1.8 プロローグはラストの後で
今年のゴールデンウィークは初日を除いて、暇を持て余してしまった。
野々宮から連絡が来たときの返答についてシミュレーションしていたのに、一つも実施することなく休日が終わった。
サトーからも連絡はなく、事後調査や報告資料の作成に専念しているようだ。
俺は一人寂しく――寂しくはないか。一人で中間テストの対策、読書、映画観賞と内向的趣味に徹していた。
祖母と仲が悪いわけではないが、二人で出かける機会など、俺が荷物持ちをするくらいだし。
夏休みや冬休みならともかく、数日の連休で両親に会いに行くわけにもいかない。あまり、行くべく土地でもない。
とにかく、俺は一人で連休を過ごした。そうさ、ゆっくり休むことができたんだ。
そして、特に理由はないのだが、連休明けの今日、登校時間は普段より二十分早い。
誰かが教室に入ってくるたびに野々宮かと確認し、そうでないクラスメイトに不審がられる。
田中か中田か覚えていない男子からは、何で今日早いの、と気さくに訊ねられてしまった。
何でもないと誤魔化したが、何でもないと言った奴が何でもなかったことなどないと思う。
十五分後。登校ラッシュの少し前に、野々宮は現れた。
この一ヶ月。俺よりも早く教室にいて、同じ授業を受けていたとは、驚くべき話だ。
野々宮の席は俺と離れているので、別に俺のそばを通る必要はない。
しかし、何事もないような顔で俺に近づく。
「おはようございます」
「……えっ、ああ、おはよう?」
そして、何事もないような顔で自分の席へと座った。
野々宮のどう解釈していいのか、俺には見当がつかなかった。
しかし、わざわざ俺の方を向いて、興味津々な表情を隠さない田中あるいは中田。
それにクラスメイトが数秒だが、確実にざわついた。
俺と野々宮はどのように思われているのだろうと考え、パッと顔を伏せる。無意識に口角が上がる。
もしかして、あの二人。そんな噂が立ってしまわないだろうか。我ながら、頭の悪い妄想をしている。
「新藤、休みは終わったぞ」
野太い声で注意される。
いつの間にか教壇にいる担任に朝から居眠りをしていたと思われたようだ。
しつこく怒られることはなかったが、別に寝てはいなかったので理不尽だと思った。
しかし、誰が反論できようか。寝ていたのではなく、お花畑な妄想をしていただけだと。
+ + +
教育は偉大だ。特に数学と歴史。
舞い上がっていた頭はだいぶ冷えて、放課後には野々宮を意識せずに一人でさっさと帰っていた。
魔法少女の事件はひとまず終了。まだ、ありがとう集めに関して一悶着あると思うが、困れば向こうから来るだろう。
ヒーローのスタンスとしては、これで正解。
ただ、新藤昌宏のスタンスとしては、心残りがないわけではないけど。
「新藤さんっ、ちょっと!」
振り返ると、野々宮が小走りで俺を追ってきていた。
「朝、変な感じになってすみまっ、すす……」
「落ち着け、急いでないから」
「だって、気付いたら帰っちゃってて……」
「帰宅部だし、待つ人もいないし……俺のこと、探してた?」
「探してました」
「……悪い」
結局、野々宮と帰ることになった。
横並びに歩いているが、距離感は間違っていないだろうか。
昨日までの距離はヒーローと魔法少女のもので、それを今日に当てはめていいのだろうか。
「私なりにね、考えたんですよ」
「何を?」
「魔法少女として、ありがとう集めに専念しようって」
野々宮の表情からは、真剣だということしか読み取れなかった。
当然のことを言っており、俺も応援したいと思っている。
「……応援してるよ」
返答に遅れた数秒間は、未練ではなく決意だと信じよう。
野々宮は諦めずに困難に立ち向かおうとしているのだから。
「俺のおかげで、あと九個だろ?」
「はい、二個分カウントされてもいいと思いますけど……」
「野々宮にしては言うなぁ」
「……思えば私は魔法少女になろうとしてたのかもしれません」
意味がよく呑み込めず、先を促すように野々宮に視線を向ける。
「私がやろうとしていたのは、テレビの中の魔法少女で、とてもじゃないけど無理でした」
「頑張ってたと思うけど?」
「ヒーローらしいヒーローをやってる人を見て思ったんです。魔法少女らしい魔法少女になるのはやめようって」
「何か、ずるいなぁ……」
「ふふっ、私は自分のなりたい魔法少女になるんです」
野々宮にしては自己主張が強いけど、今までを考えるとバランスが取れてると思う。
ただ、自己中心的な魔法少女となると聞こえが悪い。
俺は一応、野々宮に訊ねた。
「結局、野々宮はどうしたいんだ?」
「基本的には変わりませんよ。助けたい人を助けるだけです」
「何だ、いいことじゃないか」
「とりあえず、新藤さんを中心に、徐々に助けたい人を増やしていければ……」
「ちょ、ちょっと待った。俺は助けられる側なのか!?」
「だって、危なっかしいことしてるじゃないですか。魔法があると安心でしょう?」
野々宮は決めました、といい顔をしている。
俺のことを助けなくてもいいのに、という言葉は既に野々宮が否定している。
いい加減、俺も素直に嬉しいと認めよう。めちゃくちゃ嬉しい。
「ありがとな、野々宮」
「……ある意味、敗北宣言なんですけどね。友達は諦めました、という」
「それは別途、頑張れよ」
そのとき、携帯電話が鳴り響く。
久しぶりのサトーからの連絡だった。
「昌宏。報告資料の作成にあたり、聞きたいことがある。来てくれないか」
「……迷わなければ」
「では、電話を切るな。ナビしてやろう」
「俺が何処にいるのか、わかるのかよ」
「ああ、二人で来るといい」
俺は辺りを見回す。
超技術の小型カメラでも飛び回っているのか。それとも宇宙からか。
「どうしたんですか、新藤さん」
俺の奇行を見て、野々宮が当然の疑問を口にする。
「いや、サトーが来いって……野々宮も来るか?」
「是非。でも、一度家に荷物を置いてから行きます。親も心配するので」
「場所わかる?」
「この連休に歩き回ったので、ばっちりです」
自慢げに微笑む野々宮に対して、俺は家でごろごろしていた連休を思い出してへこむ。
俺も早く土地勘を得なければ格好悪いことになり、ヒーロー活動に支障をきたすかもしれない。
「じゃあ、また後で」
「はい、すぐに」
+ + +
サトーの家には無事に着いた。
家というには独特の外観で、あの夜に飛び出してきたときに気付かない方がおかしいくらいだった
「つーか、倉庫じゃん」
「おお、着いたか。遠慮せずに上がってくれ」
「倉庫じゃん」
「ん、ああ。余計な人が訪問してこなくていいだろう?」
確かに内装はただの部屋でおかしいところはない。
しかし、がらんとしていたイメージは一変して、紙だらけの散らかり放題だった。
「おい、何だ、この惨状」
「ヒーローレポートだ。流石に今回の事件はきちんとまとめないと報告できん」
「今までは?」
「口頭やペラ紙一枚で済んでいた」
「俺のヒーローとしての五年間は……」
それからは、野々宮を待ちながら、適当に散らかる紙を整理していた。
サトーは溜息をつきながら図を作成している。
曰く、頭の固い御老体にわかりやすい資料が求められるらしい。
ただ、五月病事件で図解しなくてはならない場面があっただろうか。
「ところで昌宏」
「ん?」
行き詰まったのか、サトーが完全に手を止め、こちらを向いた。
「まえがきは最初に書くタイプか?」
高校生になったばかりの俺には、本格的なレポートには縁がなかった。
まえがき、あとがきが必要な文章を書いた経験は少ないが、言葉通りに考えるなら、まえがきはまえがきだろう。
「当たり前だろ?」
「ふむ、それでは一つ覚えておくといい。まえがきはこういうものを書くという宣言で、あとがきはこういうものを書いたというまとめだ」
「……だから?」
「まえがきは全体像を把握してから書くべきもので、最初に書けばいいというものではないのだ。大抵、物事は最初に思った通りにはいかず、横道にそれる」
「まぁ、な」
「プロローグだって、事件が終わらなければ、それがプロローグだとは思うまい」
確かに野々宮と初めてあったときは迷子を助けてもらっただけで、それが事件の始まりだとは思いもしなかった。
いや、もっと言えば、野々宮とは入学式、あるいは受験の時点で会っているかもしれない。
それらがプロローグだったと気付けるはずもなく、サトーの言うまえがきで書くべきことは最後にわかるというのも頷ける。
「サトー。野々宮は俺に会うまで、一ヶ月も、いやそれ以上、困ってたんだろうか」
「それは余計な心配だろう」
「俺さ、これから野々宮を助けたいと思う。それに助けてもらえるらしい」
「いい心がけだ。エピローグを綴ってくるといい」
そのとき、玄関から野々宮の呼ぶ声が聞こえる。
外観が倉庫なので、招かれないと入りづらいだろう。
俺は整理していた紙の束を置いて、腰を上げる。
「……いや、まだプロローグの途中かもなぁ」
「ほう、本編はいつ読める?」
「俺が本物のヒーローになったら、かな」