
「……ところでさっきの作戦、本気です? キツイんですけど」
「勿論だ。野々宮が作戦の要だ、頼むぞ」
二人して少々のん気に会話を繰り広げていると、翔太が勇気を振り絞って声をかけていた。
「か、桂木っ……さん!」
下の名前で呼び合う仲だったというのに、苗字で呼びかけた上に反応を見てさん付けした。
翔太の心情を思うとそれだけで心が痛い。頑張れ、負けるな翔太。
「ちょっと話したいことが……ってか、謝りたいことがあるんだ」
「あー、うん。いいよ……あ、でもこれどうしよ……」
桂木は声をかけられて驚いた様子だったが、思っていたほど拒否感はなさそうだった。
それよりも手にしていた清掃用の鉄バサミを持ったままであることを気にしており、パカパカと動かしている。
「そうだ、これ片付けるの手伝ってくれない? 皆は先に行ってて!」
名案とばかりにテキパキと周りから鉄バサミを回収し、半分を翔太に渡す。
桂木以外の清掃委員たちは、後片付けがなくなり喜ぶ者、なにか事情を察している者といたが、むやみに首を突っ込むような物好きはいなかったようだ。
翔太と桂木だけが残ると、二人は校舎伝いに歩きだした。
清掃用具を片付けに行くのだろう。
俺と野々宮も自然と後を追った。
ガチャン、と鉄バサミ同士がぶつかる音を立てながら二人は会話を弾ませることもなく歩いていた。
部活の喧騒も遠のいたあたりで、桂木がぼそりと零した。
「手伝わせちゃってごめんね。でも二人で話したいかと思ったから」
桂木真帆は中学女子としてはすらりと背の高い、しっかりした印象の女子だった。
特に翔太と並んでいると姉と弟にしか見えないのだが、これは胸に秘めておくべきだろう。
二人は校舎の裏手にある用具倉庫に鉄バサミを片付けると、そのまま建物の壁に背中を預けて話を始めた。
「このあいだのことでしょ?」
「……うん、まぁ」
「気になってたんだよ。もしかして私のせいで学校来ないのかなって」
「ち、ちがっ! べつに、桂木さんが悪いわけじゃない……」
慌てて翔太が否定すると、桂木は安堵したように胸に手をあてた。
「ひとまず、よかった……」
その仕草を見て、翔太が意を決した表情で桂木の前に立った。
「ごめんっ! 迷惑かけて!」
勢いよく頭を下げた翔太に、大きな瞳をぱちぱちと瞬かせて驚きを見せる桂木。
「ううん……びっくりしたけど、迷惑はかかってないよ」
「本当……か? 学校で噂とかになったりしてない?」
「ないない、誰か信じると思う?」
桂木は真っ直ぐに翔太を見つめており、その眼差しは不思議なくらい力強かった。
とりあえず翔太も胸のつかえが下りたようで、表情は少し和らいでいた。
「……で、なんであんなことしたの?」
「それは……!」
まずは謝罪をしておきたいという翔太の思いは成就した。
ここからは数分で練り上げた脚本は俺による華麗なる詭弁の出番だ。
俺は覚悟を決め、準備完了した野々宮とともに二人へ近づいた。
「翔太! お詫びできたなら俺から説明させてもらうけど、いいかな?」
俺は通りの良い張りのある声を出し、演劇がかった口調でたずねた。
桂木が不審げにこちらに目線を向ける。
「えっ、急に誰で……え!?」
桂木は俺と野々宮を見て固まった。
正確には、魔法少女服を着た野々宮を見て固まっていた。




