9.1 無能《スキル:ヌル》
新年明けましてお正月。
めでたい季節に送られてきた一通の年賀状は、俺にとってはめでたくない予感に満ちていた。
『あけましておめでとう。
昨年は素晴らしい活躍だった。
今年も良いヒーローを!
追伸。
話があるので野々宮千恵と一緒に来てほしい。
三が日過ぎてからで構わないので、学校が始まるまでに頼む。
サトー』
やたら達筆な筆文字で書かれた文章の横には、可愛げのないアルパカのイラストが描かれている。
電話で直接呼びつければいいのに、丁寧に命令してくるところが腹立つ。こちらの都合気遣ってて文句言いづらいのも腹立つ。
隣から年賀状を覗き込んだ野々宮は、独特なタッチですね、と感心しながら苦笑いをしている。
「アルパカじゃなくて、ちょっと伝わりづらい馬なのでは?」
「百歩譲って馬だとしても、今年の干支は馬じゃない」
年明けの厳かな静けさに包まれた街路を二人、サトーの家へと歩いている。
新年から面倒臭いことこの上ないが、冬休みに野々宮に声をかけるきっかけになったことだけはサトーに感謝してもいい。
野々宮は冬の装いで、ベージュのコートに白いマフラー、もこもこの手袋と寒さ対策がっちりである。
本人いわく寒がりらしく、これだけ着込んでも無防備な顔と足元が寒いのが気になるという。
「魔法少女の服のほうが寒そうだけどなぁ」
「あれは魔法で守られて、むしろあったかいんです。今も着たいくらいですよ」
「着たらいいじゃないか」
「世間の目!」
平和な冬の街角にミニスカ魔法少女がいたら、ちょっとした騒ぎである。
それくらいは俺も予想できたことだったので、素直にごめんと笑いながら謝る。
野々宮は呆れたように白い息を吐いて、すぐに穏やかな表情に戻った。
からかったお詫びということでもないが、俺は建設的な意見も出した。
「それならフードかぶったら?」
「一人のときならともかく……なんか子供っぽいじゃないですか」
「んー、そうか?」
「そうですよ。髪もボサボサになるだろうし」
そういうのが寒さよりも気になるのであれば、俺がとやかく言うことではない。
オシャレは我慢とはよく言ったものだが、べつに俺といるときぐらい気にしなくていいのに。
「まぁ、冬スタイルも似合ってるよ」
「そ、そうですか? それならいいですけど」
そうこうしているうちに倉庫のような外観をしたサトーの拠点に到着する。
薄汚れた白の波板に開かれることのないシャッター、扉には『佐藤倉庫』と事務的なプレートが貼られている。
扉のすりガラスからは中が暗く見える。これは長めの玄関スペースがあるからだった。
訪問販売も営業も素通りする隠れ家としては機能的な住居だが、一つ難点をあげるとすればチャイムもインターホンもないことだ。
そのはずだったのだが、いつの間にかナンバー式のドアロックが取り付けられている。
相変わらず呼び鈴となりそうなものは付いておらず、セキュリティが厳重になったようだ。
鍵のついた扉を叩くのは、なんだか招かれざる客のように思えて気が進まない。
とはいえ暗証番号を知るはずもなく、諦めてガンガンいってやろうと思ったとき、スピーカー越しのような音声が鳴り出す。
『よくきた昌宏』
「おおっ……サトー、どうしたんだこれ」
『うむ、まぁ……それも含めて話すから上がってくれ。番号は31040だ』
「わかった」
3、1、0……と打ち込んでいく後ろで野々宮が、サトーとシオ、とぼそっと呟いた。
俺はツッコんでやらないぞ、と固く決意をして、無事に開いた扉を潜り抜ける。
なんだか訪問の時点でドッと疲れた感があるのだが、気を取り直してメインルームへ行くと、そこにはサトーと見慣れない人物がいた。
「こんにちは、新藤くん」
「どうも……サトー、この人は?」
利発的な印象の涼しげな目元をした、中性的な人物だった。男か女かよくわからん。
短く切りそろえられた黒髪と油断のない顔つきが、しっかり者ですと自己紹介しているようだ。
不自然な自然さ、というのも矛盾しているが、検索上位のファッションで揃えてみました、みたいな格好をしている。
どことなく覚えがなくもないのは、サトーもよくそういう服装をしているからだろうか。
サトーの場合は腹立つほど何でも着こなしているので違和感は少ない。
「ああ、彼女はシオ。俺の同僚だ」
同僚というのはヒーロー監察官のことか、初めて見た。
シオさんは興味深げに俺のことを見つめると、挨拶とともに握手を求めてきた。
「シオです。よろしくお願いします」
「あ、はい。新藤昌宏です」
彼女、と紹介されたということは女性なのだろう。
性別がわかりづらいといっても男性的ということではなく、女性だと認識してしまえば男装の麗人といった表現がよく似合う。
サトーも堅物ではあるが好青年の見た目をしているし、ヒーロー監察官はビジュアル審査でもあるのだろうか。
「野々宮千恵です。新藤さんのお手伝いをしています」
「よく知っていますよ。先輩の報告書は読ませてもらってますから」
野々宮とシオさんが挨拶をかわしている中に、聞き過ごせない単語があった。
「先輩?」
「シオは、俺の後輩にあたる」
「ヒーロー監察官の?」
「ああ……いや、そうなのだが」
珍しく歯切れの悪いサトーにかわり、シオさんが説明を引き受ける。
「先輩と僕は元ヒーローなんですよ」
「えっ、初耳だぞ」
「隠すことでもないのですが、言うことでもありませんからね」
本人次第である、ときっぱりと言うシオさん。
それでも俺はサトーに問い詰めるような視線を向けてしまった。
長い付き合いだというのに水臭い、というわけでもないが、教えてくれてもよかったのに。
サトーは気まずそうに眉間にしわを寄せつつも、重々しく口を開いた。
「ヒーローを助けるヒーロー、の昌宏をサポートしてるのが、元ヒーローだとコンセプトがぼやけるだろう?」
「なんのコンセプトだよ」
「昌宏のだ。ヒーローたちのヒーロー、を助ける元ヒーロー……ほら、長くなるだろう」
「いいだろべつに、長くなっても……」
「それをさらに昌宏が助けた場合、ヒーローたちのヒーロー、を助ける元ヒーローを助けるヒーロー……」
「あー、うるさいうるさい! わかったよ、サトーの好きにしてくれ」
煙に巻かれたようで納得いかないが、肝心なところで頑固なサトーとこんなことで言い合うつもりはない。
話を戻そうと、サトーを無視して強引にシオさんに話を振る。
「シオさんも今はヒーロー監察官なんですか?」
「正確にいえば、今は違います」
「違うんですか?」
「ええ、直近のプロジェクトが終了し、担当なしの暇人ですから」
肩をすくめて嘆息をこぼすシオさんに、サトーが異論を唱える。
「あまり謙遜するのもよくないな」
「やっぱりシオさんってできる人なのか?」
「ああ、数々のプロジェクトを三ヶ月単位で完了させる優秀さは、本部からワンクール職人と呼ばれるほどだ」
「深夜のアニメじゃねーんだから」
サトーの余計な補足情報はともかく、それだけ優秀な人が用もなく訪れるはずもない。
まだまだ聞き足りないことはあるが、ひとまずシオさんがなにをしに来たのか、それが問題だ。
「それでシオさんは、どうしてここに……」
「実は終了したはずのプロジェクトに問題が発生しまして……
こんなことは今までなかったので、先輩に相談しようと思ったのです」
「……頼るのがサトーでいいんですか?」
「僕は先輩を尊敬しています。
先輩ほど強くて格好よくて、固い信念を持ったヒーローはいませんでした。
彼に憧れてこの業界に入り、名前や服装も真似ているんですよ?」
真剣な瞳でそう言い切られてしまっては頷くほかなかった。
サトーは複雑そうな表情で黙って下を向いている。恥ずかしいのだろうか、貴重なシーンだ。
男装は憧れのサトーに近づくためで、シオという名前もサトーが由来なのだという。
どちらも本名でないことは想像がつく。
サトー本人が、この時代への影響を最小限にするために個人情報の持ち込みは制限されている、と言っていたことがある。
とはいえ、並々ならぬ憧れである。それほどすごいヒーローだったのか、サトーは。
ただ、そこを掘り下げると話が進まないので、ここはグッとこらえて先へ進める。
「問題っていうのは?」
「それにはまず、担当していたプロジェクトについて説明が必要なのですが……
今から設定まるごと一つプレゼンする勢いですが、ついてこれます?」
「慣れてます」
昨年は事件のたびに設定と新キャラのパンチを喰らっていたようなものだった。
シオさんのように丁寧に一から説明してくれるとなれば、これほど飲み込みやすいこともない。
「それは心強いですね」
シオさんは整えるように息を吐いて、事情を語り始めた。
「僕が担当していたのは十四歳の少女ヒーローでした。
異能を持っていて、その力で敵を倒していく、一般的なヒーローです。
彼女の通う学校には他にも複数の異能者がいて、様々な相手とバトルを繰り広げていました。
地元の不良たちをはじめ、続々と現れる異能者を倒し、やがては不自然に権力を持つ生徒会に切り込んでいったのです。
最終的に異能者による国家運営を企んでいた生徒会長を打ち倒し、学校の平和は保たれたのです」
「……そうですか」
うん、腹一杯である。
詳しく設定や展開を詰めていくことに意味がないと判断した俺は、単刀直入に聞く。
「……その平和が早くも崩れ去ったんですか」
「いえ、そういうわけでもないのです」
「えっ」
てっきり校長や会長とか、裏で生徒会を操っていた存在が出てきたのかと思っていた。
シオさんは顎に手をあてて、軽く考える素振りをしている。
「今更でしょうけど、この先の話は他言無用でお願いします」
「わかってます」
ヒーロー活動をする者にとって、非日常の話題を持ち出せる場などそうそうない。
俺が当然のように頷くと、シオさんはそれが確認したかったとばかりに小さな笑みを見せた。
「実はプロジェクト終了後、監察官権限で能力や記憶の一部封印を行うことがあります」
まったくの初耳である。
これをこのままスルーしては今後の関係に影響すると、サトーを睨むが、サトーは待ってくれというように見返してきた。
納得はできないが、ここは我慢してシオさんの話を聞くことにした。
「記憶の封印、ですか?」
「ええ、消してしまってはヒーロー因子を残すという目的が果たせません。
記憶を一部いじることで、能力を使うこと自体を忘れさせるんです」
まるで能力自体を消すことさえ可能とでもいうような言い方だ。
実際、サトーの扱ってきた超技術から類推すると可能なのだろう。
プロジェクトの理念にも合致していることだし、そこはわかる。
しかし、そうなると――
「それって俺に話していいことですか?」
「本来はいけません。ですが、これを知っておかないと今回の事件に入れないのです」
だから、言えなかったのか。
規則に縛られるサトーを責めたくはないのだが、言わずにいることなどできなかった。
「俺、忘れたくないぞ。サトーのことも、ヒーローのことも」
「私も新藤さんと一緒にやったヒーロー活動、忘れたくないです」
せめて怒っているわけではないと語気を荒げずに伝えるが、どれだけ伝わっただろう。
野々宮も俺に同調するようにサトーへ頼み込んでおり、その必死さが素直に嬉しい。
サトーは硬い表情をしていたが、少しだけ顔をほころばせた。
「安心してくれ、それくらいわかっているとも。
あくまで記憶処理されるのは、そのままでは影響が大きいと判断された場合だけだ」
「……そうなのか?」
「ああ、昌宏のヒーロー補正はヒーロー活動が終われば不活性化するだろう。
何もしなければ何も起こらない能力なら、わざわざ消す必要はあるまい」
サトーたちの事情はよくわからないが、そういうものなのだろうか。
完全に納得できてはいないが、ひとまず確定で記憶が封印されるようなことはなさそうだ。
シオさんも同意するような口振りで相槌をうった。
「そうです。
つまりそれは単純な戦闘力となりうるような能力は封印せざるを得ないわけでして」
「それが今回の事件につながるんですね?」
「ご明察。異能者だった少年少女たちはバリバリのバトル能力者でしたから、全員が記憶封印対象となりました。
……しかし、封印できなかった少年がいたんです」
「封印できない? どういうことですか?」
記憶の封印がどういう理屈でされるのかわからない以上、それができない理屈もわからない。
考える余地もない疑問を素直に問いかけると、シオさんはすぐに答えることはせずに二枚の写真をその場に置いた。
学生服で、恐らくは中学生であろう顔つきの少年と少女、二人の写真。
「女子生徒が桂木真帆。
持っていたのは力を強くする異能、強化。
男子生徒が内藤翔太。
持っていたのは異能を無効化する異能、無能」
シオさんは、まるで設定を読み上げるように二人の名前と異能を口にした。
簡潔かつ唐突な説明だったが、事件の顛末を知るにはそれだけで十分だった。
「……それはつまり、この男子だけ記憶封印を無効化してしまったってことですか」
それはとんでもない状況だと思ったと同時に、さきほどの自分の話が脳裏をよぎる。
能力無効化が一人だけ残っていても、無効にする異能者がいないのだから、日常生活に影響はないのでは、と。
しかし、そんな漠然とした疑問を言葉にする前に、シオさんは圧倒的な絶望感を明確な言葉にした。
「そう、無効化してしまったんです。
他の全員がここ三ヶ月あまりの戦いを忘れて、異能を失い、日常に戻る中で――
彼一人だけが置き去りにされてしまったんです」




