9.2 魔法少女《マジカルガール》
「お前らの好きにさせるかよ!」
「べつにテメェの許可なんかいらねーよ!」
多勢に無勢。
険しい顔つきの集団に囲まれて、内藤翔太は必死に虚勢を張っていた。
彼らが着ている裾や丈が改造された学生服は、翔太が今着ているものと元は同じものだ。
しかし、校内で彼らを見かけた記憶はなかった。まともに通学するような奴らではないのだろう。
――しかし、緊張感の中に少しノイズが走る。
どこかで経験したような気がする。
すでに過ぎ去った時間を繰り返し見ているような、そんな感覚。
「痛い目にあいたくなけりゃ、そこのオンナ残して消えるんだな」
ハッとして背後の存在に気付き、霧のようにまとわりついていた奇妙な思考が瞬時に散った。
「できるか、そんなこと!」
聞き馴染みすら覚える安い挑発だったが、黙っているわけにはいかなかった。
後ろで戸惑いながらも拳を握り締めているのは、桂木真帆というクラスメイトの女の子。
最近、生徒会により校内で存在が公表された異能者の一人だそうだ。
友達が不良集団の一人に絡まれたところを偶然にも異能を発揮して助け出し、逆恨みをされてしまったらしい。
「なあっ、力の使い方わかったのかっ?」
「わ、わかんないっ! 《強化》ってなんの力を強くするのよっ!?」
しかし、本人は異能の使い方をわかっておらず、戦うことができない。
一方、翔太も異能を持っており、能力の効果も理解しているのだが――
「赤坂さん、あいつアレっすよ。噂の公表者リストに《無能》って書かれてたヤツ」
細長い目つきの男が赤坂と呼ばれる男にいやらしい笑みで教えている。
まともに学校に行っていないくせに事情通のようだ。
赤坂は集団のリーダー格らしく、見た目からして身体が大きく、ふてぶてしい強面の男だった。
「そりゃあ可哀想なヤツだな……よし、お前らに任せるつもりだったが、俺が直々に手を下してやる」
「ヒュウッ! 赤坂さん優しすぎるわー!」
馬鹿にしたような笑い声で盛り上がる相手に、翔太が悔しげに歯をかみ締めた。
赤坂は手に真っ赤な炎を宿し、軽く振りかぶった。
それはまるで撃鉄を起こして獲物を前に舌なめずりを始めるハンターのようだった。
翔太は一縷の望みをかけて、手を大きく広げて真帆を庇い、必死に不敵な笑みを浮かべた。
「……やれよ」
「アツいじゃねぇか、火傷しそうだぜっ!」
赤坂の腕から翔太めがけて一直線に炎が放たれる。
膨れ上がるような熱の塊が周囲を一気に包み、それは――――
――――突然、消え去った。
そうだ。
炎を無効化したことで驚かれて、調子づいて意地張って。
そのまま殴られて、無効化できるのが異能だけって気付かれたんだったよな。
だけど、そのおかげで俺を助けようと異能を発揮して……
(ああ、また夢か……)
映像のように流れていたシーンが途切れ、続きを思い出していたことで同じ夢を見ていたことに気付く。
翔太はここ最近、異能の戦いの夢ばかり見ている。
(本当に夢だったら良かったのにな……)
数日前、目が覚めたら世界は一変していた。
誰もあの戦いを覚えていない。
異能なんて知らない、アニメの設定かと馬鹿にしてくる。
おかしいと思いつつ、真帆にだけは覚えててほしいとしつこく食い下がって迷惑をかけた。
あれは夢だったのか、頭がおかしいのは自分なのかと絶望したところに監察官のシオが現れた。
夢ではなかったが、シオは翔太の求める希望とはならなかった。
現在、翔太が置かれた状況の説明をしてくれたが、それは別種の絶望しかもたらさなかった。
わかることはただひとつ。
(真帆は俺のことを覚えていないんだ)
翔太の顔を一筋の水が伝い、カーテンから差し込む淡い日差しがそれを照らした。
内藤翔太が不登校になってから、六日目の朝のことだった。
+ + +
シオさんの案内で訪れたのは、サトーの拠点とは違って平凡な意味で目立たないアパートの一室だった。
部屋の鍵を開けながら、シオさんは独り言のように呟く。
「事件を処理した日から、翔太くんはこちらで保護しているんです。
安全に記憶や能力を封印することができないか?
あるいは、消去することができないか?
詳しいことがわかるまで、管理できる安全なところに、と本部からの指示で」
「ずっとですか? 学校は……」
俺が何気なく質問すると、ドアノブにかけた手を止めたシオさんが物憂げに笑みを見せた。
「本音は彼を隔離しておきたいんですよ。
初期段階で錯乱し、他の元異能持ちに接触しましたからね。
過度に、または繰り返し事件に関する情報に触れることで、異能が復活する可能性があります。
本部はそれを危惧しているのです」
「それって軟禁みたいなものなんじゃ……」
「みたいな、ではなくそうですよ。
万が一のことがあれば再び大規模な記憶処理を施さなければいけなくなる。
人間の脳はそう何度も気安くいじっていいものではありません。
翔太くんには悪いですが、事情を説明して、納得した上で協力してもらっています」
納得、協力とは言うが、それは好き勝手をすると自らの関係者に迷惑をかけることになるという脅迫にも近い。
不安を拭うために同じ境遇の者を探そうとすれば、全員の記憶が無理やり処理されかねない。
そんなことを言われて従わない中学生がそうそういるはずもない。
「……酷な話ですね」
「新藤さん、ちょっとそれは」
つい口をついて出た言葉を、野々宮が遠慮がちに咎める。
シオさんも立場や事情があり、好きでしているわけではないはずだ。
申し訳なさそうに押し黙る俺を気遣うように、シオさんが小さく笑った。
「組織上、正式な手順で翔太くんの望むことは叶えられません。
理屈ではどうにもならないからこそ、僕はヒーロー補正と魔法少女に頼ることにしたんです」
シオさんが振り向き、丁寧に頭を下げた。
「どうか、よろしくお願いします」
「……はい」
なにをどこまでできるか約束なんてできないが、ヒーローとして頷かないわけがなかった。
シオさんはドアを押し開けながら、また独り言のような声を漏らした。
「翔太くんもショックを受けており、お二人に良くないことを言うかもしれません。
それだけ落ち込んでいるからおとなしく保護されているということもありますが……」
「大丈夫です。気にしません」
「皆さんが協力的で助かります。
ただ、それが助かるなんて考えている自分はずるい大人だな、って嫌になりますけど」
シオさんの表情にはまだ微笑みが残っていたが、なんともそれはぎこちないものだった。
部屋に入ると布団の上で寝転がっていた短髪の少年が顔だけをこちらに向ける。
見慣れない人物の姿に反応は見せつつも、どこかのっそりとした動作で上体を起こした。
「……おかえり。その人たちは?」
「以前話したことがある、別のヒーロー候補の方たちです」
詳しいことはわからないが、事前にある程度のことは話しているらしい。
こちらもどういう表情で接すればいいのかわからず、苦笑いのような愛想を向ける。
翔太は丁寧にも軽く会釈を返して、シオさんに疑問の声を発した。
「なにか、してくれるってのか?」
「……監察官の僕では、活動終了した君を助けるには制約があります。
この環境下でできる最大限の助力をしたまでです」
きっと翔太には、シオさんができるのはここまでだ、と聞こえたことだろう。
俺ですらそういう意味に捉えたのだから、胸中では重苦しい感情があるに違いない。
これ以上、気分や空気ばかり沈ませているわけにはいかない。
俺はなるべく明るく努めて、頼れるヒーローとして振舞うことに決めた。
「よろしく、俺は新藤昌宏。君と同じヒーロー候補だ」
「……どうも。でも俺、ヒーロー候補ではないっす」
「えっ、そうなのか?」
仲間感を出そうとしたら急にはしごを外されたようで、理想の兄貴分であろうという気合いが急速に萎む。
「言いませんでしたか?
担当はあくまで桂木真帆という少女ヒーローで、彼は巻き込まれたに過ぎません。
僕が真帆に接触する前に不良集団とひと悶着起こしたらしく、本当に不運としか思えません」
シオさんは事件に巻き込まれたそのこと自体を不運と言ったのだろうが、それだけではない。
事件に深く関わることになったからこそ、今まさにギャップの大きさに苦しんでいるのだ。
これがモブのような存在であれば、忘れられてしまったことの弊害も最小限だったことだろう。
「それじゃあ、私と新藤さんの関係に似てるんですね。
私は野々宮千恵。ヒーロー候補ではありませんが、魔法少女やってます。
バトル色のない人間関係のお悩みなら、むしろ専門職ですよ?」
自然な明るい笑顔で手を差し出す野々宮に、少々面食らったような顔をしつつも握手で返す翔太。
確かに今回の事件は、言われてみれば魔法少女の本分と言えるのかもしれない。
と、そこまで考えて一つ確認しておきたいことがあった。
「とりあえず話せることからでいいんだけど、翔太くん……いや、翔太はどうしたいんだ?」
年下の男子をどう呼ぶべきかわからず変な感じになったが、翔太は気にした様子もなく答えた。
「それは……真帆に思い出してほしい。また、一緒に笑い合いたい」
翔太の虚ろだった瞳にかすかに輝きが灯った。
しかし、純粋な希望は即座に否定される。
「できません。
仮にそうなれば本部は二度目の大規模な記憶処理をせざるを得ません。
それこそ日常生活に影響が及ぶレベルで障害が残る可能性だってあります」
そんなはっきりと言わなくても、なんて誰も言えなかった。
できないことをできないと言わなければ、後で悲惨なことになる。
それを実感させるほど、シオさんの表情にも声色にも悲痛が滲み出ていたからだ。
「……はは、わかってるよ。何度も言われたもんな」
台詞とは裏腹に瞳の輝きは褪せて、声色は潤いをなくしていく。
望みそのものが不可能となれば、どうあがいたって妥協にしかならない。
全員が次の言葉を見つけられずに黙り込むしかないと思われた。
しかし、不屈の魔法少女は簡単には諦めてはいなかった。
「待ってくださいっ! 諦めちゃダメです!」
力強い声が心臓まで響いた。
翔太も大きく目を見開き、ぽかんと口まで開けている。
「翔太さんと私は同じ立場です。
ヒーロー候補に協力するってことは、活動終了時に記憶が封印されるかもしれない」
野々宮の言葉に内心ドキッとする。
サトーはそんなことはないと言ってくれたが、可能性はゼロではないだろう。
二人とも綺麗さっぱり忘れてしまえば悲しみようもないが、野々宮だけが残されたとしたら――
「もしも私が同じ状況、つまり新藤さんだけが記憶を封印されたとしたら」
「お、おいっ」
そんな大事なことを今あっさりと聞かされるのかと、思わず声を上げる。
しかし、野々宮は視線だけで俺に静かにするよう求めて、そんなことされると口を挟むわけにはいかなくなる。
「なくはない話です。
そうなったとしたら、私も翔太さんと同じことを思うでしょう。
やっぱり新藤さんとまた仲良くなりたいです」
わかってはいたつもりだったが、その気持ちが自分だけではなくて安心した。
一方、翔太はじれったい感情を隠しきれない様子だ。
「でも、それはできないって……!」
「できないのは、異能や事件のことを思い出させることでしょう?
それはなしにして、一から仲良くするのは問題ないはずです」
確認を取るようにシオさんに顔を向ける野々宮。
無言のまま数秒が過ぎ、溜息とともにシオさんが声を発する。
「……何をきっかけに記憶が戻るかわかりませんから関係者の不自然な接触は避けてほしいところですが、禁止とまでは言えません」
「ですって!」
規則上はセーフだけど安全管理上はアウトなんです、というシオさんの呟きは俺しか聞いていないようだった。俺も聞かなかったことにしておこう。
嬉しそうな満面の笑顔で翔太を励ます野々宮だったが、翔太はまだどこか浮かない顔をしている。
「だけど、それって一緒にいた記憶もなしにやり直しってことっすよね?
同じような関係に戻れるかわからないし、今度は嫌われるかもしれない。
それでも……?」
素直に不安を吐露する翔太に、野々宮は意外にもすぐに答えを出した。
「怖くたって、不安だって、傷つくかもしれなくたって……それでも、やります。
思い出がなくても新藤さんとなら、何度だって仲良くなれる。
私は新藤さんを、信じてますから」
きっぱりと言い切った野々宮のにこやかな表情に、翔太は驚いたようだった。
一方、俺はそんな野々宮の笑顔に見惚れており、情けないやら、嬉しいやらである。
「翔太さんは、真帆さんのことを信じてますか?」
好きな女がいる男がその質問を受けたら、答えは一つしかない。
「はいっ」
翔太の顔つきからは部屋に入ったときの無気力さがなくなり、少年らしい活力が満ちていた。
「……すげーな、野々宮」
「ふふん、たまには私にも格好つけさせてください」




