8.9 メアリースーは最強
――ごめんね、今だけ主役を借りるね。
昌宏と別れた私は、胸に漠然とした予感を抱えながらグラウンドで相手を待っていた。
あれだけ騒いでいた生徒たちの姿はなく、校舎は不気味なほど静まりかえっている。
生徒たちが全員で私たちの捜索に出払ったとは思えない。
彼らがこの場にいないことこそ、ここが最終決戦の証しなのかもしれない。
ふと気配を感じて振り向くと、私にとってのラスボスが姿を現した。
なにがおかしいのかわからないけれど、ゲイリーは笑いをこらえるように口元を歪ませている。
「自分から来てくれるとは、探す手間が省けたよ」
「……勝てると思ったから来た、それだけだよ」
ここに来ると決めたときから、私の勝利のビジョンは揺るがない。揺るがさせない。
昌宏から託されたヒーロー補正が私に勇気をくれる。
絶対に負けない。私はメアリースーでヒーローなんだ。
そんな贅沢てんこ盛りな私が主役でなくして誰が主役だっていうのか。
「なんだい、その目は……本当に勝てるとでも思っているのかい?」
「だから、そう、言ってるでしょう!」
私は叫びながら駆け出し、ググッと右腕に力を込める。
武器になりそうなものを瞬時に思い浮かべる。剣、槍、斧、どれもイメージは固まらない。
経験したものじゃないと駄目なんだと、再び強く思い起こす。
そして、手にした武器でゲイリー目がけて振りかぶった。
ガキィン!
金属のぶつかる音が耳に響き、腕が痺れるほどの振動が伝わる。
手にしていたのは魔法の杖。野々宮さんからトレースしたものだった。
しかし、ゲイリーも同じものを手にして、私の攻撃をいとも簡単に防いだ。
この一瞬で杖をトレースしたということらしい。
「ははっ、随分とファンシーな武器だね。そんなもので僕を倒せると思ってるのかな」
私は杖を持っていない左拳を握り、ゲイリーの腹を狙う。
それも予想の範囲内とばかりにかわされ、背中に重い一撃を喰らった。
「ぐ、くっ……」
ふらつきながら距離をとり、格好だけでも杖を構える。
ゲイリーは愉快そうに杖をもてあそびながら、眠たげにこちらを見ていた。
「たった一撃でふらふらじゃないか。無駄なことはやめて、早く諦めたら?」
「はぁ、はぁ……あきらめ、ない……!」
「元メアリースーが頑張るねぇ……でも無理なんだよ、君は勝てっこない」
私はじくじくとした背中の痛みをこらえながらも、少しおかしくなってしまった。
「ふふ、ふふふ……」
「なにがおかしい?」
ゲイリーが怪訝な瞳で私を見つめる。
「あははっ! なにが、おかしいと思う?」
「……追い込まれて、気でも狂ったのかな?」
「違うよ、勝利を確信して喜んでるだけだよ」
「馬鹿なことを、どこにそんな希望があると言うんだい?」
この期に及んでまだそんなことを言うゲイリー。
希望も絶望も関係ないのに、まだそんなこともわからないのか。
私がメアリースーである以上、あなたの役割は創造主でもなんでもない。
「だってあなた、悪役みたいなことばかり言ってるよ」
ゲイリーの双眸が見開かれ、憎悪に染まった。
「僕を悪役扱いするつもりかっ!!」
ゲイリーが懐から拳銃を取り出して、私に突きつけた。
私はいきなり登場した即死級の飛び道具に驚き、声を失っていた。
いくら魔法の杖を構えたからってどうにかなるものではない。
形勢逆転、いや、ただただゲイリーを怒らせただけである。
優位に立ったことで落ち着きを取り戻したのか、ゲイリーは息を整えながら呟いた。
「僕を悪役に見立てて勝とうとしたのか……コピーのくせに、よく考えたね、でも」
バン。
足元の地面をえぐる銃弾が、ゲイリーの拳銃が本物だと示す。
疑ってなどいなかったけど、緊張感から冷や汗がたらりと顎から滴る。
「ここまでのようだね――――でも、もったいぶって余計なことされると面倒だな、撃とう」
バン。
二発目の銃弾は呆気なく私の心臓を貫く衝撃を与えた。
避けようのない弾丸を胸に喰らい、私はばったりと背中から倒れる。
――だが、完全に意識が消えてはいなかった。
サトーさんの調査のときに借りた謎の器具を衣服の中に着込んでいたのである。
偶然にも胸部を覆う形でつけられた器具の一部が、銃弾の勢いを削いでいた。
「ふん、ひやひやさせてくれる……なんだとっ!?」
私は魔法の杖を突きたてて、立ち上がった。
驚愕の視線を向けるゲイリーは拳銃を構えることも忘れて、錯乱したように怒鳴る。
「どうして立ち上がるんだ!?」
肺が潰れたような息苦しさにぜぇぜぇと言いながら、私は必死に叫んだ。
「なにも考えず、悩まず、一つも経験しなかった万能のあなたにはわからないよ!
今ここに私が立っている理由はね!!」
「くそっ……こんなはずじゃ」
ゲイリーが思い出したように拳銃を構えて無闇に撃ちまくる。
バン、バンと左右で音が弾ける。
まだ痛みから身動きがとれずにいたが、それでも当たることはなかった。
「どうして!? どうしてこの距離で外れるんだ!?」
ゲイリーが焦りと困惑の表情で呟き、ハッと思い当たるように目を見開く。
「そうか、ヒーロー補正だな……!」
ゲイリーは私がヒーロー補正をトレースしていることに気付いた。
そして、私からヒーロー補正をトレースして、自らのものとした。
「ははっ、これでイーブンだ!」
「無駄だよ」
バン。
当たらずに無駄な弾が消費されていく。
ゲイリーはすぐに気付いた。トレースしたはずのヒーロー補正が発揮されていないことに。
トレースはできるできないじゃない。できるものだ。
ヒーロー補正はトレースされている。それなのにゲイリーは私を倒すことができない。
「……なんで!? おかしいっ、僕にできないことなんてないのに!」
「メアリースーがトレースしたって意味ないんだよ、ヒーローってのは」
私は渾身の力を込めて、魔法の杖を振りかぶった。
「ヒーロー補正は、ただのご都合主義じゃない。
あるべき段階を踏んで、越えるべき障害を越えて、ようやく会得できる本人以外にはクソ役に立たない能力なんだよ」
「じゃあ何で……何で君は!!」
ゲイリーは悔しげに歯を食いしばりながら、拳銃を構えなおす。
慎重に、ゆっくりと確実に、メアリースーやヒーロー補正の力に頼らず、己の集中力のみで狙いを定めるように。
「私は本物のヒーローを知った。その秘められた熱い想いも、決して諦めない強い力も知った。
でもね、それはステータスには関係ないんだよ。攻撃力や防御力が上がるわけじゃない」
「そんなもの……なんの意味がっ……!」
ゲイリーが銃弾を撃った。
それと同時に私が魔法の杖をゲイリーに向かって投げつける。
「意味? 私と同じ、メアリースーであるあなたなら、よくわかるはず」
銃弾は私の肩に命中し、魔法の杖は予測した軌道を大きくそれて、ゲイリーの後方へと落ちてゆく。
それを私は――飛行魔法の応用で――無理やり軌道を変えてゲイリーの背中に叩きつけた。
倒れこむゲイリーから拳銃を奪い取り、焼けつくような激痛を噛み殺すように笑った。
「ただ勝つだけじゃ、面白くないでしょ?」
「……なるほどね」
バン。
+ + +
俺が現場に着いた頃には、戦いは終わっていた。
グラウンドには肩から血を流したメアリーだけがおり、ゲイリーの姿はなかった。
ただ、メアリーが勝利したことは確からしいので、そこは素直に安心した。
「でもなぁ、こんな大怪我するなんて聞いてないぞ!」
「ごめーん! 銃持ってるなんて思わなかったんだよ! あ、いてて……」
「大きな声出すな!」
「昌宏くんもね」
「あ、悪い……」
決着をつけるから三十分だけ待っててほしい。
それで戻らなければ学校のグラウンドに来てほしい。
大丈夫、メアリースーの戦いなんてすぐ終わるから――
それを信じて我慢してみればこれである。
まったく主人公を信じて待つ役割なんてするもんじゃない、心配でどうにかなりそうだった。
ということは、俺が戦いに出るときの野々宮も似たような気持ちでいるのだろうか。
少し反省しなくてはいけないと思いつつ、どう改善すべきかは見当もつかない。ヒーロー辞めるわけにもいかないし。
「ゲイリーは、その……死んだのか?」
「わからない。気付いたら消えてたから、死んでない気がする」
「そんなふわっとしてていいのか?」
「いいんだよ。死んだと思ってたら実は生きてた、なんてことになっても困るでしょ」
メアリーは放心したようにその場に座り込んで、肩を押さえながらも朗らかに笑っていた。
「あ、いや、まずは怪我の治療だ。保健室行って、救急車を……」
「大丈夫」
「いや、大丈夫って見た目じゃないぞ、それ」
「私もこのまま姿を消すと思うから、少しでも長く話してたいな」
当たり前のように爆弾発言を投下するメアリーについていけず、驚きの声もあげられない。
俺はこれでいいのかと考えたが、どうせわかるはずもなく、メアリーの希望通りにすることにした。
「痛みはないのか?」
「薄れてきたから平気だよ」
「……強がりもほどほどにしろよ」
「私、最強だよ? 強がったっていいじゃない」
呑気な軽口が痛々しくも心地よい。
それは思い出深い黒歴史のような、愛おしくも苦々しい、複雑な想いの集合体。
どうしてあげることが正解なのか、まったくわからない。
わからないけど、俺はメアリーと対話し続けることに決めた。
「どうして消えるんだ。ゲイリーが消えたからか?」
創造主であるゲイリーが消えたから、メアリーも消えることになったということなのか。
メアリー自身が回答を持ち合わせているとは限らないが、俺は聞かずにはいられなかった。
「多分、違うんじゃないかな」
意外にもメアリーは悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「もしもゲイリーを作ったのが私だったら?
昌宏くんに助けてもらえなくて、思いが暴走した結果、共通の敵を生み出したとしたら――」
まさか、メアリーを作った、という設定を持ったゲイリーという敵を作ったというのか。
「そんなこと……」
「ないとは言い切れないよね。だからこそ、私が勝てたのかも」
底知れないメアリーの能力に怖気づいた俺を見て、メアリーは溜息まじりに笑う。
「なんてね。前提を覆す根拠はメアリースーのおかげだし、それを武器に最後で殴り勝てたのはヒーロー補正のおかげだと思うよ。
この話をゲイリーに言っていたら、更にひっくり返されていたかも」
「お前、ホント……」
「ねっ。こんなやつ消えなくちゃ駄目だよ」
どんな言葉でも形容しきれないほどのトンデモ話にほとほと嫌気が差す。
だけど憎みきれないキャラクター性がメアリーにはある。
メアリーは寂しそうな微笑みのまま、懺悔のように語りだした。
「自分がメアリースーでなくなりかけて、怖くなったよ。
これと同じ恐怖を昌宏くんに与えてたと思うと本当に申し訳なく思う」
ごめんね。
そう言って笑うメアリースーに、俺はなんと言ってやればいいのだろう。
正解も間違いもない、事実も虚構もない、嘘も真実もないこの少女に伝えられることはなんだろう。
「自分でもどうかと思うけど、俺はメアリーを恐れてた。
なんでもできるやつの登場に怯えていたのかもしれない。
だけど、メアリーと接しているうちにわかったことがある。
案外、メアリーが臆病で、不安がっているってことだ。
それは俺も同じで、ヒーローのくせに悩みまくって、間違えてばかりいる。
メアリースーだからなんだ。メアリースーじゃなくなったからなんだ。
お前はメアリーだ。物語の厄介な登場人物じゃない。
ちょっと有能だけど自信がない、ただの女の子だよ」
もちろん、これが正しかったとは誰にも決められない。
いや――
「……ありがとう、欲しかった言葉をくれて」
――決めるのは、メアリーだけだ。
逃げ回り、戦い抜いたことで、晴れ間が差し込む曇り空のように綺麗だった灰色の髪は、ボロボロで薄汚れた暗色になりかけている。
宝石のように輝く赤と青の瞳も、がっちりと閉じて、両目からは頬を伝う涙が流れていた。
泣きながら笑う一人の少女メアリースーは、どこにでもいる普通の女の子のように見えた。
「助けてくれて、ありがとう」
一瞬も意識が途切れた記憶はなかったが、メアリーの姿はなかった。
俺は喪失感だけを味わいながら、教室に置きっぱなしであろう荷物を取りに、人のいないグラウンドを歩きだした。




